5話境界線のベンチ
「……あの女には気を付けろって、どういう意味ですか?」
立ち止まり、男の方を正面に向けたラストは言葉の意味について尋ねた。
「そのままの意味さ。さっきお前、黒髪の女と一緒だったろ?これは忠告だ。あいつを信用しすぎるな」
「何を言い出すかと思えば急にそんなこと言われても……そもそもあなたは誰なんですか?あの人とどういう関係なんですか?」
男の答えで疑問は解消されず、溢れ出てくる疑問を更に投げかけるも、深く被られたフードの奥の表情は一切見えなかった。まるで深淵を覗き込んでいるように中は暗く閉ざされている。
「質問が多いな。ここじゃ目立つ。少し場所を変えるか。お前、あの女になんて言ってここまできたんだ?」
重ねて投げかけられた質問に臆する様子もなく、男はただ寝起きでだるそうに挨拶を返すように淡々と言葉を並べる。並べられた言葉の中にラストへの質問が入っていた事に一瞬気付かないほどに。
「……トイレですけど」
「そうか、まあ腹が痛くなったとでも言えば上手く誤魔化せるだろ。あそこのベンチで少し話をしよう」
男はフード越しに頭を掻いた後にベンチのある方を指差した。
「僕はまだあなたを信用していないんですけど……」
記憶のないラストにとっては、直感と自分の中で相手が信用に値するかどうかで物事を見極めなければならない。こういう時の相手に対しての対策のようなものをラストは持ち合わせていなかった。ステラは行動によって信用を勝ち取った。この男はいったいラストにとって何をもたらすのだろう。
「信用、ね。俺がお前の知りたい真実。お前の過去、あの女の過去を知っている、と言ってもか?」
好奇心。男がラストに示したのはそれだった。箱の中を確かめずにはいられない猫のように、ラストはその真実へと恐る恐る手を伸ばす。
「……あなたいったい何者なんですか?」
「それをこれから話をしてお前が判断するんだよ。それともお前が聞きたかったのは俺の名前のことだったか?そうだな、フードさんとでも呼んでくれ」
フード、と名乗った男は言いながら既にベンチまでの道を歩き始めていた。
その動作はまるで、ラストが付いてくるのが分かっているかのようだった。
「……少しだけですよ。あまり長いとステラさんに怪しまれますから」
男の後ろ姿を見て、ラストは追いつかなければならない、置いていかれるという心理に陥り、気付けばフードを追いかけていた。
「分かってる。あの女……ってのもお前が気分が悪いか。ステラは今何してる?」
ベンチに腰掛けたフードを真似して、ラストもその隣に座る。フードはだるそうに首を鳴らしながら言った。ステラの名前まで知っている事実にラストの好奇心は深まる。
もしくは、ラストの言った名前を真似しただけかもしれないが。
「僕の服を選んでくれてます。女の子はサプライズが好きとか言って……」
ふと、ステラによって選ばれたサンタ服の自分を見つめ直して、次にステラによって選ばれるであろう服への期待が薄まっていく。
「……ふーん、サプライズ、ね。女の考えることはよく分からねえな。そのサンタ服もステラが選んだのか?」
フードは退屈そうに口元を手で覆った。ラストの視点からはフードに隠れてよく見えなかったが、まるであくびを噛み殺しているようだった。それから、フードはラストのサンタ服を指差す。
「はい、目立つから僕は早く脱ぎたいですけどね」
「その格好じゃ確かに目立つだろ。俺が話したいのはサンタじゃねえ。お前だ。ここは室内だ。上着を一枚脱いだところで、大した寒さじゃないさ。それとも、ステラが脱ぐなと言ったか?」
「いえ、それもそうですね」
フードに言われて、ラストは自分が今までそうしなかった事実に驚く。否、先程までは外だったし、トイレに行きたくなるまでは服を買ったらすぐにその服に着替えて終わるだけの話だったのだ。すぐにこの衣装ともおさらばできる予定だった。ラストが上着を脱ぐという行動に出なかったのはきっとそれが原因だ。ステラに言われたからという訳ではない。ラストはサンタ服の上着を一枚脱いだ。すると、中の黒い薄着の服が姿を現す。室内と言えども、さすがに少しばかりの肌寒さを感じる。
「……あの、そろそろ本題に」
脱ぎ終わって、ラストはフードの方に視線を向けた。
「そうだったな。お前はステラのことをどう思う?」
真実、あるいはラストかステラ。どちらかの過去に触れるとばかり思っていたラストはまさか、自分が質問をされているとは考えていなかった為に、身体が一瞬固まる。
「どうって……僕のことを助けてくれてお世話までしてくれて……僕にとっては恩人だと思います」
フードがステラの事をどう思っているのかは分からないが、ラストはラストなりのステラに対する率直な感想をぶつけた。
「恩人、ね。そうか、そう思える相手に出会えたのは運が良かったな。そのお前にこんな話をするのも酷な話だとは思うが。もし、それがお前を後から裏切り嘲笑う為のゲームの一つだったとしたらどうする?」
その言葉にラストの全身に悪寒が走る。深海に引き摺り込まれるような感覚に襲われ、なんとか現実へと舞い戻る。
「なんですか、それ。ステラさんに限ってそんなこと……」
「あるわけがないか?お前は助けられたと思っているかもしれないが、さっきまでのサンタ服、その女物のブレスレット、俺には遊ばれているようにしか見えないがな」
ラストの言葉の続きを奪って、根拠と証拠をフードは提示していく。
「あの女にとってお前はおもちゃの一つに過ぎないんだよ。ブレスレットに至っては本当に同情するよ。まるで手錠だ。ステラの行動、言葉を思い返してみろ。怪しいと思う要素はなかったか?」
女物のブレスレット。フードの中の暗闇からその装飾品に対しての視線を感じる。手錠、という単語を聞いた瞬間に腕にずしりと重みがのしかかってくる。
「……」
ステラと過ごした記憶を辿っていく。確かにステラはラストに対して何かを隠しているような振る舞いをしていたような気がする。もし、ただのからかいだと思っていた言葉が、行動が、何かを隠す為のカモフラージュだったとしたら。沈んではいけないと分かりつつも、縛られて重りを付けられた後に海に投げ込まれたように早く、深く思考の海へと沈んでいく。呼吸は浅くなり、圧に押しつぶされそうな感覚。光がどんどん遠のいていく。
「その顔、心当たりがあるのか。いいか、見返りのない善意は何かのきっかけで簡単に崩れる。冒険者なんて死と隣り合わせで歩いているようなもんだ。冒険者である時点でそんなことはあの女も気付いてる」
「じゃあ、ステラはどうしてお前を助け、どうしてお前に対してそこまでの世話を焼くのか。そりゃあお前、あの女にとっての見返りがあるからだよ。信じていたものを裏切るゲームって見返りがな」
一度掬い上げたかと思えば、フードは再びラストを深海への道に誘った。
「嘘だ。ステラさんがそんなこと……」
喉が震える。手が震える。
「景色を見る場所によって見えてくるものはまるで違う。この世で重要なのは何を信じ、何を疑うかだ。これこそが答え、自分が正しいと信じ続けた人間は間違いに気付いた時に行き場を失う。いいか、思考を止めるな」
視点と見方によって全く違う景色が見える。誰が敵で誰が味方か。モノクロだった景色も何かのきっかけで、色を取り戻すし、カラフルに見えていた景色も何かのきっかけですぐに真っ黒になる。必要なのは様々な視点から物事を見れる力。しかし、それをするには今のラストには記憶と経験が足りない。
「まずは疑え。あの女を疑え、自分自身を疑え、俺を疑え、そして……世界の全てを疑え」
「あなたすらも?その先にいったい何があるんですか?」
目の前のフード自身も疑えという言葉にラストは首を傾げる。
「真理であり、真実だ」
フードの奥の表情は不明。しかし、笑っているように感じられた。
「だったらその真実を早く教えてくださいよ。僕は……ステラさんは……あなたはいったい何者なんですか?」
未だにラストの知りたい真実には辿り着けていない。ステラにしても、フードにしても会話を重ねても謎が深まるばかりだ。真実を知りたいと思えば思う程に、真実は蝶のようにどこか遠くへ飛んでいく。
「はあ……俺の話を聞いていなかったのか?じゃあ聞くが今、俺がお前の兄だと言ったとしてお前はそれを信じるか?」
突拍子もない言葉にラストの思考が一瞬停止する。
「……信じられませんね」
いきなり、出会ったばかりの人間に兄だと言われて信じられる程、ラストは人間が出来ていなかった。顔も見えない。素性も分からない男に言われたのだから尚更だ。
「だろ?そいつは過程がないからだ。感動にも、信頼にも俺は過程が必要だと考えている。今、俺が真実を言ったとしてもお前は恐らくそれを信じない。もしかすると、疑心が深まる可能性だってある。だから、真実を知りたければまずは過程を踏め」
「真実までの過程……」
確かに突然事実を突きつけられても、それまでの過程が分からなければ、どのようにしてその事実に至ったのか。
仕組みを理解しなければ、見えてくる景色はまるで違うだろう。
「真実はな、飲ませる順番を間違えれば毒になる。順番を間違えない為にもお前に今必要な第一ステップを教えてやる」
土台のない塔が完成した瞬間に崩れるように、先に結末を知ってしまった物語が感動ではなく虚無を生むように、順序の崩壊は時に失敗へと繋がる。そうならない為の。
「第一ステップ?」
「ああ、ディアボロの滝へ向かえ。そこにまずお前が知るべき真実がある。……だが、ステラはきっとお前を止めてくる。それはあいつにとって都合が悪いからだ。その時、どうするかはお前の判断と選択に任せる。あくまでも権利はお前にある。俺が与えられるのは切符だけだ。その切符をどうするかはお前次第さ」
ディアボロの滝。悪魔でも潜んでいそうなその名前がラストの心に深く残る。悪魔。喉の奥まで何かを思い出せそうで出かかっているのに、引っかかっているのに、その記憶の塊はいつまで経ってもそこから上がってこなかった。
「……考えてみます」
結局、一旦思い出すことを諦めて、ラストは思考を放棄する。思い出せないのなら、今ラストに出来ることと言ったら、喉に引っかかった記憶の塊がこれ以上、下に行かないことを祈るだけだった。
「迷う気持ちはよく分かるよ。俺もあいつに人生を狂わされた側の人間だ。だから、お前は間違えるなよ」
立ち上がって、フードは俯いて言った。相変わらずフードの中はどんな表情になっているのか分からない。
「それって……どういう」
言葉の意味を尋ねようとして、フードと同じく立ち上がるラスト。
「また、会おう」
しかし、質問の答えが返ってくることはなかった。
ゆらゆらと幽霊のようにフードは人混みの中へと紛れていった。追いかけようとして、ふと、ステラを待たせていることを思い出してラストはその足を止める。そして反対の方角に向き直って歩き始める。どれ程の時間が経っただろうか。とても短くも感じたし、とても長くも感じた。ステラの元へと戻るその歩幅はとても小さく、スピードはとても遅かった。
「もう!ラスト遅いー。何してたのよ」
当然と言えば当然。ラストが戻った頃には頬を膨らませて険しい目付きで睨むステラの姿があった。
「すみません、お腹痛くなっちゃって……」
苦し紛れにフードの言った言い訳を使用してみるラスト。
「あら、大丈夫?まだ痛む?」
意外にも効果があったらしく、ステラは怒っていた表情を心配な表情へと変化させていく。元々、大して怒っていなかったのかもしれない。
「今は大丈夫です」
「そっか、なら良かった。ラストに何かあったら私また一人になっちゃうもんね」
ラストの言葉に安心したようにステラは微笑む。孤独という毒を添えながら。
「ねえ、それよりもみてみて、これとかラストに似合うと思うんだけど、どうかな?」
パッと顔を輝かせて自信満々にステラは天使のような笑顔で、選んだ服を見せてくる。
どうやら今度は派手な服ではないようだ。ラストはその事実に一瞬の安堵を感じつつも、ステラの顔を見てフードの言葉を思い返していた。
いったい、彼女は何者なのだろう。




