05_紅玉とアルデバラン
「こんにちは、ジェラール!!」
「うん。こんにちは、トルテ。……ご機嫌だね?」
1週間後。ジェラールがいつも通り大岩を訪れると、そこにはやはりと言うべきか既にトルテが居た。深い藍色の海の中から、そのエメラルドグリーンの頭だけをちょこんと出しては、市街地からは死角となるあたりをスイスイと泳いでいた。けれど地面を伝う足音から彼の来訪を察知するや否や、顔をこちらに向けては満面の笑みを浮かべながら声を上げた。それのみに留まらず、加えて今日のトルテはまるで飼い主の帰還を喜ぶ犬のように尾びれで岩肌をビチビチと叩いては激しく喜ぶものだから、ジェラールはあまりにも素直に感情を表現する様に思わず苦笑してしまう。
それから挨拶を返しながら、随分と上機嫌な様子を吃ることなく口にすると間違って海に落ちてしまわないようにと手元と足元に気をつけながら、大岩の上へ。ジェラールは湿っている岩肌にハンカチを敷いてから腰掛ける。無論、トルテも座れるようにと少し端に寄って。
「ふふ、わかる?」
トルテはジェラールの育ちの良さを感じる所作に感心しながら、彼が空けてくれたスペースに腰掛ける。それから相変わらず上機嫌な様子――あたりを舞うふわふわ、キラキラとしたエフェクトを隠すことなく存分に撒き散らしながら、尾びれを持ち上げると人間の膝に該当する部分に肘をつく。そして両手を頬に宛てがい、頬杖をつきながらむふーと自信に満ちた鼻息を漏らすと、ジェラールの顔を真正面から見つめた。
ジェラールは時に人を惑わせる海の神秘たるトルテが想像よりもずうっと自分同様、上品な言葉で言い表すのならば成長途中の可能性に溢れた存在、言葉を選ばずに言い表すのならばかなりのポンコツであるが故に、緊張由来の吃りがすっかり影をひそめていることには気が付いていた。つまりはこのままトルテと友達で居つつ彼女相手に少しずつ会話を練習していけば、他の貴族の子女相手にもスマートかつ自分らしいコミュニケーションが取れるようになるのでは、と淡い期待を抱いていた。が、どうにもそんなにも綺麗な瞳――レモングラスを染料に染めた布のような黄色の強い緑色の瞳で、真っ直ぐに見つめられるのは少々気まずい、もといどういうわけか心臓が五月蝿くなってしまうから、苦手だった。故にジェラールは咄嗟にトルテから目を逸らす。そして目を逸らした視線の先、偶然彼女が手に握り締めている小包に気が付くと、どうにかしてこちらを向くのをやめさせたい一心でそれを指さしながら口を開いた。無論、緊張から来る焦燥に大いに吃りながら。
「そ、それよりも、さ。手…何、持ってるの?」
「ふふ、これ?……知りたい?」
「う、うん。……落し物?」
ジェラールは思わず舌を噛みそうになりながらも、なんとかトルテの視線を自分から他のものへ向けることに成功するとほっと胸を撫で下ろした。けれどそれもつかの間、知りたいかと問われればその場の会話を繋ぐためにもと頷きつつあまりにもくしゃくしゃの包装から、もしかして本当に犬のように誰かが海に落とした物でも拾ったのかとやや豊か過ぎる想像力に基づいて発した言葉に再度瞳を向けられる、もとい睨み付けられると、びくりと肩を震わせながら身構えた。
その一方でトルテは手にしている小包――自分で頑張って包んだジェラールへのプレゼント――先日の詫びの品が、人魚族にあるまじき不器用さ故に新品に見えないことを悪気なく指摘されると、キッと彼を睨みつけた後にしゅんと項垂れた。そしてはあ、と重いため息を吐くと「……そうよね。このラッピングじゃあ、プレゼントというよりかは散々誰かに踏まれた上に、勢い余って海に投げ込まれた落し物に見えるわよね…。」と呟いては、右手の人差し指で岩肌をイジイジと撫でる。その間もトルテらしからぬどんよりとしたじっとりとした空気がその唇から漏れると、ジェラールは失言してしまったと顔を青ざめさせた。
ジェラールはどうすれば…と頭を悩ませては、必死に様々な知識が叩き込まれた脳みそをフル回転させる。それはここからどうすれば自分の汚名を挽回出来るのかという打算ではなく、トルテに元気を出して貰えるのかという、これまた彼の育ちの良さが伺える思考が故だった。そして脳内の情報を隅から隅まで探った結果、ジェラールは先週トルテの発していた言葉――ハンカチを2枚あげたお礼の品を用意すると言っていたことを思い出すと、状況から察するにどう考えてもそのみすぼらしいラッピングの小包が、自分へのプレゼントであることに気がついた。と同時に、ジェラールはますます自身の失言に頭を抱える。一体何をしでかしてくれているんだ僕は、とさっきまでの自分を蹴り倒したくなる。
が、そんな気持ちとつい吃りそうになる動揺由来の言葉をぐっと唇を噛んでは堪えると、代わりにトルテに向けてその右手を差し出した。そして吃ってしまわないように深呼吸を2回、3回と繰り返してから唇をそうっと開くと、眉を下げながら言葉を紡いだ。
「――ごめん。もしかしてそれ、僕へのプレゼントだったりする…よね?」
「…………いいのよ、気を遣わなくて。あなたの言うとおり、誰かの落し物だったってことにするから。」
遠回しに落し物に見えると言われたことを拗ねているというよりかはジェラール同様、自分の不甲斐なさに心底がっかりしている様子のトルテは意地を張っているわけでもなんでもなく、心の底からそう告げると自身の手に握られている小包へ目を向けながらそう呟いた。かと思えば、悲しそうに瞳と顔を歪めた後にトルテは海の底目掛けてそれをぽい、と投げ込んだ。
ジェラールはその大胆な行為に目を丸くした後、似たもの同士故にトルテの抱えている声にならない感情が手に取るようによく分かってしまうと、本当に自分はなんてことを言ってしまったのだと心の底から悔いては顔を歪ませた。が、そうやってままならない自分に嘆いたり呆れたりするのはきちんと謝ってからだと心に決めると、すぐさま大きく息を吸い込んでから何の躊躇いもなく海に飛び込んだ。
「……え?!ちょ、ちょっとジェラール!?」
ジェラールは海に飛び込んだ際のぼちゃん、という大きな音と、慌てるトルテの声を背景に、つい2週間前落ちたばかりの海に今度は自分の意思で落ちていくとゆっくりと体勢を整える。次いで目を開くとそんなに重いものが入っているわけではないのだろう、緩慢な動きで海底へ沈んでいくというよりかは海中を漂うそれを難なくキャッチすると、海面から顔を出した。それからぷはぁ、と声のような効果音のような音を発しながら、ほんの10数秒ぶりの新鮮な空気を肺臓いっぱいに取り込む。そうやって呼吸を整えた後にジェラールは目を丸くしながら岩肌の上からこちらを見つめているトルテへ向けて、小包をしっかりと握り締めている右手を突き上げると嫋やかな笑みを浮かべながら全くもって彼らしくない大きな声で彼女に問い掛けた。
「これ、誰かの落し物なら、拾った僕が貰ってもいいよね?」
「………………もう。あなたって、もしかしなくても馬鹿だったりするの?」
「――え、何?聞こえないや!」
トルテは屁理屈に見せかけた自身への気遣いに溢れたジェラールの言葉に、1週間ぶりに瞳を潤わせると思わずそんな言葉を吐く。ジェラールはその言葉に目を細めると、わざと相も変わらず大きな声ですっとぼけてからくしゃりと破顔した。その子供のような、悪戯っ子のような、なのに不思議なほど生き生きとしている表情にトルテもまた口元を緩めては破顔する。そして穏やかな春の太陽と陽射しに、僅かに浮かんだ涙を乾かしてからぽちゃんと音を立てながら海に飛び込むと、音もなくスイスイとジェラールの元まで泳いでいった。
そうやってジェラールの隣に並んだトルテは、その得意げな顔に「また寝込んでも知らないわよ?」と眉を下げながら心配する。ジェラールは素知らぬ顔で「その時はまた思い切り寝込んで治すから大丈夫だよ。」と答えてから、彼の右手に握られている小包――この一連の流れで、更にくしゃくしゃのぐちゃぐちゃになってしまったそれに目を向けつつ、トルテに「開けてもいいかな?」と問い掛けた。トルテはどこまでも律儀なジェラールにやれやれと肩を竦めるも、嬉しさに口元を緩めつつ先程の彼のようにわざとすっとぼけてみせた。
「さあ?誰かの落し物で、今は拾ったあなたの物なんだから。わたしに聞かないで、好きにしたらいいんじゃないかしら?」
「――なら、遠慮なく。」
ジェラールは今度は明確に拗ねている、改め自身を揶揄っているトルテに、本当に良かったとそっと胸を撫で下ろす。それから彼女の言葉通り自分の好きにさせて貰おうと、周囲を覆っている綺麗な赤いリボンを解く。次いで皺だらけの包装紙をゆっくりと丁寧に外していく。そうやってようやくお目見えした小さな小箱の蓋をこれまた丁重にそうっと外すと、ジェラールはその中に収められていた綺麗な赤色のルビーのペンダント――それもかなり上質な、純粋で混じり気のない見事なルビーに、思わず息を呑むと共に言葉を失った。到底ハンカチ2枚程度と釣り合わない『お礼』に、ついついトルテの顔をまじまじと見つめた。
すると、とうとうポーカーフェイスがキツくなってきていたトルテは、ジェラールの心底驚いた顔を目にすると呆気なくその仮面を脱ぎ捨てる。そしてやはり犬のようにジェラールの周りをクルクル回っては、驚きのあまり言葉が出ないジェラールに「ねえ、驚いた?」「ねぇねぇ、嬉しい?」「男の人にペンダントって、変じゃないかな?」「これね、宝石の加工が得意な叔母さんに5日間の家事代行と引き換えに頼んだのよ!」「これ、前にあなたに見せた鉱石に入ってたルビーなのよ。あなたの言う通り、凄く大きかったの!」と矢継ぎ早に言葉を並べ立てる。ジェラールはまったく耳に入ってこないトルテのその声を環境音に、本当にこんな上等なものをたったハンカチ2枚と交換してしまっても良いのだろうかと暫し頭を悩ませる。
「――――ねえ、聞いてるの?!」
「え?ぁ、ああ、うん。ごめんごめん……。」
「じゃあ早く答えて!……気に入った?それともアクセサリーは嫌?」
けれど一向に返事が返ってこないことに痺れを切らしたトルテに、またしても至近距離で顔を覗き込まれながら詰め寄られると、ジェラールはとっさに上体を逸らす。それからどうにも顔や声、行動の端々に喜色が滲んで仕方がないトルテに期待の籠った瞳で見つめられていたことに気が付くと、これは思考の余地はないなと密かに苦笑した。故に大きく頷くとドクンドクンと五月蝿く拍動する心臓にはわざと気が付かない振りをしつつ、どうにも照れてしまう心を理性で制するとしっかりとトルテのその黄緑色の瞳を見つめながらお礼を述べた。
「――気に入ったよ。こんなに素敵な物をありがとう。大切にする。約束するよ。」
「ふふ、どういたしまして!」
トルテはその言葉に今まででいちばんの笑顔――それもただでさえ五月蝿い心臓が更にざわついて五月蝿くなるくらいには可憐な表情と共ににっこりと笑うものだから、ジェラールは堪らず目を背けた。それからせっかく貰ったのだから、これから月曜日はこのペンダントを付けて彼女に会いに来るのもいいかもしれないなと少々ロマンチックなことを考えると、早速と言わんばかりに小箱の中からそれを取り出した。そして着けようとチェーンを外したところで、トルテがまたしても「わたしが着けてあげる!」と、彼にとっては有無を言わさぬ言葉と声と表情と共に、少々無骨なその手に小さくて白くて柔らかな手で触れてきたものだから、ジェラールは思わず耳まで赤くなってしまった。次いでこのままではその熱でマレノスタリア周辺の海を干上がらせてしまう上にあまりの動悸に自分まで死んでしまうと、生命と環境との危機とを咄嗟に感じ取った。
故にジェラールは無言で頷くと、言葉少なくトルテにペンダントを託す。ペンダントを受け取ったトルテは、ジェラールの背後に回るとそうっと首元にチェーンを這わせる。そして首の裏に時折その小さな手のひらや指先を這わせてはジェラールの心臓を悪戯に揶揄うも、それもほんの数秒のことで。程なく呆気ないほどスムーズに留め金を留めると、トルテは再度ジェラールの前へと移動する。そしてやや白めの肌によく映える、存在感のあるペンダントトップのしずく型のルビーにニコニコと笑った。
「――うん、似合ってる!……ところで今更なんだけれど、ルビー、好きだったかしら?」
「あ、ありがとう、トルテ。……ルビー、好きだよ。母上と同じ名前だから、好きなんだ。だから大丈夫。本当に嬉しいよ。」
「本当?なら良かったわ!……それとジェラールのお母さん、宝石と同じ名前だなんてとっても素敵ね!羨ましいわ!!」
トルテは育ちの良いジェラールを、まさかこれも気を遣っての言葉じゃないでしょうねと暫し見つめる。ジェラールは慌てて首を横に振りながら嘘じゃないことをアピールしつつ、困ったように眉を下げながらルビーが本当に嘘偽りなく好きな理由――母親の名前と同じ名前の宝石だから好きなんだと告げる。が、以前に街の子供たちにそう告げた際にマザコンだと揶揄われたのを思い出すとなんとも言えない気持ちになった。トルテにも揶揄われるんじゃ、と少しばかり不安になった。が、ジェラールの予想に反してトルテはそのことについて揶揄うどころか、寧ろ素敵だとか羨ましいだとか言ってはと純粋な曇りない笑みを浮かべるものだから、少々拍子抜けしてしまった。
加えてまた風邪を引いたらいけないと彼の手を引いては陸へ向けて泳ぎ出す彼女に、ジェラールはトルテという人魚は本当に今まで出会ってきたどんな人間とも違うんだと改めて突きつけられるとつい口元が緩むのを感じると共に、次は自分がお礼をする番だなと思考を巡らせ始めた。それから最初に出会った時に驚かせてしまったことへの詫びをまだしていなかったこともを思い出すと、ジェラールはますます口元が緩むのを感じた。




