Episode 1 ようこそ!(その1)
『こちらメリヴェール王立探偵事務所』のミニシリーズです。
これだけでも独立した話になっていますが、『こちら……』も一緒に読んでいただけると、より話の理解が深まります(宣伝)。
――朝だ――。
ぱっちりと目を開け、メルルは起き上がった。ふわふわのベッドに温かい毛布。安宿とはいえ、さすが王都だ。快適な目覚めで起きることができた。
もじゃもじゃ頭を整え……もちろん、もじゃもじゃが直ることはないのだがあまりにはねた部分だけは矯正して、濃紺の魔法使いの服に身を包む。魔法の先生だったカーラからもらったものだ。王都であればもっと華やかな服を着たいところだが、あいにくそんな服の持ち合わせはないし、彼女からもらった数少ない大切なものだ。メルルにとってはこの格好こそが一番だと思っている。
王都メリヴェールに着いたのは昨日の夕方だ。
陽が落ちようとする街は買い物に出かける者、家路につく者などでひとがあふれんばかりだった。これほどひとが多いのを目にするのはメルルにとって初めてだ。イーザリスの田舎育ちで、ついこの前まではケルン市という街で魔法使いの修業をしていた。ケルン市は人口15万人で、このギデオンフェル王国では小さい部類に入る。百万を余裕で超える人口の王都は、街の大きさもひとの多さもけた違いだ。
本当は、そんな王都の様子を見て回りたいと思っていたが、翌朝には大事な面接が控えている。寝坊で遅刻するとか、そんな大失態を演じるわけにいかない。メルルは普段よりも早めにベッドにもぐり込むことにしたのだった。
その甲斐あって、今朝の目覚めは最高だ。体調もいい。今日はきっといい日になるはず……。
「君か。うちで働きたいという変わり者は」
出鼻をくじかれるような冷たい声が頭に突き刺さった。
目の前にいるのは、ぎらりと光るナイフのように鋭い感じの女性だ。黒い軍服を身に着けているので高位の軍人だと思われる。この人物が、今、メルルが面接を受けている『メリヴェール王立探偵事務所』の所長、ヒルディー・ウィザーズだ。
田舎育ちで、やんごとなき方がたの知識にうといメルルでも、ウィザーズ家が名門の貴族であり、現国王の王妃がその出身であることを知っている。ヒルディーはそのウィザーズ本家のひとり娘であり、王妃の姪にあたる。つまり、ルチウス王太子とはいとこの関係なのだ。
王都まで一緒だったレトからは「怖いひと」だと聞いてはいた。甘くないひとだとも。
ただ、それは性格や気性のことであって、見た目や雰囲気のことではないと思っていた。
しかし、眼前に座るヒルディーを見ると、自分の想像が思った以上に甘かったことを思い知らされる。ヒルディーは座っていてもわかるほど、すらりとした体形でかなりの美人だ。通常であれば、その美しさに見とれているところだろうが、あまりの迫力に気圧されて、メルルはただ棒立ちで「は、はい……。その変わり者です」などと答えてしまっていた。
「……変わり者だというのは認めるのか」
ヒルディーの声が柔らかくなったのを感じて、メルルは少し緊張がほどけた。ヒルディーは相変わらず感情のない表情のままだが、気のせいか声だけでなく表情も和らいだように思える。
「君は、この探偵事務所が、どういうわけで設立されたか聞いているのか?」
ヒルディーは机の上で手を組むと、そこへ自分のあごをそえて尋ねた。メルルは王都へ向かう前に予習はしてきたから答えに自信がある。
「え、ええっと、最近起こった戦争の影響でこのギデオンフェル王国では犯罪が増加傾向にあります。その内容も単純な強盗や窃盗だけでなく、複雑化しつつあり、これまでのように憲兵隊の力押しで解決するのが難しくなりました。そこで王太子殿下が憲兵隊だけに頼らない捜査機関を組織されたのが、この王立探偵事務所です」
きちんと答えられたかなと思ったが、レトから教わったことを丸暗記したまま答えていることに一種の後ろめたさも感じた。
「ま、たしかにそれが設立の理由だ」
ヒルディーは同じ姿勢のままうなずき、メルルはほっとした。だが、「そういうことをレトに教えてもらったな」のひと言で緊張がぶり返した。
「あの……、レトさんが何かおっしゃっていたんですか?」おそるおそる尋ねる。「レト」とは、この探偵事務所の探偵で、メルルはレトに頼み込んで面接だけでも受けさせてもらうようにしたのだ。
「あいつは大したことを話さなかった」ヒルディーは小さく首を振る。「ただ、会って、話を聞いてやってくれとだけな」
たしかに、レトから「君に肩入れするわけにいかない。ここから先は、すべて君次第だと思ってくれ」と言われている。
でも――。
レトさん。少しはこっちの有利になること、所長さんに話してくれないんですか?
メルルは少し思った。わきの下に冷たいものを感じながら。
緊張時間、続行中……。
「確認したいが、ここはきれいな職場とは言えない。危険も伴う。それでも、ここで働きたいのか?」
ヒルディーは質問を続ける。メルルはうなずいた。それはレトからも言われたことだ。犯罪と対峙する仕事だが、決して正義ではないことも。
しかし――。
メルルは目の当たりにしたのだ。
事件と向き合うレトの姿勢を。その真摯さを。誰からの賞賛も期待しない献身の行動を。
レトはそれを正義とは言わないと否定したが、メルルは少し違うと思った。メルル自身がレトの姿に正義を見たのだ。自らを正義だと主張するのは胡散臭いし、たいていがひとりよがりの考えだ。少なくとも、メルルにとっての正義は、メルル自身がそうだと感じるものが正義なのだ。おそらく、そのすべてが他人の考える正義と同じわけでないだろう。
それでも――。
メルルは決めたのだ。この道を進もうと。誰からも理解されなくても、自分が納得して決めたことだ。後悔などしない。
もともと、魔法使いの修業を始めたのだって家族からの理解は得られなかった。父には怒られたし、妹や弟からは自分たちを捨ててしまうのかと泣かれてしまった。母はうるさいことは口にしなかったが、賛成でないことは態度でわかった。ただ、姉だけは自分の頭を優しくなでてくれた。表立って賛成はしてくれなかったのだが。それはそうだろう。彼女にとってもメルルは可愛い妹なのだ。妹が家族と離れて暮らすことを簡単に受け入れられるわけはない。
しかし、姉はそれでも自分に味方してくれた。「話だけでも聞いてあげて」と、頑なな父に話してくれたのは姉だった。故郷を離れる前、母からそのことを教えられたときは不覚にも涙がこぼれたのを覚えている。
そうだ。あのときだって私は生半可な気持ちじゃなかった。今はどうなの、メルル? 私の気持ちはあのころと違うの?
「私、自分で決めたことに責任を持ちたいんです。だって、これは誰からも強制されたことじゃないですから。簡単な仕事でないことは知っています。辛いことだってあるだろうことも。それでも、私はここで働きたいと思いました。私はその思いに無責任ではいたくないんです!」
メルルは正面からヒルディーを見つめて答えた。さきほどまで全身を震わせていた緊張感が嘘のように消えている。今、この瞬間は、ヒルディーと戦うことになっても厭わない気持ちだった。
「ふん、そうか」
ヒルディーは組んでいた手をほどくと短くつぶやいた。「レトが言ったとおりだな」
メルルは目をぱちくりとさせた。「レトさん?」
「君は言い出したことを簡単に引っ込めたりはしない。ただ、頑なというわけでなく、自分の気持ちに責任感を持っているとな」
これを聞いた瞬間、メルルの目から涙がこぼれそうになった。レトからは自分のことを認めているようなことはひと言も聞かされていない。しかし、レトはメルルのことを認めてくれていたのだ。どの程度認めてもらったのかは見当もつかないが、少なくともメルルが事務所で働くことに反対でないことは実感できたのだ。明確に味方になってくれたか不明だが、それでもメルルには心強かった。
「しかし、君がここで働くには問題がある」
高揚したメルルの気持ちをどん底に落とすようなことをヒルディーは口にした。メルルの顔から血の気が引く。「どんな問題でしょうか……?」
「君は16歳だそうだな?」
「ええ」メルルはうなずく。
「この事務所は王立だ。未成年者を簡単に雇うわけにいかない。それに経歴書を見たが、君は何の資格も持っていない。事務所として君を雇うメリットもないように思えるが」
メルルは慌てて身を乗り出した。
「少しですが魔法が使えます! ケルン市の事件でも私の魔法が役立ちました。レトさんにお聞きください!」
メルルが暮らしていたケルン市で起こった殺人事件。この事件に巻き込まれたメルルは犯人と対峙したときに魔法を駆使して戦っている。実のところ、役に立ったかは客観的な意見が必要になるだろうが、メルルは必死でアピールした。
たしかに未成年だし、まだ何の資格も持っていないけれど……。
ケルン市では師であるカーラ・ボルフのもと、彼女の薬局で手伝いをしていた。優れた治癒魔法の使い手だったカーラは、同時に魔法で薬を作る魔法薬剤師でもあったのだ。メルルは彼女の指導で魔法を学んでいた。カーラが命を落とすまで……。
あのころも魔法学院など、専門の学校に通っていなかったので資格の類はいっさいない。ただ知識があるだけだ。もちろん、それだけでは社会に通用しないことは知っている。
「君の師も変わり者だったようだな」
ヒルディーはつぶやくように言った。いつの間にか一枚の書類を手にして見つめている。
「君に資格をとらせる勉強はさせず、ひたすら店の手伝いだけをさせているじゃないか。よく、それだけで少しでも魔法が使えるようになったものだな」
褒められているのか、けなされているのかわからない。
「それが、先生の指導法でした。何も教えてもらっていないように思えるでしょうが、私は先生からたくさんのことを教えてもらいました。魔法と直接関係のないことでも、いつの間にか魔法につながっていたなんて、しょっちゅうのことでしたから」
この言葉に嘘はない。メルルは本当にたくさんのことをカーラから学んだ。本当はそのままずっと教えてもらいたかったのだが……。
「君の先生の指導法を批判するつもりはない」
ヒルディーは書類を机の上に置きながら言った。
「しかし、現時点で君を雇っていいと言える根拠が乏しいのだ。熱意は買うが、ね」
「でしたら、ここで下働きでも何でもさせてください!」
メルルはさらに身を乗り出した。「探偵の仕事は、下働きをしながら覚えますから!」
「魔法薬局で魔法を覚えたように、か」
ヒルディーの言葉にメルルは力強くうなずいた。「ええ!」
「ヒルディー。その子に試験でも受けさせてみたら?」
とつぜん背後から声が聞こえ、メルルは振り返った。
事務所に入ったとき、応対してくれた女性だ。
女性、と言ってもかなり若い。いや、幼く見える。ひょっとすると自分より年下なのではと思えるほどだ。
フリルのついた可愛らしい黒いドレスを身に着け、まるでお人形さんのように見える。漆黒の長い髪は縦方向に巻いており、それが彼女の幼い印象をさらに際立たせていた。
さっき、応対してくれたときも名前を聞いていたが、たしか……。
「何を言う、コーデリア」
ヒルディーは顔をしかめた。
そうだ。コーデリア・グレイス。彼女もこの事務所の探偵だそうだ。こんなに若いひとだって働いているのだから私だって……。
「先に言っておくが、コーデリアは私と同い年で未成年者じゃない。ちなみに私は28だ」
メルルの考えが読めたのか、ヒルディーはそんなことを言った。その言葉の意味がメルルの頭に浸み込むのに少し時間がかかった。
「え?」メルルは思わず振り返った。ヒルディーが28歳? 28歳とは思えない貫禄があるがそれよりも……。
メルルはふたたびコーデリアに視線を向ける。ヒルディーと同い年ということはコーデリアも28歳ということになる。私よりひと回り以上も年上だ!
「……王都で暮らしていると年をとらなくなるんですか?」
「そんなことはない」ヒルディーはすぐさま否定した。
「話を戻さない?」
コーデリアが口を挟んだ。「試験を受けさせてみたら、と言ったんだけど」
「試験なんて用意していないぞ」
ヒルディーはしかめ面のままだ。
「ヒルディーは未成年の女の子を雇うことが嫌なの?」
コーデリアはどこか眠そうな声で尋ねた。「だって、レトが探偵になったとき、彼は18になったばかりだよ」
続けて、「この国で一人前の大人として認められるのは20歳からじゃなかった?」
「レトは例外だ」
ヒルディーはむすっとした表情で答えた。
「この事務所を立ち上げたとき、メンバーにレトを加えることは王太子殿下直々の指定だったからな」
その声には不快の感情がにじみ出ていた。「『あの』王太子殿下直々だ」いまいましそうに繰り返す。
コーデリアの提案で少しは事態が好転したかと思ったが、どうも雲行きが怪しくなってきた。このままでは何かうやむやのうちに不採用になりそうだ。
「あの……」
おずおずとメルルが手をあげかけたときだ。
大きな音を立てて扉が開いた。あまりの大きさにメルルはあげかけた姿勢のままで硬直してしまった。
「もう! ここに厄介ごとを持ち込まないでよ!」
大声をあげながら事務所に入ってきたのは若い女性だ。少し怒っているような顔つきをしている。その後ろを、「そんなこと言わないで助けてくれよー」と若い男も入ってきた。




