Episode 2 シャーロックを探して(その5)
「ねぇ、シャーロックくんはお屋敷のどこかにいるってことないのかな? 体の具合が悪くて、お庭のどこかで寝ているだけかもしれないよね」
元来た道を戻りながら、メルルはコニーに話しかけた。コニーはうつむいたまま歩いていたが、ぶるるんと垂らした髪を揺らしながら首を振った。
「わたしひとりだけで探したんじゃないの。おてつだいさんとか、『しつじ』さんとか、お屋敷で働いているひとみんなで探してくれたの。お庭には神さまにお祈りするおうちとかあるけど、そこにもいなかったの。あちこち探したの」
「お庭全部探したの? 探してないところってないのかな?」
すると、コニーはぴたりと立ち止まった。手をつないでいるメルルも立ち止まる。
「お庭に森があるの。背の高い樹がいっぱい生えているところ。そこだけ、わたしは入ったことがないの」
「入ったことがない?」敷地に森があることも驚きだが、そちらの疑問のほうが先に立った。
「お屋敷に引っ越ししたとき、おじい様に言われたの。お庭で遊ぶとき、森にだけは入ってはいけない、って。大きくなるまでダメだ、って」
その森のなかには危険なものでもあるのだろうか。子どもが触れては危ないから森に入ってはいけないというような……?
具体的な事情は思い浮かばなかったが、メルルは質問を続けた。「その森のなかは誰か探してくれたの?」
コニーは「うん」とうなずく。「『しつじ』さん。森のなかぜんぶ探したけどシャーロックはいなかった、って」
じゃあ、シャーロックは本当に消えてしまった?
「お屋敷のひとたちは何て言ってるのかな? やっぱりお屋敷から出て行っちゃったって言ってるの?」
「そうかもしれない、って」
コニーは小声で答えた。「旅に出たくなったのかも、って」
「で、みんなはお外も探してくれたの?」
コニーはこくんとうなずく。「みんなでお外も探したけど見つからなかった、って。誰かシャーロックを見ていないか聞いてまわったけど、誰も見ていない、って」
そうであれば、自分の行動は屋敷の者たちの繰り返しにすぎないかもしれない。屋敷の者たちで見つけられなかったのであれば、自分ひとりで見つけられるとは思えない。せめてレトがいてくれれば……。
メルルはぶんぶんと頭を振って、今考えたことを打ち消した。レトは大事な捜査をしているところだ。自分のしでかしたことの後始末に、レトを巻き込むわけにいかない。
握られた手がふたたびきつくなって、メルルはコニーに目を向けた。コニーはずっとうつむいたままだ。最初会ったときのように泣き出したり、ぐずったりする様子もなく、ただこらえている。その様子はかえって痛々しかった。
「お母さまのときとおんなじだったの」
コニーの声はつぶやいているようだった。
「お母さま?」
「お引っ越しする前。お母さまはとても苦しい病気になって、王都の大病院よりも大きい病院に行くことになったの。それで、お父さまはわたしをおじい様のお屋敷に連れていったの。お父さまはお仕事が忙しくて、おうちにあまりいられないから、って。
おじい様はお母さまのお父さまなんだって。だから、お母さまの代わりに一緒にいてくれるから、って」
はじめ、家に帰ることや、母親に話をさせてほしいと言ったとき、コニーが態度を硬化させた理由はそれだったのか。しかし、コニーの母親が患ったのは何の病気だろうか。メルルは考えた。王国すべての病院を把握しているわけでないが、『王都の大病院』、おそらく王立総合病院のことだろうが、そこより大きい病院など王国内にあると聞いたことがない。この王国以外の病院に入院するのであれば、かなり特殊なものかもしれない。
でも、『お母さまのときとおんなじ』って?
「お母さまとお別れするとき、お母さまに聞いたの。『いつ退院できるの? 会いに行けるの?』って。お母さま、わたしのほっぺたなでながら言ったの。『とっても遠い病院だからコニーに会うことはできない。でも、お月様が何回か満月になったら、きっと戻ってくる』って」
「それが先月……、お月様が前の満月になったとき?」
コニーが引っ越したのは先月のことだと聞いている。そうであれば、母親の入院も先月のことだろう。メルルはそう考えた。そのとおりだったようで、コニーはこくんとうなずく。
「わたし、お母さまに約束したの。毎日お手紙書くね、って。がんばって毎日書いたの。早く元気になってね、って。また一緒にシャーロックと遊ぼう、って。
でも、お母さまからの返事ははじめの1回だけ。お父さまはあんまりおじい様のおうちに来てくれなくてお話しできないし、おじい様は、お母さまは病気のせいで手紙を書けなくなったから、治るまで待ってやってほしい、って……。おじい様って、いつも怖いお顔をしてるの。でも、あのときのおじい様は笑顔だった……」
急に、メルルは何かの予感で背筋がぞくりとした。コニーの話はあいかわらずとりとめのないものだが、何か核心的な部分に触れた気がしたのだ。
「みんな、おんなじだった……」
コニーはメルルの顔を見上げた。青い瞳に新しい涙があふれそうになっている。
「おじい様も、『しつじ』さんも、あのときのお母さまとおんなじ笑顔だった。『待ってやってほしい』って言ったときと! 『シャーロックは旅に出たくなったのかも』って言ったときと!」
それを聞いた瞬間、メルルは頭を殴られたような気分になった。これまで雲をつかむような状態だったのに、目の前が急に開けたような感覚だ。
……そうだ。私はもっと早く気づくべきだったんだ。あの詰め所を訪ねたときに……。
メルルは慌ててコニーの顔を見つめた。今、自分が動揺したことを気づかれただろうか?
幸か不幸か、コニーはすぐにうつむいてしまったのでメルルが動揺した顔を見ることはなかった。メルルは気を取り直すと、コニーの手を握り返す。
「あなたはシャーロックが旅に出たと思っていないの?」
コニーはうつむいたまま首を振る。「わからないの。でも、ちがうって思うの。だって、シャーロックはずっとわたしのそばにいてくれたの。お母さまもお父さまもいなくなっても、シャーロックだけはずっと一緒にいてくれたのに!」
そうか。だから、彼女はこうも頑張ってシャーロックを探しているんだ。メルルは理解した。もし、シャーロックを見つけられたら与えようと犬用のクッキーを手にして。そう、『もし』のために……。
「行こう」
メルルはコニーの手を引いた。今度はどこへ行くのかコニーは尋ねなかった。もしかすると、コニーはメルルの考えがわかったのかもしれない。
やがて、ふたりは大きな門の前に立っていた。白く、かなり背の高い塀に囲まれた、とんでもなく大きい屋敷……。
「あなたのおうち、ここ?」
メルルはコニーに尋ねた。コニーはこくんとうなずいたが不思議そうな顔をしている。
「お姉ちゃん、わたしのおうち知ってたの?」
……やっぱり。
目の前の巨大な門が急に開いた。なかからは立派な身なりの老人が真っ赤になってふたりに迫ってくる。髪は完全に白い総髪で、きりりと吊り上がった眉が厳めしい印象を抱かせる。その後ろをいかにも執事らしい服装の老人とレトが追いかけていた。
「お前は何だ!」
目の前に来ると、老人が吠えた。「孫をかどわかしおって!」
メルルは身体を小さくさせながら思った。そうだよね。そうなるよね……。「あの、このたびはどうも……」
「おじい様」
コニーはメルルの手を離すと老人へ駆け寄った。そのまま勢いよく老人の腹に自分の顔をうずめる。
「お姉ちゃんは、わたしとシャーロックを探してくれたんだよ!」
老人の顔から怒りの形相が消え、替わりに困惑の表情が現れた。その困惑の表情のまま孫を見下ろす。「シャーロックだって?」
「君はこの子と犬探しをしていたのか?」
レトが話しかけてきた。「どういう経緯だ?」
レトの反応はもっともだ。本来の仕事をほっぽり出して何をしている、というところだろう。これにはちゃんとした言い訳などない。
「あの……、レトさん。……申し訳ありません」
頭を下げるしかない。
しかし、まずはするべきことがある。メルルは顔をあげた。
「あの、コニーちゃんはけっこう歩き疲れています。早く休ませてあげてください」
コニーは驚いたような顔で振り返った。そうだろう。シャーロックはまだ見つけていないのだから。
「バンス」
すでに冷静になったらしい老人は執事に顔を向けた。「孫を屋敷へ」
バンスと呼ばれた執事はうやうやしく頭を下げるとコニーの手をとった。「コニー様。どうぞ、お屋敷へ」
コニーは弱々しく抵抗する。「いや、いや、シャーロックがまだ……」
「シャーロックくんはお姉ちゃんが見つけてあげる」
メルルは優しい声で話しかけた。コニーの抵抗が止まる。「ほんと?」
メルルは力強くうなずいた。「約束する」
メルルの「約束する」の言葉に、老人と孫娘は同時に反応した。一方は不審と警戒の表情に、残りの一方は不安と期待が入り混じった表情に。
バンスがふたたび「どうぞ、お屋敷へ」と話しかけると、コニーは小さくうなずいた。今度は抵抗することなくバンスに手を引かれて屋敷へ去っていった。ときどきメルルを振り返りながら。
「このお屋敷に再捜査のお願いにあがったら、さっきのお孫さんが行方不明になったという騒ぎになっていてね。今から外へ捜索に出かけるところだったんだ」
レトがメルルに説明する。それを聞いてメルルはふたたび縮こまった。「……すみません……」
「経緯の話はもういい。少なくとも、君はあの子から信頼を勝ち得ている。シャーロック……かな? その犬の捜索は任せるよ」
しかし、メルルは首を振った。「捜索の件はもういいんです」
メルルは老人の前に立った。「ハーヴィング伯爵様ですね?」
老人は先ほど見せた、警戒心のある表情のままうなずいた。「いかにも」
「恐れながら正直に教えてください」
メルルはハーヴィング伯爵の顔をまっすぐに見つめた。
「シャーロックくんはお庭の森にいるんですよね?」




