17_ラストリゾート(5)
「どうだ、調子は。」
闇オークション会場に潜入し、関係者と来場者を取り押さえたあの日から数日後。時の皇帝陛下たるレオニスは玉座にて早速提出された今回の件に関しての報告書を受け取ると、軽く目を通しながら例の少女――真っ赤な瞳とそれがよく映えるショートヘアーが良く似合う、黒髪の少女に問い掛けた。
レオニスにそう問い掛けられた少女は、お手上げだと言いたげに肩を竦めてからやれやれと重いため息をつく。けれどそのため息の湿度や打つ手なしと言いたげな仕草とは反対に、少女はどうにもワクワクして堪らないといった様子の表情――注意勧告に規制、それから法を整備しても尚止むことのない人魚の密猟にほとほと参っていたレオニスに、後手後手に回ってはいけないと。大元から叩かねば永遠にいたちごっこを繰り返す羽目になると力説しては、ならばどうすれば良いのだとレオニスが問い返すよりも先に自ら治安の不安定な裏路地に単身乗り込んでは集めてきた情報を叩きつけながら、危険極まりない今回の潜入を提案してきた顔――どんな状況だろうがそれごと楽しんでみせている、なんとも年齢不相応な挑戦者然としたそれを浮かべていた。――要するに、少女はやる気に燃えていた。無効とはいえ一度は競り落とした人魚が自身に心を開いてくれないというこのもどかしささえも、燃料としてまだ青い炉に放り込んでいた。
レオニスはマレノスタリア開国以来の天才と名高い才女とはいえ少々変わり者の彼女の考えることは全くもって分からない、と苦笑しながら報告書のページを捲る。そうしてざっと目を通したそれにそう大きな修正点がないであろうことを悟ると、ほんの少しの嫌味と僻みを込めた賛美の言葉を吐いた。
「流石は帝国最年少で文官の試験に合格した才女殿だ。――会議で詰め寄られそうな箇所は、あの無茶な作戦くらいしかない。」
「陛下直々にお褒めいただけるとは身に余る光栄ですわ。ありがとうございます。」
「…………私は君を咎めているんだぞ?」
「あら、お説教でしたか。これは失敬。」
「――――――――。」
レオニスは修正点の見当たらない報告書の原案をピラピラと顔の横で泳がせながら少女を軽く睨みつける。が、肝心の睨まれている本人といえば、そのお転婆ぶりから両親に叱られることなど慣れっこなのだ。故に父親とほぼ同年代のレオニスからの嫌味など何処吹く風と言った様子で鮮やかに躱してみせると涼しい顔で微笑むものだから、彼は思わずため息をついてしまった。それから再び報告書に目を通すと、どう考えても会議で他の文官やら大臣やらに問い詰められるであろう無茶なことこの上なかった作戦――まだ世間的には子供に分類される彼女と時の皇帝たる自分がたったふたりで。それも直々に密猟者と闇オークション業者とを、彼らの本拠地に乗り込んで引っ捕えたという作戦未満の作戦の項目をじとりとした目で眺めながら、レオニスはもう一度ずっしりとした吐息を吐いた。
けれどそんなレオニスとは対照的に、少女は相変わらず年相応のニコニコとした笑みを浮かべる。そして今からどうやって頭の硬い連中を納得させる、もとい言いくるめようかと眉間に皺を寄せながら真剣に悩むレオニスに対し、懐に隠し持っていたもう1枚の書類を取り出すとやはり笑顔を浮かべたまま差し出した。レオニスはまだ何かあったかと頭を痛めながら、差し出された書類を受け取る。そして報告書から新たに手渡された書類――休暇届へと目を向ける。次いでただの休暇届ならまだしも、そこに書かれている理由と期間とに思わず絶句すると思わず少女を見つめた。
「――――お前……。」
「皇帝陛下直々に咎められてしまった以上、謹慎も致し方なし…ですよね?」
「……私が叱る前に書いただろう…。」
「優秀な文官というものは、結果まで見据えた上で行動するものですよ?」
「…………………………。」
レオニスは減らず口を叩く少女と、休暇届の申請理由に書かれた文言――『人魚密猟者摘発における無茶な作戦を決行した責任を取って、約1ヶ月謹慎致します』という文字を交互に睨みつける。とはいえ今回はたまたま上手くいったとはいえ、このような無茶極まりない作戦を面倒な連中相手に事後報告として納得させるには発案者自らが謹慎の身となるのが最もスマートな手段ということを瞬時に理解してしまうと少女の大人顔負けの処世術というか、気遣いというか、そういったものを受け取ると共に、どうにも内政には不向きな性分の我が身を心底情けないと感じるとため息をついた。
それから自分の子供のような年齢の相手に思考で読み負けたことを悔しく感じると、なんとも苦々しい表情を浮かべながら休暇届を懐にしまう。次いで何もかもが彼女の思惑通りに進んでいるような気がすると、これだから天才というものは扱いに困ると肩を竦める。それから皇帝の名のもとに改めて少女への謹慎を命ずることを正式に通達すると、膝をついては恭しく頭を下げる彼女にもう一度深いため息を吐いた。けれどやはり少女はレオニスとは反対に顔を上げると、すっと立ち上がる。そしてあどけない笑みを浮かべながら一礼すると、ちろりと舌を覗かせながらレオニスに向かって小首を傾げた。
「――承知致しました。それから、監視役に宮廷医をひとり、我がフォルセティ家にお借りしても?」
「………………全く。お前くらい優秀な文官でなければ、今頃大臣の奴がクビを宣告していたぞ?あいつは細君に三行半を突きつけられてからというもの、やたらと女を目の敵にしているからな。」
「ならわたしは大丈夫ですね?まだ子供ですから!」
「何処がだ。皇帝を言いくるめられる奴が、子供なわけがあるまい。」
レオニスはそんなことを主張する少女に呆れたように言葉を返しながらも、その要求は跳ね除けない。というのもどうして彼女が自ら謹慎を申し出たのか、罰せられる立場でありながらも何故謹慎の監視役に宮廷医を寄越せなどと強気に宣うのか、全て理解していたからだった。
――確かにこの少女はマレノスタリア開国以来の稀有なる天才で、最年少の文官だ。故に大人顔負けの知略を発揮することも少なくない。けれど、それでも根っこはまだまだ子供だ。酷く青い。即ち、誰しもが大人になるにつれて鈍らせていく正義感というものが一際強かった。銀のように光り輝いていた。だからこそ、仲介人に近づくためとはいえ自分が競り落とした人魚に対して責任と情とを感じていることを、レオニスはよく理解していた。だからこそ、口ではああだこうだと言いながらも少女のことを止めなかった。寧ろ彼女の望むがままにした。それはきっと彼女のような、傍から見ている誰かの方が恥ずかしくなってしまうくらいの正義感を携えている人間がこの国をもっと良くしてくれることを、人の上に立つ者として本能的に悟っているからだった。
レオニスは頭の中ではさて、誰を少女の家に送ってやるかと考えながらも態度には出さない。寧ろ真っ当な努力を重ねてきた人間のコンプレックスを存分に刺激してやまない根っからの天才である少女に彼自身、どうにも先帝である母親と自身とを比較しては感じている内治の才能の不足――劣等感のような、焦燥感のような、はたまた羨望のようなそれを、小突かれては掻き回されたのを感じると寧ろ早く失せろと言わんばかりに眉を顰める。次いでしっしっ、とわざとらしく手の甲で少女を追い払うという、大人らしからぬ暴挙に出た。
少女はレオニスのそんなあからさまな態度に思わず腹を抱えて笑った後に、再度礼をしてから背を向けると王の間を後にする。そして各所に配置された見張りの兵士に「お疲れ様」と声を掛けながら颯爽と、質の良いカーペットの上を歩いていく。そうやって何個もの扉を抜けた先、一際大きな扉を開けて王城を出ると、石畳の上からマレノスタリアの首都であるデルマリスの街を見下ろす。頬を撫でる潮風のぬくもりと、鼻腔を刺激する優しい海の匂いに目を細める。それから春先の柔らかな太陽の下で背伸びをひとつすると、我が家の第二浴場を占領している人魚にどうにかして心を開いて貰える方法はないかと思案しながら見慣れた街を歩く。
「…………おや、こんな時間に珍しいですね?良かったら、うちでお昼のパンでも買って行きませんか?」
政治同様、明確な答えのない問題に脳のリソースを割きながら自宅へ向かって歩いていたその時。店前で呼び込みをしていた焼き菓子屋の主人が、少女に向かって声を掛けてきた。少女はその声に足を止めると、両親が贔屓にしている店の主人に軽く頭を下げながら挨拶をした。次いで鼻先を掠める甘い香りに、今がちょうど昼前であることを思い出した。そして昼食の時間であることを自覚するや否や、きゅうきゅうと泣き出す腹に恥ずかしそうに笑いながら頬を掻く。
と同時に、少女は個人的にどんな高名な料理家や料理人が作るよりもずっとずっと甘くって幸せな気持ちになれるこの店の焼き菓子ならば、きっと人間への不信感と身体の傷とに固く心を閉ざしてしまったあの人魚にも笑顔を齎してくれるのではないかと考えると、瞳を輝かせながら店主へと昼のパンとそれに塗るジャム、それからいちばん大きな焼き菓子の詰め合わせとショーケースの中に所狭しと並べられたケーキとを片っ端から注文した。店主は随分と豪快な買い方をする少女へ「何かいいことでもあったんですか?」と何気なく問い掛ける。少女はその問いに一瞬言葉を失った後に、美しいルビー色の瞳をすうっと細めると大きく頷く。そして今日の売上にニコニコしながらパンと菓子とを詰め合わせる店主に向かって、彼に負けないくらいの笑顔を携えるとその艶やかな唇を開いた。
「ええ!新しく出来たお友達が、暫く我が家に滞在してくれることになったのよ!!」
「へえ、それは良かったですねえ。どうかうちの自慢の菓子、そのお友達も気に入ってくれますように!」
「ありがとう。――きっと気に入ってくれると思うわ。」
店主は手早く大量のパンと菓子とを詰め合わせては箱に入れると、大きな紙袋に入れて少女に差し出す。少女は何故だか分からないものの、きっと上手くいくという確信が胸の内に芽生えるとにこやかな笑顔と共にそれを受け取る。次いでカウンターに代金をほんの少しだけ、心付けばかりに多く置くと焼き菓子屋を後にした。
「――――さて。もうひと頑張りしますか!!」
少女は小さな身体で持ち歩くには少々頼みすぎてしまった量のそれらに、こんなに買うことになるのならば一度屋敷に帰って適当な使用人と来た方が良かったかもしれないなと苦笑する。とはいえ政策という大きなものであれ買い物という日常の小さな動作であれ、いつだって決断に大切なのはライブ感だと思い直すとひとり頷く。無論、時には慎重になることだって必要だ。大切だ。けれど世の中、その場で足踏みしながらああだこうだと議論を重ねるかよりは、思い切ってその場の勢いで判断した方が良いことだって少なくないのだ。
つまり、――つまりこれは失敗ではないのだと強がると、少女はひとつひとつは軽い焼き菓子とはいえ注文しすぎたそれらのあまりの重さにふらつきながらも、懸命に前を向く。それからどうにも脳に全てを回してしまった弊害なのか、同世代と比較してもやけに小さい自身の体躯を密かに呪うと、レオニスが寄越してくれるであろう宮廷医についでに自分も診て貰おうと密かに画策した。




