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残された禍根  作者: 長谷川龍二
第二章 親子
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到着

慶長十二年 閏四月二日 越前国


 秀康は吉田重氏を含む十名の精鋭を護衛として越前を出立した。


 選りすぐりの駿馬で近江、美濃、尾張を通り抜けて東海道を駿河へ進み、十日の朝には駿府の町に到着していた。



 宿として借り受けた町名主の屋敷で休息をとった秀康は重氏が白湯を飲んで休息しているのを確認し、離れの六畳間に入り、先行させていた忍びから話を聞いていた。


 話しているのは、元は風魔衆の者であり、現在は秀康が抱える忍びである。


 風魔衆は、豊臣秀吉によって滅亡させられた関東の北条氏に仕えていた忍者衆であるが、小田原征伐による北条氏の滅亡と徳川家康の関東移封により消滅したと言われていた。


 その風魔衆の残党を秀康に召抱える事を進めたのは家臣の関根織部である。


 織部は主家の北条家の滅亡後に浪人となっていたが、秀康が越前拝領後に武名の誉れ高い織部を家中に迎えた。


 主君、北条氏直が豊臣秀吉に高野山に追放された際に主君に同行することが出来なかった事を悔いていた織部は、仕官の話を当初は拒んだが秀康は誠意をもって織部を説得し、織部は秀康に仕える事を承諾した。


 そして、秀康の家臣となった織部はかつて北条氏に仕えていた風魔衆の者達を召し抱える事を秀康に進言した。


 主家であった北条氏の滅亡後に風魔衆は消滅したと言われているが、一部の者は素性を隠して関東の各地に潜んでおり、彼らを召し抱えれば少数であっても大事が起きた際の情報収集などに使えると説明し、了承した秀康は風魔衆の残党を家中に抱えたのである。


 忍びの数は二十数名ほどの少数である。彼らの多くは秀康の命で大坂と江戸の町に散り、商人などに扮装して多くの噂を集めそれを越前へと伝えていた。


 そして、集められた情報の内容を吟味し、秀康に報告する必要性を判断するごく少数の忍びが越前に残っていた。


 秀康は、本多冨正を越前から駿河へ送り出した際に、冨正には内密で彼らに冨正の身を護る様に指示し、後を追わせていた。


『では、冨正が駿府城に登城したのは間違いないのだな』


 秀康の質問に、かろうじて聞きとれるほどの小さな声で忍びが答えた。


『伊豆守様は昨日駿府城に登城しております。我らは伊豆守様が駿府に到着した日に殿の命で後を追っていた事と、殿が十日には到着される旨をお伝え致しました』



 本多冨正が秀康の指示通りに父に書状を渡した事を確認した秀康は、江戸へ行くと欺いて駿府まで伴をさせた護衛の者たちを国許に帰せば、すべての準備が整うと判断した。


『大義であった。お主は冨正に儂がこの屋敷にいる事を伝えよ。その後は急ぎ国許へ戻り修理にこの書状を渡せ。儂が駿府へ赴いたことを他言する事は許さぬ』



 秀康は家中の忍びに指示を出し、書状を目の前の畳の上に置き部屋を出た。

 その直後、隣室から忍びの者が部屋に入って書状を拾い上げ、即座に去った。


 父に対面する準備は整いつつある。


 護衛の者達を国許である越前に帰せば全ての準備が完了すると判断し、帰国を命じるべく重氏達の元に足を運んだ。



 秀康は重氏達の元へ行き、駿府へ登城する事を伝えた。


『重氏、儂は上様に家族としての別れを告げた後で駿府の父上に別れを告げるつもりであった。だが、よくよく考えると親よりも先に弟に別れを告げるのは親不孝となるように思う。予定を変更し、父上にお会いした後に江戸に赴く』



 重氏は突然秀康が駿府城に行くと言い出した事を不思議に思ったが、家族としての別れを親ではなく弟に先にすることはたしかに親への非礼になると思い、秀康の言葉を黙って最後まで聞き、聞き終えた後に秀康に問いかけた。


『殿、大御所様とご対面されてから江戸へ向かう事は問題ありませぬ。されど病躯を押して駿府から江戸に赴く事を大御所様が反対されたら如何なれまするか』



 秀康はその問いかけに答えた。


『儂が最期の別れを告げる為に来た事を説明すれば、儂が江戸に赴くことに反対することはあるまい。医師と護衛をつけてくれるであろう。お主達は国許に戻れ』



 秀康から突然帰国を命じられた事に強い違和感を覚えた重氏は、秀康が帰国するまで供をすることを望んだが、秀康は再度、国許に戻るように指示した。


『重氏、お主程のほどの者が長らく国許を不在にすれば儂の不在が家中の者たちに知られかねん。急ぎ国許に戻れ。儂を護衛していた間は、儂の命で京の公家達に日置流弓術を披露する為に、京に赴いていたと説明せよ』



 重氏は納得がいかないと言わんばかりに無言を貫き、目を細めて秀康を見つめた。

 秀康は仕方なく、重氏を説得するために声をかけた。


『お主が儂の病を心配している事はわかっておる。父上にお会いした後は、父上が用意する医師と護衛の兵を伴って江戸に赴く。父上の医師ならば腕も確かであろう。兵も目立たない数ではあるが、それなりの者をつけてくれるはずだ』



 秀康の意見にはある意味で筋が通っている。病んだ息子が病躯をおして江戸に赴くならば、腕の立つ医師をつけること、そして目立たない数の優れた兵を護衛として付ける配慮をすることは、父として当然といえる。


 だが、江戸からの帰路はどうするつもりなのか不明である。


 重氏は秀康にその疑問を提示した。


『江戸から国許へはどのようにお戻りなるので御座りますか』



 秀康はそれに対して即座に答えた。


『上様がつける者を護衛として国許に戻る。上様が父上と同様、或いはそれ以上の配慮をする事は疑いない。上様が儂に遠慮している事はお主とて存じて居るはずだ』



 かつて秀康が越前から江戸へ赴く際に、家中の者に鉄砲を所持させて碓氷峠の関所を越えようとしたことがある。碓氷峠の関所を守る関守が鉄砲を江戸へ持ちこむ事は禁制であると伝えたが、秀康はそれを無視して関所を越えた。


 だが、秀康の行為を咎められる事は無かった。将軍や幕府が遠慮したのが理由である。



 重氏は心から納得する事が出来なかったが、主君の命に従う事を選んだ。


『……承知致しました。急ぎ国許に戻りまする』



 自分の部屋に籠った秀康は、自分の予測に間違いが無いかを考えていた。

 少しでも自分の予測に誤りがあれば、今回の行動は無意味なものになってしまう。


(儂のような者を心から信じてくれた家臣達を欺き、ここまで進めたのだ。失敗は絶対に許されん。明日にも駿府城に登城せねばならん……)


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