7話回復魔法は自分を癒せない
真実を巡る口論のようなものを終えて、ラストとステラはそれぞれの部屋に戻っていた。ステラは今も涙を流しているのだろうか。唯一の救いがあるとすれば二人が同じ部屋ではなかったことだ。もし、今も同じ空間にいたのなら、その空気に耐えられる自信も度量も今のラストにはなかっただろう。まるで喧嘩別れをして部屋を出ていった後の恋人を想うように、焦燥感と後悔に打ちのめされながら、ラストはベッドに横たわり天井を眺めていた。ベッドのシーツの冷たさと、時計の針が進む音が今のラストにとってはなぜか心地良く存在していた。
「何をしてるんだ、ぼくは」
恩人を信じきることも出来ずに、素性も分からないフードの男の言葉を鵜呑みにして、好奇心なんてものに手を伸ばす。その結果、恩人に涙を流させる。自分のした行いへの嫌悪感というものにラストは苦しんでいた。暴れ回りたい衝動を開花させると同時に時計の針の規則的な音がラストを引き戻す。それの繰り返し。
「……」
ふと、ラストはベッドから起き上がり、部屋の外に出ていた。
階段を降りて、まだ大勢の客が会話する食堂を通過して宿屋を出る。
宿屋を出ると外の寒さと静けさがラストを包み、それから特に目的もなく歩き始める。どれほど歩いただろうか。気付くとラストは広場の噴水の前で足を止めた。見覚えのある顔と髪を纏った少女がそこに座っていたからだ。
「風邪引きますよ?」
この寒空の下で、冷たい水が流れる噴水の前に座るなど、ラストには自殺行為にしか思えなかった。ラストの言葉に少女はぴくりと肩を震わせて顔を上げた。人形のように可愛く、整った顔。宝石をはめ込んだような蒼い瞳がラストを見つめる。
「その言葉そっくりそのまま返すわ」
少女は少しだけ微笑んでそう返した。ラストがその言葉に呆気に取られていると。
「そんなとこで立ってないで隣、座ったら?」
少女は自らの座っている場所の左隣をトントンと手で叩いて誘ってくる。
「では、お言葉に甘えて」
指示に従って、ラストは少女と少しだけ距離を取って隣に座る。ひんやりとした感触が襲ってくるかと思いきやお尻を暖かさが包み込んだことに驚く。傍を見ると、ランタンのようなものが均等に置かれていた。もしかすると、それが寒さ対策のような役割を担っているのかもしれない。ラストが関心を寄せていると、少女が距離を詰めてくる。
「あなた、宿屋の食堂にいた子でしょ?あなたも眠れないの?」
ラストが一方的に認識している人物だと考えられたが、青髪の少女の意外な言葉にラストが気付かれる要素はあっただろうか、と脳を走らせる。それになんだか宿屋のいた時と雰囲気が違うような気もしていた。
「よく気付きましたね。結構たくさん人がいたような気がしますけど。はい、疲れは溜まってるんですけど、なんだか落ち着かなくて」
「人の視線には敏感だから。人の視線、顔色を窺って生きていく。あなたが思っている以上に女の子って大変なのよ?こんなふうに夜で一人でいるのも本当は危険なの」
単純な話。ラストが注目の的であった少女を見ているのと同じように少女もまたラスト達の視線に気付きそれを見ていたというだけの話だった。ラストには分からない女の子論を語りながら、青髪の少女は夜空を見つめていた。
「じゃあ、どうしてこんなとこに一人で?」
少女の語る矛盾について、ラストは質問をする。
「死ぬかもしれない冒険の前はいつもそう。怖くて、手が震えて、それでも夜空を眺めると全部ちっぽけなものに思えてくるの。世界はこんなにも残酷なのにどうしてこんなにも美しいんだろうって……考えてたら嫌なことなんて全部忘れちゃう」
ラストが少女の手を見つめると、確かに微かに震えていた。しかし、恐怖による可能性もあるが、寒さによる可能性だって捨てきれない。あるいはその両方かも知れなかった。少女に習って、ラストも夜空を見てみる。そこには少女の言う通り美しさが広がっていた。夜空に輝く星々の一つ一つが私こそが舞台の主役です、と言わんばかりの輝きを放っている。
「はあ……そこまで思うなら冒険者である必要はないような気もしますけど」
自分自身がちっぽけな存在だと考えてしまう前に夜空の魅了から逃げ出したラストは少女に視点を戻して不器用に舵を切った。
「……最初はお金が稼げるからって単純な理由で冒険者になったの。そりゃあ、お金を稼ぐだけなら他にも職業はいっぱいあるわよ。でも、何をしていてもどこにいてもこの世界に生まれた時点で危険は付き纏ってくる。結局は何をしていても一緒。それなら、私は弱いままでいたくない」
この世界の常識というものが抜けているラスト。ステラと青髪の少女の言葉を受けて、いかにこの世界というものが過酷なのかを想像する。
「なるほど、強いんですね。あなたは」
なんとか絞り出した言葉に、少女は呆れたようにため息を吐く。
「私は何を初対面の相手にぶっちゃけてるんだろうね。酔っちゃったのかな……」
ほんのりと赤い少女の頬。その顔を見た瞬間に、ラストは体内に熱のようなものを感じた。
「理由はどうであれ、ぼくはあなたの話に興味があります」
平静を装って、目の前の空虚を眺めるラスト。体の熱が次第に引いていく。
「……敬語じゃなくていいよ。そんなに聞きたいなら話すけどあなたのことも聞かせてよね?」
「うん。もちろん」
ラストは言われた通りに言葉の装飾を消してみたものの、違和感のようなものが残った。慣れというものが足りないせいだろう。
「……私ね、回復魔法の使い手なの」
俯いて悩みを告白するように、少女は言った。しかし、記憶のないラストにとってはその悩みだと思われる重大さのようなものがまるで分からなかった。
「それは凄いね」
少女を傷付けないであろう返答でラストは誤魔化す。
「本気で言ってる?ポーションが普及してきた今じゃ回復魔法の価値はどんどん下がってきてる。だから、私は誰かに媚びて、可愛いマスコットを演じるしかない」
「……周りにどう思われても必死に誰かに寄生する。それが私の処世術なの。あなたはそれでも回復魔法が凄いって言うの?」
親切にというわけではなく、感情を爆発させて回復魔法について、自分の生き方について述べる少女。苦しみと悩みを打ち明けたはずなのに、それがラストへの回復魔法の説明になってしまったのは意図されたものではない。偶然、そうなってしまったに過ぎなかった。
「宿屋で見た時と雰囲気が違うと感じたのはそれが原因?」
注ぎ込まれた情報に整理をつけるべく、ラストは一旦時間稼ぎの質問で返す。
「……うん、こっちが私の素。私の魔法は自分には使えないの。自分自身を癒す事はできない。他人依存の能力。誰かがいないと能力が発揮できない。だから、可愛いを演じて捨てられないように努力してポーション以上の価値を自分で証明しなきゃならないのよ」
少女はした質問に対しての答えが返ってこないことに対して一瞬思うことがありそうな間を置いたが、それでも少女はやはり親切に話を進めてくれた。
「知ってる?道具よりも価値が薄いと思うのって凄く惨めに感じるのよ?」
溢れ出てくる少女の言葉に、ラストは自分と似たようなものを感じていた。自分自身の価値の証明が出来ず、守られてばかりの状況に重なっていく惨めさ。しばらく考えてから、ラストは素直な本音でぶつかることにした。
「ポーションは身体の傷は癒せても心の傷までは癒すことはできない」
「……どういう意味?」
言われたことがなかった言葉なのか、少女は戸惑うように首を傾げる。
「そのままの意味だよ。君に癒されて救われる人も中にはいるんじゃないかな、ってこと。一度だけポーションを飲んでみたことあるけど、ぼくは最初そのポーションを見た時それが毒のように見えた。飲んでみても苦かったし。それに苦くて緑色の液体を飲むよりも可愛い女の子に癒してもらったほうが幸せだよ。あっ、こう思われるのは嫌なんだっけ?」
「ううん、あなた優しいんだね。冗談やお世辞だとしても嬉しい」
少女は優しく微笑みながら、言葉の隅に棘に似たものを添える。
「ぼくは本気だよ」
「本気って……ポーションを毒だなんて言う人初めて。ポーションが毒じゃないことくらいみんな知ってるもん」
ラストが本気を伝えるも、価値観が育て上げられたものと、そうでないものとでは、明確な差が生まれてしまう。
ならば、その差を埋める為にラストにできることと言ったら。
「……ぼくには記憶がないんだ。断片的な記憶が所々抜け落ちてる。だからぼくには緑色の液体を平然と飲める人達のほうが不思議なくらい」
記憶がないという真実を打ち明けることで、ラストは更なる誠意を見せた。それに対して、さすがに冗談ではないと踏んだのか、少女の表情が戸惑いへと変わる。
「それって……聞いてもいいやつ?」
同情。指先で強く触れれば形を失う水滴を撫でるみたいに少女の言葉からは棘が抜かれていた。
「いいよ、そういえばコーヒーの事は覚えてたな。もし、それすらも忘れていて黒い飲み物を目の前で飲む人の姿を見たぼくは何を思っていたんだろうね」
目の前でコーヒーを飲んでいたステラの事を思い浮かべて、コーヒーという存在がラストの記憶から失われていた場合のことを考える。
「なによそれ。でも、確かに。今では当たり前にある世の中の様々なものって、最初は誰かの冒険から始まってるのよね」
ラストの発言を噛み砕いて、少女は世の中のあらゆるものの一人目の発見を冒険と称した。
「冒険、か。さっき、君は自分の価値を低く評価してたけどぼくも同じだよ。魔法すら使えない。魔力もリス以下だって言われてる。おまけに自分が善人か悪人かも分からない。冒険をして手を伸ばしてみれば、更に迷路に迷い込む」
「……ぼくにはどの方角に進めばいいのかまるで分からないんだ」
冒険という言葉に触発されて、ラストはステラとの先程の出来事を思い返していた。すると、本人ですら驚く程にペラペラと自己の嫌悪する部分を並べていた。
「道に迷うのはみんな同じよ。それにしても……あなたが悪人?記憶がないってそんな風に思っちゃうものなの?」
人生を歩む上で、道に迷わないものなんているのだろうか。あなたは一人ではないという事実を突きつけて少女はラストを孤独から引っ張り出す。そして、悪人という言葉に少女は首を傾げる。
「確証がないからね。善人であったという確証が」
根拠もない。
「……あなた、名前は?」
それらしい言葉が出てこなかったのか、少女は一瞬詰まり、初対面の相手に天気の話を振るように名前を尋ねた。
「ラスト」
「ふふ、あははは。なによそれ」
名前を聞いた瞬間、突然少女は吹き出した。お腹を抱えて笑う仕草からも可愛らしさが滲み出ているのはある種の才能かも知れなかった。そのおかげか、ラストに苛立ち、あるいはそれに似た感情が芽生えることはなかったが、疑問は残った。
「どうして笑うの?」
その心に残る疑問を、口に出して尋ねる。
「だってその名前は。ううん、今はそうじゃないよね」
相当、激しく笑ったのだろう。微かに目尻から漏れた涙を優しく指先で拭いて、少女はラストの方に向き直る。
「ラスト。じゃあ、私が信じてあげる。あなたが優しい人だって。悪い人じゃないって。そして、勇気のある人だって。あなたがたとえ他人からどう悪く思われても私はあなたを信じる」
ステラのように守るのではなく、信じる。それはいつ切れてもおかしくない細い糸を互いに握り続けているようなものだ。少女の覚悟と決意を見せられるが、ラストがその言葉を正面から受け止めるにはまだ。
「優しい言葉は嬉しいけど、ぼくたち初対面だよね?」
信用が足りなかった。
「うん、初めて会ったよ。でも私、今ねあなたの名前を聞いた瞬間に変な想像しちゃった」
恥ずかしそうに俯いて、ほんのり赤かった頬の赤みが増していく少女。
「変な想像って?」
ラストが尋ねると、少女は再び夜空を眺めて、足をパタパタとさせながら話し始める。
「……ダンジョンの奥深くで、私は絶体絶命のピンチに陥るの。周りは誰も頼れなくて、足だってすくんで動かない。そんな時に私はこう叫ぶの。ラスト、助けてって。そしたらあなたが颯爽と現れて私を助けてくれる。そんな想像」
頭の中で想像していた事を打ち明けるというのは非常に勇気のいることだろう。名前を聞いた瞬間にどうしてそのような想像に至ったのかはラストには分からなかったが、ただ一つ言えることは。
「……それは確かに変だね。でも今のぼくには無理だよ」
ラストには強さもなければそんな勇気もない。白馬に乗った王子様でもなければ、英雄でもない。だから、その想像はあくまで想像でしかなかった。
「夢を見たり、物語に憧れを抱くのは悪い事じゃないよ。とてもロマンチックだと思わない?ねえ、もっと私あなたと話したい。なんだかあなたと話していると凄く落ち着くの」
ロマンではなく、ロマンスを追いかける少女。あるいは冒険者としての生存本能なのかも知れなかった。
「風邪引いても知らないよ?」
最初会った時と、似たような言葉をラストは繰り返した。
「じゃあ、あなたが温めてくれる?」
「冗談だよね?」
「うん、でも覚えておいて。女の子は心の内に小悪魔を飼っているものなんだよ?」
なんだか、少女のからかい方と言葉の端々にステラと似たようなものを感じながら、ラストは小悪魔という言葉に一瞬肩が震える。正確には、悪魔の部分だろうか。最近、やたらとその言葉を耳にしているような気がするのはラストの思い違いかも知れなかった。
「小悪魔、か。人全体が悪魔を飼っているような気もするけど」
どんな善人でも、環境や人との関係によって心に眠る悪魔の部分が現れる。ラストが自分を善人と認められないのもそういう認識がラストの中にあるからかも知れない。
「それはそうだけど。でも私の悪魔は可愛いよ?」
わざとらしい上目遣いで少女はラストを見つめる。
「そうかもね……そういえば、君の名前は?」
一瞬、少女の中に眠る可愛い悪魔というものを想像して振り払う。そして誤魔化すようにラストは少女の名前を尋ねた。
「フィリアだよ。もう少しだけ付き合ってくれる?ラスト」
フィリアと名乗った少女は今にも消えてしまいそうな儚い笑顔でそう言った。




