異論
慶長十二年 六月六日 越前国
本多正信が逗留している屋敷に冨正が再度が訪れる事を知らされた正信と忠勝は、徳川家康の刺殺の一件の真相を確認する事を話し合っていた。
本多忠勝は今回の会談で真相を確認する事が出来ないと判断した際には、その場で冨正を討つと正信に述べ同意を得ようとした。
『佐渡、もはや我等には打つべき手が残されておらぬ。上様からの書状を伊豆守に渡し、駿府で大御所様が中納言様に殺められた件を話した。これ以上は上様も我等も駿府で起きた件を隠し通す事が不可能だ。是が非でも伊豆守が中納言様から聞いたであろう全ての事を聞き出さねばならぬ。仮に伊豆守がそれを拒むならば儂はあ奴を討つ。儂の家を取り潰し、倅達に咎が及ぶことになってでも真相を闇に葬らねばならんのだ』
忠勝の言葉を聞いた正信は瞑目して思案した。眉間に皺を寄せ、苦渋に満ちた表情を浮かべた正信は心中で溜息をついた。
(忠勝殿の申された事は道理に適っておる。だが、何らかの策をもって伊豆守が動いておる可能性が高い中でそのような事を為すのは愚策と言える。ゆえに反論したいが忠勝殿は意見を曲げる事はあるまい。おそらく説得を試みても無駄になるどころか、我等がいがみ合う事で伊豆守の策に嵌る事も充分にあり得る。此度の席で伊豆守の心底を見極めねばならぬ。無論、伊豆守が徳川家に叛旗を翻す腹積もりならば越前の御家自体が叛旗を翻す前に真相を知る伊豆守を討つのも一つの手である事は否定出来ぬが……)
やがて正信は忠勝に返答した。
『忠勝殿。伊豆守を討つならば越前の御家が徳川家に叛旗を翻さぬ事が条件になる。今の状況で伊豆守を討てば越前の御家は大騒動が起こるであろう。伊豆守は中納言様に二十余年も仕えた最古参の重臣。上様と我等以外の者からみれば伊豆守は何一つ罪を犯しておらぬ。そのような者を討てば越前の家中に燻っている徳川家への叛意が燃え広がる事もあり得る。それでも伊豆守を討つと申される御積りに御座るのか』
真相を闇に葬るという忠勝の意見には納得できるが、それには越前結城家が徳川家へ敵対しない事が大前提となる。忠勝が冨正を討つ事が結城家に対して説明の出来ない行為になれば真相は闇に葬れるが、その代償として結城家が叛旗を翻す事になりかねない。真相を闇に葬るのが徳川家を守る為である以上、結城家の家中の者に冨正を討った事について説明をしなければならない。
正信の問いに対して忠勝が返答した。
『佐渡、儂とてそのくらいは理解しておる。本来ならば伊豆守を討つなど狂気の沙汰だ。だが徳川家への叛意を持って伊豆守が行動するならば討つ以外に選択の余地が無いのが現状だ。儂が乱心した事にする他あるまい。儂はお主の家臣の手によって討たれる。儂の家は上様の兄君を殺めた罪で取り潰され、倅達にも咎を及ぼす。場合によっては切腹させる事になるであろうが、それでも構わぬ。我等にはこうする以外の術が無い』
正信は忠勝と意見が対立する事を恐れていたが、冨正との密談がきっかけで恐れていた事態が現実のものとなり始めた事を無念に思った。
(ようやく伊豆守と対話できるようになったが、まさかそのような状況になってから我等が意見を異にするとはな。忠勝殿を説得せねばならぬが意志は固いはず。某の説得を聞き入れる事はなかろう。伊豆守を討つのは火に油を注ぐ事と同様の結果になる。仮に忠勝殿の申した通りにしても越前の御家は徳川家に敵対するであろう。そうなれば忠勝殿の死は無駄死にとなる)
忠勝の意志が固いと見た正信は本多冨正への対応について両者が妥協できる内容を見つけだそうとした。越前結城家が徳川家へ敵対せず、忠勝が冨正を討つような事が起こらぬようにするには、冨正が亡き結城秀康から如何なる指示を受けたのか、何故に徳川家康を殺める事を結城秀康が決意したのかを語らせねばならない。
だが、先日の会談の席で冨正は徳川家への敵意を抱いていると思わせる態度を示した。正信が考える事は冨正の対応を見る限り不可能としか言えない。
その為、正信は忠勝を無駄死にさせず真相を確認する方策を思案した。
(伊豆守との会話を某が誘導する形で、中納言様から駿府へ書状を届けよとの下知を受けた以外は何も聞かされていない事にしたほうが良いのかもしれぬ。このままでは最悪の結果になるのは目に見えておる。中納言様が御遺言を残さずに乱心して事に及んだとは思えぬ。必ずや御遺言を残されたはずだ。御遺言に書かれていた事を伊豆守に話していた事にすればよい。伊豆守は中納言様の御遺言の内容を家中の重臣達に知らせたであろう。そうでなければ中納言様が身罷った後の対応が出来ぬはず)
正信は忠勝が冨正を討つ事を避ける為に、冨正が結城秀康から具体的な事は聞かされていない事にする策を考えていた。忠勝を欺く事になるが、忠勝を無駄死にさせず、越前結城家を徳川家へ敵対させないためには、正信が考える方法で冨正と対応したほうが良いと思い始めていた。
忠勝も正信も両者ともに無言で相手からの発言を待っていた。但し、忠勝は冨正が真実を語らぬ限り討つ決意を固めたと正信は読みきっていた。
やがて、正信が忠勝に次回の会談の席で何をするべきかを語り始めた。
『忠勝殿。伊豆守から真実を聞く事を期待しても無駄になるだけだと某は考えておる。我等は越前に赴くまでに様々な事を考えて来た。おそらくその中には真実が含まれていると某は思っておる。故に伊豆守に我等から多くの問いを為し、問いに対する伊豆守の反応を見極めては如何であろうか。仮に伊豆守が全てを隠そうと試みても我等を相手に全てを隠し通せるとは思えぬ。伊豆守を問い詰め、矛盾があればそれを追及してゆく事で真実に辿りつけるはず。迂遠なやり方と思われるかもしれぬが、我等の背には徳川家の安泰がかかっておる。迂闊な真似は出来ぬが、真実を知る事も諦める事は出来ぬ以上、某がご説明した方法で伊豆守と対応する以外に術が無い』
正信の発言を聞いた忠勝は無言で思案していた。
(あくまでも儂が伊豆守を討つことに反対する積りか。土壇場になって意見を異にする事は愚策だと儂とて感じておる。佐渡の申す通り、伊豆守から進んで真実を話す事はあるまい。越前に赴くまでに佐渡と話した事柄が全て我等の妄想とは思えぬ。恐らくは真実か真実に近いものがあったと見てよかろう。だが、伊豆守がそれを認め、駿府で起きた件を表沙汰にせぬとの言質を取らねば徳川家の危機は回避できぬ。佐渡はそこまで考えて儂を説得する積りなのか分からん。迂闊には応えられぬ……)
正信が危惧している事を忠勝も良く理解してはいるが、両者は徳川家を守る為に何を最優先にすべきかという点で意見が割れてしまった。忠勝は真相を闇に葬る事を最優先にすべきと考えているが、正信は将来に禍根を残さぬ為に真実を確認すべきと考えている。
皮肉にも、前回の冨正との会談の前に正信が口にした両名が足並みを揃えて対応しなければならないという前提が崩れようとしていた。
やがて考えを纏めた忠勝は正信に応えた。
『佐渡。お主の申した方法で伊豆守と対応する事に反対はせぬ。たしかにお主が申す通り、伊豆守が進んで真実を話す事はあるまい。ゆえに我等が越前に赴くまでに考えた事柄を伊豆守に確認するのは儂も正しいと思う。だが、伊豆守が正直に問いに応じぬ際はどうするのだ。伊豆守が知らぬと申した事を真に受けて上様に伊豆守は中納言様から何も聞かされていなかったとご説明する訳にはゆかぬ』
正信は忠勝の発言を予想していたかのように即座に応じた。
『伊豆守が先日の会談で口にした事を忠勝殿は覚えておられるはず。我等が中納言様を蔑ろにしたと伊豆守は思っておるはず。ならば我等が中納言様の事を蔑ろにしてはおらぬと示せばよい。真相を話すなら我等の家は取り潰す。そうしなければならぬ程、我等も上様も事を重視しておると示す事にもなり、伊豆守が申した中納言様を蔑ろにした報いを受ける事で伊豆守を宥めることが出来るはず』
正信の発言を聞いた忠勝は驚いて正信に返答した。
『佐渡、儂はともかくお主までもが何を申す。上野介には何の罪もあるまい。それにも関わらず家を取り潰す事はどういうつもりだ。上野介をどう説得するのだ』
忠勝は正信が自身の家も取り潰す事を条件に冨正と交渉する意思があると聞いて以外に思った。忠勝と違い、正信は何らかの策を持って冨正と対抗するのだと思い込んでいたからである。
忠勝からの問いに対して正信は苦い表情で応えた。
『あ奴は中納言様の策に嵌り此度の件を引き起こした張本人で御座る。駿府に某か忠勝殿が控えていたならば大御所様が討たれた直後に伊豆守を追い、越前には戻さず駿府へ呼び戻し中納言様から何を言い含められていたかを確認したはず。だが愚息は狼狽して何ら手を打たず、中納言様の最期の御言葉の通り某に事の次第を知らせたのみ。あの戯けでは徳川家のお役に立つ事は出来ぬ。ならば徳川家の為に某の手で此度の件の対応を終えた後で責を負って家を潰せば愚息の命までは取られぬはず。あ奴には天下を支えるという事の意味と責任の重さが理解出来ておらぬ』
正信の発言を聞いた忠勝は忸怩たる思いがあった。自身の嫡男と次男も正信のいう天下を支えるという自家の役割を正しく認識しているとは思えなかったからである。
(儂と佐渡が死ねば倅達では天下を支えること、上様の御為に身命を投げ打つ覚悟を持つ者は居なくなるであろう。此度の件の解決の為に儂と佐渡の家を潰す事で伊豆守を納得させ、越前の御家に燻る徳川家への不信感を拭えるならば悪くはない。伊豆守が感じておるように儂も佐渡も亡き中納言様が将軍職を継ぐに相応しい御方と思ったが、大御所様の御意志を変える事が出来ず不遇の生涯を送る事を余儀なくさせた責任の一端を担っておる。せめてもの詫びとして家を潰すくらいの誠意を見せねば到底納得しないであろう。もう我等には打つべき手が無い)
忠勝は正信に夜に行われる会談の席が交渉する最後の機会になると説明し、勝負を仕掛ける事を提案した。
『佐渡。もはや大御所様の死をこれ以上は隠し通せぬ。此度の会談で伊豆守から真相を聞き出し、速やかに対応せねば徳川家は崩壊の瀬戸際に立たされる、いや崩壊致すであろう。越前の御家中の徳川家への不信感をこれ以上は抑えきれぬはずだ。伊豆守も我等も瀬戸際に立たされておる。速やかに決着を付けねば収拾がつかぬ有様となる』
忠勝の提案に正信は同意したが、冨正が全てを語る事が前提である為、前回と同様に聞き役と監視役を分け、ほんの僅かな異変も見逃してはならないと感じた為、忠勝に監視役を依頼し、自身が聞き役となる旨を話し、了解を得た。
老体に鞭を打つような苦労を重ねてここまで辿りついた以上、敗北は出来ないとの覚悟が両名の表情に浮かんでいた。
亡き結城秀康の無念を身に宿す本多冨正へ勝負を挑む覚悟を決めた忠勝と正信は前回と同じような事が起きぬように細心の注意を払いながらも容赦の無い追及を行い、真相を暴くべく心を落ち着かせて時を待っていた。




