9話外れた
「帰り道は同じなんだから一緒に帰ればいいのに……」
夜の闇に吸い込まれていくフィリアの後ろの姿を眺めながらラストはそう呟いていた。
あの食堂は宿屋に泊まる人限定のお店となる。つまり、フィリアがあの食堂にいたということは、ラストとの目的地は同じになるはずだ。
しかし、ラストは追いかけようとはしなかった。闇の中に完全に消えるフィリアの姿を見送ってから、ラストは再び夜空に視線を移した。
ラストが今回、注目したのは星ではなく月だ。丸かった。夜空の主役のようにも見えるし、ひとりぼっちで泣いている子供のようにも見える。
しばらくして、見上げていた顔を正面に戻してラストは立ち上がった。
「そろそろ帰るか」
夜はすっかり静かになっていた。人の影はかくれんぼをしているかのように姿を消して、イルミネーションだけが未だに働き続けている。もしかすると、みんな小人になってしまったのかもしれない、という考えがラストの頭によぎって、踏み潰さないように視線を下に移して歩みを進める。そうやっていると、いつの間にか宿屋に着いていた。残念ながら小人は一人も見つからなかった。
宿屋の食堂もほとんどすっからかんになっており、酔い潰れた人がテーブルに何人か突っ伏しているだけだった。
そんな光景は日常茶飯事なのか、寝ている人達を気にもせずに空いているテーブルを雑巾で懸命に拭いている女性の姿がラストの視界に入る。
おそらく、店員だろう。
ラストはその店員に近付いて声を掛けていた。
「あの、すみません。青い髪に青い瞳の女性ってもう帰ってきてますか?」
一応の安否確認。帰る道中でフィリアの姿は見当たらなかった。帰ってきた、とこの女性が言ってくれればフィリアは無事宿屋に着いたことになる。茶髪でポニーテールの店員はラストの顔を一瞬見て、腕を組んで深く考え込む仕草をする。
「青い髪で青い瞳。いえ、まだ帰ってきていないと思いますけど……」
ラストの胸が少しだけきゅっと閉まった。女性の返答が期待していたものと違ったからだ。
「そう、ですか。教えてくれてありがとうございます」
定型文を述べて、ラストは考える。追い越してしまったか?否、追い越すとなれば姿を見ているはずだ。そうすると、他の店にでも入った?あるいは宿屋を通り過ぎてどこか先の場所に向かった?もしくは……
「どうかされたんですか?」
最悪の状況を想定する前に、店員が心配そうにこちらをみて声を掛けてきた。ラストは少し動揺しながらもなんとか言葉を探る。
「……いえ、特に深い理由があるわけではないんです。さっきまでその子と話していて先に帰ってしまったので一応ちゃんと帰ってこれているかの確認を。夜も遅いですし」
特に隠すこともないので、ラストは真実を告げた。
理解してくれたようで、ポニーテールの店員は優しく微笑んで。
「なるほど、そうでしたか。最近悪魔が出た〜なんて噂もあって物騒ですもんね。もし、その方を見かけたら彼氏さんが心配されていた、とお伝えしておきますね」
「彼氏ではないです」
悪魔という言葉にも引っかかりを覚えたが、彼氏という冗談が刺さってきたのでラストは反射的に否定する。しかし、その冗談が少しばかりラストの心を救ってくれたような気がした。
「あら、そうなんですか?それは失礼しました」
店員は口から魂を抜かれるのを防ぐように手で口元を隠して、ラストに謝罪をした。
「気にしてないので大丈夫です」
「それにしてはなんだか元気がなさそうに見えますね。そうだ!そんなあなたにこれをどうぞ」
店員は頭上に電球でも見えそうなぐらいに、顔を輝かせた後に、ポケットから缶を取り出した。店員に手を掴まれてその手によってラストの手が引っ張られ、手のひらにその缶を乗せてくる。
「なんですか、これ」
ラストはその缶と目の距離を少しだけ近付けてまじまじと見つめた。
「炭酸ジュースです。お客さんに貰ったんですけど、私炭酸ってどうも苦手で……」
人差し指で髪を掻きながら店員は苦笑いを浮かべた。
「いいんですか?お客さんに貰ったものをぼくが貰っちゃって」
そのお客さんもこの店員に飲んで欲しくて渡したのだろう。その好意みたいなものを無下にするのはラスト的にあまり心地の良いものではなかった。
「バレなければ問題ありません」
店員はきっぱりと言った。
「バレたらまずいんですね……」
顔を引き攣らせてラストはもう一度缶を見つめる。なんだか、缶が爆弾のように思えてきて、視線をすっと逸らした。
「あはは。まあ、そこまで器の小さい人ではないと思いますよ。でも、なんだか共犯って感じでワクワクしません?」
爆弾を持たされたラストとは違って、店員は何故かノリノリだった。犬の尻尾のようにポニーテールが揺れる。初対面の相手に共犯を持ち込むなんて中々勇気のある人物だ。
「ワクワクはしないですけど。……ありがたく貰っておきます」
少し考えて、ラストは缶を自分のポケットに閉まった。
苦手と言っている相手に対して飲め、と説教するわけにもいかないし、もしラストがこの缶を突き返したとして、別の誰かに渡るか、最悪破棄されてしまう可能性だってある。ならば、缶の冒険はここで止めておいてあげたほうがいい。
「炭酸ジュースね。何味ですか?」
ラストは店員に尋ねた。
「コーラです。お好きですか?」
店員は飼い主の姿を見つけた犬のような眼差しでラストを見つめる。
「コーラ、ええ、覚えています」
失言だった。店員は不思議そうに首を傾げた。
「覚えてる?」
「……いえ、なんでもありません。好きですよ」
ラストは軽く首を振って言葉の訂正をした。別に記憶の事を言ってしまっても良かったが、ややこしくなりそうなので隠すことにした。
「それなら良かったです。自分の部屋で隠れてこっそり飲んでくださいね」
気にする様子もなく、にこりと笑って店員はラストの顔に自分の顔を近付けて耳打ちをするみたいに告げた。温かい息がラストの耳に届く。
「はい」
短く答えて、ラストはその場から逃げ出すように階段のほうへと向かった。階段をゆっくりと一段、また一段と踏みながら、彼女にジュースをあげたいと思った客の気持ちを考えてみる。あのような行動を取られては何かをしたいと思ってしまうのは仕方ないのかもしれない。ポケットの中で眠っている缶の重みが増した。そんな気がした。
「そういえば、まだお風呂に入ってなかったや。確かステラさんが着替えも買ってくれたんだっけ」
部屋に着いて、ラストはふとそう呟いた。部屋にあるテーブルの上にポケットから取り出した缶を一度置いて、再び手に取って見つめる。
「少し冷やしてお風呂上がりに飲むか」
缶に話し掛けるように呟いて、部屋にあった冷蔵庫に缶を入れる。ステラが購入してくれた着替えと部屋に備え付けられたタオルを用意して、左袖を捲る。
「このブレスレット……さすがにお風呂には邪魔だよな」
外そうとして、どのように外すのだったかと少し手こずって。
「よし、外れた」
外れた瞬間、ラストの身体から何かが抜け落ちた。開放感と血をたくさん吸った後の蚊のような満足感がラストの中で渦巻く。ブレスレットをテーブルに置いて、ラストは服を脱ぎ始めた。
「なるほど、人が服で身体を隠したがったのも納得だ」
ガラスに映る自分の裸体を見て、ラストは恥ずかしさのようなものに襲われる。一人ならば問題ないが、この格好で人前に姿を晒す勇気はラストにはないと自覚する。
そして、まるで自分は人ではないかのような発言をしながら、シャワーヘッドに手を伸ばした。
身体を洗う時、まずはどこから洗うべきなのだろう。
そんなことを考えながら、ラストはシンプルに頭からシャワーをかけた。
まだ、冷たかった。しかし、とても気持ちが良かった。
頭と身体を洗い終えて、ラストは空の浴槽に座った。
噴水に座った時とは違い、今度こそひんやりとした感触がラストを襲った。蛇口を捻って、水が溢れ出す。その水が徐々に温かくなってきて、浴槽にお湯が溜まり始める。
「熱いな、まあ、いいか」
脚にかかった、お湯に対してそんな感想を告げながらラストは水位を上げていくお湯をじっと眺めていた。
人生において適切に使用されているとは言えない時間。
ラストはその無意味だと思われる時間を、じっくりと楽しむ。
肩までお湯が溜まって、ラストは蛇口をさっきとは反対側に捻って、お湯を止める。
「一、二、三、四……」
爆弾が爆発する時間をカウントするように、ラストは数字を数え始める。子供の頃、浴槽に浸かる時は六十秒カウントしなさい、と誰かに言われたような、そんな曖昧な記憶がラストの口を動かしていた。
「ぼくはもう大人だから百八十ぐらいか」
なにがだからなのか、不明な事を呟いてラストはカウントを続けた。その数字が百八十に至るまで。
「百八十。さてと……」
浴槽から立ち上がり、纏わり付いたお湯共がラストの身体から落ちていく。浴槽の栓を抜いて、吸い込まれていくお湯達。実に短い役割。短い命。ラストは流れに逆らえないお湯をじっと見下ろしていた。助けて、とでも聞こえてきそうな無様で滑稽な姿に微かな笑みを浮かべる。
「ごめんね」
ラストがそう言った頃には、浴槽からお湯は姿を消していた。浴槽を軽く洗って、風呂場を後にする。
身体をタオルで拭いて、用意していた服に着替える。
まだ少しばかり濡れた髪にタオルを被せてラストは冷蔵庫に向かう。冷蔵庫を開けて、例の缶ジュースを取り出す。
「……」
無言で缶を見つめて、缶の蓋の部分に自らの爪をぶつける。カンッという小さな音が部屋に鳴った。その音がどうしてだか、とても心地良く思えて、ラストはソフトキスをするように缶の蓋と爪を連続的に接触させた。
カンカンカンカンカン。
飽きて、ラストは缶の蓋を開ける。プシュッと吹き出した笑いのような音を缶が鳴らした。
缶の中を覗くと、黒い飲み物が見える。
ラストは躊躇する事なく、その飲み物を口に含んだ。
ゴクゴク、と液体が喉を通る音が聞こえてくる。
その後で胃の辺りでコーラが踊っているのが伝わってくる。
「ごちそうさまでした」
告げて、ラストはベッドまでの短い距離を歩く。しかし、ラストがベッドに辿り着くことはなかった。
「うっ……」
何かが身体の中で爆ぜた。そして、血管の中で火が走った。
「が、あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙」
ラストはあまりの痛みに床に倒れた。転がって悶える。
「……ああ、最高だ」
天井を眺めながら、ラストは笑った。
だんだんと意識が遠のいていくのが分かった。ラストは意識が途絶える寸前で、時計に視線をやった。
時計の針は0時を指していた。一日が終わる時間。
冒険者が一人、燃えたという話をラストが聞いたのは――その後だった。
そして、当然のように一日が始まる。




