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5.5_ポッシブルとインポッシブルの狭間



「最近、よく濡れて帰ってくるわね?」


 トルテとの逢瀬もそこそこにずっしりと重い服を着衣のまま絞れるだけ絞り、辿った帰路。すれ違う人々にやれ虐めかだの、やれ風邪を引いてしまうだの心配されてしまったが故に、普段の倍以上の時間がかかってしまった道程の先。漸く辿り着いた我が家の扉を開けるなり、ジェラールの母であるルビーは呆れながらも浴室からタオルを取ってくると息子に差し出した。次いで使用人たちに一斉に春の休暇を取らせたがために、夫人たるルビーは直々に我が子のために風呂を沸かした。といっても魔法に秀でている彼女はわざわざ薪を運んでマッチを擦って……などという真似はしない。魔法で大きな浴槽に水を張った後に今度は火の魔法をぶつけてやや熱いくらいの湯にしたかと思えば、やは。何も聞かずに少々雑にジェラールを浴室に放り込んだのだ。

 ジェラールは貴族の夫人という立場に甘えずにテキパキと家のことをこなす上に、敢えて何も聞かずに自分を浴室へ叩き込んでくれた母に感謝する。とはいえ、ジェラールは同時に医者の妻にして元文官という立場ある人であることを除いても、元から貴族階級の生まれである母にこのような雑務をさせてしまって申し訳ないと、浴槽に身体を浸からせては冷えた指先に熱を灯しながらひとり反省する。それからもう少しスマートなやり方がなかったかと模索するものの、答えのない問題と少し熱めの湯に逆上せそうになると足早に浴槽を出た。そしてやはり母の用意してくれた新しいシャツとズボンとに袖を通すと、リビングでゆったりと紅茶を楽しみながら本に目を通している母へと頭を下げた。すると流石に思うところがあるのか、母・ルビーは苦笑しながらジェラールにそう告げた。


「……海に、落し物をしてしまいまして。拾おうと飛び込んだ次第です。」

「まあ。ジェラール、あなたが?」

「いえ、……友人…が、です。」


 ジェラールはルビーに問われると流石に嘘はつけないし、ついたところで後で辻褄が合わなくなるのが世の常だと、本当のこと――但し、少しぼかして――を、告げる。すると長らく息子の口から友人の話を聞いていなかったルビーは紅茶のカップを傾ける手をピタリと止めた。それからほんの少しだけ目を見開くと、そう告げた我が子の顔をまじまじと見つめた。

 その表情は人付き合いが苦手で、昔から友人が出来たと思ったのも束の間、気がつけばすぐにひとりになってしまう息子にあるまじきシチュエーションを、まさしく信じられないと。半信半疑だと、伝えていた。が、ルビーは女親らしく目敏くジェラールの首元で輝くルビーのドロップペンダントに気が付くと、朝はたしかに着けていなかったそれにどうやら嘘ではないらしいことを悟る。と同時に、息子にアクセサリーをプレゼントしてくれるような友人がいることを嬉しく思うと、娘っ子のように無邪気に瞳を輝かせた。

 ルビーは未だ立ち尽くしては申し訳ないと頭を下げるジェラールに、自分の隣に座るようにとソファーを軽く叩く。ジェラールはまるでトルテや恋の話に花を咲かせる町娘のように目を輝かせては、勢いに任せて此方へ来るように態度で示す母親に一体何を聞かれるのやらと背中を冷や汗が伝うのを感じた。そして次の瞬間、ルビーの視線が自身の首から胸のあたりに向いていることに気が付くと、トルテに着けて貰ったペンダントを外すのを忘れていたことに今更気が付いて大いに後悔した。そしてこれは誰からのプレゼントなのか、その『友人』からのものなのか、しつこく聞かれること間違いなしだなとジェラールは小さくため息をつくと、覚悟を決めてからルビーの隣に腰掛けた。


「いいわね、そのペンダント。かなり上質なルビーね?」

「……ええ、そうですね。」

「私も同じようなペンダントは持っているけれど、こんなにも上等なルビーではないわ。」


 ジェラールが腰掛けるや否や、ルビーは先ずは自身の名前と同じしずく型のペンダントトップがあしらわれたアクセサリーを話題に出した。ジェラールは一見なんてことない、ただの宝石好きな婦人のトークに見せ掛けたその実、ルビーの瞳がまるで蛇のように鋭くペンダントと自分とを見つめていることに気が付くと下手なことは口に出来ないなと表情を強ばらせた。と同時に文官という仕事が、時にこうして本音を建前で隠すことが求められる職業だからこそ、母の跡ではなく父の跡を継いで医師になろうと決めたんだったな、と将来の進路を決めた幼い日のことをぼんやりと思い出した。

 そして久しぶりにルビーの蛇のように鋭く、かつ獰猛な猛禽類のように凄みのある瞳に見つめると、ジェラールは嫌でも心拍数が増加するのを感じた。


「…………ジェラール。そのペンダントは、『お友達』からのプレゼントかしら?」

「――――っ、はい…。」

「ふうん、なるほどねえ…。」


 ルビーにそう問いかけられた瞬間、ジェラールはあまりの物言わぬ迫力と有無を言わさぬ雰囲気に取り繕うことをやめた。代わりにただ短くひとことそう答えた後に首を縦に振る。ルビーはそれに合わせて室内光を反射してはキラリと輝く6条の星に、これがただの大粒かつ純度の高いルビーなのではなく、ルビーの中の女王たるスタールビーだと気が付くとなんとも含みのある言葉を発しながら口元に手を宛てがう。そして仮に市場に出れば、優に100万を超える金額がつくであろうそれを見遣りながら、これほど価値があるものをポンとプレゼント出来るだけの家系がこのマレノスタリアに幾つあるだろうかと考え始めた。


「フレスベルグ家かしら?それともグリンブルスティ家…?――いや、でも確かあの子たちはジェラールに贈り物をするような間柄ではないわよね…?」

「……あ、あの、母上…?」

「となると、商人の方かしら?全く、皇帝陛下がいらっしゃる限りは我がマレノスタリアに汚職や賄賂の類は有り得ないと、いつも通達しているのに…。」

「…………えっと、その…母上…?」

「――というか、これは男の子からのプレゼントなの?それとも女の子からのプレゼントなの?!もし女の子からのプレゼントなら、うちのジェラールにもやっと春が来たってことなの?!?」

「は、母上…!」


 最初は囁くような声でブツブツと。次いで小声、一般的な話し声を経て、果ては興奮のあまり大きな声と共にキャアキャアと騒いではヒートアップしていくルビーを、ジェラールは必死に窘める。「母上!残念ながらあなたの息子は、その、そういうのはからっきしです…!!」と、必死に好い人なんて居ないことを告げる。が、ルビーは最高級のスタールビーを、それも目を凝らさなければ見えないほどの粒ならまだしも、ごくごく一般的なペンダントトップの大きさ――加工代金も含めれば100はおろか200、下手をすれば300にも手が届きそうな品物のそれを、自分の息子がもしかしたら女の子から貰ったかもしれないと考えると、最早その息子の声など耳には届かなかった。

 それとそのはず、どうにも気が弱くて優しくて、それ故貴族の子なら誰もがこぞって参加する魔物の討伐という花形を敢えて自分から避けていくような、自分の息子が。それでいいと口にはしつつも、内心自分が適当に育てた結果なのではと密かに気を病んでいただけに、ルビーは仮にその『お友達』が女の子であろうが男の子であろうが、息子を認めてくれた赤の他人がこの世界のどこかにいるのだという事実に胸が踊って仕方がなかった。故にルビーは思わずジェラールの手を取るとソファを立ち上がり、息子相手に踊り出す。ジェラールは母親のどうにも過大すぎる表現力に苦笑しながらも、まあ、こんなに喜んでくれているなら…と渋々ダンスの相手を務める。


「ねえジェラール。その子、今度うちに連れてらっしゃいよ!どんな子か挨拶させて頂戴?」

「え!?……うーん、それはちょっと難しい…かな……?」


 ジェラールはトルテの下半身――どう足掻いたって脚にはならない尾びれを思い出しながらそう答える。どうしてと聞かれたらなんて返そうかと難しい顔をする息子に、ルビーは初めて見る息子のなんとも言い難い難しい表情と、珍しく口篭る姿に、家に連れてくるのは難しい=親に紹介するのは難しい、または恥ずかしい=結婚やお付き合いをしていると勘違いされると困る=同性同士では勘違いなど起きない=つまり女の子!という、興奮のまま紡いだ完璧すぎる図式にますますキャアキャアと黄色い声を上げては心底楽しげにクルクルと回る。そしてその勢いのまま「早くアステル様にも教えてあげなくちゃ!」と夫の名前を口にすると、ジェラールの手をぱっと離す。ジェラールは漸く解放されるとやれやれと苦笑しながら、そんな母を見守る。

 ――が、「その前にお祝いかしら?!今日はご馳走にしなくっちゃ!」と目を爛々と輝かせながら本当に父の診療所に今から向かおうとする母親に、仕事の邪魔は勿論事実と異なる真相を無視してご馳走を作るのは如何なものかと、流石に力づくで待ったをかけた。

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