10話神か悪魔か
「いてて……さむっ」
寝心地の悪さで、目を覚ましたラストはすぐに寒さに襲われて身を丸める。どうやら、毛布も何も掛けずに床でそのまま眠ってしまったらしい。
「気絶したのか、ぼくは」
天井を見上げて、眠りに就いたというよりも、気絶という方が相応しいと言える直前の出来事を思い返す。あの痛みの正体はいったいなんだったのか、そこまで考えたところで。
コンコンコン、とタイミングを見計らったかのように、ドアをノックする音がラストの耳に届いて思考を一時中断する。
「ラスト、もう起きてる?」
その声を聞いて、ドアの向こう側にいるステラの姿が想像された。どうやら一日眠ったからと言って、記憶がリセットされるわけではないようだ。
「ステラさん?はい、起きてます」
念の為、名前を確認してラストは言うと同時に床から起き上がり、身体が固まっている感覚を身体を伸ばして誤魔化す。
「昨日の事とか……とにかく話したいことがあるから出てこれる?」
扉越しでも伝わる悲壮感を漂わせながらステラが言った。
「分かりました、少しだけ待っていただけますか」
「ん」
短い相槌を聞くと、ラストはある程度の身だしなみを整えて扉を開けようとして、一度動きを止めた。
テーブルに置かれたままのブレスレットに目をやって。
「まあ、いいか」
ラストはそのまま扉を開けた。
「おはようございます、ステラさん」
扉を開けてすぐに視界に映ったステラにラストは頭を下げる。その顔は微笑みを浮かべてはいるが、一瞬だけでも分かるくらいにステラの顔は明るい色に暗い色を塗ったみたいに暗く見えた。よくよく観察してみると、目の下には隈も見えた。
「おはよう、昨日はよく眠れた?」
そんな彼女でも他人を心配する余裕はあるようで、首の折れた人形みたいに首を傾げた。
「気絶に近い感じでした。急に痛みが襲ってきて……」
ラストは言ってから気付く。自分が余計な言葉を口にしてしまったことに。ステラの目が細くなってラストを見つめる。その瞬間、ラストの背中を汗が流れた。つい、あっ、と漏れてしまいそうな感覚に襲われて必死にそれを飲み込もうとする。
「あっ……」
飲み込めなかった。
「痛み?」
「……いえ、なんでもありません。ステラさんの方はもしかしてあまり眠れませんでした?」
ラストの漏れ出た言葉は華麗にスルーされてほっとする。しかし、ステラにこれ以上心労を掛けるわけにはいかない。ラストはなんとか話題を変えて乗り切ろうとする。
「まあ、ね。分かっちゃう?」
ステラは俯いてその顔を隠したかと思えば、髪を耳に掛けてラストを赤い瞳で見つめる。
「はい、ぼくのせいですよね?」
「別にラストのせいじゃないわよ。記憶がなくてその手がかりに縋りたいと思うのは悪いことじゃないもの」
ステラの右手が、ラストに向かって伸びかける。
しかし次の瞬間、彼女はその手を左手で掴み、自分の胸元へ引き戻した。
「昨日ね、私なりに考えてみたの。私、ラストの気持ちを全然分かってあげれてなかったなって」
自らの腕を握りしめて歯を食いしばるステラ。今にも泣きだしそうだった。
「ぼくも昨日は熱くなりすぎました。すみませんでした」
ここで更にステラを責められる程ラストの心は丈夫ではなかった。むしろ、責められるべきはラストの方であるはずなのに、矛盾の光景にラストは頭を下げることしか出来なかった。
「……いいよ?」
短くて脆くて、すぐにでも砕けてしまいそうな言葉。しかし、ラストの胸に深く染み付いてきた。
最初、この言葉はラストの謝罪に対する許しかと思った。だが、違った。
「ラストがディアブロの滝に行きたいって言うなら行っても……」
許しと言えば、それはそうかもしれない。しかし、それは謝罪に対してではなく、冒険に対する許可だった。
「え?本当にいいんですか?危険な場所なんじゃ……」
ラストは階段を踏み外したみたいに間抜けな声を漏らした。
「危険だけど、ほっといたらラスト自分一人で行っちゃいそうなんだもん」
「それであなたを失うのは私……」
口を歪めて、ステラは俯いてラストの顔を見ずに言った。
「嫌だよ」
ラストの身体が固まる。執着とも呼べるその言動。
かつての仲間とラストが似ている、とステラは語った。
しかし、ラストから言ってしまえばその程度だ。
顔、性格、雰囲気、似ているだけならきっとこの世界にもたくさんいるはずなのだ。それなのに、ステラの言動はまるで、飼い主と一生を添い遂げる犬のような執着に等しい。
「そんなことは……」
ない、と言いかけてその言葉をステラが遮った。
「ただし、条件が三つあるわ」
ステラにとってどこまでが計算なのか、俯いていた顔を上げて真正面からラストを見る。
「条件?」
ラストはステラの言った言葉の断片を繰り返した。その繰り返しを合図にステラは再び口を開いた。
「私から離れないこと」
危険な場所なのだ。ステラがラストを守れるようにだろう。ラストは続く言葉に耳を傾ける。
「一人で無茶しないこと」
ラストは大人しく聞くことに徹した。独り言を聞き続ける壁みたいに。
「――そして何があっても私を信じて?」
やはりディアボロの滝は何かがあるのだ。信用と信頼を試す試練のような何かが。ラストは昨日の夜のフィリアとの会話を思い出していた。信じてあげると言ったフィリア。信じて、と言うステラ。その二つの言葉と二人の姿が床に転がったコインみたいに回る。
「……分かりました」
ラストは小さく息を吸って、了承した。正確には沈黙の空気に負けたのが正しいが。
「よろしい。それじゃあまずはギルドに寄ってもいい?」
「ギルド?」
ステラの言葉にラストは相変わらず、言葉の断片を反復する。
「そんなにお堅い場所じゃないから大丈夫よ。まあ、新規冒険者の手続きとかに時間は掛かると思うから、その間ラストは外でゆっくりしてて」
ステラから冒険者ギルドの存在は聞いていたが、はっきり言ってそこがどんな場所なのか未知数だ。しかし、他の冒険者もいるのならば、冒険をしている途中でラストを見かけたという人物にも会えるかもしれない、と思ったのだが。
「外で?」
意外な言葉が耳にこべりついて、ラストは首を傾げる。
「冒険者同士のトラブルとか色々あるのよ。特に駆け出しを狙って遊ぶ連中もいるの。……書類関係もラストには見てて面白いものとは思えないし、集合場所だけ決めてそこで落ち合えば問題ないわ」
言いながら、ステラは歩き始めた。ラストもそれに付いていきながら、話を聞く。階段を降りる時にステラの髪がふさふさと揺れる。風にくすぐられて笑う草みたいに。
ラストはそれに見惚れていると、何度か階段を踏み外しそうになった。
「ギルドの中にも少しだけ興味はあったんですが……そういう事なら仕方ありませんね」
階段を降りきって、ラストは少しだけ興味があることをちらつかせながら、渋々納得したように言った。
「あら、そうなの?だったら手続きだけ済んだらちょっとだけ覗いてみる?多分、私が見張ってれば連中も手出し出来ないだろうし」
別にギルドに入ること自体が悪いことではないようだ。なんだかんだ寛容な判断をステラは下してくれる。それよりもラストが引っかかったのは後ろに続いた言葉だった。
「見張ってれば手出し出来ないって、ステラさんそんなに強いんですか?」
宿屋の食堂を通り過ぎて、ラスト達は外に出た。食堂では朝食を食べている客の姿が見受けられたが、そこにラストが見る限りでフィリアの姿は見当たらなかった。
冷たい風が身体に当たって、そのせいか、ラストの言葉のせいか、ステラは風にスカートを捲られた女の子みたいに頬を膨らませてラストを睨む。
「私だって女の子よ?あんまり強いとか言われるの好きじゃないの。可愛いって言われたいし、頭だって撫でられたいの」
どうやら、ラストの言葉の方に問題があったようだ。
言葉を言い放ってステラは立ち止まって、ラストをしばらくじっと見ていた。
「はあ、すみません」
ラストはそれにどう対応すればいいか分からずに謝罪の言葉を口にする。
「別に謝って欲しくて言ったわけじゃないわよ」
ステラは大きなため息を吐いて、再び歩き始めた。しかし、今度は前を歩くわけではなくラストの隣を歩く。道は真っ直ぐになっていた為、ひとまずラストもそれに合わせる。
「まあ、だから強いのは私じゃなくてこの子」
ステラはそう言って、左腰に差した剣をペットを撫でるみたいに撫でる。
「剣?」
ラストはその仕草を見て、ステラが腰に添えているものが剣かどうか怪しくなって首を傾げる。
「そう。アルタイルって名前なんだけどね、私の相棒なの。ピンチの時にいつも私を守ってくれる」
アルタイル、その名前をどこかで聞いた気がして、ぴくりとラストの身体が震えたが、それはすぐにおさまった。
ステラは剣を撫でながら、ラストを見つめて微笑んでいた。
「まるで人を相手にしてるみたいですね。意思でもあるんですか?」
ラストは素直な疑問をぶつけてみた。
「まさか、でも世界のどこかにはそういう武器もあるかもしれないわね」
それほど世界は広いという事なのだろう。宝具という特殊な能力を持った武器も存在するという話だし、その中に喋る武器がいても不思議ではないのかもしれない。
「さて、着いたわよ」
大きな建物を前にして、ラストとステラは立ち止まる。
世界の全てを知ってしまったハエみたいに驚いて固まっていると、ステラはちょんちょんとラストの肩をつついて。
「私はラストの手続きを済ませてくるから、そうね。三十分後ぐらいにあそこのベンチで待ち合わせでいいかしら?」
「分かりました」
短く答えたラストに微笑むステラ。
「それじゃ、行ってくるね」
「はい」
手を振って建物の中に姿を消していくステラを見送ってからラストはため息を吐いた。
「ふう、三十分か。特にどこかに行ける時間でもなさそうだな」
辺りを見回してみて、ちょうど休憩が出来そうなベンチを見つけてそのベンチに腰掛ける。すると、その隣にフードを深く被った男が座ってきた。ラストはその男をじっと見つめて。
「ベンチがお好きなんですか?フードさん」
そう告げた。
「へえ、冗談が言えるようになったのか。約一日で随分と成長したもんだ」
相変わらず、フードを深く被った男の表情はよく見えない。正体も。
「成長とはまた違う気がしますけど。そんなことよりもまた何か用ですか?」
関心の言葉を向けたフードに対して、ラストは床を見つめながら尋ねた。
「少しな。どうせ後から耳にするだろうが……昨日の夜ある事件があったことは知ってるか?」
事件と聞こえてきて、ラストはなんだか嫌な胸騒ぎを覚えた。フードにそれを悟られないように平静を装いつつ。
「事件?いえ、なにも」
「昨日というべきか、今日というべきか、深夜だ。ある冒険者が一人……」
フードは空を見上げて言葉を一旦区切った。そして。
「燃えた」
短く、淡々と告げるのだった。ラストはその言葉を聞いた瞬間にフィリアの姿が頭をよぎった。
そういえば、彼女はあの後宿屋に戻ってきたのだろうか。
朝も宿屋で見かけなかったが、先に出掛けたのではなく、そもそも戻ってきていなかったとしたら?
そんな想像が頭の中でぐるぐると回る。否、ラストに必要なのは想像ではなく、事実確認だ。
「燃えた?火事でもあったんですか?」
一旦落ち着いてしまえば、ラストは冷静だった。
むしろ、事件に興味すら湧いていた。フードに尋ねて事件の詳細を掘っていく。
「冒険者が燃えたのは路地裏だ。別に火遊びをしてたってわけじゃないんだぜ。その冒険者そのものがマッチみたいに突然身体に火がついたんだ。こんな芸当が出来るのは俺の知る限りじゃ魔法しかない」
意外にも今回フードはあっさりと事件の詳細を教えてくれた。この男の事だから、また詳細は隠されるとラストは考えていたが。
路地裏で突然燃えた冒険者。確かにラストの頼りない記憶の断片を探ってみても、ぱっとこれだと言えるトリックのようなものは見出せなかった。魔法という存在に逃げるしかなさそうだ。
「何か心当たりはあるか?」
フードに尋ねられて、ラストはステラに初めて会った時の事を思い返していた。狼を魔法で焼き尽くしたステラ。
あの狼も何もないとこから突然身体が燃えだした。
ラストの見た魔法がその魔法しかない為、他の魔法を見てみないことにはなんとも言えないが。
「そういう事件の調査まで冒険者がやるものなんですか?」
ステラの魔法のことを隠すように、ラストは逆にフードに尋ねてみた。
「どうしても解決できない事件なんかを冒険者に応援要請のような形で依頼することはあるが、これは個人的な関与だ。まあ、言ってしまえば私情だな」
私情。つまり、フードがこの事件を追いたいと思う何かがこの事件には隠されているということなのだろうか。
「燃えた被害者がフードさんと関わりのある人物、とか?」
当てずっぽうで、ラストはそんなことを口にしてみる。
「……」
すると、フードが黙った。
「え?まさか図星ですか?」
自分で言っておきながら、あり得ないという気持ちを抱えつつ、ラストは答え合わせをフードに求める。
「仲間だった」
蟷螂が歌った後のような沈黙が辺りを包んだ。
そんな状況で絶対に間違っているだろうが、ラストは尋ねずにはいられなかった。
「その仲間って女の子ですか?」
「いや、男だ」
その言葉を聞いてラストはフードにバレないように小さく息を吐いた。安堵。自分はなんて最低な人間なのだろうとラストは考えつつも、提供された情報に対してラストが返せるものは何もなかった。
「……はっきり言って心当たりと呼べるようなものはありません。ただ、心変わりと言えばいいのか、昨日からなんだか変なんです」
なぜ、自分がそういう事を言い出したのかラストにすら分かっていなかった。仲間が燃えて、落ち込んでいるかもしれないフードを相手に自分の悩みのようなものを打ち明ける。はっきり言って最低だ。
「変?」
しかし、フードは怒ることもせず、むしろ興味深そうな声でラストの言葉の続きを聞こうとしていた。
「はい、まるで自分が自分ではなくなっていくような感覚と言えばいいんでしょうか?元々、ぼくには記憶の断片が抜けているので自分というものを正しく認識している自信はないんですが、ただ、今のぼくはなんでもできてしまうんじゃないかっていう高揚感のようなものがあって、自分の内に潜む悪魔と言った方が分かりやすいかもしれません」
昨日の夜から感じていた違和感、開放感。痛みによって遮られてしまったが、昨日の夜のラストはどこかおかしかった。お湯が無力に吸い込まれていく様がとても滑稽に見えて、缶と爪がぶつかる音がとても面白かった。今だってそうだ。人が一人燃えているというのに、心配よりも興味の方が上回っている。
「……今のぼくなら人すら殺めることができてしまうかもしれない」
ラストは床を見つめて、巣の奥で眠っている蟻を起こすみたいにぐりぐりと靴で床を踏みつける。
「そうか、外したのか」
フードはラストのその光景を見て短くそう言葉を落とした。
「外した?」
予想外の言葉にラストは首を傾げる。
「いや、なんでもない。俺から言えるのは一つだけだ。その内なる悪魔はちゃんと隠せ。深呼吸をして、開かずの扉に閉じ込めるみたいに心の奥にしまうんだ」
フードは首を振った後に、言葉を続けた。仲間が亡くなっているというのに、この男もやけに冷静だった。
ラストにアドバイスまでする余裕すらあった。
「……でないと、殺されるのはお前かもしれない」
その余裕の態度のまま、ラストを闇に堕とす。
「殺されるって、誰に?」
ラストは目を細めて、フードを見つめる。そのフードを捲っても、中身は空洞なんじゃないかと思わされるほどにフードの中身は暗く見えない。
「さあな。ステラかもしれないし、社会かもしれないし……」
「あるいはお前自身かもしれない」
意味ありげな言葉ばかりを残すフードにラストは苛立ちのようなものを覚えていた。しかし、不思議だ。戦ってもきっと敵わないはずの相手にどうしてここまで怒りを覚えられるのだろう。
「相変わらずあなたの目的が分かりませんね」
「逆に聞くがお前の目的はなんだ?」
そう尋ねられて、ラストはすぐに答えることができなかった。ラストにも目的というものの輪郭がまだ曖昧だった。
「……記憶を取り戻すことですかね」
振り絞っただけの目的を述べることになって、ラストは本当にそうなのだろうか、と自分で疑問に思う。
「ならお前の進むべき道は間違ってない。お前はどんな理由があろうとあの場所に向かうべきだ。そうすればお前は……」
しかし、そんなラストの内情など知らないフードはラストの言ったことを目的と確定させて話を進めた。
「神に会えるぞ」
そして、そんな意外な名前が飛んできて、ラストは首を傾げる。
「神?なんでそんなものがぼくの記憶と関係あるんですか」
神に会えたから、なんだというのだ。ラストの記憶を奪ったのは神ということなのだろうか。しかし、ラストの中にもう神など存在しない。ラストはあの寒い森の中で神に縋った。祈った。だが、神は祝福を授けてはくれなかった。ステラが神の授けた祝福というのなら随分と不器用な神である。
「じゃあな。そろそろステラが戻ってくる時間だ」
大事な言葉を言い残して、フードは立ち上がってその場を立ち去ろうとする。彼は現れる時も、立ち去る時も突然なのだ。まるで嵐みたいに。
「まだ話は……」
ラストは止めようとして、立ち上がるも急に足元が重くなる。
「お前の目で見てしっかり確かめるんだ」
「あいつが、神か悪魔か」
選択を残して、フードはまた人混みに紛れていく。
ラストは、重くなった足元に視線を送る。
ラストの靴はびっしょりと水で濡れていた。




