Episode 2 シャーロックを探して(その1)
「へぇ、あの子が?」
「ええ、彼女です」
黄金に輝く仮面をつけた剣士は口につけたカップを離すとつぶやき、向かいに座っているレトがうなずいた。
仮面の剣士は、仮面をのぞけばこの国で珍しくない剣士の姿だ。鋼鉄製の胸当てが鈍く光り、両肩からマントを垂らしている。ソファに腰かけるにはさすがに邪魔になるので、腰の剣はベルトから外して脇に立てかけていた。
落ち着いた雰囲気、カップを扱う細かな所作。勘の鋭いひとであれば、この人物は国でありきたりの冒険者とは違うと気づくかもしれない。もっとも、当人はそう感じさせないようにしているつもりらしいが。
剣士が手にしていたのは、ほのかに湯気の昇るティーカップだ。さきほど、魔法使いの服装をした少女から手渡されたのだ。口にしてみると紅茶のような香りが口に広がる。しかし、剣士の肥えた舌は、これが『カント茶』と呼ばれる高級茶であることを見抜いていた。
剣士は少女が去っていく後ろ姿が見えなくなってようやくレトに話しかけたのだ。
「お前にこんな属性があったなんて気づかなかったよ」
剣士の言葉にレトは少し顔をしかめる。「属性って……。何のですか?」
「お師匠さん属性。弟子を取るとは思わなかったよ」
「彼女は僕の弟子じゃありません」
「でも、見習いとして働くんだろ? ここに?」
剣士はテーブルの上をつんつんと指さした。
「見習いとして働くのは事実ですが、別に僕が探偵のすべてを教えるってわけじゃありません」
「お前以外の誰が指導するっての。まぁ、ヴィクトリアなら魔法を教えてやれるかもしれないが」
「魔法の修業もやりますよ。そのときの先生はもちろんヴィクトリアさんです」
「まじ?」
「多少の護身術も身につけてもらうつもりです。そのときの先生は体格が近いコーデリアさんです」
「格闘術の先生に『ギデオンフェルの雌豹』? あの子、壊されないか?」
「これ以上にないスキルアップの場とは思いませんか?」
「逃げ出さないといいけどねぇ」
剣士はカップをテーブルに置いた。
「所長はそれでもいいと思っているようですが」
「採用した当人なのに?」
「ええ。ですが、こうも思っているようです。『できれば、あの子にはこことは違う場所にいてほしい』」
それを聞いて、仮面の剣士は考え込むような姿勢になった。
「なんだかんだ言って、綺麗ごとだけじゃやっていけない場所だからな。ヒルディーはあの子を気に入ったが、大人社会の裏事情にあまり関わってほしくないってことか。いつもは冷静なのに、ずいぶんと複雑な感じだな」
「僕もそこは意外に思いました。でも、所長は本来優しいひとなんです。それほど意外な話じゃないかもしれません」
「この間の事件でも、大人の策略ってのをさっそく目にしたわけだろ? 探偵の仕事にはそういうものもあるってわかったのかな?」
「そこは当人も自覚しているみたいです」
「それでも、ここで働きたいんだ」
「ええ」レトはうなずいた。
そこへ、メルルが衝立からひょいと顔をのぞかせた。「あの……、お茶、いかがでした?」
反応をうかがうような表情だ。
仮面の騎士は驚いた表情も見せず、カップを持ち上げてみせた。もっとも、仮面のせいでほとんど表情などわかるものではなかったが。「最っ高! これ、カント茶だよね?」
「実家から持ってきたんです。私のとっておきなんです」
メルルは、はにかんだ笑顔を見せるとすぐ顔を引っ込めた。剣士の反応だけを確認したかったらしい。
「いい子じゃないか」
剣士は低い声でつぶやく。「たしかに、こんなところには似つかわしくない」
そこへ事務所の扉が開くと、背の高い女性が入ってきた。ヒルディー・ウィザーズだ。
彼女は入り口で来客用のソファに座っている剣士に目をやった。剣士は気安そうに片手をあげる。「やぁ、こんにちは。ウィザーズ所長」
「メルル」
ヒルディーは剣士に目をやったまま奥に声をかけた。メルルがふたたび衝立の陰から顔を見せる。「お帰りなさい、所長さん。私はここです」
「張り込み中のコーデリアに、何か食べるものを持って行ってくれないか? 相手に気取られないよう注意してな」
「はい、ただちに」
メルルはさっと敬礼すると衝立の陰から飛び出した。「行ってきます!」
そして、ぱたぱたと足音を立てて事務所から出て行った。
ヒルディーはメルルが立ち去る足音が小さくなるのを待って、レトの隣に座った。向かいに座る剣士をじっと見つめる。「今日はどんな用事ですか、殿下」
「用事がないと来ちゃだめな言い方だな」
『殿下』と呼ばれた剣士は少し不満そうに口のはしをゆがませた。「ま、今日は本当に用事があるんだが」
そう言うと、剣士はすっと背筋を伸ばした。すると、これまで漂わせていた崩れた雰囲気が消えた。そこには、先ほどまでの少し軽薄そうな剣士とは違う人物が座っていた。若いが、堂々とした貫禄も感じさせる男だ。
「今日は、リシュリューの治安管理班が追っている事件に協力を頼みたい」
仮面の剣士はこう切り出した。
「治安管理班、ですか」
ヒルディーは小声でつぶやく。
『治安管理班』とは、特殊な犯罪を取り締まるために王国宰相リシュリューが組織した警察機関である。扱うのはスパイ関連・反乱計画の捜査、贋金製造の捜査、それに麻薬関連の捜査である。いずれも国家維持に掛かる案件だ。本来、憲兵団が対応すべきだろうが、目の前の犯罪事件に対応するだけでいっぱいの状態だ。そこで、現宰相リシュリューがそれらの案件に絞った捜査機関を特別に組織したのだ。ちなみに、捜査を実際に担当する者たちは『監視執行官』と呼ばれる。
そして、宰相のことを『リシュリュー』と呼び捨てにする仮面の剣士。この人物こそ、ギデオンフェル王国王太子、ルチウスである。仮面の剣士姿は、ここに現れるための変装でもあったのだ。そのとき、周囲には『ルッチ』と名乗っている。メルルには「レトの友人のルッチ」と自己紹介した。
ちなみに、事務所の者で『ルッチ』が『ルチウス王太子』であることを知っているのは、ヒルディーとレトのふたりだけである。
「先日、マルコムという男を逮捕した。場所はソウン街、二十一番地。ここの近くだな。貴族たちの邸宅を通る、とある細道のことだ。
容疑は麻薬保持。ある監視執行官は以前からひとりの売人を監視していた。手作りの菓子類を路地販売している男で、顧客には麻薬を仕込んだクッキーを売っていたそうだ。先日、その売人から怪しい袋をマルコムが購入する場面を監視執行官は確認した。監視執行官に気づいて逃走したマルコムを追って確保したんだが、さっき買ったはずの麻薬を持っていなかった。逃げる途中でどこかに隠したらしいのはわかるが、あれから3日経った今も見つかっていない」
「そこで隠された麻薬を探し出してほしいと」
ヒルディーが応じた。あいかわらずの無表情だ。
「用件を先に言えばそうだな」ルチウスは認めた。
「正確にはどのような状況だったのですか?」
レトが質問した。「追手は被疑者が麻薬を隠す場面を見ていないのですか?」
「監視執行官の足が遅かったわけではない。しかし、路地に逃げ込まれたとき、ほんのわずかだが見失った時間があった。1分ほどのことらしいが。間もなく、細道を逃げるマルコムを見つけて確保した、という話だ」
「その間に麻薬は隠された。そういうことですね?」
「監視執行官の報告ではそうだ。さっき少し触れたが、マルコムが逃げ込んだ細道は貴族の邸宅が並ぶところだ。いずれの塀もかなりの高さで、簡単に乗り越えられないものだ。だから、マルコムは貴族の敷地に侵入して隠したのではないと監視執行官は主張している。そうできるだけの時間的余裕はなかったと」
「もし、そうできたのなら、被疑者はそこで身を隠したまま監視執行官をやり過ごしたでしょうからね」
レトは納得したようにうなずく。
「たしかにな。であれば、麻薬を隠した方法は麻薬を包みごと塀の向こうへ投げ入れたぐらいしか残されていない。しかし、マルコムの逃走経路沿いの敷地を順に調べているがなぜか今も見つからないわけなんだ」
ルチウスはやれやれというように両手を天に向けた。
「敷地内の誰かがそれを見つけて隠した可能性があると?」
「今のところ、その可能性が高いらしいが」
「殿下もそう思っているのですか?」
レトの問いにルチウスは首を振る。
「正直、自信をもって否定できるわけでないが、『本当にそうか?』というのが本音だ。マルコムの逃走は監視執行官が追ったための偶発的なできごとで、一時的のつもりにせよ麻薬を捨てたのは証拠隠滅のためだ。マルコムが逃げたときはひとりだった。マルコムの隠蔽に加担する『誰か』がいたとは考えにくい。つまり共犯はいなかった。そう考えている」
「計画的に麻薬が隠されたとは考えにくい状況だと」
「レトはそう思わないか?」
「断言はできませんが、事前に示し合わせた人物がいた可能性は低そうです。あくまで、今お話しをうかがったかぎりではありますが」
「慎重な答えだねぇ」
「あらゆる可能性は検討しますが、予断はしません」
「そうだよな。そういうお前だから、俺はお前を探偵にしたんだ」
ルチウスはうなずきながら立ち上がった。
「明日、マルコムを逮捕した監視執行官をこちらに向かわせる。詳細は彼から確認して麻薬を見つけ出してほしい。麻薬のまん延は国家を傾ける危険なものだ。今回は小さい事件だが、小さいうちに潰しておきたい。いろんな事件で忙しいところ悪いが協力を頼む」
「その点はお気になさらず。この事務所の意義については理解しているつもりです」
ヒルディーは落ち着いた声で応えた。その言葉にルチウスは大きくうなずいた。心強く思ったようだ。
「頼りにしている」
ルチウスはそう言い残すと事務所を出て行った。
「さて」
ヒルディーがレトに話しかけようとすると扉が開き、去ったはずのルチウスが顔をのぞかせた。
「メルルちゃんが帰って来たら、お茶美味しかったと伝えてくれる?」
ルッチの口調だった。




