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拾弐 光輝く天国(ルミナスヘブン)

どうも、作者です。いよいよ第十二話、物語の最大のクライマックスへと突入します。

前話の激戦を経て、多くのものが失われ、傷つきながらも、彼らはついに物語の黒幕、あるいは因果の元凶と対峙します。これは、単なるテロとの戦いではありません。「境界線の向こう側」に存在する、この世界全ての理を揺るがす戦いです。

祈と精衛。彼らが選ぶ最後の決断が、この物語、そして彼らの運命を決定づけます。これまでのすべての伏線が回収される最終決戦、心してご一読ください。

 光の粒子が収束し、足の裏に確かな感触が戻ってくる。

 転移の副作用である激しい眩暈を振り払い、祈は目を見開いた。

「……ッ」

 思わず、息を呑む。

 そこに広がっていたのは、外の喧騒とは隔絶された、死のような静寂だった。

 場所は、巨大な鍾乳洞のような空洞。その中心には、天を貫くほどの巨塔――『天柱てんちゅう』の基部が鎮座している。

 本来であれば、この場所は大地から湧き上がる清浄なプラーナで満たされているはずだった。だが今、そこにある空気は鉛のように重く、そして冷たい。

 古い血と腐葉土を煮詰めたような悪臭が鼻をつく。

 足元の石畳を見れば、大理石の白いはずの床が、まるで血管のように脈打つ赤黒い「根」に侵食されていた。ドクン、ドクン、と不快な音を立てて、大地のエネルギーが腐った瘴気へと変質させられているのだ。

「祈……、ここ……」

 隣で、精衛が小さく身震いをした。

 寒さではない。生物としての本能が、この空間の異常さを拒絶しているのだ。

 祈は咄嗟に彼女の震える肩を抱き寄せ、庇うように前に立った。

 そして、視線を空間の最深部へと突き刺す。


 そこに、男がいた。

 天柱の基部に寄りかかるようにして、静かに佇んでいる。

 漆黒の高級スーツに、身の丈ほどもある豪奢な外套を羽織っていた。その外套の縁には、血族の証である龍の鱗が縫い込まれ、禍々しい光を放っている。

 緑色の長髪が、無風の空間で生き物のように揺らめいていた。

 敖丙ごうへい

 かつての東海龍王三太子。そして、転生した今もなお、世界を憎悪の炎で焼き尽くそうとする復讐者。

 数千年の時を超え、祈と精衛の運命に絡みつく、最強にして最悪の因縁の相手。

「…………」

 敖丙が、ゆっくりとこちらを振り返った。

 その動作は優雅で、劇的で、そして酷く不気味だった。

 爬虫類特有の、縦に割れた瞳孔。

 その瞳が二人を捉えた瞬間、祈は心臓を氷の針で刺されたような錯覚を覚えた。

 視線だけで人を殺せるとすれば、まさにこのことだ。

 そこには、圧倒的な勝利を確信した者の傲慢さと、底知れない狂気が同居していた。


 敖丙の視線が、祈を通り越し、後ろで怯える精衛へとへばりつく。

 ねっとりと、まるで舌で肌を舐め回すような、湿度の高い視線。

「……ふっ」

 敖丙の口角が歪に吊り上がる。

 獲物を前にした飢えた獣。いや、所有権を主張する支配者の目だ。

 精衛の顔色がさっと青ざめる。あの悪夢のような日々――冷たい海の底、鎖に繋がれ、玩具として弄ばれた記憶が、その視線一つで蘇らされたのだ。

「や……っ」

 彼女の喉が引きつる音を聞いた瞬間、祈の腹の底で熱い塊が爆ぜた。

「敖丙ッ!!」

 祈は大きく一歩踏み出し、その視線を遮るように仁王立ちになった。

「君が……東海の龍三太子、敖丙だな」

 声が震えそうになるのを、必死で奥歯を噛み締めて殺す。

 目の前にいるのは神話の怪物だ。恐怖を感じないわけがない。だが、ここで引けば精衛が壊される。それだけは絶対に許せない。

 敖丙はつまらなそうに視線を祈に戻した。

「ようやく来たか、よう。……いや、今の貴様は、薄汚い人間の器に入った『林祈』だったか」

 敖丙が両手を広げると、周囲の赤黒い瘴気が彼に呼応するように渦を巻いた。

「待ちわびたぞ。貴様ら二人の魂ごと、この天柱の基部で焼き尽くし、我が五千年の恨みを晴らす時をな!」

 祈は拳を握りしめ、周囲を見渡した。

 脈打つ龍脈の腐敗は深刻だ。壁面のあちこちに亀裂が走り、今にも崩壊が始まろうとしている。

「どうしてだ……!」

 祈は叫んだ。

「どうしてここまでやる!? 世界を壊して、無関係な人たちを巻き込んで……それが君の望みなのか!?」

「望み、だと?」

 敖丙の声のトーンが、すとんと落ちた。

 温度のない、絶対零度の声。

「貴様ごときに、何が分かる」

 敖丙がゆっくりと歩き出す。一歩踏み出すごとに、空間全体がきしみ悲鳴を上げる。

「五千年だぞ。五千年……!」

 彼の中に眠る、膨大な記憶の奔流。

 かつて東海を統べ、神々からも一目置かれた誇り高き龍の一族。

 それが、あの日、ただ一人の童子の気まぐれな暴力によって蹂躙された。

『背骨を引き抜かれ、生きたまま解体される痛み』

『父王が天界に頭を垂れ、理不尽な裁きを受け入れる屈辱』

『一族の名誉が地に落ち、世界中から「悪しき存在」として唾を吐きかけられる絶望』


 敖丙の瞳が揺らめく。そこには、美しい東海の宮殿が燃え落ちる幻影が映っていた。

「全てを奪われた。領地も、誇りも、神としての権威も……。俺に残されたのは、この身を焦がす復讐の炎だけだった」

 彼は自分の胸を強く鷲掴みにした。

「暗い海の底で、俺は何百年も、何千年も呪詛を唱え続けた。この憎しみだけが、俺を現世に繋ぎ止める唯一の命綱だったのだ! 憎むことでしか、俺は己の存在を保てなかった!」

 悲痛な叫びだった。

 それは単なる悪役の台詞ではない。被害者としての、慟哭にも似た魂の叫び。

 精衛は息を呑んだ。彼女もまた、海に溺れ死んだ過去を持つ。その痛みを知るからこそ、敖丙の言葉の裏にある深淵な孤独に共振してしまったのだ。

 敖丙は、潤んだ瞳で精衛を見つめ、そして祈を睨みつけた。

「貴様らはどうだ? 転生し、人の世で温かい家族に囲まれ、愛だの恋だのと戯言を抜かし、二度と誰にも邪魔されない幸せな未来を手に入れようとしている。……不公平だとは思わんか?」

 彼の全身から、ドス黒いオーラが噴き上がる。

「俺には過去のろいしかない。貴様らには未来がある。……ならば、公平を期そうではないか。貴様らの輝かしい未来も、俺の惨めな過去と共に、ここで全て灰にするまでだ!!」


 祈は言葉に詰まった。

 敖丙の主張には、彼なりの正義があった。理不尽な運命に踏みにじられた者としての、正当な怒りがあった。

 薄っぺらな正論で論破できるようなものではない。

「……敖丙」

 祈は伏せていた顔を上げ、真っ直ぐに龍太子を見つめ返した。

「君の苦しみを完全に理解するなんて、僕にはできない。五千年の痛みは……想像することさえおこがましいのかもしれない。僕と君とは、決して分かり合えないのかもしれない」

「ならば死ね」

「だけどッ!!」

 祈は大声でその言葉を遮り、精衛の手を強く握りしめた。体温が伝わってくる。今、ここに生きている証。

「過去の悲劇を理由に、今を生きる人たちの世界を滅ぼしていい理由になんてならない! 僕たちが、僕たちの手で未来を掴むために……ここで君を止める!!」


 一瞬の静寂。

 敖丙の顔から、ふっと表情が消えた。

「……ふざけるな」

 低く、地を這うような呟き。

 次の瞬間、彼の顔が激しい憤怒に歪んだ。

「その傲慢な思い上がりこそが!! 五千年前、俺を殺したのだァアアアアッ!! なぜ貴様らは、いつもそうやって正義面をして俺を見下ろすッ!!」

 対話の時間は終わった。

 敖丙は右手を高く掲げる。

「黙れ、凡庸な人間どもめ! 全ては、五千年前に終わっている!!」


 ゴオオオオオオオッ!!

 天柱の基部が揺れた。

 敖丙の背後に、彼自身の魂の形状をした、巨大な黒龍の影が出現する。

 腐敗した龍脈エネルギーを極限まで吸い上げ、質量を持った闇の塊へと変換していく。

 それは、この空間そのものを圧壊させかねない、神話級の質量兵器。

「消えろ! 『黒龍・混海嵐こんかいらん』!!」

 敖丙が腕を振り下ろすと同時に、巨大な黒龍の渦が咆哮を上げ、二人に向かって解き放たれた。

「くっ……!」

 速い。そして重すぎる。

 祈は咄嗟に防御障壁を展開しようとするが、その圧倒的なプレッシャーだけで障壁にヒビが入る。

(ダメだ、受けきれない……ッ!)

 避けようにも、渦の範囲が広すぎる。このままでは二人ともミンチになる。

 絶対的な死の予感が、祈の脳裏を白く染めた。

 その「白」は、恐怖の色ではない。もっと古く、もっと遠い、記憶の底から湧き上がる「雪」のような白だった。

 思考が寸断され、魂の深淵に眠っていた一つの「生」が、強烈なリアリティを持ってフラッシュバックする。


 場所は、長安。

 湿った夜気が立ち込める、武将・劉遠りゅうえんの書斎。

「……クソッ! どいつもこいつも、りょ氏の犬に成り下がりおって!」

 バアンッ!!

 劉遠は力任せに卓を叩き、広げられた羊皮紙の戦況図を引き裂いた。

 壁には愛剣が無造作に投げつけられ、床には割れた陶器の破片が散乱している。部屋全体が、彼の行き場のない苛立ちと熱気で煮えくり返っていた。

 漢帝国の実権を握る呂后りょこう一族の専横は、もはや政治腐敗の域を超えていた。逆らう者は一族郎党皆殺しにされ、都の夜は毎晩のように粛清の悲鳴に包まれる。

 だが、何かがおかしい。

 劉遠は武人としての勘で感じ取っていた。呂氏の背後にある闇は、単なる権力欲ではない。もっとおぞましく、人のことわりを超えた「何か」が、彼らを操っている気配がするのだ。

 しかし、誰も信じない。正義を叫ぶほど、周囲は彼を狂人と見なし、孤独は深まっていくばかりだった。

「……誰も、分からぬか。このままでは国が、いや、魂までもが食いつくされるというのに」

 劉遠は顔を覆い、苦渋の息を吐いた。


 その時だった。

「――お茶をお持ちいたしました、旦那様」

 殺気立つ空間に、鈴を転がすような静謐な声が響いた。

 いつの間に現れたのか、書斎の入り口には一人の侍女が佇んでいる。

 名は玉蘭ぎょくらん

 戦災孤児として拾い上げた娘だが、その出自は謎に包まれていた。ただ、蝋燭の火影に揺れるその瞳だけが、どこまでも深く、透き通っていた。

 劉遠は彼女を見ずに手を振った。

「下がれ、玉蘭。私を一人にしてくれ。……今の私は、獣のように荒んでいる。お前に、この醜態を見せたくない」

「いいえ、旦那様」

 玉蘭は動かなかった。それどころか、衣擦れの音もなく劉遠の傍らに歩み寄り、静かにその場に跪いた。

「あなたの敵は、人の形をした権力者だけではございません」

 彼女の言葉に、劉遠は弾かれたように顔を上げた。

 玉蘭の瞳が、蝋燭の炎を映して妖しく、しかし神聖な光を湛えている。

呂雉りょちの背後には、暗躍している者がおります。彼は呂氏の勢力に力を貸す見返りに、この都から多くの『生贄』を貪り食っているのです。……あなたの心臓を蝕むその絶望は、人間界の道理では決して勝てない敵を、魂が直感しているからです」

「な……」

 劉遠は息を呑んだ。

 荒唐無稽な話だ。だが、劉遠の魂の奥底が、それが真実だと叫んでいた。そして何より、目の前の玉蘭から漂う気配が、彼女がただの人間ではないことを雄弁に物語っていた。

 恐怖はなかった。むしろ、ストンと腑に落ちる感覚があった。数千年の運命という巨大な濁流に、自分たちは既に飲み込まれていたのだと。


 その夜、絶望は使命へと昇華した。

「……そうか。これは漢王朝の内乱などではない。世界のことわりを賭けた戦いなのか」

 劉遠は震える手で玉蘭の手を取った。その手は、陶器のように冷たく、しかし芯の通った強さを秘めていた。

「玉蘭。お前は、この愚かな私を導くために、天から遣わされたのか。……私の、運命の支柱か」

 玉蘭は微笑んだ。それは数千年の孤独を知る者だけが浮かべることのできる、寂しくも美しい微笑みだった。

「私は、あなたのその高潔な魂が、闇に飲まれて消えぬよう、ここにおります。……私はあなたの剣となり、盾となりましょう。あなたの命の火が尽きるその時まで、あなたの魂の伴侶として、共に在ります」

 二人の間に交わされた誓約は、世俗的な愛の形など遥かに超えていた。

 劉遠は、彼女の神聖な知性と孤独な眼差しに引かれ、玉蘭は、彼の汚れなき正義の心だけを唯一の拠り所とした。

 侍女として、そして影の参謀として。


 戦局は劇的に好転した。

 都の外れ、呂氏の残党軍との決戦。劉遠の率いる兵は、玉蘭の予言めいた助言に従い、敵の裏をかき続けた。

 勝利は目前だった。

「勝てるぞ! 邪悪な支配を、今こそ断ち切るのだ!」

 劉遠が馬上から勝鬨を上げた、その時。

 ズズズズンッ……!!

 密林に隠れた矢の雨が降り注いだ。

 その狙いは、劉遠ではなく、後方に控えていた玉蘭だった。

「しまっ……玉蘭ッ!!」

 劉遠には、考える時間などなかった。

 身体が勝手に動いていた。愛する者を、魂の片割れを守らなければならないという本能だけで。

 彼は馬を躍らせ、玉蘭の前へとその身を投げ出した。


 ドスッ。

 鈍く、重い音が戦場に響いた。

「……が、はッ……」

 劉遠の胸を、矢が貫いていた。心臓を一突きにする致命傷。

「旦那……様……っ!?」

 玉蘭の悲痛な叫びが、スローモーションのように耳に届く。

 劉遠の体から吹き出した鮮血が、玉蘭の純白の衣を、見るも無残な赤へと染め上げていく。

 彼はどうと地面に崩れ落ちた。

「いや……っ! いやあああああっ!!」

 玉蘭が彼を抱き起こす。その手は自分の血で温かく濡れていた。

 彼女の顔を見る。

 そこにあるのは、神としての威厳などかなぐり捨てた、ただ愛する男の死を嘆く一人の女の顔だった。

 劉遠は、口の端から溢れる血泡と共に、震える手で彼女の頬に触れた。

「ごめん……ね、玉蘭……」

 視界が急速に暗くなっていく。寒い。だが、彼女の涙だけが熱い。

「今度こそ……最後まで、君のそばにいると……誓ったのに……」

「イヤ……行かないで……っ! 嘘つき……!」

 玉蘭は劉遠の胸に顔を埋め、子供のように泣きじゃくった。

「私を、またひとりにしないでよ……っ! どうして……どうしていつも、あなたは死んでしまうの……ッ!!」

 ああ、そうか。初めてではないのだ。

 劉遠は薄れゆく意識の中で悟った。これが、この結末が、敖丙という呪いによって繰り返されてきた悲劇の連鎖なのだと。

 玉蘭(精衛)は、何度も、何度も、愛する者の死を見せつけられてきたのだ。

(すまない……、一人残して……)

 劉遠の瞳から、最後の光が失われていく。

 その刹那、玉蘭の絶望的な慟哭が、呪いのような誓いとなって彼の魂に焼き付いた。


「何度生まれ変わっても、必ずこの誓いを果たす……。絶対に、あなたを……!!」


 ――カッ!!


「祈ッ!!」

 精衛の叫び声で、世界が鮮烈な色彩を取り戻した。

 現在へと引き戻された祈の網膜に映ったのは、黒龍の渦に自ら飛び込み、その身を盾にして自分を守ろうとしている少女の背中だった。

(またか……! また、終わらせるつもりか!?)

 劉遠の、いや、過去の自分たちの無念が、祈の血管の中で沸騰した。

 いつも守られてきた。いつも、彼女の犠牲の上に自分は生かされてきた。

 あの書斎での無力感。あの戦場での冷たさ。

「……させるかよッ!!」

 祈は叫んだ。恐怖としての「白」は、今や灼熱の「白」へと変わっていた。

「もう二度と、君を一人になんてさせない!!」

 過去の絶望が燃料となり、今の祈を突き動かす。死の予感など、もはや彼を止める足枷にはなり得なかった。

 彼は地面を蹴った。運命という名の重力を振り切るように。

 あの時届かなかった手を、今度こそ届かせるために。

(見える……)

 あの滝での特訓の日々。

 数万トンの水が落ちる轟音の中で、彼女はただひたすらに「流れ」を見続けた。

 どんなに巨大な濁流にも、必ず生まれる一瞬の淀み。力の奔流が交錯し、均衡を保っている、針の穴ほどの「急所」。

 敖丙の放つ黒龍の渦もまた、巨大なエネルギーの集合体だ。ならば、必ず「核」がある。

(私たちは、あなたに教わった……!)

 精衛は深く息を吸い込み、両手を広げた。

 祈の存在を感じる。彼の命の鼓動と、自分の鼓動が重なる。

「いくわ!」

 精衛の両手から、絹糸のように細く、しかし鋭利に研ぎ澄まされた純白の仙力が放たれた。

 それは力で押し返すのではない。外科手術のような精密さで、黒龍の渦の「継ぎ目」へと滑り込んだ。

 ――干渉。共鳴。そして、切断。


 ――キィンッ!!


 鈴を鳴らしたような澄んだ音が響いた刹那。

「なっ!?」

 敖丙が目を見開く。

 彼が解き放った必殺の渦が、まるで解けた毛糸のように、空中で霧散したのだ。

 エネルギーの核を正確無比に破壊された暴威は、ただの黒い風となって二人の左右を吹き抜けるだけに終わった。

 精衛は、スカートの裾すら揺らさずにその場に立ち尽くしていた。


「バカな……! 私の術式を、真正面から解析したというのか!?」

 敖丙の表情に、初めての焦燥と動揺が走る。

 その一瞬の隙。

 千載一遇の好機。

「今だッ!!」

 祈は弾かれたように地面を蹴った。

 精衛が切り開いてくれた、黒い風の回廊。その真ん中を一直線に駆け抜ける。

(遠距離じゃ勝てない。でも、懐に入れば……!)

 李が特訓してくれた時の話がフラッシュバックする。

『いいか、神だろうが怪物だろうが、一瞬でも意識が途切れればそこが死角だ。躊躇するな。踏み込め!』

 祈は呼吸を止め、敖丙との距離を一瞬で詰める。

 敖丙が慌てて再攻撃のために周囲のプラーナを吸収しようとするが、その動きの重心が浮いたのを祈は見逃さなかった。


「おおおおおおッ!!」

 祈は右の拳を固く握りしめる。

 法具や兵器ではなく、ただ自分の力を目一杯入れた拳だけ。

 だが、この拳には、精衛と繋がった魂の絆と、「人間として大切な人を守り抜く」という強固な意志が込められていた。

 それはどんな神力よりも熱く、眩しい光となって拳を包み込む。

 敖丙の目が、迫りくる祈の拳を捉えた。

 その光は、かつて自分を重傷を負わせた哪吒の暴力的な炎とは違う。

 もっと温かく、痛いほどに真っ直ぐな、「生」への執着。


「五千年の悲劇は……ここで終わるッ!!」


 祈の全体重を乗せた渾身の右ストレートが、憎悪の鎧を纏った敖丙の鳩尾みぞおち――そしてその奥にある、黒く染まった『魂の核』へと突き刺さった。


 ドゴオオオオオオアンッ!!


「が、ああっ……!?」

 衝撃が敖丙の背中から突き抜け、背後の龍脈エネルギーを吹き飛ばす。

 敖丙の口から、血の代わりに黒い瘴気が吐き出された。

 全身に巡っていた憎悪の回路が、物理的な衝撃と、流し込まれた祈の「意志」によってショートする。

「な、なんだこの力は……! 痛い、熱い、苦しい……!」

 よろよろと後退り、敖丙は膝をついた。

 彼の体を支えていた莫大なエネルギーが、霧のように散逸していく。

「祈……この光は……」

 敖丙は、霞む視界で目の前の少年を見上げた。

 そこには恐怖も怒りもなく、ただ悲しげに自分を見下ろす瞳があった。

「清浄などではない……。私の憎しみを理解できぬ、傲慢で……偽善的な……」

 彼は震える手で自分の胸を、空っぽになった心を掻きむしった。

「全てを賭けた復讐が……。五千年の妄執が……」

 涙が溢れた。

 それは悔し涙であり、同時に、復讐という支えを失った子供のような心もとなさの表れでもあった。

「これほど……これほどあっけなく……。お前たちが私から奪ったもの、お前たちが私に与えた五千年の苦痛は……、何一つ、消えてはいないというのに……!」

 敖丙は上を仰ぐ、一点を見つめた。

 彼はよろめきながら天柱の影へと後退り、そして糸が切れたように崩れ落ちた。

 勝負は決した。

 だが、その場に残ったのは勝利の歓喜ではなく、やり場のない苦い沈黙だけだった。



 敖丙の体が崩れ落ちると同時に、天柱の基部を支えていた均衡バランスが完全に崩壊した。

 ゴゴゴゴゴゴゴッ……!!

 地獄の底から響くような轟音が、世界を揺さぶる。

 天井の鍾乳石が雨のように降り注ぎ、巨大な天柱に亀裂が走った。その裂け目から、どす黒い瘴気が噴出し、空間全体がきしんだ悲鳴を上げる。

「くっ、まずい……! 支えきれない!」

 祈は咄嗟に障壁を展開し、降り注ぐ岩塊から精衛を守った。だが、障壁は瞬く間にヒビだらけになっていく。

 天柱の傾きは止まらない。

(古代の神・共工きょうこうが不周山を折った時も、こんな絶望的な光景だったのか……?)

 神話の記憶が脳裏をよぎる。

 あの時は、女媧が五色の石を練って天を補修したという。だが今、ここに女神はいない。いるのは、魔力を使い果たした自分たちだけだ。

 僕なんかの力で、この世界の背骨が折れるのを止められるわけがない。


「……っ!」

 祈は歯を食いしばり、隣で瓦礫を避けながら必死に術式を編んでいる精衛の肩を掴んだ。

「精衛! ここは僕が支える! 君は逃げろ!」

「え……?」

「天柱が倒れる前に、転移ゲートへ走るんだ! 僕が最後の魔力を全部使って、少しだけ時間を稼ぐ。だから……」

「嫌!!」

 精衛の叫びが、地響きを切り裂いた。

 彼女は祈の手を振り払うどころか、逆にその胸に飛び込み、離れまいとしがみついたのだ。

「精衛……!?」

 彼女の体は震えていた。だが、その瞳に見えるのは恐怖ではない。かつてないほど強固な意志だった。

「嫌だ……もう嫌なの! 私は海に沈む時も、前世であなたが死んだ時も、いつも一人で生き残された……! あなたと死別するくらいなら、私はここで一緒に押し潰された方がマシよ!!」

「精衛……」

「絶対に離れない。何があっても、今度こそ……最期まで一緒にいるの!!」

 その言葉は、祈の魂を揺さぶった。

 そうだ。ただ「生かす」ことだけが守ることじゃない。彼女が一番恐れていたのは、死そのものではなく、「愛する人を失って孤独になること」だったのだ。

「……分かった」

 祈は覚悟を決め、精衛の背中を強く抱きしめ返した。

「一緒に……止めよう」


 二人は残された魔力のすべてを練り上げ、崩れゆく天柱へとぶつけた。

 だが、それは雪崩に素手で立ち向かうようなものだった。

 巨大な石柱がミシミシと音を立て、決定的な崩壊を始めようとする。

(くそっ、ダメか……! 守れないのか……!)

 祈は精衛の頭を抱え込み、迫りくる巨大な瓦礫の影を見上げた。

 死ぬなら、せめて彼女の痛みだけでも僕が受け止めたい。

 ――愛する少女せいえいを、命に代えても守りたい。

 その純粋で強烈な願いが、心臓の鼓動と重なった、その瞬間。


 カッ――――!!


 祈の胸元から、閃光が迸った。

「こ、これは……!?」

 コートの胸ポケットに入れていた、あの翡翠のペンダントだ。

 医大の院長・姜石年きょう せきねんから、「お守り」として渡されただけの、変哲もない玉石。

 それが今、太陽の欠片のように燃え上がり、直視できないほどの輝きを放ち始めた。

 翠緑すいりょくの光の波動が、祈と精衛を中心に爆発的に広がる。

 それは暴力的なエネルギーではない。春の陽射しのように柔らかく、それでいて絶対的な「生命の権威」に満ちた光だった。

 音を立てて崩れかけていた天柱が、その光に照らされた途端、まるで時間を巻き戻したかのように静止する。亀裂が塞がり、赤黒い瘴気が浄化され、清浄なプラーナが再び脈打ち始めた。


「すごい……天柱が、治っていく……」

 精衛が呆然と呟く中、二人の隣に、さらなる光のオーラが凝縮していく。

 そこから響いたのは、母のような、大地のような、どこまでも温かい声だった。


『――二人は、よく頑張りましたね。もう大丈夫、これからは私たちに任せなさい』


 光が人の形を成す。

 現れたのは、蛇身の裾を引く慈愛に満ちた女神――女媧。

 そしてその隣には、白髪の老紳士の姿から、威厳ある炎の衣を纏った神へと変貌した――炎帝えんてい

「ち、父上!? それに、女媧様!?」

 精衛が驚愕の声を上げる。

 二柱の始祖神は、穏やかな微笑みを二人に向けた後、結界の隅で倒れ伏している敖丙へと視線を移した。

 その眼差しは厳しく、しかし悲しげでもあった。

 祈はその老人に見覚えがある。姜石年院長だ。


 敖丙は、瀕死の体を引きずりながら、まぶしそうに目の前の神々を見上げていた。

「……女媧、か。……無様なものだな、俺は……」

 自嘲の笑みを浮かべる彼に、女媧は厳かに告げた。

『敖丙よ。そなたの絶望は深く、その怒りには理由があった。だが、そなたが世界にもたらした傷はあまりに深く、多くの無辜の民を恐怖に陥れた。その罪は、消滅をもってしても償えぬ』

「フン……。ならば殺せ。魂ごと消し去ればいい」

 敖丙は投げやりに吐き捨てた。

 だが、女媧は首を横に振った。

『いいえ。そなたには“生きて”償ってもらいます』

「なに……?」

『そなたの魂と肉体は、未来永劫にわたり、この世界の龍脈の根源として封じられます。地の底で、自らの犯した罪の重みを噛み締めながら……そなたが壊そうとしたこの世界を、今度はその身で支え続けるのです』


 それは、死よりも重く、しかし死よりも希望のある「役目」だった。

 破壊者から、守護者へ。

「……ククッ。そうか、この俺が……人間の踏みしめる大地の人柱にか……」

 敖丙は、皮肉げに笑った。だがその表情には、五千年の妄執から解放されたような、不思議な安らぎが浮かんでいた。

「……悪くない。静かな場所なら、それもまた一興か」

 彼の巨体が、青白い光に包まれ始める。

 肉体が硬質化し、巨大な青龍の形をした結晶へと変わっていく。

 結晶となった敖丙は、音もなく大地へと沈んでいった。荒れ狂っていた龍脈の乱れが嘘のように収まり、地中深くから、力強い、安定した大地の鼓動が響き始める。


 静寂が戻った。

 天柱は完全に修復され、神秘的な青白い光を放っている。

 戦いは終わったのだ。

「よく頑張ったな、女娃じょが。……いや、今は精衛と呼ぶべきか」

 炎帝が、不器用に娘の頭を撫でた。

「父上……! 女媧様……っ!」

 精衛はその場に深く頭を下げた。五千年の間、心に刺さっていた棘が、ようやく抜けた気がした。

 彼女は顔を上げ、真っ直ぐに二柱の神を見つめた。その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。

「私……ようやく分かりました。敖丙が叫んでいた不公平も、神々が見て見ぬふりをしてきた世界の歪みも。祈と一緒に戦って、痛みを知って、初めて理解できたんです」

 彼女は隣に立つ祈の手を強く握りしめた。

「だから、お願いします。私から、神としての力を……この長すぎる命を取り上げてください」

「精衛!?」

 祈が驚いて彼女を見る。

「何言ってるんだ! 君のその力は……!」

「いいの、祈」

 精衛は微笑んだ。それは以前のような儚い笑みではなく、地に足のついた一人の女性の笑顔だった。

「永遠に生きる命なんて要らない。私は、人間として、あなたと同じ時間を生きたい。あなたと共に老いて、同じ速さで歩んでいきたい。……それこそが、私にとっての真の『幸福せいぎ』だから」

「精衛……」

 祈は言葉を失った。

 彼女は、不死という神の特権を捨ててでも、この限りある「生」を選ぼうとしている。自分のために。

「……君は、本当に頑固だね」

 祈は苦笑し、そして泣きそうな顔で頷いた。

「分かった。……僕も、君が白髪のお婆ちゃんになっても、絶対に手を離さないよ」


 炎帝と女媧は顔を見合わせ、ふっと笑みをこぼした。

『……よかろう。だが、力を完全に放棄することは許さぬ。それは私への無礼というものだ』

 女媧は悪戯っぽく片目を瞑った。

『その膨大な神気は、すべてそなたの人間としての『寿命』へと変換して与えよう。病まず、健やかに、天寿を全うできるだけの“時”として』

『……女娃よ。陽……いや、祈くん』

 炎帝が、優しくも厳格な眼差しで祈を見た。

『五千年経っても、お前のその愚直な魂は変わらんようだな。……娘を頼むぞ。幸せにしてやってくれ』

「……はいッ!! 必ず!!」

 祈は背筋を伸ばし、力いっぱい返事をした。

 それは、神々から「人間」としての人生を祝福された瞬間だった。


 光の粒子が舞い上がり、二柱の神の姿が薄れていく。

 残されたのは、静かな天柱の輝きと、寄り添う二人の影だけ。

「女媧様……父上……ありがとうございます!」

 精衛は虚空に向かって深々と一礼し、涙を拭った。

 そして、弾かれたように振り返り、祈の胸に飛び込んだ。

「祈……!」

「精衛……!」

 勢いよくぶつかった体温が、互いの存在を確かに伝えてくる。

 生きている。二人で、一緒に。

「帰ろう、祈。……私たちの、家に」

「ああ……帰ろう」

 二人は固く抱きしめ合い、そして光の差す出口へと歩き出した。

 神話の時代は終わり、等身大の少年と少女の、新しい人生が今、始まろうとしていた。



「はぁ……、はぁ……ッ」

 荒い息遣いだけが、静まり返った戦場に響いていた。

 三尖両刃刀が、どす黒い体液に濡れた半魚人の王の胸を貫き、その巨体を石畳に縫い止めている。

 敵の最後の痙攣が止まるのを見届けると、楊戩ようせんは乱暴に得物を引き抜き、よろめくように後退した。

 かつて天界随一と謳われた白銀の甲冑は、今や無残に砕け散り、端正な顔も煤と返り血で汚れている。額の第三の瞳も、光を失い疲労困憊して閉ざされていた。

 彼は重い足を引きずり、半壊した南天門の巨大な柱に背を預け、そのままズルズルと崩れ落ちるように座り込んだ。

「……」

 視線を遠くに向ける。

 先ほどまで不吉な赤黒い光を明滅させ、崩壊へのカウントダウンを刻んでいた『天柱』が、今は嘘のように静まり、清浄な青白い燐光を放って屹立していた。

 瘴気の霧が晴れ、本来あるべき真っ当な霊気の流れが、傷ついた世界を癒やすように巡り始めている。

「……終わった、か」

 楊戩は、誰に聞かせるでもなく呟いた。

 その声には、勝利の歓喜よりも、途方もない重荷を下ろした安堵だけが滲んでいた。

「よぉ、お疲れさん!」

 不意に、頭上から聞き慣れた軽口が降ってきた。

 楊戩が億劫そうに瞼を持ち上げると、瓦礫の山を越えて歩いてくる影があった。

 哪吒なたこと、李だ。

 彼もまた酷い有様だった。自慢の火尖槍は刃こぼれし、ジャージのあちこちが焼け焦げ、束ねていた長い髪は解けてバラバラになっている。だが、その口元には、やりきった男特有の清々しい笑みが張り付いていた。

「……みっともない格好だな、司法神殿」

 哪吒は楊戩の隣にドカッと腰を下ろし、遠慮なく肩をぶつけてきた。

「フン……」

 楊戩は鼻を鳴らし、隣の悪童を一瞥した。

「お互い様だろう。……見ろ、そのザ・マ。どこぞの裏路地で喧嘩に負けた野良犬のようだぞ」

「へっ、うるせぇな。勝てば官軍なんだよ」

 哪吒は楽しげに笑い、血と泥に汚れた手で、楊戩の膝を叩いた。

「生きてるか?」

「……ああ。なんとかな」

 二人はそれ以上言葉を交わさなかった。

 ただ並んで座り、静かになっていく戦場の空を見上げていた。

 数千年の腐れ縁。言葉などなくても、互いのボロボロの背中から伝わる体温だけで、十分だった。



 時を同じくして、人間界。

 それまで街を覆っていた鉛色の雲が、嘘のように割れ、眩しい太陽の光が差し込み始めていた。

「あ……」

 自宅のベランダに出ていた薫は、眩しさに目を細め、空を見上げた。

 嫌な湿り気を帯びていた風が止み、代わりに春のような暖かで爽やかな風が頬を撫でる。

 理屈ではない。魂が震えるような直感が、彼女に告げていた。

 終わったのだと。

「……バカ」

 彼女は胸のペンダントを強く握りしめ、涙ぐんだ瞳で微笑んだ。

「遅いよ……。本当によかった……たっくん」

 その安堵の吐息は、風に乗って、どこか遠くの空へと溶けていった。


 西安の医大病院。

 当直室の窓を開け放ち、孫慈恩そんじおんもまた、晴れ渡る空を見上げていた。

「ふっ……」

 彼は満足げに髭を撫で、好々爺の笑みを浮かべた。

「やるじゃねぇか、若造ども。……これでしばらくは、安眠できそうだな」



 再び、上海。

 上海、陸家嘴ルージャーズイのあるビル、最上階のオーナー室。

 主を失った広大な部屋は、まるで嵐が去った後のように静まり返っていた。

 床には極秘資料や魔術書の類が散乱し、高級な調度品が倒れている。

 その惨状を眺めながら、公日月は呆れたように肩をすくめた。

「やれやれ……。本当に親バカだねぇ、あの人は」

 彼は足元に落ちていた資料を拾いながら、愚痴を言う。

「娘たちがピンチだと知るや否や、会議も計画も放り出して、文字通り光の速さで飛んで行っちまった」

 公日月は苦笑し、拾った資料をデスクの上で揃わせた。

「ま、たまには『神』じゃなく『父親』に戻るのも悪くないか。……後始末は僕の役回りってことかい。人使いが荒いね」

 彼は窓の外、復興へと動き出し始めた上海の街を見下ろし、皮肉っぽく、しかしどこか楽しげに口笛を吹いた。



 そして、林家。

 カチャリ、と鍵が開く音がして、願が買い物袋を提げて帰宅した。

「ただいまー。……って、あれ?」

 玄関に入ると、そこには異様な光景があった。

 ちょうど今、帰ってきたばかりなのだろう。

 祈と精衛が、並んで立っていた。

 二人とも、服は泥だらけでボロボロ。髪には木の葉や埃が絡まり、まるで泥沼の中で取っ組み合いでもしてきたかのような惨状だ。

 だが、何よりも願の目を引いたのは、そんな汚れではなかった。

 二人の手が、固く、恋人つなぎで結ばれていたことだ。

「あ……」

 精衛がハッとして、恥ずかしそうに俯く。

 祈も少しバツが悪そうに視線を泳がせたが、繋いだ手を離そうとはしなかった。

 願は一瞬だけきょとんとして、二人の顔と、その固く結ばれた手のひらを交互に見つめた。

 何かがあったのだ。

 言葉にしなくても、弟の顔つきが、出かける前よりもずっと大人びて、男らしくなっているのが分かった。

「……ぷっ」

 願は堪えきれずに噴き出し、買い物袋を床に置いた。

「あらあら、何やってきたのよ。二人して泥んこ遊び?」

「ね、姉さん、これは……その……」

 言い訳しようとする祈の言葉を遮り、願は温かいお母さんのような笑顔で言った。

「まあ、詳しい話はあと。そんな汚い格好じゃ風邪引いちゃうわよ。……ほら、早くお風呂入ってきなさい!」

「えっ……い、一緒にかよ!?」

「当たり前でしょ? 節約、節約!」

 願に背中を押され、二人は顔を見合わせる。

 精衛の頬が、夕焼けのように赤く染まった。

「……い、行こっか。祈」

「……うん」

 二人は照れくさそうに笑い合うと、繋いだ手をさらに強く握り直し、狭い廊下を並んで歩いていった。

 その背中を見送りながら、願は優しく目を細めた。

「おかえり。……二人とも」

 どこにでもある、平和で温かい夕暮れの時間が、ようやく彼らの元に戻ってきたのだった。

第12話までお読みいただきありがとうございます! いかがでしたでしょうか?

壮絶な戦い、そしてそれぞれのキャラクターが下した決断。彼らの流した涙と汗が、読者の皆様の心にも深く響いたことを願っています。この物語は、愛と因果、そして人間の選択の尊さを描くものでした。

ここで一度、物語は区切りを迎えます。しかし、彼らの人生は続きます。この結末の先にある、「神が人間を選んだ日」から始まる、その後の物語はエピローグとして描かれます。物語は終わっても、彼らの愛は永遠です。

ご愛読、誠にありがとうございました!

エピローグ導入の告知文

【重要なお知らせ】エピローグ連載開始日について

(略)12月13日より、いよいよエピローグ「神が人間を選んだ日」の連載を開始いたします。

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