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14_ラストリゾート(2)



 その日の午後、昨日よりも1時間は早い時間にシャルロットは人間のお友達――『ジェラールくん』の足音がすると言うや否や、ワクワクとした表情で此方を見遣ってくる姪っ子に「あんまり遅くなるんじゃないわよ?」とあくまでも宝石を加工する手は止めずに呼び掛けた。そして分かっているのかいないのか、適当な生返事と共に箱に詰められていた『ジェラールくん』からのプレゼントらしいブランケットを引っ張り出すや否や、そそくさと出掛けていく背中を視界の端で捉えると若いなあ、と苦笑した。それから若さ故の行動力だとか無鉄砲さだとかが羨ましくなると同時に、あれは兄であるザッハの目に付いても仕方がない浮かれっぷりだな、とやれやれと肩を竦めた。それから自分も人のことは言えないものの、それを差し引きしてもどうにもだらしがないというか、そそっかしいというか。大事なお友達である『ジェラールくん』からの他の贈り物――菓子が入っていた空き箱やら、ブランケットを包んでいた薄紙やらが散乱したままで陸に上がって行った姪に、シャルロットはつくづく血は争えないとため息をついた。

 シャルロットは今日だけだからね、と心の中で呟くとそれらを片付けてやる、もとい適当に箱に詰めてやろうと手を伸ばす。そうしてトルテが最初にジェラールから貰った贈り物――家紋が入ったハンカチを手に取ったその瞬間だった。シャルロットはいくら血縁者と言えどもプライバシーがあるからと積極的に見る気はなかったものの、つい目に入った何処かで見たことがある家紋に、もしかしてとハンカチを広げた。そうして白日の元に晒された『ジェラールくん』の家の家紋をやはり見覚えがあると、シャルロットは続けてもう1枚のハンカチも広げた。そうして見間違えるはずがないその家紋を知覚するよりも先にドクンドクンと五月蝿く騒ぎ立てては拍動する心臓と、緊張と歓喜と戸惑いとに震える手で彼女はそうっと手触りの良い真白のハンカチを撫でた。次いで運命の悪戯としか思えない数奇な巡り合わせに、ハンカチを胸に抱きながら目を伏せると何度か大きく深呼吸を繰り返した。


「『ジェラールくん』。あなたは、もしかしくなくても……。」


 シャルロットは今から20年と少し前に密猟者に捕まった際、自分を誰よりも高く競り落としてくれた上に親身に看病してくれたまだあどけない顔をした少女と、その彼女が連れてきたまだ若い駆け出しの医師の顔とを思い出す。そして記憶の中にこびり付いたままの、忘れられるはずがないふたつの家の家紋――フォルセティ家とアルスヴィズ家の家紋がそれぞれ刺繍されたハンカチをぎゅうと握り締めると、信じられないと言わんばかりに固く目を瞑った。それからこの数十年間、決して忘れたことのなかったその人の顔――今、トルテが『ジェラールくん』に恋をしているように、シャルロットは今でも恋をし続けている誰かの顔を思い浮かべては、やはりどれだけの時間が経とうとも確かに愛しているたったひとりの少女への恋慕とそれにチクチクと痛む胸とに思わず眉を顰めた。

 次いできっと彼女にとっては最初から最後までほんの少しの時間を共にしただけの保護対象にして友人にしか過ぎなかったことを数十年間越しにまざまざと見せつけられると、切なげに目を細めた。


「――――――ルビー。」


 けれど、それをシャルロットは嘆いたりなどしない。恨みなどしない。寧ろ熱心に自分の治療に取り組んでくれたあの若い医者と一緒になったのならば、きっと愛しい彼女は幸せに違いないだろうと安心さえしていた。それから、海神リヴァイアサンとの盟約により決して破ってはならないとされている禁忌――かつてふたつの種族が交わろうとしたが故に訪れた悲劇を、自分の血を継いでいる姪とあの勇敢で正義感に溢れたふたりの息子ならば、もしかしたら乗り越えられるかもしれないと考えた。けれど姪の恋を表立って応援することはこの海を治めるリヴァイアサンに反旗を翻すのと同じことだと、しシャルロットは暫し頭を悩ませる。それからそう簡単には辿り着けない結論に、海溝よりも深いため息を漏らすとトルテの持つエメラルドグリーンよりかは少し青の割合が多いその髪の毛の先を、指先でくるくると弄んだ。

 人魚として、この海を治めるリヴァイアサンに忠誠を誓うか。それともただの個人として、姪と自身の想い人の息子であろう『ジェラールくん』との恋を応援するか。シャルロットはいっそうのこと『ジェラールくん』が全くもって知りもしない赤の他人の子供ならばこんなに悩むこともなかったのに、と奥歯を噛み締めると一向に纏まらない思考にイライラしているかのように乱暴に髪を掻き上げる。

 が、次いでつい癖で親指の爪を噛もうとしたその時、視界の端につい数十分前に見送ったばかりのはずのエメラルドグリーンが映ると、シャルロットは即座に叔母としての顔を貼り付ける。そして何か忘れ物でもしたのかと優しく問い掛けようとしたその時だった。トルテが今まで見たことがないくらいに顔をくしゃくしゃに歪めては、途切れる間もないほどに涙を流していたものだから、シャルロットは流石に驚くとハンカチを放り出して彼女に駆け寄った。それから何があったのかと――まさかそれほど数がいるわけではないものの、確かに存在する海の魔物に襲われでもしたのかと心底心配そうに眉を下げてはトルテの身体に怪我がないか確認する。トルテはそんな叔母にふるふると力なく首を横に振ると、たったひとこと「違うの。…違うのよ……。」と呟くなり子供のようにシャルロットに抱き着くと、その胸に顔を埋めながら大声で泣き出した。


「ちょ、ちょっとトルテ?!どうしたの?一体何があったのよ…!?」

「叔母さん…。わたし、わたし、……最低だわ。本当に最低だわ。もう自分がだいっきらい!本当にほんとうに失望したわ!……きっとジェラールだって、こんなわたしのこと、もう嫌いになったに違いないわ…!!」

「…………トルテ……。」


 シャルロットは相変わらず支離滅裂故に何があったかは定かではないものの、どうやら『ジェラールくん』との間に何かあったらしいこと。そしてその何かが心底姪の自尊心というか、自己肯定感というか、とにかく普段はクラゲのように自由に海の中を漂ってはわけもなく自信に満ち溢れている彼女から、それらを喪失させてしまうくらいの大事件があったことをそれとなく悟ると、シャルロットは余計なことは何も言わずにトルテを抱き締め返した。

 それは単に姪を可愛がる叔母としてではなく、同じく人間に恋をしてしまった者同士の傷の舐め合いだった。けれどシャルロットは勝手に恋を諦めた自分とは違って、まだトルテの恋は続いているであろうことをしっかりと理解していた。故にこれは傷の舐め合いではなく、正しくはトルテが負った傷を理解出来る唯一の存在によるセラピーなのだと自身を戒める。

 と同時に、シャルロットは思う。単にトルテが可愛い姪っ子という立場だからではなく、自分によく似た姿かたちをした全くの別の存在だからこそ、余計に幸せになって欲しいと。海であれ陸であれ、ただただ幸せを享受し続けて欲しいと。それは親でもなければ兄弟でもなく、ある種叔母という最も気楽な立場の人間だからこそ抱ける、勝手な願望にして唯一の希望だった。

 シャルロットは思う。トルテにはいつかの自分のように勝手に叶うわけがないと諦めて友人の地位に収まるのではなく、世界の全てを敵に回すくらいの気概でとことん我儘に生きて欲しいと。それは心底勝手な第三者からの願いにしてエゴの押し付けな上にとんでもない苦労を背負う行為だということを、シャルロットはよく理解していた。それでいて、これ以上の無茶や傷などをしないで済む手の届く範囲の幸せに、どうか収まって欲しいとも思っている心もるのだから、シャルロットは全くどうして生き物には感情なんてものがあるのだろうと呆れてしまう。

 けれど。そんななんともシャルロットの心を揺さぶったのは、同じく非効率的な感情と疑問をぶつけてくるトルテの震えた声で。若さ故に、未熟さ故に、非効率を極めているいつかの自分の『どうして』で。シャルロットは思わず唇を噛み締めると、どうせ無理だと諦めてしまったいつかの自分ごとトルテを抱き締めた。


「――ねえ、叔母さん。どうして人魚と人間は愛を伝え合っちゃいけないの?キスしちゃいけないの?どうして――どうしてわたしはそんなつもりなんて少しもなかったのに、ジェラールにキスされそうになっても少しも嫌じゃなかったの?寧ろ嬉しかったの?ねえ、どうして?お願い。教えて、叔母さん。」

「――――――そっか。『ジェラールくん』は自分でも気が付かないうちに、本当はキスしたいくらい大事な人になってたのね。」


 シャルロットは子供のように泣きじゃくりながら、彼女の中にある『どうして』をひとつずつ、取り留めなく口にしていくトルテに、僅かに目を見開く。それからつい昨日口にしていたトルテの感情が、全くの嘘――というよりかは、本人も気が付かないうちに大きく育っては心の奥深くまで根を張っていることに気が付くと、子供というのは本当に少し目を離した隙に大きくなってしまうのだなとほんの少しだけ寂しくなった。けれどそれ以上に、何故だかどうしようもないくらいに嬉しくなると、シャルロットはトルテの背中を優しく撫でた。次いで胸に顔を埋めて泣き叫ぶ彼女の前髪を優しく避けてやると、親愛を込めたキスをその額に贈った。

 トルテは子供の頃からそうやって優しく慰めてくれるシャルロットに、ほんの少しだけ心が落ち着くとヒックヒックとしゃくり上げる。それから甘えるように「叔母さん…。」と呟くと、シャルロットの胸に頬擦りした。シャルロットは恋がどうだの愛がどうだのとすっかり大人になったくせにまだまだ子供らしい姪にようやっと覚悟を決めると、ゆっくりと口を開いた。


「――私とあなたは、人間に恋をした人魚同士。だから私は絶対にあなたを見捨てたりしない。裏切ったりしない。いつだって、ちゃんと最後まで味方だからね。……大丈夫。大丈夫だからね、トルテ。」

「叔母さん……っ、叔母さん…!!」

「よしよし。まずは思いっきり泣きなさい?それからどうして人魚と人間は愛し合っちゃいけないのか、私が知っている範囲で教えてあげるから。それを聞いてから、しっかり自分で考えるといいわ。先人の失敗と併せて、ね。」


 シャルロットは覚悟――トルテが本当に『ジェラールくん』のことを愛していて、その上で禁忌を犯そうとするならば後押しすることを。反対に、彼を愛するが故に不幸にしたくないと身を引くならばそれを黙って受け入れることを静かに誓うと、姪を抱き締める腕に力を込めた。そして我ながら良い落とし所――かつての自分が果たせなかった恋をなんとしてでも応援したいというエゴと、どうであれ可愛い姪っ子にはこれ以上傷付いて欲しくないという保護者としての願いとのちょうど良い塩梅を見つけ出すと、これが年の功というものかと少しだけ笑った。

 それから。我儘が許されるのならば突き進むにしても諦めるにしろ、どうか姪が心の底から納得出来る結論がありますようにと人間の信仰する神に祈ると、シャルロットは少しだけ――否、結構ごわついているハンカチでトルテの涙と鼻水を拭ってやった。

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