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03_白波のアクシデント



 マレノスタリアは周辺諸国と比べて、非常に比較的安定した経済や治安を持つ国だ。とはいえ、貧民や良くない心を持つ者が居ないわけではない。故にジェラールはトルテに会うのは1週間に1度、それも多くの人間がまた始まる1週間と労働にため息をついては足元を見ている月曜の昼間だけにしようと提案した。それは薄汚い人間たちにとって格好の『商品』であるトルテの身を案じていると共に、互いの私生活のことを思っての提案だった。そこに人付き合いに対する苦手意識から来る逃避がなかったといえば嘘になる。だからこそジェラールは最もらしい言葉を並べ立てては、どうにかしてトルテにうんと言わせようと画策した。

 が、トルテは予想に反して彼の提案を素直に呑むと、次の約束――「今日は金曜の15時前だから…次は3日後の正午、太陽が真上に昇る時間ね!」と、ジェラールが口を挟む間もなくそう告げては、ひらひらと手を振りながら海の奥へと潜って行った。そうしてジェラールに僅かな水飛沫と立ち上る泡、それと胸の高鳴りとだけを残して彼女は消えてしまったのだ。深い深い海の底に帰っていってしまったのだ。

 

 ――やっぱり夢だったんじゃないかなと、ジェラールはあれから2日経った今でも、そう考えている。

 

 けれどそれが夢だとしても現実だとしてもジェラールは明日の正午、約束したあの大岩に行くつもりだったし、わざとではないとはいえ最初に出会った時に彼女を驚かせてしまったことに対して、何か詫びをするつもりだった。最も本人はとっくに覚えていなさそうだけれど、とジェラールは小さく苦笑を零してからさて、一体彼女にはどう詫びるべきだろうかと思考を巡らせる。参考書と文献と資料とがやや散乱した机の上で、ペンを指先で弄びながら暫し考え込む。

 だがどれだけ考えてもいい案は無論悪い案のひとつも思い浮かばなかったジェラールは、ため息をひとつ零してから立ち上がると自室の窓を開け放った。日曜の午後、中心街の方角から聞こえてくる騒がしい声と雰囲気とは反対に、彼女が暮らしている海の方角は静かだった。静穏という言葉が似合う、文字通り静かで穏やかな海だった。

 ジェラールは押し寄せては引き返す波とその音とに目を閉じると、耳を澄ませる。それから何処か心落ち着くその音に身を委ねると、考えても仕方がないことは極力考えないようにしようと自身に言い聞かせてから再び机に向かう。今は父の後を継ぐための勉強をする時間だろうと自分を諌めると、読みかけの参考書へと視線を落とす。けれどどうにも頭の中から出て行かない雑念と雑音にもう一度ため息を吐くと、諦めた様子で参考書を閉じた。次いで机の上の資料やら文献やらノートやらを綺麗に纏めて片付けてからベッドに寝転ぶと、無言で天井を見つめた。――どうにも『らしく』ないことはジェラール自身、よくわかっていた。わかっているけれどどうにも出来ないのは、あの天真爛漫な人魚との交流で今度こそ変わりたいと彼自身、強く願っているからだった。





 ――――――




「こんにちは!」

「ぇ、と…、…こんにちは。――もしかして待った?」

「ええ!でも大丈夫よ、わたしが楽しみすぎて我慢出来なくて、勝手に早く来ただけ。……ああ、大丈夫よ?ちゃんと海の中に居たから!」


 次の日の正午、ジェラールは悩みに悩んだ末に何も持たずに約束の場所へと向かった。するとそこにはもう既に岩陰に隠れる形でトルテが待っていたものだから、ジェラールは少し面食らった。それから父親の教え――如何なる時でも女性を待たせることは男としてあってはならないという、なんとも古風ながらも厳格な父親らしい教えを、知らぬ間に反故にしていたのではと眉を下げる。次いで面白い話のひとつも出来ないこんな自分との逢瀬を楽しみにしてくれている罪悪感と、あまり早くから顔を出していては人間に見つかってしまうではないかという心配から、思わずそう問い掛けた。

 一方でトルテはそんなジェラールを不思議そうに見つめた後に首を傾げると、隠すことなく正午前から付近で待っていたことを告げた。けれどそれを告白しても尚、何処か曇った表情のままのジェラールに数拍置いてから、それとなく彼の考えていること――要は自分のことを心配してくれているのだと悟ると、くすくすと笑いながら情報を付け加えた。それからこの付近で遊泳している際に見つけた綺麗な石――古代からの贈り物である、鮮烈な赤色を放つ美しい宝石を含む鉱石を取り出すと、彼に見せびらかした。


「ほら、見て!こんな綺麗な鉱石も見つけたのよ?」

「本当だ。……これは、…ルビーかな?割ってみなくちゃ分からないけど外から見た感じ、そこそこの大きさがありそうだね。」

「まあ。ジェラール、石の種類が分かるの?凄いわ!」


 トルテは少し見ただけで鉱石の中に含まれる宝石の種類と、ざっくりとした大きさまで推測するジェラールに目を丸くする。それからその大きな黄緑色の瞳を爛々と輝かせると、もっと教えて欲しいと言わんばかりに身を乗り出した。ジェラールは予告もせずにぐいぐいと身を乗り出しては距離を詰めてくるトルテにびくりと身体を震わせると、反射的に後ずさる。大岩の中央からやや後方へと、慌てながら座る位置をずらした。するとこれ幸いにと海から上がったトルテが隣に座ってきたものだから、ジェラールは身体をずらした拍子にズボンの裾が岩肌に当たって跳ね返った波に少し濡れたことなど少しも気にならなかった。というよりかは、気にしている余裕がなかった。それくらいに動揺していた。

 けれどジェラールとは反対に、トルテは肌に付着した雫が彼の上等な服を濡らさない程度の距離を保ちつつも、その隣に腰掛けるとやや斜め下からその顔を覗き込む。そしてにこりと笑うと、興奮しているのか岩肌にびちびちと尾びれを叩きつけながら子供のように凄い凄いと頻りに口にするものだから、ジェラールは咄嗟についそれを否定する言葉を吐いた。

 

「……ぼ、僕はそんなに詳しくはないよ。母上が好きなんだ。だから少し知っているだけで、凄いなんてことは…。」

「いいえ、そんなことはないわ。あなたはとっても凄いわ。もっと誇るべきよ!」

「い、いや、でも……。」

「いいから!あなたは凄いの!!ほら、認めて?じゃないと海に引きずり込むわよ?」

「――――分かった。わかったから――!!」


 極端に自尊心が低いとか、過去に発言を他人に笑われたトラウマがあるとか、そういうことではなくて。ジェラールは単に自分が凄いとは思っていないのだ。本当に凄いと賞賛され、国の宝だと褒め称えられるべきは歴代の皇帝の重鎮として政界で腕を奮ってきた母方の一族と王宮への立ち入りが許される程に優れた医者である父方の一族であり、そのどちらの血も引いているもののまだ何者にもなっていない自分はまだそうやって他人から認められる資格はないと思っているのだ。

 ――要するに、両親が偉大すぎる弊害なのだ。加えてふたりとも立場ある人間とは思えないほどに気さくで優しく、国中の人気者なのだ。となると当然、ふたりの息子であるジェラールへの周囲の人々の期待というものは、自然と大きくなるもので。つまりはその臆病さも謙虚さも繊細さも、全てはそこから来ているのだ。無論生まれ持っての性質や両親からの教育という要素と否めないが、根幹はそこだった。とはいえ、幸か不幸か両親はともかくジェラールはそのことに少しも気が付いてはいなかった。


 けれどこうも無邪気に褒められた上に認めなければ海に引きずり込むとまで言われたら、流石のジェラールも心の底からそう思っているかどうかはさておき、自分を褒める言葉を口にするを得ざれないわけで。ジェラールは若干口篭りつつ、波の音にかき消されんばかりの小さな声で「……僕は、凄い…の、かも……?」も呟いた。トルテはどうにも歯切れの悪い言葉に眉間に皺を寄せるも、まるで教師のように「まあいいでしょう。」と口にすると、にこりと笑った。それから尾びれをくの字に折り、そこに頬杖をつきながらジェラールの顔をその新緑の色の瞳でじいっと見つめた。

 ジェラールは両親ならともかく、赤の他人――それも友達になったばかりの異性に至近距離で見つめられると、咄嗟に顔を逸らした。それからさらに距離を取ろうと身体を動かした瞬間、濡れた岩肌に手を滑らせると背中からドボンと大きな音を立てて海の中へ真っ逆さま。まるで童話の主人公のように海の中へと吸い込まれていったものだから、一瞬何が起こっているのか分からなかった。理解が追いつかなかった。けれど数秒の後に手を滑らせて海に落ちたこと、港町の住人とはいえ流石に着衣で泳いだ経験がないこと、そして予期せぬ落下故に肺臓が充分な酸素で満たされていないことを悟ると、途端に息苦しさから無意識に手足をばたつかせた。


「――ごっ、ごめんなさい!!大丈夫?!」


 トルテはさらに身体を寄せた瞬間、綺麗に海に転落していったジェラールに目を丸くする。それから間違いなく自分が距離を詰めすぎたせいだと咄嗟に理解すると、大慌てで続けて海の中へ飛び込んだ。そして若干手間取りながらも海岸が近かったことも幸いして、大事に至る前にジェラールの手を引いて陸へ上がることに成功した後に彼の背中をどんどんと力いっぱいに叩きながら謝罪した。ジェラールは飲み込んでしまった海水を吐き出しつつ咳き込むと、ままならない言葉の代わりに左手を顔の前に突き出すと態度で大丈夫だと伝える。一方で右手は真っ白なシャツの胸元を苦しげに掴んだままだった。

 トルテは1歩間違えれば大変なことになっていたと顔を青ざめさせながら、叔母にいつも言われている言葉――「本当に落ち着きがなくてそそっかしいんだから!」という言葉を思い出しては、幾ら底抜けに明るい性格と言えども流石に落ち込んだ。その様はまるで前回、前々回、トルテを前に慌てふためいた時の自分ようにがっくりと肩を落としては嵐の前の海のようにずしんと沈んだ空気を放っていたものだから、思わずジェラールは咳き込みながらも笑ってしまった。その結果、さらに呼吸が苦しくなって身体が震えたものだから、トルテはますます青ざめては目に涙を浮かべながら頻りにごめんなさいと口にする。ジェラールは笑いごとではないと思いながらもあんなにも明るくて無邪気で、それでいて自身に満ち溢れていた彼女でさえも自分のように後悔したり落ち込んだりするんだなと、ある意味では当然の事象がどういうわけか物凄く新鮮かつ面白いことように思えると、今度は左手を腹に回した。

 そうして左腕で腹を抑えながらゴホゴホと咳き込みながら笑うものだから余計に苦しくなる呼吸に、ジェラールはなんとなくトルテとは今までの誰とも違う関係――もしかしたら、本当の意味での友達になれるかもしれないなと、吐き出す咳の代わりに淡い期待を吸い込んだ。

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