小料理屋の女将です。〜はんなり初恋リターンズ〜
箸使いが下手な、それってどうなんっていう女将の話しです
京都・先斗町の奥まった路地。
提灯がひとつ、ゆらりと揺れる小料理屋「こはる」は、今日も変わらぬ湯気を上げていた。
女将の 春乃 は、出汁の扱いにかけては右に出る者がおらへん。
煮物はほろりとほぐれ、焼き物は香ばしく、茶碗蒸しに至っては常連が争奪するほど。
――なのに。
「……うぅ、また刺してしもた……」
春乃は、焼き魚の身を箸で取ろうとして、
気づけば 刺し箸 をしてしまっていた。
しかもその前は 迷い箸、さらにその前は ペン箸(鉛筆持ち) で、親指が変な方向に浮いていた。
常連の山本が呆れながら笑う。
「女将さん、今日は“人差し箸”になってはりますえ。
指が全部浮いて、箸が踊っとるがな」
「そ、そんな言わんでええのに……! うち、頑張ってるんどす……!」
実は春乃、料理の腕とは裏腹に、
箸の持ち方が壊滅的に悪かった。
昔から、正しい持ち方を教えてくれる大人が近くにおらず、
幼少期に身につけ損ねたまま大人になってしまい、
独学で変なクセを固定してしまったのだ。
力で握る にぎり箸。
変な角度の ペン箸。
食べ物を追いかけて皿の上を箸が迷走する 迷い箸。
挙げ句「もうええわ!」と力づくで刺す 刺し箸。
料理人としての腕は超一流なのに、
食べる姿だけは、どう取り繕っても「はしたない」言われてしまう。
そこへ、暖簾がふわりと揺れた。
幼なじみの蒼太 が、仕事帰りにやって来たのだ。
大工の蒼太は無口だが、春乃にだけ向ける柔らかい笑いがある。
その笑いを見るたびに、春乃の心臓は子どもの頃と変わらず跳ねる。
「春乃。今日は煮物、残っとるか?」
「も、もちろんどす!」
その瞬間、春乃の箸は――
ぽん、と音を立てて宙を舞い、床に着地した。
「……お前、緊張すると余計に持てんようになる癖、まだ直ってへんな」
「そ、そんなこと……ない思います……!」
とか言いながら、肩はこわばり、手は震え、
箸を拾う手つきは “握り箸” に戻っていた。
蒼太は苦笑して、落ちた箸を拾い、春乃に手渡した。
「……全然直ってへんやん」
「い、嫌味どすか……?」
「ちゃう。心配なんや」
蒼太はふっと視線を落とし、穏やかに言った。
「昔からな。
春乃が箸、うまく持てへんせいで、よう泣いとったん、知ってる」
春乃の動きが止まった。
「子どもの頃、誰にも教えてもらわれへんかったんやろ。
無理して力づくで掴もうとして、指、真っ赤になってた」
「……覚えててくれたん……?」
「忘れるかい。
俺はずっと見てたで。
春乃が、できひんことを必死に隠そうとしてた姿も、
それでも料理は誰よりうまくなろうとしてた姿も」
蒼太は、春乃の震える手にそっと触れた。
「箸が下手でもええ。
刺し箸しても、迷い箸しても、にぎり箸でも――
俺は、春乃そのものが好きなんや」
「っ……!」
春乃の胸の奥が熱くなり、視界がぼやけた。
こんなに恥ずかしい欠点を、
誰よりも近くで見ていた幼なじみが――
それでも「好き」だと言ってくれるなんて。
「……そないなこと、急に言わはったら……
余計に、箸震えますやん……」
「震えたらええ。ほな、俺が支えたる」
蒼太は春乃の手を後ろから包み、
正しい箸の持ち方に導くように、そっと指を添えた。
春乃の手はまだ震える。
でも、その震えは――悲しい震えやない。
「春乃。
箸の持ち方、これから一緒に練習しいひん?
誰にも笑われへんように、ゆっくりでええから」
春乃は、涙を浮かべながら笑った。
「……はい。
蒼太くんと一緒やったら、頑張れます」
二人の指先が重なり、
かすかな箸の音が、提灯の揺れる夜に吸い込まれていった。
――不器用な恋ごころは、
ようやく、誰かと一緒に前へ進みはじめた。
初投稿です。
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