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19_ラストリゾート(7)



 ルビーがシャルロットの心を開いてから数日と経たないうちに、レオニスは宮中において特に優れた医者の家系であるアルスヴィズの者をフォルセティ家に送った。優しい緑の瞳が似合う、ミルクのたっぷりと入ったカフェラテのような色の髪の、物静かな青年だった。彼は現アルスヴィズ家の当主の長子であり、名をアステル・アルスヴィズといった。そしてまだまだ医者としての人生を歩み始めたばかりの、言わば新米医だった。

 フォルセティ家の面々は、それこそルビーの父である現当主から雑用係の丁稚奉公のまだ幼い少年まで、皆彼のことを歓迎した。これでシャルロットが良くなると信じて疑わなかった。故に彼に尊敬の眼差しと信仰心にも似た信頼を寄せた。けれど当初、アステルはフォルセティ家の面々の過大な期待とは反対に、己の現状――長子として家を継ぐためだけに医者になっただけで特別崇高な志があるわけでもなれれば、寧ろ父親に人魚という未知の生物の治療を押し付けられたとさえ感じていたがために、彼らから向けられる些か眩しすぎる視線に参っていた。と同時に、帝国大学の図書館や王宮の書庫を探してみてもちっとも見つからない対人魚に関する医学書と技術に、父親に損な役割を押し付けられたものだと感じると少々不機嫌に眉を顰めた。別に好き好んで長男に生まれてきたわけではないのに、どうしてただ長子というだけで就きたくもない職業に就いて、出来もしないことに挑まねばならないのかと頭を抱えた。

 とはいえ、彼にはそれを包み隠さず言葉にする度胸などというものは少しもなかった。故に、自身に向けられる尊敬の眼差しには曖昧な笑みを。父からの「どうだ。上手くいきそうか?」という問い掛けには「なんとかやっております。」と当たり障りのない言葉を、それぞれ返した。

 アステルは本当はやってられるかと叫びたい気持ちを、生来の臆病さでぐっと堪えて。それから、つい愚痴を吐きたくなってしまう口元には、にこやかな笑みを浮かべて。最後には頼むから自分に期待しないでくれとキリキリと痛む腹を抑えながらも、それでも毎日フォルセティ家に通い詰めては確証すらない風の噂――エルフにはあの軟膏が効いたらしいだとか、はたまたウェアウルフたちが満月の光で傷を癒すらしいだとか、そういうことを順に試していってはいまいち出ない効果にがっくりと項垂れることが出来たのは、ここに来て医者としての使命に目覚めた――わけではなく。単にルビーのおかげだった。

 

 元々、アステルはルビーの存在を知っていた。というのもアステルはルビーを宮中で度々見掛けていたのに加え、マレノスタリア開国以来最年少――たったの14歳と2ヶ月で文官の試験に合格した才女が居ると熱心に周囲が噂していたものだから、知っていたと言うよりかは知らされた。もとい、嫌でも耳に入ってきたのだ。と同時に、天才と持て囃される彼女には自分の気持ち――平凡中の平凡、それも本当は両親に、家に反抗したくて堪らないはずなのに、いざそれらを目の前にすると途端に意気消沈してしまうというか、どうにも臆病さが勝ってしまって言いたいことの1割も言えずに黙り込んでしまうなんとも情けないことこの上ない人間のことなど到底理解も出来ないしされないだろうと、一方的な敵対心さえ抱いていたのだ。要は、顔や態度、言葉には出さないものの卑屈になっていたのだ。

 けれどアステルはある日の午後、レオニス皇帝陛下の命を受けた父から医者としての修行の一環だと思えと派遣されたフォルセティの家で、初めて自分が苦労する原因を作るにあたった少女に「よければこの後、一緒にお茶でも如何ですか?」と誘われると、それを断るのもまた面倒だなと了承した。そしてシャルロットの治療――といっても、一般的な消毒薬を傷口に吹き掛けた後に包帯で巻いただけ――を終えた後、ルビーに連れられて真っ赤な薔薇が咲き誇る庭園を訪れると、勧められるがままに設置されたガーデンセットの椅子に腰掛けた。そしてテーブルを挟んでとはいえ彼女と初めて真正面から向き合ったアステルは、茶を飲み始めてものの数分でルビーという少女の美しさに気が付いてしまうと、思わず息を飲んだ。

 それは目の前に座るルビーの外見上の美ではなく、内面――気高い志と慈愛に溢れた心だとか、あるいは恥ずかしいほどに青いはずなのにちっとも嫌味ったらしくない真っ直ぐな言葉と視線だとか、そういうものに嫌でも気付かされたからだった。加えて自分が如何に己を卑下していたかをまざまざと突き付けられると、アステルは途端に自分が恥ずかしくなった。出来ない理由ばかりを探して、少しも努力していない自らを心底恥じた。そして今からでもこのルビーという少女のような眩しさを宿した人間になりたいものだと感じると、次の日からはまるで人が変わったかのようにシャルロットの治療に対して積極的になった。

 

 ――つまりは、アステルはルビーの内面に惚れたのだ。自分よりもずっと歳下であるにも関わらず、大人顔負けの整然とした理論を振りかざす彼女に。それでいながら、まだ子供らしい青い理想を語る無邪気な彼女に。つい白黒付けがちな世の中をその慈愛を持ってグレーで包み込もうとする彼女に、どうしようもないくらいに心を撃ち抜かれた。心臓を抉られた。その結果、内心文句ばかりで自分からはちっとも努力しようとしない男が自発的に「変わらなくては」と決意しただけの話なのだ。

 けれどそれを周囲の人間は知らない。否、周囲の人間どころかルビー本人すら知らない。故にアステルの父は「医者としての自覚が出てきたな。」と喜ぶのみだったし、フォルセティ家の面々は「流石はアルスヴィズ家の跡取りですね!」とますます尊敬の眼差しを向けてくるばかりだった。だというのに、アステルはその期待が少しも恐ろしくなかった。寧ろもっと自分に期待してくれと言わんばかりに、寝る間も惜しんでシャルロットの治療に励んだ。

 

 するとエルフ御用達の軟膏が効いたのか。はたまたウェアウルフの肉屋が教えてくれた満月の光が効いたのか。それともフォルセティ家の面々が用意した食材と、それを調理するシェフの腕が良かったのか――。

 とにかく最初期に傷を膿ませてしまったが故にある程度の時間こそ掛かったものの、日に日に体調が良くなっていくシャルロットにルビーは心底喜んだ。そして勢いに任せてアステルの手を握っては何度も何度も目を細めながら感謝の言葉を吐くものだから、彼は医者というのも案外悪い仕事じゃないなとふっと笑った。それからシャルロットが快方に向かえば向かうほどにルビーとの接点がなくなっていくことを自覚すると、いっそまた怪我でもしてくれないかと考える醜い自分に心底嫌な気持ちになった。


「ねえアステル。」

「どうかしましたか。……もしかして、染みましたか?すみません、もう少しだけ我慢していて下さいね。」

「あなた、ルビーのこと好きなの?」

「―――――――。」


 それはシャルロットの腕に出来た傷がもうすっかり瘡蓋になって、あとは残すところ密猟された際に傷ついた尾びれの鱗が生え変わるのと、あまりにも膿んでいたが故に切除するを得ざれなかった開放創が落ち着くのと、削痩してしまった身体にもう少し栄養と脂肪とが着くのを待つだけというところまで漕ぎ着けた、ある日のことだった。シャルロットは自身の尾びれの包帯を外し、綺麗に清拭した後に例の軟膏を塗ってくれているアステルに何の脈絡もなければ前振りもなく、ただただ思いついたままに問い掛けた。

 アステルは治療とは何の関係もないシャルロットの発言に、思わずピタリと手を止める。それからつい数秒前までシャルロットとルビーと他愛のない会話を紡いでいた唇をきゅっと固く噛み締めると、あからさまに視線を泳がせた。それは無言ながらも言葉にするよりも確かなはっきりとした答えで、シャルロットは咄嗟にムッとした表情を浮かべるとアステルの手伝いをしているルビー――今はちょうど、次に尾びれに巻く新しく包帯を用意しているところだった――の手を掴むと、その細い腕に上半身のみとはいえ抱きつきながら宣言する。


「ちなみに。私はルビーのこと大好き!」

「あら、本当?嬉しいわ。……かく言うわたしもね、実はシャルロットのこと、大好きよ。」

 

 というのも、シャルロットはこの頃にはすっかりアステルが帰った後、夜通しぴったりと寄り添っては看病してくれるルビーに心の底から懐いていたのだ。それこそ毎年あの海食崖に巣を作るウミツバメのカップルよりも、ずっとずっと大切な存在――友達なんて言葉じゃ足りないくらいの友達だと、自覚していたのだ。ありふれた言葉にするならば、恋をしていた。同性同士、それも異種族ではあったものの、胸に芽生えたこの小さなちいさな初めての感情の芽が、周囲の言う『恋』であることにシャルロットは薄々勘づいていた。そしてルビーへの恋心を自覚すると共に、感謝こそしているもののどうにも言動が怪しいというか、自分がルビーに甘えたり我儘を口にしたりする度にどんどん眉間に皺が寄っていくアステルのことを、シャルロットはどうも妙だなと告げる女の勘に従って、軽く問い詰めてみた。それはアステルへの牽制であると同時に、例え同性であろうが異種族であろうが、ルビーにとってのいちばんは自分であることを見せつけてやりたいという意地悪な優越感でもあった。

 そしてその目論見は見事思い通りに進んだものだから、シャルロットはにんまりとした笑顔を浮かべると挑戦的な目つきでアステルを見遣る。さも「私とルビーの間に入ってこれる?来れないでしょう?」と言いたげなその瞳は、生まれて間もない独占欲が故だった。アステルはそんなシャルロットに、どうやら医師としては歓迎されているものの男としては全く歓迎されていないことを悟ると、困ったように曖昧な笑みを浮かべる。それから石像のように固まってしまった脳と手とをなんとか再起動させると、いつもより少しだけぎこちなく軟膏を塗り広げていく。


「――――そうですね、素敵な方だとは思いますよ。それから、信頼もしております。ルビー様のような文官がいらっしゃる限り、我がマレノスタリアの政治は他国のように腐り切ったりはしないと安心して託せるくらいには。」


 アステルはシャルロットの瞳に込められた敵対心というか、対抗心というか。とにかく自分を快くは思っていない感情に気がつくと、その問い掛けに苦笑しながら大人らしく当たり障りのない言葉を返す。それはシャルロットが心配するまでもなく、彼女が想像するようなこと――例えば付き合いたいだとか結婚したいだとか、そんな気持ちを自分は持ち合わせてはいませんよ、というアピールでもあった。

 アステルは思う。自分は確かにルビーに惹かれてはいるものの、具体的にどうこうなりたいと思う気持ちや願望はない……と言うと嘘にはなってしまうものの、おそらく告げようとしたところで生来の臆病さが執拗に顔を覗かせては邪魔をしてくるが故に、きっと一生かかっても言い出さないだろう、と。加えて天才と名高い非凡なルビーと、極めて平凡な人間である自分とでは立っているステージが違う、とも。

 ――星は、手を伸ばしても届かないところにあるからこそ星であり、目標であり、憧れなのだ。彼女のような崇高な人間を、欲に塗れたこの手で掴もうなどと考えるだなんて烏滸がましい。自分はただあの美しい赤い輝きと濡鴉の色の艶やかな髪を見上げるだけの、路傍の石でいい。故にアステルは自分の感情を大人という理性と医師という立場で封じると、曖昧に笑った。


「……あら。それじゃあアステル様は、わたしのことは嫌いなのですか?」

「…………どうしてそうなるんですか……。」


 が。アステルの精一杯の無難な言葉とは反対に、ルビーはシャルロットを優しく抱き締め返しつつそんなことを尋ねてきたものだから、アステルは思わず盛大なため息混じりの言葉を吐いてしまった。それから、だから子供はダメなんだと心の中でボヤく。建前と本音、嘘と嘘じゃないこと、本当と本当じゃないこと。それらグレーを上手く使い分けて生きていくのが大人で、貴族で、自分たち人間だと言うのに、と。

 一方でアステルの抱える事情など知らずに、ただただ牽制したい気持ちで言葉を発したシャルロットは大好きなルビーにため息を吐いたアステルをじとりとした目で睨みつける。それから急に尾びれをびちびちと激しく上下させると、無言でこれ以上の薬の塗布を拒絶した。アステルはどうにも我が強いというか、ルビーと自分とでは態度に雲泥の差があるというか。とにかく快く思われていないことにもう一度ため息を吐いてから、それとこれとは別だと言わんばかりにシャルロットの尾びれに軟膏をぐりぐりと塗り込む。すると途端に神経を刺激するピリリとした痛みと、鋭敏な開放創に掛かる成人男性の指圧とに瞳に涙を浮かべた。ルビーは半べそをかきながら「痛いよぉ〜…。」と擦り寄ってくるシャルロットの背中をよしよしと撫でながら、シャルロットよりかは純粋な悪戯っ子の笑みを浮かべると彼女を宥めながら口を開いた。

 

「だって、シャルロットはアステル様に『わたしを好きか嫌いか』尋ねたんですよ?だというのに、アステル様ときたら素敵だの、信頼しているだの。答えの振りをした答えじゃないことを口になさるんですもの。気を遣ってくださっているのかと。」

「いえ、そんなことは…。」

「では、YESかNOか。好きか嫌いかで答えて下さいますね?」

「――――――――――。」


 アステルはどうにも回らない自身の口と、それを抜きにしても古来より決して女に口では勝てない男という生物、ひいては自分という生き物の悲しき(さが)を悟ると、もう一度深々とため息をつく。それから暫し無言で尾びれのあちこちに点在する、つい数日前に自身が切除したばかりの傷口――痛々しいほどに真っ赤に腫れては熱を持っているそこから手を離すと、軟膏の蓋を閉めた。そしてルビーの手から真新しい包帯を受け取ると、キツすぎないように。かといって緩すぎもしないようにと、絶妙な力加減で巻いていく。

 そうこうしている間も自身を期待に満ちた瞳で向けてくるルビーにどうにも居心地の悪いような、とんでもなく気恥しいような、そんな気持ちになるとアステルは軽く咳払いをする。それからシャルロットの背中のもうとっくに塞がった傷をちらりと見遣ると、それらを誤魔化そうと再度軟膏を手に取ると念の為にと口にしながら薄く塗り広げた。


「…………………………嫌い、ではないです。」

「では、好きということで宜しいですね?――ちなみに。わたしもアステル様のこと、好きですよ?」


 そうやってとっくに治療の必要なしと判断した傷にまで薬を塗ってはガーゼを当てて誤魔化し続けたものの、とうとう細かい傷のひとつまでやり尽くしてしまうと、アステルは観念したように執拗なまでに深呼吸を繰り返す。それからたっぷりと間を置いた後に、ぽつりと。蚊の鳴くような声で、やはり曖昧であるものの先程よりかは是否のしっかりとした言葉を紡ぐとルビーとシャルロットに背を向ける。ルビーはそんなアステルの背中に向かって、どう考えても照れているに違いない態度の彼をケラケラと明るい声と共に笑い飛ばす。それからシャルロットに告げたのと全く同じ温度の言葉をその背中に向けて放つと、心底おかしそうに目を細めた。

 一方でシャルロットはたった今ルビーが口にしたばかりの『好き』が、つい先程自分にくれた言葉と同じはずなのに、どうにも拭えない胸のざわめきというか、言葉に出来ない違和感というか――少しだけ弾んだ声だとか、語尾の上がったイントネーションだとか、ほんのりと甘い熱の乗った口振りだとか――恐らくはルビーの性格上、わざと差異を付けるなんてことはしないはずだと考え込むと、自然と最も認めたくない答え――無自覚にそうなってしまった、という結論に達すると、無性に泣きたくなった。自分の方がルビーのことを好きな自信があるのに、と悔しくなった。

 故にシャルロットは此方に背を向けては澄ました顔で片付けを始めるアステルの背中を思い切りその尾びれでどつくと、否応でも此方を向かせた。すると案の定というべきか、アステルの顔は熟れたリンゴのように真っ赤で。シャルロットは自分から提示した話題にも関わらず、顔を真っ赤にしている宛ら少年のようなアステルに「ばっかみたい!!」と暴言を吐きながら舌を覗かせると、ふんとそっぽを向いた。アステルはどうにも理解出来ないシャルロットにため息ついてから、眉間に皺を寄せつつ「こら、シャルロット。謝りなさい!」と怒りを顔に出すルビーを窘めた。

 が、それすらもアステルのひとり勝ちというか、敵に塩を送る結果になってしまったシャルロットは、作戦変更とばかりに不貞腐れながら全く心のこもっていない「ごめんなさい」を吐くと、切なげに眉を下げる。次いで間髪入れずに「だって、ルビーがアステルのことを好きって言うから…。……私には、ルビーしかいないのに…。」と、しおらしく嘘泣きをした。するとシャルロットは思った通り自分にだけ意識を向けてくれるルビーについニコニコと笑ってしまいそうになるのをぐっと堪えると、弱々しくルビーに抱き着いた。それから彼女の背後のアステルに向かって再度ざまあみろと言わんばかりに舌を出すと、シャルロットは無邪気に笑った。

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