Episode 2 シャーロックを探して(その3)
「さて、ここから僕たちの出番だ」
マーベリックと別れて、レトはメルルに話しかけた。ふたりはマーベリックと待ち合わせした塀のところまで戻っていた。
「これからどうします?」
「僕は、監視執行官が説明したことの裏取りを進めようと思う。つまり、各屋敷を訪ねて、もう一度逃走経路沿いの敷地を調べさせてもらう」
「手分けして探すということですね?」
しかし、レトは首を横に振った。「たしかに効率的だが、同じ視点での捜査になる。非効率でも、独自の捜査は必要だよ」
「じゃ、私は何を?」
「君には散歩を頼む」
「え?」
……散歩?
「もちろん、ただぶらぶら歩いてくれというわけじゃない。面倒だろうが、被疑者が逃走を開始した場所から、ここまでを」
レトは地面を指さした。
「一度通った道とは別の道から歩いてほしい。道の両側を観察しながらの散歩になる。もし、何か違和感があるところを見つけたら、そこを集中的に調べるんだ」
レトの言いたいことがわかった。
「思い込みや勘違いの見過ごしがないか確かめるんですね? 被疑者は袋を塀越しに放り込んだのではなくて、もっと単純なところ、たとえば道のわきのどこかに隠した可能性もあると」
「もちろん、監視執行官たちはひと通り調べたはずだよ。でも、君が言ったとおり、思い込みや勘違いによる見過ごしだってありうる。捜査には『現場百回』という言葉がある。確認に確認を重ねる。地味だけど捜査には欠かせないことなんだ」
「了解しました」
メルルは敬礼のポーズになった。「さっそく、散歩の任務にかかります」
「何か言い方が気になるな」レトは苦笑した。
メルルはレトに笑顔で手を振ると、元気よく大股で歩き出した。レトが指示したことは、もしかすると退屈なことかもしれない。しかし、メルルはそんな懸念などまるで感じさせない元気さだ。
レトは、そんなメルルの元気な後ろ姿を無言で見送っていたが、やがてうなずくと自分の仕事にかかるべくメルルとは逆方向に歩きはじめた。
メルルは通りに出ると、マーベリックから説明された売人がいた場所へ進む。今は昼にはまだ早い時間だ。歩道を行き交うひとたちはあいかわらず多いが、顔ぶれに変化が感じられた。
マーベリックと話していたころは仕事着姿の男が多かったが、今はその姿が減り、買い物袋らしいものを腕にかけた女性の姿が増えている。
メルルはあたりに目をやって、このあたりに何か落ちていないか確認した。もし、マルコムが逃走すると同時に菓子袋を放り捨てたのなら、このあたりに落ちているかもしれない。マルコムは細道に逃げ込むまで袋を持っていたと監視執行官が思い込んではいないか、それを確認しようと思ったのだ。
……でも、無いよね、やっぱり。
メルルはその考えがはずれであることをすぐに悟った。通りの歩道はよく清掃されていてゴミひとつ落ちていない。並木の根元も雑草は生えておらず、そこに何か隠れる余地はない。一応、歩道のあちこちを探ってみたが、何かが落ちていたと思われるような痕跡は皆無だった。
……となると、今度はあの道を調べるしかないんだよね。
メルルはマルコムが逃げ込んだ道に目をやった。監視執行官に見つかるまでマルコムはどの道を通って逃げていたのか。それがわからない以上、あらゆる道を通って確かめるしかない。
メルルは意を決すると、角を曲がって細道へと足を踏み入れた。
最初の十字路を右に曲がって、次は左に……。どの経路を進めばいいかわからなかったので選択は勘任せだ。当てずっぽうですらないせいか、まるで手がかりもないままにマルコムが押さえられた場所まで来てしまった。
……今度は左に曲がるところから……。
道を戻りながら考える。これ、けっこうきつくない?
後悔に近い思いを抱きながらメルルは通りに出た。売人がいたところまで戻りかけたが、『ここからやり直してもいいよね?』と考え直して向きを変える。細道に戻ると、今度は十字路を左に曲がる。
こうして、メルルは違うルートを辿りながら、道に何か落ちていないか、あるいはその痕跡らしきものが見当たらないかを探した。
結果。何も見つからず。
何度目かの白塀の前で、メルルはそこに手をつきながら大きく息を吐いた。自分の行動が徒労に終わったと思い知るのはつらい。ガツンと殴られる感じではないが、ジワジワ精神にくる。この虚脱感。無力感。何してんだろ、私……。
ひとが近づく気配を感じて、メルルは振り返った。すぐ後ろを小さな少女が通り過ぎようとしていた。手には茶色の紙袋がある。
思わず、いや、反射的と表現するべきか、メルルは少女の腕をつかんでいた。少女は驚いた表情でメルルを見たが、その顔が歪むと泣き顔に変わった。
「あ、ごめんなさい!」
慌てて手を離したが、少女は大声で泣きはじめる。持っていた紙袋をぽとりと地面に落とし、両手のこぶしを顔に当てている。その泣き声は単に『大泣き』と表現できるものではない。『慟哭』、いや『大号泣』と呼べるほどだ。
「ほんとごめんなさい。私、どうかしていた。探し物に気持ちが行き過ぎてつい……」
メルルは懸命に詫びるが、少女はなかなか泣き止まない。このままでは誰かがやって来そうだ。
少女は泣きながら何かつぶやいていた。はじめは嗚咽のせいで何を言っているかわからなかったが、やがて、「シャーロック、どこなの? 早く来てよ……」と繰り返しているとわかった。
「シャーロック?」
お兄さんが近くにいるのだろうか。
メルルはあたりを見渡したが、メルルと少女以外、誰の姿もない。ふたりきりだ。塀にさえぎられて見えないが、向こうには誰かの屋敷があるはずだった。しかし、そこから誰かが駆けつける様子もない。少女の泣き声は大きいものだったが、屋敷にいる誰の耳にも届いていないらしい。
「お兄ちゃんとはぐれちゃったの?」
そうであれば、少女の泣いている理由は自分のせいだけでないかもしれない。だからと言って、さっきの自分の行為が許されるものとは思えないが。
少女はメルルの問いに首を振るだけだ。
「ほんとにごめんなさい。ね、お姉ちゃんがシャーロック……くん? を、一緒に探してあげる。だから、もう泣かないで」
メルルが懇願するように言うと、少女の泣き声が小さくなった。「ほんとに一緒に探してくれる?」
大事な仕事中ではあるが、そんなことを言ってはいられない。メルルは力強くうなずいた。
「うん、探してあげる。お姉ちゃん、探しごと得意だから!」
さっきまでの体たらくを忘れたかのようにメルルが言うと、少女は顔から手を離した。両耳の上あたりで髪をまとめて垂らした髪型で、顔は思ったよりも幼い。メルルは少女を7歳前後ではと思った。大きく、そして深い青色の瞳が、涙をたたえたままメルルを見つめる。
「お姉ちゃん、誰?」
「私はメルル。あなたは?」
「コニー。コニー・ロックウェル」
少女は小さな声で名乗った。ロックウェルという姓に聞き覚えはないが、この道を歩いているということは貴族の子女だろう。
メルルは少女が落とした紙袋を拾い上げた。念のため紙袋の特徴を確かめたが、麻薬の売人が渡していた紙袋とは違う。この紙袋には『プール・シアン』と書かれていた。王都では少し知られた店の名前だ。しかし、その店は……。
「これ、犬用のクッキー?」
メルルは紙袋を少女に返しながら尋ねた。『プール・シアン』はペット専門の菓子店なのだ。
「うん」少女――コニーはうなずいた。「わたしの大切な友だちのおやつ」
「それが、シャーロックくん」
「うん」コニーはふたたびうなずいた。
「この間からいなくなったの」




