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09_朴念仁のステップ



 昼休憩の時間にフレオニールに言われた言葉がどうにも頭から離れなかったジェラールは、結局その日の午後の授業は彼にしては珍しく少しも手につかなかった。いつも通り前の席に座ってはノートを取ってこそいたものの、心は何処かに置き忘れたままだった。代わりにただただ、昔からマレノスタリアに貿易で膨大な利益をもたらしてきたあの海がなんだか無性に恋しくて、愛しくて。それからその海に住まう、あのエメラルドグリーンの色をした彼女にどうしようもないくらいに会いたくなったのだった。

 ――別に、慰めの言葉が欲しいわけじゃない。寧ろそんなものは自分が貰うべき言葉ではないと、ジェラールは自らを自戒する。その代わりにあのひたすらに眩しい、真夏の太陽のような笑顔が見たくて見たくて堪らないだけなんだと、ぼんやりと黒板を眺めながら自分の中に潜んでいる誰かに対して必死で言い訳をした。そうしてそんなことを考えれば考えるほどに、つい昨日会ったばかりだというのにもうトルテに会いたくて堪らなくなったジェラールはトルテに会えなくても、せめて彼女の存在を感じることの出来るあの海岸線に寄ってから帰ろうと、彼にしては珍しく授業が終わると同時に手早く荷物を纏める。そして教室を出ようとしたところだった。


「――――おっ、お坊ちゃんじゃねえか。なんだ、そんなに急いでどこ行くんだ?……もしかして、パパの手伝いか〜?ほんっと、お前って親孝行者だねえ。」

「……オライオン…。」

「っと、無駄口叩いたらフレオニールの奴に怒られるな。ほんっと、お前らは2人揃って真面目だねえ。流石は上流貴族様だ。」


 次の授業が行われる教室に向かう生徒やはたまたジェラールのように今日の分の授業を終えて帰宅しようとする生徒の波に逆らって、よく見知った顔――つい昼間、フレオニールとの会話の引き合いに出したばかりの、もう1人の幼馴染の名前を口にした。

 オライオン・グリンブルスティ――元は傭兵家業を営む、ただの庶民だったものの戦場での成果を認められて軍人に。次いで更に功績を上げた結果、オライオンの父の代でとうとう下級とはいえ貴族の称号を皇帝より戴いた――は、ただ同い年というだけで幼少の頃より幼馴染としての付き合いはあるものの、貴族になりたての彼にとっては本来ならば名前を口に出すことさえもはばかられるような、手の届かないくらいの上流貴族であるフレオニールの名前を口に出すどころか、ボリボリと頭を掻きながら心底面倒くさそうにボヤくものだから、ジェラールは自分のことではないといえ流石に焦る。故に咄嗟に彼の口元に自身の手のひらを当てると、「こら、オライオン。何処で誰が聞いてるか分からないだろう?」と若干の困り顔の中に、それほど親しくないとはいえ幼馴染である彼を真剣に心配する色を瞳に滲ませる。けれどオライオンは何処吹く風どころか、ジェラールのその手を乱暴に払い除けると眉を顰めながら苦々しく口にした。


「触んなよ。幾らアンタの家には先代の恩義があるとはいえ、男に迫られる趣味はねーから。」

「せ、せまっ…!?!」

「あ?違ったか?」

「――――違う。断じて違う。違うからな。僕はただ、単純に君のことを心配して…!」

「おーおー、流石はアルスヴィズ家のお坊ちゃまだ。ただの幼馴染、それも親同士が勝手に取り決めた交友関係だっていうのに、俺が干されないように気ぃ遣ってくれるとはなあ。人によっちゃ骨身に染みる優しさだねえ。……ほんっと、あとは戦場に立てればなあ?」

「――――――――。」


 ジェラールは傭兵上がりらしく軽口を叩くオライオンのことが、少し苦手だった。フレオニールとは別の意味で苦手だった。というのも、後者のフレオニールは言うならば態度や言葉にその時の機嫌や真意が非常にわかりやすく散りばめられている、見えている地雷のようなものだった。無論、時に昼間のようにただの嫌味や悪意にも思える言葉を吐くこともないわけではなかったが、マレノスタリアに古くから存在する上流貴族である彼女は基本的には礼節を欠かさない。寧ろジェラールのように、意志とは反対に力及ばない者に対しては手を差し伸べる優しさ――宛らノブレス・オブリージュを体現したかのような人間であった。

 けれど反対にオライオンはどうかといえば、これがいっそう清々しいほどにフレオニールと正反対の人物だった。生まれや身分は言わずもがな、オライオンという男は一見して非常に親しみやすく、かつ頼りになる兄貴分という言葉が似合う男なのだ。兄弟が多いせいか非常に気が回るし、本人もまた世話を焼くのが好きなタイプ故に、彼の周囲にはいつも人――下級貴族は勿論立場を気にしない中から上流貴族の子女――が居た。加えて人懐っこい性格をしているが故に、教師陣からも手と目を掛けられていた。

 が、それでもジェラールはオライオンのことが少し苦手だった。それはたった今交わしたばかりの会話のように、人の心配を茶化して誤魔化そうとするところだとか。褒め言葉に見せかけた嫌味を吐いては、ちくちくと刺してくるところだとか。そういう細かな牽制というべきか、あるいは一種の軽蔑というべきか。――何よりも、言葉では認めないと言いながらも態度ではジェラールもまたマレノスタリアの貴族なのだと認めてくれているフレオニールとは反対に、戦場に立てない男などまるで価値がないと言わんばかりに鋭く此方を睨みつけながら、その目つきとは反対に表面上はジェラールのことを気にかけるような素振りをするオライオンが、ジェラールは本当に苦手だった。ただでさえ苦手なコミュニケーションのハードルを上げてくる彼を、心底意地悪な奴だとさえ思っていた。

 ――故に、ジェラールはオライオンの嫌味に黙り込む。そして今日もまた、言葉とは反対に刺すような視線と態度とに心が苦しくなる。けれどそれは単に地位的には自分の方が上なのにちっとも言い返せない意気地なさに、胸を痛めているのではない。例え親同士の付き合いに基づく幼馴染という関係だとしても、立場を言い訳にしたくない真面目さとが、ジェラールの心を蝕んでいるのだ。そうして、その感情はジェラールにやはり困ったような顔をさせては、曖昧な笑みを浮かべさせるのだ。


「……ったく。何か言い返せよな。」

「あはは、ごめん。――でも、君の言うことは全部真実だからね。否定はしたくないんだ。」

「…………ほーんと。そういうところが『お坊ちゃん』なんだよ、アンタは。」


 オライオンはやはり今日も何も言い返さないどころか、自らその言葉を受け入れては曖昧な笑みを浮かべるジェラールにため息を吐く。そしてどうにもフレオニールほどの気の強さがないジェラールの肩を叩きながら、「アレとお前が逆だったら、どんなに俺の心労が少なかったことかね…。」とボヤきながら懐から綴じられた紙の束を取り出す。次いでそれを自身の顔の横でぴらぴらと振ってからジェラールの眼前へと突き出すと、再度口を開いた。


「――ほらよ、フレオニールからだ。支援金の支払いは此方に〜、だとよ。」


 ジェラールは1歩下がると、おずおずと眼前に突き出されたそれを受け取る。それからここでフレオニールの名前が出るということは…と瞳に僅かな憂いの色を乗せながら目を通す。すると自身の予想通り、これが彼女が昼間に告げていた支援金に関する書類であることにジェラールは静かに吐息を吐いた。それから支援金といっても庶民ならばともかく、どうであれ貴族ならば簡単に動かせる金額に軽く目を伏せた。それから、心優しいが故につい自分を責め立ててしまう言葉――もしも自分が戦場で命のやり取りを好むような男だったらこの分の金はまるごと浮いたのだなとか、これだけの金を稼ぐのに父・アステルはどれほど働くのだろうだとか、同じく金を払うならば屋敷の使用人たちの給金に回してやりたかっただとか――とにかく尽きるどころかポンポンと浮かんでは積み重なっていく言葉と自責の念に、ジェラールは再び心を痛める。

 それを黙って見ていたオライオンは、相変わらずひとりでなんでも抱え込んではつい自分のせいにしがちなジェラールにやれやれと肩を竦めながらため息を吐いたあとに、長年の付き合い故に嫌でも手に取るように想像出来る思考を止めるべく、線の細いその身体を軽くどついた。それから、前回の討伐で不覚にも負ってしまった顔の傷を指先で弄りながら呆れつつ口を開いた。


「何落ち込んでるんだよ。金で安全が買えるんだ、もっと喜ぶべきだろ。」

「……でも…。」

「あ?何気にしてンだよ。こっちはお前が払ってくれた金で新しい装備は整えて貰えるし、美味いモンも食える。何より戦場での命のやり取りなんていう読書じゃ絶対に味わえない興奮に酔えるんだからよ、寧ろ有難いぜ?

 ――ま、戦場嫌いかつ女も抱いたことがないような朴念仁には分かんねーかもしれないけどな!!」

「……………………そうだね。私には多分、どちらも一生分からないだろうな。」


 オライオンはそう言ってガハハと笑うとジェラールの肩を叩く。ジェラールは、もしこの場にフレオニールが居れば顔を顰めて注意したであろう上品とは言えない言葉と態度にまたしても曖昧に笑った後に、貴族といえどもかなりの下級に位置する家の子女のことを考えた。一応はそれぞれの家の年収に応じた金額にはなっているらしいが、それでも余裕のない下流貴族にとってはマレノスタリアのため、ひいては自分たちの安全のためとはいえ、痛い出費であることに変わりない。故に戦いが嫌でも行かねばならない事例も少なくないだろうことを、なんの根拠もなくその豊かな想像力に任せて思い描いてしまうとジェラールは心底胸が痛かった。

 加えてやはり何処か棘のあるオライオンの言葉選び――まるで読書がつまらない行為であるかのような物言いに、ジェラールは行き場のない感情を痛む胸のうちに抱える。おそらくは試験がある度に赤点ばかり取っている勉強嫌いのオライオンなりの強がりや彼なりの価値観であり、自分を馬鹿にしているわけではないと分かっているものの、かと言って割り切れるわけでもない言葉にジェラールは視線を書類に下げたまま、今の自分が抱いている感情をそのまま言葉にして返した。

 ――実際のところ、ジェラールの言葉通り豪快かつ大胆、それでいて刹那的で享楽を好むオライオンのように命のやり取りを楽しむことも、かと言って異性に対して性欲を抱くことも、それをぶつけることも。どうにも争いだったり自分の欲求を言動に出すことだったりがまだ物言わぬ赤子の頃から苦手だったジェラールは、きっと一生掛けても理解出来ないことをなんとなく悟っていた。そして世間一般にはそんな自分の方がマイノリティであることも、多くの人間にとっては理解されない、もしくはされにくい性質であることも、充分に理解していた。

 けれどよく言えば身分相応、悪く言えば無欲な自分の性質を以前ならばともかく、最近のジェラールは案外好ましく思っていた。それは唯一と言って良いほどの理解者たる存在がマレノスタリアという国の首都である港町デルマリスが抱える青い海の下に居てくれるからであることを、ジェラールは自身の性格以上によく分かっていた。そしてそうやって些細な出来事のひとつひとつに彼女の笑顔と美しいエメラルドグリーンの髪を思い出しては無性に会いたくなることも、よく理解していた。

 

 ――理解していないのは、ただのひとつ。その衝動的ですらある思考が、感情が、彼にとっては自分のちっぽけな一生をかけても理解出来ないと思い込んでいる『恋』という厄介なくせにどうしようもなく愛おしい、生き物の(さが)だということのみだった。


「提出はフレオニールに直接でいいのかな。」

「いいんじゃねえの?てか、俺はそこまで頼まれちゃいないから知らねえ。俺はフレオニールは勿論、お前の使いっ走りでも家来でもねえからな。」

「そうか。それもそうだな、すまない。」


 ジェラールはオライオンの最もな言い分にまたしても苦笑をひとつ零してから鞄にしまい込む。それから「それじゃあ、私はこれで――。」と、片手を上げて別れの挨拶と会釈をするとオライオンの横をすり抜けてどうにも会いたくて堪らない彼女の気配を追いかけて、いつものあの海岸線に行こうと足を進める。けれどすり抜けようとしたその瞬間、オライオンが剣ばかり握っているゴツゴツとした固い手のひらで肩を掴んできたものだから、ジェラールはまだ何か用事があるのかと怪訝そうな表情を浮かべた。

 試験の期間ならばともかく、何も無いこの時期にまさかこの後勉強を教えてくれと頼み込んでくるような人間でもないし、とジェラールはオライオンを見つめる。但し同性かつ幼馴染である彼相手でも、ジェラールは上手く目を見れない。故にオライオンの胸や腹の辺りで視線を彷徨わせる。オライオンはその見慣れた動作にはあ、と海よりも深いため息を吐いた後に、呆れながら言葉を紡いだ。

 

「…………なあジェラール様。アンタ、ちったぁ言い返せよ。何言われても怒らないのは美徳じゃないぜ?ただの愚か者だ。…無論、それがアンタの性質だって言われればそれまでだけどよ。見てるこっちがイライラしてくるんだわ。」

「…柄じゃないからね。それに……。」

「それに?」

「――――こんな私のことを、好きだと言ってくれる人も居るからね。」


 ジェラールはそう告げると、肩を掴むオライオンの手に自身の手を重ねる。そして優しく振りほどくと、いつの間にか彼の後ろにぴたりと張り付いては今日こそは補習を受けて貰うぞと腕を組んでは意気込む教師とアイコンタクトを交わした。それから「話は終わりか?それじゃあ、私はこれで。……頑張れよ、オライオン。」と告げると、さりげなく掴んだその手を経由して彼の肩を掴み返す。次いで掴み返した肩を起点に、そのがっしりとした体躯を柔軟な動きで帝国大学一厳しいと噂の歴史学の教師の方へと向けてやると、途端にオライオンは笑顔の中に怒りが見て取れるその顔に、態度に、彼自身の顔を引き攣らせた。

 ジェラールは背後から聞こえてくる「てめえ、嵌めやがったな……!?」という声を無視すると、今度こそ教室を出る。そしてそびえ立つ帝国大学の門をくぐり市街地に出ると、やはり自分はああして思ったことをすぐに口に出せるタイプではないなとため息を吐く。それから緩く頭を振ると、居ないと分かっていながらもトルテに会いたい一心で、あの海岸線に向けて歩き出した。

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