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21_ラストリゾート(9)



 天にはクレーターの模様ひとつひとつまではっきりと見える月。地にはざざん、ざざんと音を立てながら押し寄せては引いていく白波。まるで宗教画か優しい童話のような風景の中、シャルロットは海の手前、砂浜とレンガの道との境目に置かれた小さなちいさな水槽――宛ら闇オークションの時に入れられたようなそれの縁に手を掛けると、アステルとルビーと彼女をここまで運んできた数人の使用人とが見守る中、水飛沫を上げながら上半身を乗り出した。

 誰もが満月と穏やかな海、そして人魚という神秘的な情景に息を呑んでそれを見つめる中、アステルは何も言わずに膝を折るとシャルロットに肩を貸す。シャルロットもまた、何も言わない。ただただ無言で水に濡れた腕や上半身をアステルに重ね、預けると、下半身に力を入れて水槽の縁を乗り越えた。またしても水槽から水が零れ、アステルの服を濡らした。けれどアステルはそれに関しては何も言わずに、ただただシャルロットの尾びれが水中を出たのを確認すると彼女と目を合わせた。それから至近距離で瞳と瞳を邂逅させると、小さく頷いてからシャルロットの腰に腕を回すと彼女を抱き上げた。

 アステルは一瞬、シャルロットがいつものように可愛くない言葉と共に自分に突っかかってきてはくれないだろうかと期待したものの、月明かりが照らし出す腕の中の彼女の歓喜とも悲哀とも取れない表情をちらりと見遣ると、この後に及んで自分は何を期待しているのだと嘲笑した。それから恐らくは永遠の別れになるのだろうから、これくらいしおらしい方がいいに決まっていると、世間一般の常識で自分の本来の感情を押さえつける。重く錆びた鎖で、本心を縛り付ける。

 ――嗚呼、結局、自分は最後まで言えそうにもないと、アステルは唇を噛み締めながら笑う。貴女から見れば私は嫌なことをする男だったかもしれないが、私にとっては男兄弟ばかりの中に、まるで妹が出来たようで実は嬉しかったのだと。憎まれ口さえ可愛らしく、また、楽しかったのだと。つまりはアステル・アルスヴィズという男は、貴女のことを嫌いではなかったと。寧ろずうっとこのまま、3人で居られたらと思うほどに好ましく思っていた、と。

 けれどつい先程までフォルセティ家で開かれた別れのパーティーの席に限らず、彼女の容態が快方に向かっていた時から何度も何度も口にしようとしてはどうにも気恥ずかしくて言えなかった言葉を、アステルはまたしても呑み込むと海へ向けてゆっくりと足を進める。心の中ではちっとも変わってなどいない自分を蔑みながらも、歩みは止めない。そうやって数歩進んだところで足先が押し寄せる波に濡れた頃、大人しく横抱きで運ばれていたシャルロットはアステルの肩を叩いた。アステルはやはり無言で頷くと、シャルロットをゆっくりとその場に下ろした。


「ここでいいわ。…ありがとうね、アステル。」

「いえ。……ですが、本当にいいのですか?やはり明るくなってからの方が――。」

「いいのよ。また捕まりでもしたら大変だもの。ね、ルビー?」


 アステルはもの悲しげな空気にやられたのか素直にお礼を口にするシャルロットに鳩が豆鉄砲を食らったかのような、あるいはうさぎがハッカ飴を食べた時のような、とにかくなんとも言えない表情を浮かべる。それからこの1ヶ月で随分春めいてきたとはいえまだまだ鳥肌が立つくらいには寒い夜の海を前に、つい医師としてシャルロットの体調を心配してしまうと愚直なまでに素直にそれを口にした。加えて時刻は日付が変わったところ、即ち真夜中。本来ならば草木も眠るような時間帯に適応していない人間と人魚という種族の欠点を、天才ではないものの秀才ではある彼は気にせずにはいられなかった。故にアステルはシャルロットを見下ろしながら、そんなことを口にしては見方によっては引き止めるような言葉を吐いてしまった。

 が、そんなアステルとは反対にシャルロットはゆるゆると首を横に振ると静かに指先を押し寄せる波に浸す。それから感覚器官と末梢神経とを通じて脳に伝わってくる、懐かしい海のあたたかさと冷たさにそうっと目を閉じると暫し浸った。そうやって言わば『生きている』海水に触れること数十秒、シャルロットは徐に目を開けるとアステルを見上げる。そして憂いを帯びた瞳の中に、ほんの少しだけ普段のように彼を揶揄うまだ子供らしい色を加えると、同じく此方を見下ろすルビーへと視線を向けた。そして恋の味に蕩けた甘い瞳の中に僅かな寂寥を滲ませながら微かに微笑んだものだから、ルビーは思わず眉を下げた。下げながらも、アステルとは反対に彼女の意思を尊重する言葉を紡いだ。


「ええ、そうですね。確かに肌寒いし、視界も明瞭とは言えませんが――それでもまた人間の目に入って捕まるよりかは、というのがわたしと彼女の総意です。」

「そうですか。……ならば、これ以上は言いますまい。どうかお許しを。」


 ルビーはいよいよ訪れる別れに瞳を揺らしながらも、これは彼女を形式上とはいえ競り落とした時から分かっていたことだろうと無理やり自身を納得させると事前にシャルロットと話し合った上で決めたこと――フォルセティ家で開かれる別れのパーティーの後、皆が寝静まったのを確認してからそのままこっそりと家を出る――を、アステルに向けて口にした。

 生まれも育ちもデルマリスのルビーとてこの時期の海、それも夜の海がいかに冷えるかは嫌という程知っていた。故に無論一度は止めた。が、それでも人目――密猟者だけでなく、人間では無い自分に本当に良くしてくれた使用人たちの目さえも避けて海に帰りたいと熱望した友人の願いを、切り捨てることは出来なかった。ましてやその後にシャルロットがぽつりと「余計な心配や悲しみを皆に負わせたくはないの。」と口にしたのを聞いてしまっては、Noとは言えなかった。寧ろ自身の家の使用人のことさえも考えてくれている彼女のことを、ルビーは愛おしくさえ思ったのだ。もしも彼女が人魚ではなく人間だったらと、思わずそんな夢物語を考えてしまったくらいには、愛おしくていじらしかった。

 アステルはそんなルビーの言葉にこれはシャルロットの了承を得た上での行為であること、加えてルビーの感情を1から10まで仔細に想像することは出来ないものの、どうやら宛ら家出のようなこの夜の回帰は子供らしく生意気な彼女なりの周囲への気遣いであろうことを素早く察すると、大きく頷いた。それから嫋やかな笑みを称えながらシャルロットとルビーとに丁寧に頭を下げると、謝罪の言葉を口にした。


「――どうか、お元気で。」

「中々空気が読めるわね?」


 アステルは数拍の後に下げていた頭をゆっくりと上げると、膝を折ってシャルロットと視線を合わせる。そして普段の彼女の態度から察するに異物である自分はさっさと退散して、どうか最後のひと時は大切な人と、と考えると言葉短く別れの挨拶をした。シャルロットはあまり鋭敏とはいえないアステルにしては珍しく気を遣っての言葉と行動に、望み通り極めていつもの調子で彼が待ち望んでいた憎まれ口を叩く。なんとも子供らしいにやりとした笑みと、意地の悪さが滲んだ瞳とを彼へと向ける。

 が、今日この時ばかりはシャルロットは早々に真面目な顔に戻ると、アステルへ手を伸ばした。そして彼の白い頬を優しく撫でながら「――ありがとう、アステル。あなたも、どうか元気で。」と彼女らしくない言葉を吐くとふっと笑った。アステルはやれ痛いだの治療が雑だの下手くそだの、はたまたルビーを取らないでだの邪魔だの散々文句と我儘三昧だった彼女のものとは思えない大人びた言葉と、月明かりが照らし出す陰のある表情にほんの少しだけ目を丸くした後に同じくふっと笑うと言葉少なく頷く。それから本当の意味で大人になった、もとい大人になろうとしているのは自分だけではないことを悟るとゆっくりと立ち上がった。そしてシャルロットとルビーとに背を向けると、ここまで彼女の入った水槽を運ぶのを手伝ってくれたごく少数の使用人にそれらを持って帰るように伝えた。使用人たちは「シャルロット様の主治医であるアステル様も残るべきでは…。」と口にするが、アステルは微小な動きで首を横に振るとそれを拒む。そして緩慢な動きで振り返った先、大きな月と夜を呑む海との中に佇むふたりの少女をもう一度だけ視界に収めた後に、「いいんだ。」とだけ口にするとすっかり軽くなった水槽を荷車に乗せるとゆっくりとフォルセティ家に向かって歩き出した。


「――最後の最後まで邪魔者扱いされるのは御免だからな。」

「…………はあ……?」


 使用人たちはなんとも間の抜けた声を漏らした後に、名残惜しさのひとつも感じさせずにさっさと歩き出すアステルに慌てて荷車に駆け寄る。そしてある者はそれを押しながら、またあるものはそれを引きながらアステルの後を着いていく。しかしながら本当にこれで良いのかと、まるで散歩中の犬のように時折背後を振り返っては何やら話し込んでいるルビーとシャルロットとを遠くから伺う。アステルはどうにも使用人という枠を超えてお節介な彼らに苦笑しながらも、最後にもう一度だけ歩いてきた道を振り返ると宛ら高名な画家が描いたような幻想的な風景と、その中で向かい合う彼女たちの美しさを目に焼き付けてから久方振りにどうにもならない運命に1粒だけ涙を零した。

 逆らえない運命が齎す悲しみと苦しみの中、たったひとつの幸福は、明かりの少ない真夜中故に誰もアステルの涙に気が付かなかったことだった。






 ――――――――






 アステルと数名の使用人が去った後。ルビーとシャルロットは、暫しお互い肩を並べて砂浜に座ったまま無言だった。互いに相手にどんな言葉を掛けるべきかを、必死に探していた。肩と肩は触れ合っているのに心だけがどうにも浮ついたままひとり歩きしていて、どうにも落ち着かなかった。普段とは反対に、沈黙が痛かった。

 ルビーもシャルロットも、最後なのだから何か言わなくてはいけないことは分かっていた。けれどその『何か』が、分からずじまいだった。否、シャルロットは分かっていた。けれどそれを口に出すことは禁忌だと分かっていたから、代わりの言葉を懸命に探していた。そうでもしないとルビーへの想いが溢れ出すだけでなく、キスまでしてしまいそうな気がしていたからだった。

 いつの時代から、どうしてあるのかも分からないリヴァイアサンとの誓いが本物である確証はない。かといって、偽物である確証もない。故にシャルロットは大切な感情を与えてくれた本当にほんとうに大好きな人だからこそ、ルビーを不幸にしないためにこの想いごと海に帰ることを決めていた。固く、心に誓っていた。しかしどんなに強固な意志を持って決意を固めようともこの数日、別れが近づくほどにわけもなくルビーを呼び止めては酸欠の魚のように口を開いたり閉じたりしてはなんでもないと誤魔化す自分に、己の弱さを嫌というほど自覚してもいた。だから、シャルロットは自分からは言葉を発しなかった。代わりに触れている肩と肩から伝わる彼女の熱を忘れないでいようと、目を閉じては少しだけ熱いその体温を心に刻んでいた。それが、今のシャルロットに出来る唯一の愛の証明だった。


 ――けれど、砂浜の上に投げ出した尾びれと足の先に、何度も何度も押し寄せる波が触れて。その度に、海の向こうの遠い国からやってきた冷たい風が、体温を奪っていって。少しばかり青い顔をしては必死に震える身体を牽制しているルビーに気がついたシャルロットは、ゆっくりと肩を離すと海に向かって手を伸ばした。兵士がほふく前進で進んでいくように、長い尾びれを引き摺りながら海に向かって遅鈍な動きで進んでいく。

 ルビーはそれを見遣ると、つい反射的にシャルロットに向けて右手を伸ばしてしまう。「待って」と口にしかける。が、寸でのところで自分には彼女を止める権利などないことを思い出すと、左手で伸ばしかけた右手を掴んだ。そして唇をぎゅうと噛み締めた後に、引き留める言葉の代わりに漸く口を開いた。それさえもたっぷりと数十秒の時間を掛けて、おまけに震える声で発したものだから、ルビーはわけもなく泣きそうになってしまった。


「――もう、行くの?」

「うん。だって、いつまでもここに居たら変でしょう?夜だけど、もしかしたら誰か見てるかも。……それに。ルビーが風邪、引いちゃうかもでしょう?」


 ルビーの声に緩慢な動きで振り返ったシャルロットは、彼女が声を発するのに随分と時間がかかってしまったこともあり、既に下半身全体をさざ波が濡らしていた。上半身だけが海の上にぽつんと浮いた状態だった。かろうじて手を伸ばせば届くかもしれない距離だった。その距離にルビーは眉を下げながら、まだろくに言葉も交わしていないのに行ってしまうのかとシャルロットに問い掛ける。それは暗にもう少しだけここにいて欲しい、どうか言葉が生まれるその時まで一緒に居たいという遠回しな哀願でもあった。

 けれどシャルロットは月明かりの下で柔く笑うと、今にも泣き出しそうな顔のルビーに困ったように自身の耳輪をなぞる。それから、自身を責めるような言葉の裏に隠されたルビーの本当の気持ちをそれとなく悟ると、種類こそ違えど自分もそうだなんだよなあ、とぼんやりと考えつつ切なそうに眉を下げた。とはいえいつになるか分からない言葉を待てなかったのは、他の誰でもないルビーの身を案じてのことだった。シャルロットはそれをさりげなく伝えると、アステルに対してそうしたようにいつもの調子で「厚着してこないからだよ?」と憎まれ口を口にする。だというのに、アステルと違ってルビーはシャルロット渾身の演技に笑ってはくれなかった。寧ろまだ幼さの残る顔をくしゃりと歪めると、ぐすんと鼻を鳴らしてしまったものだから、シャルロットは心底焦ってしまう。せめてお別れは笑顔で、と勝手に考えていただけに、こっちの気も知らずに泣き出そうとするルビーに内心(……もう。本当に泣きたいのはこっちなのに…。)と悪態をつく。それから、本当にこの人を好きになってよかったと満足感さえ感じると、シャルロットはほんの少しだけ陸に向けて尾びれを動かした。それは本能だった。本当にほんとうに、この少女が愛しくて堪らないと感じてしまったが故の自然な行為だった。


「泣かないで?私まで泣きたくなっちゃう。」

「だって、……だって…!」

「もう。これじゃあ普段と逆じゃない。」


 シャルロットは人間で言う臀部のあたりまでを再び砂浜の上、夜の冷たい空気の中に晒すとぐすんぐすんと鼻を啜ってはきゅうきゅうと泣き出してしまったルビーに優しく微笑みかける。どうにか泣き止んで欲しくて、それからどうしようもなく込み上げてくるこの愛しさを受け取って欲しくて、彼女に手を伸ばした。

 シャルロットはアステルにそうしたように、けれど彼に触れた時よりもずっとずっと優しく繊細な手つきでルビーの頬を撫でる。まだ必要最低限の化粧しか知らない少女の素肌の柔らかさと滑らかさを確かめては刻み込むように、何度も何度も手のひらを上下させる。往復させる。それから嗚咽が漏れ出す赤い唇に視線が引き寄せられると、今なら受け入れて貰えるかもしれない、と打算的な思考とは反対に、殆ど無意識に唇と唇を重ねようと顔を近づける。薄くて、赤よりも紅くて、魅力的なそこに吸い寄せられるように顔を寄せる。

 ――が、本能と共に刷り込まれた理性というものは、時に残酷なほど優秀なもので。シャルロットは唇と唇が重なるあと5cmほどの距離のところで、物心着いた時には既に復唱させられていたリヴァイアサンとの掟が脳裏を過ぎると、どうにも本能にも理性にも振り切れない自分の未熟さを鼻で笑った。それからキスの代わりに力いっぱいルビーを抱き締めると、静かに涙を零しながら口を開いた。


「…………ねえ、ルビー。私ね、あなたのこと、本当に大好きよ。好きなんて言葉じゃ足りないくらいに、本当に大好きよ。」

「うん、…っ、うん……。」

「もう会えないかもしれない。ううん、会えない方がいいんだわ。人魚と人間は、出会わない方がいいに決まってる。――でもね、私、あなたのこと……ずっとずっと、大好きで大切な友達だと思っててもいい?もう会えなくっても、そう思い続けていてもいい?大切な人だって、言い続けてもいい?」


 シャルロットは必死に愛を叫びたい本能を理性で抑え込むと、ルビーの耳元で今にも消え入りそうな声で囁く。本当は愛しい人、恋しい人だと叫びたいのを堪えて、代わりにオブラートに幾重にも包んだ当たり障りのない友情の言葉を口にする。――嗚呼。結局言えないままだなあ、なんて心の中では自分の不甲斐なさに笑いながら。けれどその一方で、本当に愛している人を不幸にせずに済んだ自分に一抹の誇らしささえ感じながら、シャルロットはひたすらにルビーをきつく抱き締めた。

 ルビーはシャルロットの言葉に必死に頷く。途切れ途切れの、今にも波に攫われてしまいそうなほどに拙い言葉を唇から発する。けれど涙と鼻水とでぐしゃぐしゃになってしまったからか、どうにも上手く紡ぎ出せない言葉にもどかしさを感じると代わりにシャルロットの背中に腕を回した。そして彼女がそうしてくれているように、力の限り思い切り抱き締めた。ひんやりとした素肌に反射的に身体がぶるりと震えた気がしたけれど、少しも気にならなかった。寧ろこの冷たさが今、まだ彼女がここに居てくれる証なのだと何度も何度も反芻すると、その何もかもを忘れないように覚えようと更に身体を寄せた。冷たい春の夜の風が吹き込む隙間も与えないほどに、ふたりはきつく固く抱き締め合った。

 

「…………どうしてそんなこと聞くの?そんなの、そんなの……っ、いいに決まってる…!!」


 そうしてルビーが身体の芯まで冷えきった頃。少しは引っ込んだ涙と鼻水に、ルビーはガタガタと震える腕で尚もシャルロットを抱き締めながら力強く答える。相変わらず途切れ途切れな上に震えていた言葉だけれど、シャルロットはただひたすらに嬉しかった。それはあの時手首に巻き付けてくれたフォルセティ家の家紋が入ったハンカチとエメラルドのブローチがその場のノリや勢いではなく、嘘偽りのない親愛の証愛だと信じ切るに値する確証が得られたからだった。

 シャルロットは知らぬ間に用心深くなっていた自分に静かに嘲笑すると、少しばかり身体を離す。そして「――なら、」と小さな声で呟くと、懐から隠し持っていたルビーのペンダント――本当はあの日、ウミツバメの巣作りを見た後で家に帰って加工しようと持っていた鉱石から取り出したルビーを加工した――を取り出すと、慣れた手つきでルビーに着けてやった。ルビーは自身の首元で月明かりに照らされてきらりと輝くルビーのペンダントに、改めてこの世界における友情の証――同性間における装飾品を贈るという行為の意味を、しっかりと噛み締めると再び瞳から大粒の涙を零しては声を上げて泣いた。シャルロットはまたしても泣き出してしまったルビーに困ったように眉を下げてから、どうかこれくらいは見逃してくださいと心の中で懇願するとルビーの前髪を掻き分ける。そしてそこに一瞬だけ唇を触れさせた。


「………………シャルロット……?」

「――――大好きよ、ルビー。私たち、ずうっと友達だからね!約束よ!」


 不意に額に触れた冷たいのにあたたかく、かつ柔らかな感触にルビーは思わず目を丸くすると泣くことを忘れる。シャルロットはそんなルビーを見遣ると、最後に泣き顔以外の表情が見れて良かったと笑顔を浮かべる。それから叶わない恋なのですからどうかお許しください、お見逃しくださいとリヴァイアサンに謝罪と懇願をしてから、最後にもう一度だけその狭い額にキスをした。

 再び額に触れる唇の感触に、ルビーが声を上げようとしたその時。突然押し寄せてきた高波に、ルビーは反射的に目を瞑る。シャルロットは嗚呼、これはきっとリヴァイアサンなりの迎えなのだと理解すると、彼女から手を離す。そして瞳に最後に贈ったキスの瞬間、確かにほんの少しだけ微笑んでくれたルビーの顔を忘れないようにと目を閉じると深い深い海の底へと潜って行った。


「シャルロット?……シャルロット…!!」


 後に残された少女は季節外れの高波に全身をずぶ濡れにしながらも、つい今しがたまで目の前にいた友人の名前を必死に叫ぶ。けれどあの高波が彼女を攫って行ってしまった、もとい彼女の意思で海に帰って行ってしまったことを悟ると、生まれて初めて感情に任せて大声を上げて泣いた。首元で煌めく真っ赤なルビーを抱き締めながら、ただひたすらに太陽が顔を覗かせるその時まで声を枯らして泣いた。

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