Episode 1 ようこそ!(その6)
「そうです。たしかに主人のです。弁当箱も入っています」
シラーナは包みを開くと、そこから四角い弁当箱を取り出してみせた。蓋を開くと「空ですね。ぜんぶ食べてくれていたようです」どこか安心したような声をあげた。
メルルは、奥さんは行方不明の夫の健康状態を気遣っていたんだと思った。
「どういうことだ?」
デキータが首を振りながらつぶやいた。「これって……」
「そうだ。訳がわからない」
ヨアヒムも困惑した表情だ。
「何?」ヴィクトリアがヨアヒムに顔を向けると、ヨアヒムはシラーナの持つ弁当箱を指さした。
「親方は家に帰ったんだぜ。弁当箱を持って帰らずに。おかしいだろ、それ」
「弁当箱は使い捨てのものじゃないね」
コーデリアがシラーナから弁当箱を受け取り、上下にひっくり返しながら言うと、
「ここ何年、ずっと使っているものです」
シラーナが補強するように答えた。
「つまり、親方さんは、この店を出たわけじゃないってこと?」
ヴィクトリアはデキータに顔を向けた。
ヴィクトリアの鋭い視線を浴びて、デキータは狼狽した表情になった。
「い、いや、たしかに親方は店を出たよ。『明日は遅れるな。後は頼んだ』って言い残して」
「仕事が終わると、親方は先に帰り、俺たちは道具の片づけや掃除をするのが日課でした」
ヨアヒムが続けて答える。「『後は頼んだ』は、親方が帰る前の挨拶みたいなもんです」
「だから、親方さんは帰ったんだと考えた。と、いうこと?」
ヴィクトリアの問いにデキータは狼狽した表情を張り付けたままうなずいた。「そ、そうだ……」
「明確に『家へ帰る』と言ったわけではないのですね?」
レトは念を押すように尋ねた。
「そ、そうだよ」デキータは何度もうなずいた。「でも、普通のことだろ?」
たしかに、『家に帰ります』と宣言して家路につくひとは少ないかもしれない。
「そうなると、親方は何か用事があって、ちょっと店を離れるつもりで出かけたのかもしれない」
ヨアヒムが考え込むように腕を組んでつぶやいた。「用事がすんだら店に戻るつもりだったんじゃ?」
ヨアヒムの考えに、メルルは反論したい気持ちが芽生えたが抑えた。
「用事と言えば、あなた、納品のことはいいの? 今日の午前中に納品しなきゃいけないんじゃなかったの?」
ヴィクトリアが思い出したように言うと、ヨアヒムは飛び上がった。
「そうだ! あの魔法石を納めなきゃいけなかったんだ!」
慌てたように壁にかけられた時計を見る。
「もうこんな時間か。すみません、俺、こいつを納品しなきゃいけないんで、ここを外してもいいですか?」
「かまわない」ヒルディーは短く答えた。
「すみません」
ヨアヒムは何度も頭を下げると、作業机に向かった。そこには小さな袋が重ねて置いてあり、ヨアヒムはそのうちのひとつにポケットの宝石をすべて入れて口を結んだ。
「昨日のうちに、これやっときゃよかったんだけど」
ヨアヒムは苦笑いを浮かべた。「明日やってもいいことは明日にやる性格で……」
言い訳めいた口調だ。
「ところで、デキータ兄はどうするんです? 今からアンセルムに行くんですか?」
出かける準備を終え、ヨアヒムはデキータに尋ねた。デキータは首を振る。
「親方抜きですむ用事じゃない。馬車に乗り損ねた時点で、駅構内の郵便課に当日便を頼んだよ。急に行くことができなくなった旨をきちんと伝えてある。明日、今回の事情についての説明と今後についてお話しさせてほしいってことも付け加えてね。先方には昼過ぎに伝わるはずだ」
それを聞いてヨアヒムは小さくため息をついた。「さすがっすね、デキータ兄は。俺は段取りも要領も悪いや……」
さっきのため息は自分に対するものだったらしい。ヨアヒムは少し元気をなくした様子で店を出ていった。
「さて、私たちもいつまでもここにいても仕方がないようだ。事務所へ戻るとしよう」
ヒルディーがそう言うと、シラーナが不安そうな表情を浮かべた。
「主人を探していただけないのですか?」
「いいえ、捜索は続けます。ただ、ここの確認が終わっただけです」
ヒルディーは優しい口調で答えた。それを聞いてシラーナは安心したような顔になった。
「捜索は続けるっておっしゃるが、親方はどこに消えたか見当つくのかい? どこかに連れ去られたとか、どこか人目につかないところで倒れているとか、まったくわからないんだろ?」
デキータは少し不満そうな顔で言う。彼にしてみれば、探偵事務所の連中は店をのぞいただけで終わらせるつもりだと思ったようだ。
「そうですね。どこかへ連れ去られたのであればカーターさんが無事か心配ですね。もちろん、カーターさんが店を出られた時間から現在までの、カーターさんを目撃した方がいないか探すつもりです」
レトが代表するように答えた。張りのある、力強い声だ。
「ただ、もし人目につかないところで倒れているという場合、やっかいなことになるかもしれません」
「やっかいって?」
「この世界で、僕たち人間が死ぬと屍霊という化け物になってしまう。これはあなたも承知のことだと思います。まぁ、屍霊になると言っても、王都のように幽霊や悪霊が溜まらない場所ではすぐに屍霊化しません。ですが、数日見つからないと確実に屍霊化してしまいます。屍霊になると見境なくひとを襲うようになるので、王都の警備兵や憲兵の方がたにカーターさんは討伐されることになるでしょう」
「主人がそんな……」
シラーナは自分の口を押さえて戦慄いている。メルルは、何もそんな不安をあおること言わなくてもと思った。
しかし、レトは気にする様子も見せない。
「遺体が屍霊化しない場合はいくつかあります。遺体が焼けた状態のとき。首を切断されているとき」
レトが指折り説明はじめると、シラーナの顔がますます強張る。このままだと失神してしまうかもしれない。
「……次に、絶対のものではありませんが、どこか水の底に沈んでいる場合ですね」
「水の底?」デキータが首をかしげた。
「遺体が屍霊化する仕組みは解明されていません。ですが、幽霊や悪霊が影響しているのではと考えられています。その根拠のひとつに、水中の遺体はめったに屍霊化しないということがあります。ちなみに、霊の類は水中に入ることを嫌います」
「それで、水の底にある遺体は屍霊化しないと……」
「僕が気にしているのは、この近くに運河が流れていることです」
レトは店の出入り口に視線を向けた。扉の向こうには王都全体に張り巡らされた運河のひとつがある。
「もし、カーターさんが何らかの理由で運河の底に沈んでいるとしたら、僕たちではなかなか対応が難しくなります。
非常に言い方が悪いのですが、屍霊化して姿を現してくれるほうが捜す側は助かります。向こうから出てきてくれますから。ですが、水中の遺体は浮かび上がらないかぎり見つけることが困難です」
「もし、親方がおもての運河に沈んでいるなら、すぐ底をさらえばいいんじゃないのか?」
デキータが言うと、レトは首を振った。
「運河は交通の要です。そのため、王国側でしっかりと管理されています。運河の底をさらうことが簡単にはできないのです。許可を得るための手続きが必要になりますが、交通を一時遮断させてまで底をさらう根拠が乏しいと許可がおりません。カーターさんが行方不明だという理由だけではダメでしょう。確実に、運河に沈んでいるという根拠がないと」
「たしかにやっかいだな……」デキータは考え込むような姿勢でつぶやいた。
「で、では、もし、主人が眼の前の運河に沈んでいたら、私たちにはどうにもできないのですか?」
シラーナが狼狽したように声を震わせた。レトの言葉でますます不安が募っているようだ。
「あくまで、運河に沈んでいたら、という場合です」
レトは静かに答えた。
「ですから、まずはほかの可能性がないか確かめましょう。ひょっとしたら何ごともなく、ご自宅に戻られているかもしれませんよ」
「だとしたら、単なる人騒がせな話で終わるんだがな」
デキータは期待していないような口ぶりだった。しかし、シラーナは「そうですね。実は大したことは何も起きてなかったかもしれませんしね」と、そわそわとした様子で店の出口に目をやった。一刻も早く家に戻って確かめたいのだろう。
「じゃあ、俺は別の用事を片付けることにします」
デキータは店の鍵をじゃらじゃら言わせながら出口に身体を向けた。デキータも店を出るようだ。
「どうされるんですか?」
「親方がいないからって仕事をしないわけにいかない。とはいえ、いろいろ不足のものもあるからね。とりあえず買い出しをしておこうと。探偵さんたちの用事が終わったのなら、ここは閉めてもいいんだろ?」
「ええ」レトはうなずいた。
一行はそろって店を出ると、デキータが店の戸締りをした。
「お店の鍵はデキータさんとヨアヒムさん。それにカーターさんの3人が持っているのですか?」
レトが尋ねると、「もうひとつあります」とシラーナが答えた。「予備ですが、自宅にしまってあります」
「念のため、それを確認させていただいてよろしいでしょうか?」
「ええ。かまいませんが」
レトはシラーナと一緒に歩き出す。屋根から待っていたかのようにアルキオネが舞い降りてレトの頭にとまった。
「では、俺はここで」
デキータは会釈するとレトたちとは反対の方角へ歩き出す。
「私たちは事務所だ」なんとなくレトを見送っていたメルルの頭にヒルディーが手を乗せた。
「私は別行動するけどいい?」
コーデリアが道の一方を指さして言った。デキータが去った方角と同じだ。
「任せる」
ヒルディーの返事は短かったが、それで充分らしい。コーデリアはフリルのスカートを風になびかせながら歩き去った。
「どういうことです?」
ヴィクトリアは訳がわからない様子でヒルディーに尋ねた。それはメルルも同じだ。しかし、今、何かが進行しているような予感もあった。
「ほう、君も感じているか」
ヒルディーはメルルの表情から察したようだった。
「じゃあ、君には最終試験を出すとしようか」




