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2話差し出された手

 ごとり、と馬車が小さく揺れた。

 毛布に包まれた身体はまだ重く、先程までの痛みの感覚が残っている。それでも、あの凍える森よりは、ずっと……生きている感覚があった。


「なるほど。気付いたら傷だらけで、極寒の森の中に倒れていて。しかも、記憶も一部喪失していた、と」


 黒髪の少女が顎に手を当てながら、彼女によってラストと名付けられた少年の状況を整理する。


「はい、概ねそんな感じです」


「……でも、少し変よね」


 疑わしげに目を細めて、ラストの顔を覗き込む。


「言葉もちゃんと話せるし、受け答えもおかしくない。

 状況判断もできているように見える。なのに……」


 時が止まったような錯覚。暖かった空気が凍りつく感覚がその場を支配する。

 

「自分に関する“大切な記憶”だけが、綺麗に抜け落ちてるなんて」

 

「……」


 胸の奥が、きしりと鳴った。


「なんだか、()()が良すぎるっていうか……」


 怪しさと疑いの目を向けられてラスト自身、その自分への評価を否定することが出来ない。相手の立場になって考えれば当然の反応だった。

 

「僕もそう思います。でもこの場合は都合が悪いというほうが正しいような気も……」

 

「確かにそうかもしれないわね」


「もしかすると、思い出したくない記憶を忘れているだけなのかもしれないですね」


「……思い出したくない記憶、か。念の為、聞いておくけどお酒の飲みすぎて酔っぱらちゃって覚えていないってだけの可能性は?」


 気まずい空気を、今度は楽観的な思考でほぐしてみる黒髪の少女。


「ない、と信じたいですけど……」

 

「ま、見た感じお酒を飲むにはまだ早そうだもんね」


 少女は微かに口角を上げた。


「そんなことより、私まずあなたに謝らなきゃいけないことがあるの」


 重要そうな話題をそんなこと、と切り捨てて会話の方向を思わぬ方へと舵を切る少女。

 

「謝る? 僕があなたに感謝することはあってもあなたが僕に謝ることなんて何もないような気がしますけど……」


 現段階で謝罪されるようなことが思いつかない。困惑と動揺が脳内を駆け巡る。

 

「ううん。本当はあなたのこともっと早く助けるべきだったな、って思って」


「……?」


 その言葉の意味を、少年はこの時、理解できなかった。

 二つの感情を駆け巡るスピードが加速する。

 

「実はね。私、あなたが狼に襲われる少し前からあなたのこと見てたの。あなたが目覚めた辺りからずっと……」

 

 思わず言葉を失う。少年にとって命懸けでまさに綱渡りだった時間。とても長く感じて一刻も早く救いが欲しかったあの瞬間。喉の渇きが再び襲ってくる。


「……助けてもらっておいて、こんなこと言うのは図々しいかもしれないんですが」


  浅く息を吸って、渇きを潤すように舌を回す。

 

「うん」

 

「もう少し早く、助けてもらうことって……できなかったんですか?」


 余裕のないその言葉に少女は、困ったように笑った。


「……だから、ごめんね。でも、こればっかりは仕方ないと思うの」


 微かに漏れたかもしれない少年の怒りにも似た感情に、少女は反省の色を濃くして俯き謝罪する。そして、拗ねた子供のような上目遣いで先程よりも幼く見えてしまう少女の言い分が始まった。


「仕方ない?」


「だって、森の真ん中で突然大声で笑い出したかと思えば……」


  掘り起こされるのは、雪積もる森の真ん中で絶望と戦った記憶。

 

「今度は地面を這い始めるんだもの……」


 掬いあげられるのは、痛みに耐えて感覚を奪われながらも尚、前に進んだ勇気の記憶。

 

「……」


 それはラストにとっての記憶。失った記憶の隙間を埋めるように鮮明に思い出される。しかし、周囲から見た視点はどのように映るのか。

 

「正直、変な人だと思っちゃったの……」


 反論しようとして、言葉を失う。

 冷静に思い返せば、余裕がなかったとはいえ、恥もプライドも捨てたあの姿は何も知らない人からすれば狂気に等しい。


 好んで関わりたいという人間は少ないのかもしれない。頬の部分が徐々に熱を帯びていき、怒りに等しかった感情が自分の行いを振り返って恥ずかしさへと変化していく。


「それにね」


 ラストが過去の記憶を彷徨っている中、少女は、少し言い淀み、言葉を続けた。


「そういう“放置される状況”が好きな人も、世の中にはいるって聞くし」


 悪巧みをする子供のような視線と笑みで少女はラストを見つめる。

 

「多分、それは違います」


 突然放たれた全く方向の違う思考を、特に工夫のない否定によって終わらせる。

 

「あら、そうなの?」


 くすりと笑う。それはおもちゃを見つけてからかって楽しんでいるようだった。


 満足したのか、真剣な表情に戻った少女は話を続ける。


「ま、冗談はこの辺にして。それで狼が出てきて、さすがに危ないかもなって感じて駆けつけたってわけ」


「なるほど。ありがとうございます」


 どこまでが冗談なのか分からないが、ラストにとっては命を救ってもらったことには違いない。あの時、あの状況で少女が現れて、温もりを感じることのできる馬車の中で時間を過ごすことができる、なんて未来は想像出来なかった。怒りなんて感情に身を任せるよりもそれが事実としてある今に感謝すべきだろう。


「……それでラストはこれからどうするつもりなの?」


 とりあえずの降り掛かる火の粉を振り払えたとは言え、依然ラストは暗闇の中だった。自分が何者なのか、何故、あんなところで倒れていたのか、あの切り傷はいったい何によってついていたものなのか。解決すべき課題はまだたくさんある。


 少女から投げ掛けられた質問に、思考を巡らせる。


「……とりあえず僕を知ってる人がいないか探してみるつもりです。なにか記憶の手がかりになるかもしれませんし」


 もし、ラストを恨んでいる人物や、記憶がないことを悪用しようとする人物に見つかれば、それ相応のリスクがある賭けになってしまうが、自分が何者なのかを知らずに生きるというのも泥沼に脚を浸からせているようで良い気はしない。


「そっか。なら、私が協力してあげよっか?」


 思いがけない提案に、ラストは目を見開く。


「さすがに悪いですよ。助けて貰ってそこまでしてもらう訳には……」


 解決策が思いついているわけでもないのに、どうしてだが遠慮が勝る。


 「いいの、いいの。困ってる人を放ってはおけないもの」


 先程、人を放置していた者の言葉は説得力が違った。

 言葉を聞いた途端に不思議と暖かったはずの馬車の中で、外の冷たい空気が入り込んだかのように、ラストを寒気が襲った。


「それに丁度私も仲間を失ったばかりで一人なの。孤独なもの同士相性がいいと思わない?」


「……そうだったんですか。それは辛いですね」


 強がりなのか、あるいは心配させまいと隠しているのか、少女の表情からは過去に対する辛さや暗さは浮かんできていない。孤独なんて口にしているが、一人でも歩んでいけそうと思わせる程に心の奥底に眠る光が、存在しないはずの輝きが少年の瞳に幻影として映る。


「この世界じゃ別に珍しいことじゃないわ。ましてや私のような冒険者なら尚更ね」


「冒険者?」


 その言葉に、胸の奥がわずかに疼いた。理由は分からない。ただ、どこかで聞いたことがある気がした。

 

「うん、この世界での職業のようなものよ。市民やギルドからの依頼を達成すれば報酬が貰える。そういった依頼で生計を立てているのが冒険者の基本的な形ね」


 「一般市民ではどうにもならない魔物と戦うことになるから、常に死とは隣り合わせ。だから、私のように仲間を失うことも珍しくないってわけ」


 特に気に留める様子もなく、淡々と告げる。これが普通なのか、それとも異常なのか、仲間を失ったのならもっと、落ち込みそうなものだ。落ち込む猶予すら与えられないほど、冒険者という職業が過酷なのか、あるいは彼女の心が強すぎるのか。


 「……怖くないんですか?仲間を失って……次は自分の番かもしれない、とか思わないんですか?」


 話を聞いただけで、ラストの身体には鳥肌が立っていた。小刻みに手も震えている。もしかすると、ラストも覚えていないだけで大切な人を失った過去があるのかもしれないという疑心と不安が巡る。それなのに、直接仲間の消失を経験して記憶にも残っているはずの少女からは恐怖や不安の感情が見えてこない。人はここまで自分の感情を隠せるものなのだろうか。


 「怖いわよ。でも、魔物や魔族溢れるこの世界では力がないとすぐに奪われる。何もできずに自分の大切なものが奪われるほうがずっと怖い」


 少女は自らの手を見つめる。そっと握って、開くもその中は当然からっぽだった。手が届かなかった仲間の事を思っているのか、あるいは、力及ばなかった自分の無力さを呪っているのか、その答えは本人にしか分からない。

 一瞬だけ見せたその感傷を何事も無かったかのように、振り払って、少女はラストに視線を送り微笑む。


 「こんな話をした後で言うのも変な話だけどどうする?私と一緒に来る?こう見えて私、結構強いから、多分あなたのことを守ることはできると思うの」


 まるで悪魔と契約するかのように差し伸べられる誘惑。

 これが、商売なら商品は買いたくないな、と感じるほどの紹介だった。強さというのが何を指標にすればいいか分からないが、一振りで狼の群れを焼き尽くせる実力はラストの目に映っている。あの炎の力を見せられた後だ。実力に関してはラストが不安を抱くことはなかった。


 「正直、一人で行動するにも分からないことだらけなので一緒に行動してくれる人がいると助かります」


 たとえ危険が伴う道だったとしても、今のラストにとっては喉から手が出るほどの提案だった。何も知らないままの孤独よりも、側に居てくれる人間がいることの心強さを選択するのは、今のこの状況においては、ある種当然の選択と言えるかもしれない。


 「よし!じゃあ決まりね!」


 立ち上がって、両手でガッツポーズを決める少女。

 そして、向かいに座っていたラストのほうに近づいてくる。


 「おっと、そういえば自己紹介がまだだったわね。私の名前はステラ!よろしくね、ラスト」


 差し出された手。この手を握ることが、ラストの未来をどう左右するかは分からない。一瞬躊躇しながらも、そっと手を握る。


 その手は、温もりと安心感で満ちていた。

 そして、どうしてだか懐かしく感じた。


 


 

 

 

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