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6話知らないほうがいい真実

 あの女には気を付けろ、あの女にとってはお前はおもちゃの一つに過ぎないんだよ、世界の全てを疑え、フードの語った言葉の断片がラストの頭の中でこだましていた。


 ステラによって、鮮やかな色で塗られていたはずの世界が色の相性なんて関係ない、と言わんばかりにフードによって黒く塗りつぶされたり、様々な色を混ぜ合わせたりされて、ラストの脳内は混沌と呼ぶに相応しい仕上がりを見せている。


「……スト」


 何かが聞こえる。


「ラストってば!」


 その声と言葉にラストは無理矢理現実に引き戻される。


「……あっ」


 間抜けな声が漏れる。


「あっ、じゃないわよ。もう何度も呼びかけてるって言うのに……大丈夫?トイレに行った辺りからずっとぼーっとしてるけど……」


「すみません、大丈夫です。ひょっとしたら疲れが溜まってるのかもしれません」


 ラストはそう言って、今の状況を軽く整理する。服を選んだ後にステラが今日は早めに休もうと提案し、ステラの予約した宿屋に到着した後でラストとステラは服をラフな格好へと着替えて宿屋の一階の酒場で向かい合って座っているというのが今のラストの置かれた状況だった。

 

「本当に疲れが溜まってるだけ?トイレに行ってる間に何かあったんじゃないの?」


 せっかく整理したラストの脳内が、その言葉によって再び散らかされる。


「何かってなんですか?お腹が痛くなったことを言ってるんですか?」


 その質問をしてしまった事をラストは後悔する。一瞬空気が凍りついた。


「……例えばさ、誰かと話してたとか?」


 からかう表情ではなく、真剣な表情。ステラの赤い瞳の奥にメラメラと燃やされる何かを見た気がして、反射的にラストは目を逸らしていた。


「……何もありませんでしたよ」


 ラストの視線を外した仕草を見て、張り詰めていた空気がふっと緩んだ。


「ふふ、冗談よ。何よ、殺人鬼でも見るかのようにそんなに怯えちゃって。あなたが目の前にしているのはただの可愛い女の子よ?」


 さっきの態度とは一変。ステラはいつも通りの優しい笑顔を振りまいて、ラストをからかってくる。


「そうですね」


「あら、意外。てっきり否定されるかと思ったのに」


「否定する気力もない程疲れているんですよ」


「なんだか、お年寄りみたいね。まあ、あなたの場合、分からないことだらけで新しい情報ばかり入ってくるんだから、疲れるのも無理ないか」


 コーヒーに角砂糖を三つ入れて、ゆっくりとかき混ぜながら、ステラは言った。夜にコーヒーを飲んで眠れなくなったりしないのだろうか、と疑問だが、逆によく眠れるという話も聞くし、余計な口出しをせずにラストはその様子を眺めながら。


「それもありますけど、改めて考えると色々な事があった気がして。まあ、特に疲れたのは子供達の対応でしたけど」


「ふーん。でも、あなたの味わっていたあの絶望の淵に比べたら……」


 コーヒーをかき混ぜ終わったステラは今度はコーヒーから湧き上がる湯気を見つめて話を進める。


「誰かに囲まれて人の注目を浴びることって凄く幸せなことだと私は思うな」


 まるで、自分の幸せかのようにステラは優しく微笑む。


「ま、ラストがどう感じるかはまた別の話だけど……」


 あくまで、それはステラの価値観であって、ラストの価値観ではない。当事者にしか感じられないものだってある。もちろん、ステラもそれを把握した上での言葉だった。


「僕もステラさんと同じですよ。あの時は終わることばかりを考えてこんなことになるなんて想像もしませんでした。言葉ではなんだかんだ言いつつもステラさんには本当に感謝しています」


 今でも思い出すだけで、寒気がしてわずかに体が震える。寒さによるものなのか、恐怖によるものなのか、区別はつかないが、その記憶の中でステラの与えてくれた温もりだけはしっかりと残っている。だから感謝しているのは本当だ。


 そうやって感謝した上で疑っている。


「私は大人だからね。子どものラストに何を言われたって気にしないから平気よ」


 胸を張って、大人のお姉さん風を装うステラには見向きもせずに、ラストはステラの子どもという言葉だけが深く耳に残った。


「子ども……か。ぼくっていくつぐらいなんですかね?」


 失った記憶は、本当に曖昧で、言語や道具についてはある程度は理解できると思いきや、名前や年齢などの忘れないだろうと思われる記憶が、意外にすっぽり抜けていたりするから驚きだ。いったいラストが何年の人生を歩んできたのか、積み重ねてきたのか、それを把握できているのといないのとでは心にかかる負担と重みが違う。


「……さあ。でも見た目的に大人ではなさそうよ」


 ステラはラストを見て、その視線を上から下へとゆっくりと動かす。


「服を着る時に、鏡を見ましたけど自分でも幼い印象はありました。身長もそんなに高くないですし」


 鏡というものは見慣れてしまうものだけれど、いったい初めて鏡を見た時に感じた事を覚えていられる人間はどれほどの数がいるのだろう。ラストのような大きさで初めて鏡を見たことに似た体験をできたというのは貴重なことなのかもしれない。ガラスの向こうに映る自分が近くにいるようで遠い。ラストが抱いた感想はそれだった。


「そうそう。ラストって見た目可愛いしそれでいてどこか暗い雰囲気もあるから一人にすると危険。守ってあげなきゃってなるのよね」


 客観的な意見を聞いて、ラストの感じた感想とはまた違った感想が飛んできて、ラストは戸惑いと恥ずかしさを隠すように、水を口に含んだ。


「一応、男としては守られる側に立ち続けるというのは良い気がしませんけど……お金も払ってもらってばかりで申し訳ないですし」


 ラストにだって、記憶がないとはいえ、男としてのプライドは持ち合わせている。甘えてばかりではいられないとは思いつつも、ステラに恩を返すにはラストの世界はまだ曖昧で歪すぎて、勇気が出せないでいた。そもそも、恩を返すべきなのかも正しく判断できないでいる。

 

「そんなこと気にしてたの?うーん、だったら明日は少し冒険してみる?冒険者としてお金を稼げるようになれば少しは心にも余裕が生まれるかも」


「いいんですか?ステラさんは聖夜祭を楽しみにしてたんじゃ……それに命を落とす危険だってあるんですよね?」


 確かに、お金によって心に余裕が生まれるというのはあるかもしれないが、ステラが元々この町に来た理由は聖夜祭の為だったはずだ。ただでさえ、ステラの時間を奪っているのに、更に時間を奪って命の危険がある場所に向かうというのはラストとしては気が引けてしまう。だけど、心の奥底で渦巻く好奇心があるのもまた事実だった。


「聖夜祭はまだ長いんだし、明日が少し削れるぐらいなら大丈夫よ。命を落とすと言っても、安全に配慮すれば問題ないわ」


「何かあっても私が守るから安心して?」


 ウィンクをして、ラストの安心を誘うステラ。しかし、ラストは安心どころか、自分の弱さを痛感し、もしもステラの炎が自分に向けられたらという不安を広げずにはいられなかった。


「結局、守られるのは変わらないんですね」


「当たり前でしょ。あなたの魔力はリス以下なんだから。悔しかったら早く強くならなきゃね」


 当たり前のように告げられるその発言に、ラストは机の下で握り拳を作っていた。自分に強さがあれば例え一人でも真実に近づけたというのに。弱いラストにはステラを疑いながらも行動を共にすることしかできない。


「強く……」


 その言葉がどうしてだか胸の奥に引っかかった。


「どうかしたの?」


「いや、なんだか前も強さを追い求めていた。そんな気がして……」


 血の匂いがして、手を伸ばして、それで。思い出せそうな気がしてラストは思考の手を伸ばす。


「追い求めた結果がリス以下なら同情するわね……」


 そこまで言って、突然ステラの話し声をかき消すような大声が室内全体に広がった。それによって思い出そうとしていた記憶も真っ白になる。


「悪魔なんざ!このリダ様がぶっ飛ばしてやる!」


 食事の場にも関わらず、堂々と剣を上に掲げ宣言する赤い髪を逆立てた男。誰か止めに入るかと思いきや、意外にもその男の舞台に賛同の声を上げる者達の姿が多かった。

 賛同の声を上げる人々の顔はほんのり赤く、中にはまともに歩けていない者の姿もある。どうやら、酒に酔っているようだ。

 眼前のステラは何事もないように、コーヒーを啜っている。


「リダさん、さすが〜」


 リダと呼ばれた赤髪の男に青い髪を肩甲骨の辺りまで垂らした少女が合いの手を入れる。


「うむ。ディアボロの滝の奥深くで行方不明となった冒険者。ギルドは悪魔の仕業だと決めつけているが、我々にとって重要なのは犯人の正体よりも破格の報酬だ。ギルドがこうも奮発してくるのも珍しい」


 全身を黒い鎧で覆った者の発言にラストの時が一瞬止まる。ディアボロの滝、その名が頭の中で鐘を鳴らされているかのように鳴り響く。


「え〜、知らなかった〜」


 しかし、青髪の少女の甘い声が、ラストの思考を上書きする。


「ギルドの査定も甘くなったもんだ。たかが悪魔ごときこのリダ様なら一撃だ!」


 剣をその場で振りかぶって、空虚に剣を突き立てる赤髪の男に、青髪の少女が拍手する。


「リダさん、すご〜い!」


「あの女、むかつくわね」


 ラストが大声で盛り上がる彼らに注意を向けていると、静かにコーヒーを啜っていたステラが離れた距離にいる青髪の少女を睨みながら口を開いた。


「ステラさんとなにか違うんですか?」


「何か言った?」


 ラストの失言によって、ステラの目線の矛先がラストに向けられる。


「なんでもありません。それよりも、悪魔ってなんですか?」


 なかったことにしようとして、質問で誤魔化すラスト。


「……悪魔は悪魔よ。噂や本では人の姿に化けることができるって言われてるけど……もし、人の姿に化けることのできる魔物が町をうろついていたとしたらどうなると思う?」


 目の前にいる人物、隣にいる人物が魔物かもしれない。  

 そんな光景、想像するだけで。


「……混沌ですね」


 少し考えてラストはそう答えた。


「そう。悪魔だけならまだしも、このソルティア世界には魔族だって存在する。世界自体が混沌に染まっているのよ。おまけに今この町は聖夜祭の真っ最中。ギルド側も噂を広めたくないのね。だから、破格の報酬をつけて早めに処理させようとしてる。そんな意図も理解出来ずに噂を広めてる馬鹿もいるみたいだけど」


 悪魔、ソルティア世界、魔族、まるで自分だけが異世界に紛れ込んだかのように、知らない世界の言葉が展開されていく。ステラはある程度の説明を終えて、嫌味っぽく未だに盛り上がりを続けている男達に冷たい視線を向ける。


「悪魔、ディアボロの滝……あの、ステラさん」


 ラストはその名前を小さく口に出して、頭の中ではフードの言葉を思い返していた。ディアボロの滝へ向かえ。そこにお前が知るべき真実がある。本当に悪魔が潜んでいるとは思わなかったが、ラストの中に潜む好奇心という悪魔も負けてはいなかった。


「ん?どうかした?」


「そのディアボロの滝にぼくも行きたいんですけど……」


 その言葉を発した瞬間にステラの表情が険しく冷たいものへと変わる。


「……ラスト。あなた自分が今何を言ってるのか分かってるの?」


「はい。でも、あの……気になるんです。その悪魔がいるっていうディアボロの滝にぼくの記憶の手かがりがあるような……その滝に行かなきゃいけない気がするんです」


 ステラの表情にも、今回ばかりはラストも引かずに喰らいつく。目の前に出された餌をじっと眺めていられるほどラストは大人ではいられなかった。


「ちょっと待って。私、記憶は無理に思い出さなくていいって言ったわよね?あなたもそれで納得した。違う?」


 ステラはフードの言ったようにラストを止めにかかっているようだった。これは心配からくる善意なのか、あるいは都合の悪いものを隠す悪意なのか、今のラストにはそれを判断できるだけの材料を持ち合わせてはいなかった。


「はい……確かにしました。でもぼくはもう冒険者なんですよね?好奇心と探求心を失ったら冒険者として生きていけるんでしょうか?」


「あなたのそれは冒険とは呼ばないわよ。ただの無謀よ。よく聞いて、ラスト。あの冒険者達は大したことないって言ってるけど、悪魔は強い。あなたが行けばきっと命を落とすことになる。ディアボロの滝に拘る必要はないじゃない。まずは難易度の低いダンジョンから攻略していきましょ?ね?」


 冷静に諭すように、ステラは言葉を並べていく。ラストにだって命を落とすリスクを冒してまでその場所に行く意味なんてはっきりと分かってはいなかった。記憶という輪郭と命、天秤にかけるなら間違いなく命の方が大事だ。


「それでも……それでもぼくは知りたいんです。自分が何者なのかを」


「あそこにあなたの記憶が戻るかもしれないって確証がどこにあるのよ。ただの直感で命を落としたいわけ?この世に命を捨ててまで知りたいことなんてないわよ。知ったところで命を失ったら本末転倒じゃない。ラスト……あなた多分疲れてるのよ。寝て起きたら明日の朝には忘れてるわ。さあ、早く食べて……」


 ステラの言っていることは正しい。確証も根拠も不十分だ。命をいくら差し出したところで、きっと世の中には知れないことの方が多い。命あってこその記憶なのだ。

 今ラストがしている行いはあまりにも無謀で無茶で無意味だ。


 しかし、ラストの瞳は今度は逸らさずにじっとステラを見続けていた。そのラストの瞳に、ステラの赤い瞳が歪み言葉を中断させた。


「知らないほうがいい真実だってあるんだよ……」


 しばらくして、ステラは俯きながら言った。

 

「ねえ、お願い……私、もう失いたくないよ……」


 ステラがラストの前で初めて見せた涙。かつての仲間のことを思い出しての言葉なのだろうか。


 その涙が、真実か偽りかそれすらも疑ってしまうラストは自己嫌悪に陥っていく。


 二人の間には、もう消えたはずの湯気が立ち込めているように見えた。

 手を伸ばせば届く距離のはずなのに、ステラの姿がどこか遠く感じられた。

 

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