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20_ラストリゾート(8)


 ルビーの謹慎期間の終わりが見えてきた春のはじめ、シャルロットの鱗は漸く生え揃った。とはいえアステルが外科的に切除した箇所や、激しく暴れ回った結果ついた傷は全てが全て元の通りとはいかなかった。が、少なくとも泳ぐのに支障が出ないくらいには再生を果たしたそれに、アステルは医師として冷静に『治療終了』を宣言した。それは本来喜ぶことであるはずなのに、それを口にしたアステルは無論甲斐甲斐しく世話をしていたルビー、ひいては当初あれほど人間を恐れていたシャルロットさえも、揃いも揃って視線を逸らした。それから顔を伏せると、喜ぶべきはずなのにちっとも喜べない現状に誰からともなく心底呆れたように苦笑した。

 

 ――アステルは考える。幾らシャルロットに嫌われている立場とはいえ、ルビーとの繋がりである彼女を手放すのは惜しい、と。それからそういった打算や下心とは別に、目の前に迫ってきた別れを純粋に惜しむ気持ち――医師としてはともかく個人としては相当嫌われてはいるものの、そういった一見生意気かつ可愛くない態度さえも、シャルロットなりの信頼の形――いわば親愛や友愛の表現なのだと、近頃それとなく気が付いていたアステルはただただ心苦しかった。

 故に俯くしかなかった。伏せられたその顔は眉間に皺が寄り、到底見せられたものではなかった。

 

 ――ルビーは考える。シャルロットと過ごした時間はたった1ヶ月――されど1ヶ月。けれど当初の心を開いて貰えなかった時間も含めてかけがえのない時間だった、と。それから過ぎ去った日々を一足先に懐かしむと共に、数日の後に訪れるであろう恐らくは永遠となる別れを惜しむ気持ち――ずっとここに居て欲しいと、相手の都合も考えずに口にしては駄々を捏ねてしまう年相応の我儘な感情が押し寄せるのを感じると、ルビーは咄嗟に顔を伏せた。そうでもしないと、本来は喜ばしいことである友人の帰郷を喜べない自分が顔を覗かせることが、手に取るように予想出来たからだった。

 それはルビーなりの気遣い――どうかシャルロットにとっては、自分はいつまでも頼れるルビー・フォルセティでありたいという気持ちと、弱気な自分を見せたくはないという強がりだった。とことん下がった眉とキュッと固く噛み締められた唇は、彼女なりの矜恃だった。

 

 ――シャルロットは考える。やっと血を分けた家族に再会出来ることは本当に喜ばしいことだ、と。それからちょっと遠出していたでは済まさない空白期間に自分の身に起きた出来事を洗いざらい話さなければならないこと、そして恐らくそれを口にした途端にこっぴどく叱られるであろうことを考えると、酷く憂鬱になった。

 が、憂鬱なのは何も怒られることが確定しているからではなく、世辞抜きに本当に居心地がよいフォルセティ家――最早友情などという言葉では収まらないほどに膨れ上がったルビーへの恋慕と、なんだかんだ言いながらも良い友人であるアステル、そして何かと世話を焼いてくれたフォルセティ家の使用人たちに、ろくに恩も返せないまま別れなければいけないことだった。

 ――シャルロットは思う。引き留めてくれればいいのに、と。そんなことは無理だと、難しいと分かってはいるものの、もし引き留めてくれるならば。自分は闇オークションの際に閉じ込められた、旋回する余裕もないほどの小さなちいさな水槽よりも更に小さな水槽だとしても、喜んでこの身を収めるのに、と。あれほどまでに嫌だった見せ物という役割だってルビーとアステル、そしてフォルセティの家に仕える使用人たち相手にならば、宛ら観賞魚のように狭苦しい世界に閉じ込められることも喜んで受け入れるのに、と。咄嗟に頭を垂れると、拳を握った。この1ヶ月の間に伸びた爪が手のひらに刺さって痛かった。

 けれどそんなこと、心優しいルビーは勿論アステルもフォルセティ家の使用人たちも誰も望んでいないのだと、シャルロットは分かっていた。仮に自分がこの場所に留まり続けたいと口にし、叶ったとしても、それが彼らの本当の望みでないことは火を見るより明らかだった。言葉を交わすまでもなく明白だった。そしてシャルロットはそんな彼らの気持ちに応えたいと思っていた。ルビーの傍に居たい気持ちよりも、自分に本当に良くしてくれた彼らのことを悲しませるようなことだけはしたくないと、心底思った。そう感じてしまった。だというのに同時にキリキリと痛んで止まない胸に苦笑すると、ゆっくりと拳を解く。そして顔を上げると、唇を噛む代わりに口元には微笑みを。眉間の皺はシャツのように綺麗に伸ばして、わざとらしいほどに眉を上げて。そうやってにこりと笑うと、尾びれの先を萎れさせながら強がった。


「お祝い、してくれる?」


 少しも震えていない声に、却ってアステルとルビーは顔を上げる。次いで何処か大人びてさえ見えるシャルロットの穏やかな表情を見遣ると、それぞれ何かを言いたげに口を開いた。が、どんな言葉も胸に広がる寂寥や憐憫を言い表すには足りなくて、達成感や充実感を表現するにはやや過多だった。故にふたりはすぐさま口を閉じると、代わりにシャルロットを見習って今の自分が浮かべられる精一杯の笑顔を浮かべる。それは大雨が降った次の日の砂利だらけのでこぼこの道のような、到底見れたものではなかった。けれど、それでも彼らは笑った。そしてたった1ヶ月だけの友達の強がりを無下にしまいと、少々痛々しくさえある笑顔を浮かべると微かに潤む瞳を細めた。


「――――ええ、ええ!そうね、快方祝いのパーティーをしましょうか。何が食べたい?……せっかくだもの、あなたの好きなもの、たくさん用意しましょう…?」

「……なら私、ルビーのお気に入りのあの焼き菓子屋さんのパンとケーキを最後にお腹いっぱい食べたいわ。で、飲み物は、胸焼けしそうなくらいに甘〜い蜂蜜にレモンをひと切れ落とした、特製の蜂蜜レモンのソーダ割り!あとは人参のグラッセにコーンスープ、それから青豆のサラダに塩漬けした半熟卵に――。」

「……………食いしん坊ね?」

「だってルビーと使用人のみんなが持ってきてくれるもの、どれもすっごく美味しいんだもの!最後にまた全部食べたいって思うのは当然じゃない?」


 ルビーはたっぷりの沈黙の後に軽く手を叩くと、お祝いには欠かせないパーティーを開こうと提案する。無論、主役たるシャルロットの好きなものをたくさん並べようと提案すると、何が良いだろうかと必死に頭を捻った。が、強がって必死に絞り出した言葉とは反対に、どうにもまだぐちゃぐちゃのままの頭ではいっこうに考えが纏まらない。ルビーは普段の冴え渡る頭とは反対に、どんなに思考しようとも導き出せない答え――寧ろ鈍い動きしか出来ない自身の脳みそにちゃんと働け、はやく働けと命じるほどにどんどん遠ざかっていく正解に、困ったように眉を下げた。そして思考同様、引っ込めと命じるほどに溢れてくる涙をどうにかしようと柄にもなく焦ってしまうと、不意に声を詰まらせた。

 シャルロットはそんな想い人のそんな姿を見遣ると今は自分が何を言っても彼女を動揺させてしまうと悟ると共に、ガラスのように何処までも透明かつ等級の高い宝石のように美しい心に細かい傷を付けてしまっていることを否応でも思い知らされた。そしてその事実にまたしても胸の奥がキリキリと痛むのを感じると同時に、ブリリアントカットが施されたダイヤモンドのようなその心に決して消えないであろう唯一無二の傷を、他の誰でもない自分がつけていること――否、そんな言葉では物足りない、生温いと感じてしまうほどに、それこそ刻みつけるように傷を与えているこの状況を、どうしようもなく嬉しく感じていることを自覚すると奥歯をぎりりと噛み締めた。

 それからシャルロットはそんな醜い自分を最後までルビーに悟られないようにと、わざと明るく振る舞う。その涙にわざと気が付かない振りをする。もしそれを指摘して、剰え「あなたが居なくなるのが寂しくて、悲しくて…。」なんて言われてしまえば、きっと更にそれを嬉しく感じてしまう自分がいることを知っていたがための故意的な見落としだった。これ以上自分を嫌いにならないための、意図的な防衛線だった。

 その代わりにせめて最後までルビーが好きになってくれた自分で居ようと心に誓うと、シャルロットはわざと間の抜けた声と共に案外居心地の良かった陸と生まれて初めての恋と友情とに別れを告げるに相応しいメニュー……といっても、極めて簡素かつ原始的な食事しか知らない身にとっては見るもの触れるもの口にするもの全てが馳走だったが故に、思い浮かんだものを片っ端から告げていくと、漸くルビーは笑ってくれた。ぎこちなくだが、確かに笑ってくれた。シャルロットはそれが嬉しくて嬉しくて、嗚呼、やっぱり自分は彼女のことが心底好きなんだなと再確認する。それから再び顔を覗かせた悪い子の自分――両親から伝え聞いた、海を治める神との決して破ってはいけない約束を、考えなしに破ろうとする――を必死に抑えると、なんでもないような顔をしてけろりと笑った。

 

「そんなに食べたら海獣になってしまいますよ。」


 カチンコチンに固まった笑顔ではあるものの確かに再び笑ってくれたルビーにつられるように、アステルもまた笑顔を取り戻すと横から口を挟んでくる。そうやって挟んできた言葉は彼にとっては精一杯のジョークに違いないことは確かだが、異種族とはいえ女性、それも年頃のシャルロットにとっては大いに不快なひとことだった。シャルロットは医師としての能力は申し分ないものの、どうにも言葉が軽率というか想像力に欠けるというか、とにかくデリカシーもない上にたいして面白くもないことを口にするアステルのことはやっぱり一個人としては普通に嫌いだなと感じると、べえ、と舌を出す。それから「ならアステルはヒョロッヒョロだから、明日には骸骨になってたりして!」と揶揄いの言葉を口にした。

 アステルはそうやってすぐに反抗してくるシャルロットに、男ばかりの兄弟で育ったが故にどう返答するのが正解か分からずに押し黙る。困ったような顔を浮かべながらも、内心は(相変わらずなんて生意気で可愛くない人魚だ…。)と文句を垂れる。だが可愛くないところも含めて可愛いのだと微笑むと、シャルロットの頭を優しく撫でた。それからこの1ヶ月、ルビーも合わせてまるで一気にふたりも手のかかる妹が出来たようで生まれて初めて明日が待ち遠しいと感じたことをひとり静かに振り返る。そしてやはりひとり、振り返るにはまだ早かったなと苦笑すると回顧の代わりに「生意気なことばかり言って突っかかってくる口はどれですか?これですか?」と真面目くさった表情と共にシャルロットの頬を優しく摘んでは物理的に言葉を奪う。シャルロットはアステルにしては積極的かつ物理的な反撃に、うっすらと開いた唇の隙間から空気をぷすぷすと漏らしつつ睨みつけると静かに抗議する。


「……ふふ。」


 アステルとシャルロットの静かな攻防に取り残されていたはずのルビーは本人たち曰く『仲が悪い』、けれど傍から見る分にはどう考えても『仲が良い』としか思えないそのやり取りと距離感に小さく吹き出す。それから笑いを堪えきれなかったその衝撃と連動して零れた、瞳に溜まっていた悲しみの涙を笑い由来の涙に変えてしまうとそうっとその指先で拭う。次いでくすくすと如何にも上流階級のお嬢様らしく控えめに笑ってから「ではわたしはこっちを『教育』しますわ。」と口にすると、懐からフォルセティ家の家紋の入ったハンカチを取り出す。それからそれを半分に折り畳んでから貴婦人や学生がスカーフを巻くようにシャルロットの細い左手首に巻き付けて軽く結ぶと、最後に自身のつけ襟に着けていた小さなブローチ――シャルロットの髪の色と同じ、赤の補色である青緑色をした傷ひとつないエメラルドで作られたそれ――を外し、結び目の上から付けてやった。

 その行動にアステルは勿論、シャルロットまでもが目を丸くしては暫し言葉を失った。というのもマレノスタリアに限らず海の中や地中の奥深く、つまりはこの世界中におおいて、装飾品を贈るという行為は男女間であれば特別な仲を、同性間であれば決して揺るがない友情の証として、他の贈り物とは一際違う意味を持っていたからだった。故にアステルとシャルロットは互いに顔を見合せてはたっぷり数十秒は黙り込んだ。が、それから自称『仲の悪い』ふたりのうち一方は得意げかつ自慢げに胸を張り、もう一方はそれを心底面倒くさそうな表情で見下ろしながらも内心は羨ましさに身を焦がすものだから、やはり傍目にはアステルとシャルロットは『仲良し』にしか見えなかった。

 現にルビーはそんなふたりの何とも息のあったやり取りに、まるで本物の兄妹のようだと目を細める。それから、ずっとずっとこんな毎日が続くことを心の何処かで信じ込んでいた自分に気がつくと、ふっと鼻で笑った。次いで何の根拠もなく明日を信じていた無垢な少女の自分ごとシャルロットに託すかのように彼女に贈った深い青緑色の宝石の縁を指先で撫でてから、無意識にその手をぎゅうと握ると指と指を絡める。そうやって常人よりもほんのりと低く冷たいその体温を決して忘れないようにと心と記憶に刻み込むと、ルビーは名前と同じ真っ赤な瞳を揺らしながら柔らかな唇を開いた。


「わたし、食いしん坊のシャルロットのこと、好きよ。」


 ――その艶やか且つ甘い言葉を紡ぐ唇に。星の輝きを宿したルビーの瞳に。シャルロットはどうしようもなく心を乱されると、口の中いっぱいに溜まった心からの愛の言葉が零れ落ちないようにと堪えるのと、唇を重ねないようにと自制するので精一杯だった。

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