8話乙女の秘密
「そういえばさ、ぼくの名前を聞いたとき笑ったよね?その理由についてまだ詳しく聞けてないんだけど」
ラストは、ふと思い立ったようにその質問を投げ掛けた。
「ああ、それね。なんでもないよ」
フィリアは小さく首を振って、床を見つめた。
「吹き出す程笑ってたのに?」
羽ばたいて逃げようとする鳥に布を被せるように、ラストはふわりと言葉を落とした。
「うーん、きっと関係ないと思う。ただ、そうだったらいいなって私の願望なの」
優しく言葉の布を振り払って、フィリアは夜空を眺めた。その様は、美しい絵を切り取ってきたかのようだった。
「願望?ぼくの名前に何か特別な意味でもあるの?」
やはり、なんでもないというのは嘘で、なにかはあるのだ。願望を込められるだけのなにかが。そこでラストはステラの言葉を思い返してみた。確か、この名前はステラが一番好きな英雄の名前と言っていたような気がする。
まったく、なんて名前をつけてくれたんだ、とラストはフィリアにバレないように小さく息を吐いた。人が名前をつける時に、その名前に由来があるというのはよくある話だ。こういう子に育ってほしいという願いや、あるいは好きな人の名前をつけて、名前自体に愛を付与するというものも世の中にはいるかもしれない。
しかし、ラストのは分不相応にも程がある。英雄。ラストにそんな願いや期待を込められたとしてもきっとそれに応えてあげることはできない。そもそも、どんな英雄かも知らないものになろうとするのは非常に難しい。
「同じ名前なんてこの世にありふれてるし、確証はないの。だから秘密。その理由を聞いてラストの重みにでもなったら嫌じゃない?」
秘密。便利な言葉だ。その言葉が出た途端に目の前に突然、壁が現れるようだ。もう、それ以上は踏み込めない。しかし、ステラだけではなく、フィリアも知っていたとなるとこのラストという名前は、そこそこに有名な名前なのではないか、という憶測が頭をよぎった。ならば、後々その重みとやらがのしかかってくる可能性は低いとは言い切れない。
解消できるものなら、ここで解消しておきたい。
「そっか。またなんだね」
ラストは壁を突き破ろうとはしなかった。壁にもたれかかるように、向こう側にいる誰かに話しかけるみたいに言った。
「また?私さっきまでの会話であなたに他にも何か秘密にしたことあったかな?」
身に覚えのない繰り返しの言葉にフィリアは眺めていた夜空からラストに視線を向けて首を傾げる。ラストが夜空に勝った瞬間である。
「ううん。ぼくの前だとみんな隠し事をするんだ。知る必要がないとか、過程が大事とかあれこれ理由をつけてね。まあ、みんなと言えるほどぼくは人に出会っていないわけだけど。それでもやっぱり知りたいことを隠されるのはモヤっとするよ」
それはステラだった。それはフードだった。ラストに分かるのは彼らが何かを隠しているだろうということだけで、その事情も理由も明確ではない。しかし、三人目ともなると、そろそろラストも限界になってくる。
人と人とが会話を交わせば、秘密や隠し事の一つも出てくるだろうが、記憶のないラストは既に重大な空白という謎を抱えている。そこにいくつもの噛み合わないパズルを追加されては困る。
「ごめんなさい。私、ラストの事を傷付けたいわけじゃないの。ただ、大人がこんな想像してるのってどうなんだろうって思うだけで……」
フィリアは俯いて、そっぽを向けた。顔が髪に隠れてよく見えなくなる。
「さっきのロマンチックな想像も中々だと思うけど」
「それはそうなんだけど。ラストって話してて結構合理的に話してるように感じるって言うか……そんなあなたに根拠も確証もない乙女の話をするのは気が引けるというか」
精神的に暗闇にいる人間が暗闇にいることに気付けないように、ラストは自らが合理的な人間だなんて思いもしなかった。自分が思っている自分と、他人から見た自分は違うものなのだ。それは今のフィリアにも言えることなのかもしれない。
「乙女の話?」
ロマンチックで乙女。一人だけ夢の世界から出てきたみたいな思考だった。間抜けな声が出そうになって、ラストは首を傾げる動作で誤魔化す。
「うん。乙女の話。……じゃあ約束する。次にあなたに会う時にはちゃんと話すから、それまで準備をさせて」
フィリアは頷いて続けた。それはまるで告白の約束をするみたいな言葉だった。ちらりと見せてきたフィリアの上目遣いに、ラストの鼓動が早まったのを感じた。
「準備?」
「心の準備」
胸に手を当てて、フィリアは短く答えた。
「まあ、そう言うなら分かったよ。でも次に会えるのかどうかは分からないけどね」
「ラストもディアボロの滝に行くんじゃないの?なんだかそんな話が聞こえてきたような気がするけど」
意外だった。フィリアがラストを認知していたことも驚きだが、まさか話の内容まで聞いていたとは。
宿屋にいた客の人数はそれなりだった。当然、人の会話が混ざり合って誰が何を話しているかなんて分からないはずだ。大声で目立つように叫ぶでもしなければ。
「耳がいいんだね」
「人に気に入られる為には情報が必要だからね。誰が誰を好いていて、誰の悪口を言っているのか、とかそういうの気にしてたら人の話がよく耳に入ってくるようになっちゃったの」
ずいぶんと苦労しそうな話だ。ラストだけではない。一人一人が環境や人生において立ちはだかる障害を克服しようと努力するのだ。英雄っぽく言うならば試練と呼んでもいいかもしれない。
「なるほど、どこまで聞いていたのか分からないけど、行くのが正解かどうか……正直迷ってるんだ。行ったところで足手纏いになるだろうし、恩人に涙を流させてまで行くべき場所なのか、あの時はつい気持ちだけで突っ走っちゃったって感じで」
一つ一つどこまで知っているのか確認する作業を省いて、本心をそのままラストは話す。分からない内容があれば、質問してくるはずだ。
「そっか、ラストにも色々と事情があるんだね。これは……私のわがままなんだけど、私はラストに来てほしい、かな」
質問は来なかった。その代わりに願いがラストの耳に届いた。猫が甘えてくるようなうるうるとした瞳でフィリアが見つめてくる。
「どうして?」
同じ仲間として言われるならばともかく、ラストとフィリアは初対面で別々のパーティーだ。ラストが行ったところでフィリアの冒険に何か変化が訪れるとは到底思えない。
「それは……もしもの時に守ってほしいから?」
思わぬ方向から矢が飛んできたようにラストの思考が一瞬停止する。再起動。
「フィリアちゃん。ぼくの話聞いてた?ぼくは魔法が使えない。魔力もリス以下だって伝えたはずだよ。守るなんてとてもできないよ」
「そんなにリス以下なんて言うとリスが可哀想だよ。……あなたの魔法の事なんだけど、魔力があるのに魔法が使えないってなんだか気になっちゃって。ちょっとラストの魔力に触れてみてもいい?」
リスに同情の言葉を向けた後で、フィリアはラストの魔法と魔力についての見解を述べて、パーの手をラストに見せてきた。
「魔力に触れる?」
魔力とは見えない何かだと思っていたラストは、その言葉に疑問を浮かべる。空気を掴めないのと同じように魔力も触れたり、掴んだりはできないものだと認知していた。
「うん、私魔法で誰かを癒す時にその人の身体に触れるの。その時に魔力の流れとか、魔力の量とかも少しだけ感じられるんだけど、ちょっとラストの魔力にも触れてみたいなって、だめ、かな?」
フィリアは自らの右手に視線を落とし、その右手をマリオネットを操るみたいに動かして遊ばせながら、そう言った。それから今度は誘惑の瞳でラストの心を弄んでくる。
彼女にその意図があるかどうかは定かではないが。
「構わないよ。それで何か分かるならこちらとしても助かるし。ぼくはどうすればいい?」
言葉とは裏腹に好奇心と警戒心を同時に心に住まわせながら、ラストは尋ねた。流石にいきなり魂を抜かれる、なんてことにはなるまい。
「ちょっと背中を向けてくれる?」
「このまま触れるじゃだめなの?」
怪しさのある言葉にラストは心に住まわせていた警戒をそのまま向ける。
「正面だと、顔が近付くから……」
フィリアはラストから視線を逸らした。人が何かを隠す時の仕草のように思えた。
「それがどうかしたの?」
「……恥ずかしいの!いいから背中向けて!」
ラストが尋ねると、フィリアはやかんが沸騰したみたいに顔の赤みを濃くして叫んだ。突然、上げられた大声にラストの肩がびくりと震える。フィリアの顔からは今にも湯気が出てきそうで触れると火傷しそうだった。
「は、はい」
ラストは思わず敬語で返事をして、言われた通りに背中を向けた。
「そのままじっとしててね」
一呼吸置いて、落ち着いたフィリアがそっとラストの背中に触れる。小さくて柔らかそうに見えていたフィリアの手。しかし、その手が触れた瞬間にラストが感じた感覚は想像していたものとは違っていた。全身に鳥肌が立って、そのまま身体をすり抜けて心臓を掴まれてしまいそうなそんな感覚。
「やっぱり、なにか不自然」
フィリアがそう呟く。
「不自然?」
ラストは振り返ることなく、フィリアの言葉の断片をオウムのように繰り返した。
「うん、強制的に何かに魔力がせき止められてるような……」
フィリアは声を低くして呟いた。体内にダムでも製造されているのだろうか、ラストの身体の構造は少し特殊なのかもしれない。
「……ラスト、いいよ。こっち向いて」
「うん」
指示を受けて、ラストはフィリアに向きなおる。
「少し、左袖を捲ってくれる?」
「ん?う、うん。これでいい?」
真意は分からなかったが、反射的にラストは袖を捲っていた。それによって、ステラから貰ったブレスレットが姿を見せる。
「ありがと……このブレスレット、悪趣味ね」
フィリアはブレスレットを見て、目を細めた。
「女物だからね。自分でも似合わないことは自覚してる」
趣味が悪いのはブレスレットではなく、身に付けている人物のほうだろう。ブレスレットは真っ当に役割を果たしていると言える。
「自分では普通女物のブレスレットなんて付けないよね。誰かから貰ったの?」
質問の内容的に、そういう趣味があることも一応は視野に入れているのだろう。その上でフィリアは予想を口にする。
「うん、まあ、宿屋でぼくの向かいの席に座ってた人って言ったら分かるかな?」
趣味なんだ、と言ったらフィリアはどんな反応をするのかラストは気になったが、フィリアの表情は妙に真剣だった。こんな状況で冗談を言えば、気まずい空気が包み込むのはラストにも目に見えていたので、真面目に答えることにした。
「……あの人。うん、分かるよ」
話の内容まである程度は聞こえていたのだ。そこまで注視していたのなら、その話している人物の顔も頭に入っているだろうとラストは踏んだのだがどうやら的中したようだ。
「……ねえ、ラスト。ラストには記憶がないんだよね?」
改めて、尋ねられた質問にラストは疑問を覚えながら、素直に応じる。
「うん、そうだけど」
「あの人とはいつからの知り合いなの?」
答えた側から淡々と新たな質問が投げかけられる。
ラストからすればまるで尋問されている気分だった。
「実は、今日からなんだよね。正確にはぼく雪が積もった森の中で目覚めてさ、死にかけててその前の記憶とかもなくて絶望してて、そしたらあの人がぼくを拾ってくれたんだ」
簡単なあらすじをラストは話す。あの時はあれだけ絶望していたのに、過ぎてしまえば他人事のようにも感じる。
「そう、なんだ」
フィリアの表情がだんだんと暗くなる。もしかすると、夜が深くなってきただけなのかもしれないが。
「急になんでそんな質問?結局、魔力に触れてみて何か分かった?」
ラストはフィリアのする質問よりも魔力というものに興味があった。もし、ディアボロの滝に向かうことになるとすれば、魔力はきっと力になってくれるだろうと思ったからだ。その正体みたいなものが少しでも理解できればラストの中で何かが変わるかもしれないと思ったのだが。
「……ごめん、分からなかった。ううん、分かりたくなかったのかも」
フィリアは申し訳なさそうにそう告げた。
「それってどういう意味?」
分からなかったはまだ理解できる。しかし、分かりたくなかったとはいったい。
「ごめんね、私そろそろ行かなくちゃ。もう夜も遅いし」
ラストの言葉に重ねるようにそう言って、フィリアは立ち上がった。
「急だね。送っていくよ。女の子が夜道を歩くのは危険なんでしょ?」
それを真似して、ラストも立ちあがろうとして。
「ううん、大丈夫。一人でぼーと夜空を眺めながら歩くのも悪くないんだよ?」
断られて、ラストの動作が止まる。立つか、座るか迷って座るほうを選択する。なんだか、急に距離を取られているような感覚に襲われてモヤモヤとした気持ちになる。
「本当に大丈夫?」
心配もあったが、なぜ?という気持ちが今は大きい。ラストが何かしたという自覚はなかった。フィリアの中で突然何かが変化したのだ。
「うん、ラストまた明日会えるといいね」
フィリアは小さく手を振る。
「そうだね」
ラストは謎がたくさん詰まった部屋にひとまず鍵を掛けて、微笑んだ。
「私はラストの味方だからね」
フィリアは夜空を背にして微笑んだ。
「なにそれ。まるで敵がいるみたいだね」
距離を取られている感覚に襲われた後ではフィリアの味方という言葉も信じていいものか、分からない。
「どうだろうね。そうだ、最後に一つ」
電撃が突然走ったみたいにフィリアは背筋を伸ばして。
「そのブレスレット、あなたには似合わないわよ?」
フィリアはブレスレットを指差して花が咲いたように微笑んで、宿屋までの道を駆け出していた。
沈黙と謎だけがラストの空気を包み込んだ。
噴水の水は止まることなく、流れ続けていた。




