声の力 2
ミソラが家にもどったとき、家にカギはかかっておらず、仕事をおえたお母さんがごろんとソファでくつろいでいた。
「おかえり、ミソラ――って、どうしたの、ずぶぬれじゃない」
「お母さん、わたし……」
「まずは服を着替えてきなさい。話はそれから」
シャワーを浴びて部屋にもどると、テーブルにあたたかいラズベリーティーが用意されていた。
「ところでミソラ、シドくんは? 一緒じゃないの」
お母さんはきのうのことを知らないので、ふたりのあいだに、なにがおきたのかも知らない。
「一緒じゃない。もうシドは、この家にもどってこないよ」
ミソラは声をつまらせながら、きのうのことをお母さんに話した。
「そっか。いろいろ大変だったのね」
「わたしひとりの力じゃアサミちゃんを救えない。やっぱりわたしダメ人間だ」
「ミソラ、自分のこと、そんなふうにいっちゃダメ」
「ダメ人間が声勇なんかしちゃいけなかったんだ。わたしみたいなダメ人間が人を救えるはずなかったんだ」
きのうとおなじように、こころが黒い雲におおわれて、自分を傷つける言葉があふれてくる。
ダメ人間は、なにをやってもダメなんだ。
なにもできないダメなわたしは生きてる価値なんてないんだ。
わたしなんか……わたしなんか……。
(わたしなんか生まれてこなければよかったんだ!)
ミソラは自分の声で、自分の存在を否定しようとした。
そのとき、
「ラシ・ラ・ミソラ」
お母さんが、ぎゅっとミソラをだきしめてくれた。
* * * * *
ラシ・ラ・ミソラ。
それはきのうシドがミソラをだきしめてくれたときにいったのと、おなじ言葉だった。
「お母さん、その言葉……」
「ラシ・ラ・ミソラ。グイード王国の言葉で『自分を愛して』って意味。むかしよくファラドさんが、 わたしにいってくれた言葉なの」
「お父さんが?」
「そう。ミソラ、ちょっとお母さんの昔話を聞いてくれる」
そういって、お母さんは、お父さんと出会ったときのことをミソラに話してくれた。
いまから16年まえ。
当時、マネージャーとトラブルのあったお母さんは、だれも信じることができなくなり、女優をやめようと考えていた。
そんなときに出会ったのが、お父さんだった。
「目のまえにカミナリが落ちてきたと思ったら、イケメンがたおれてるでしょ。もうなにがなんだかわからなくてパニックになっちゃったの。そしたら――」
「お父さんにデコピタされた?」
「うん。事情を聴いているうちに、これもなにかの運命だと思ってね、ファラドさんにマネージャーをしてもらうことにしたの」
お母さんが遠くを見ながら語った。
「仕事で失敗して落ちこんでるとね、いつもあの人は『ラシ・ラ・ミソラ』っていって、わたしのことをだきしめてくれたの。ふだんは岩みたいにかたいうでが、そのときだけは毛布みたいにやさしくてあたたかかった。それで結婚するならこの人だって思ったの」
「プロポーズ、お母さんからしたの?」
「うん。ふたりの関係をバレないようにするのは大変だったけど、いまにして思えば、それもいい思い出かな」
むかしを思いだして、お母さんが笑った。
「こどもの名前はぜったいミソラにしようって、ふたりできめたの」
「どうして?」
「グイード語で、ミソラが『愛』を意味する言葉だから。ミソラ、あなたの名前にはね、わたしとファラドさんのねがいがたくさんつまってるの」
お母さんがミソラの髪をやさしくなでてくれた。
「自分のことを大切にできるように。どんな自分でも受け入れられるように。そんなねがいをこめて、わたしたちはあなたにこの名前をつけたのよ」
はじめて自分の名前の意味を知ったとき、ミソラの目から一筋のなみだがこぼれた。
お母さんとお父さんの愛情。それがなみだの正体だった。
「苦手なことがあってもいい。できないことがあってもいい。それを受け入れて自分を好きになってほしい。ファラドさんはそういって、おおきくなったわたしのおなかをなでてくれたの」
お母さんの声がふるえている。
見ると、お母さんもミソラとおなじように泣いていた。
怒ったり、笑ったりする顔は数えきれないほど見てきたけど、お母さんが泣いているところをミソラは見たことがなかった。
女優という大変な仕事をしながら、たったひとりでわたしを育ててくれたお母さんは、なみだを流さない強い人。ずっとそう思っていた。
けど、そのお母さんが泣いている。
自分の想いをつたえたくて。
そしてお父さんのねがいを知ってほしくて泣いている。
「あなたはたくさんの愛をもらってこの世に生まれてきた。その愛を今度は自分にむけてあげて。ラシ・ラ・ミソラ。そう自分にいってあげて」
そのときミソラはお母さんとはちがう、べつのだれかにだきしめられているような気がした。
毛布みたいにあたたかくて、どこかなつかしい感じのする手。
それがお母さんと一緒に自分をやさしくだきしめてくれる。
うしろにだれもいないことはわかってる。
でも、そのあたたかさはウソじゃない。
そのやさしさはぜったいにまぼろしなんかじゃない。
(ありがとう、お父さん)
いま、わたしはだきしめられている。
たくさんの愛を注いでくれたふたりに、わたしのいのちはだきしめられている。
「ラシ・ラ・ミソラ」
その言葉をミソラは自分のこころにむかっていった。
いままでは苦手だらけのダメな自分がきらいだった。
いろんなことができない自分が情けなかった。
でも大切な人の想いを知ったいま、ミソラは自分を愛したいと思った。
そして自分で自分をだきしめたいと思った。
ギュッと強く。そしてやさしく。
イメージのなかで、ミソラはミソラをだきしめた。
(いままでごめんね、わたし)
(愛してくれてありがとね、わたし)
自分で自分を愛することができたとき、こころから黒い雲は消え去った。
「女優ってね、みんなからちやほやされているように見えるけど、見えないところでは、いろんな人からつらいことをいわれる仕事なの」
「お母さんもいわれた?」
「かるく100万回はね。だから落ちこんじゃった回数なんておぼえてない。けど、ファラドさんとファンのみんなが応援してくれたおかげで、わたしは何度だって立ち直ることができた。だからこそ、お母さんは声がもつ力をだれよりも知ってるつもり」
お母さんはミソラの目をまっすぐ見て、いった。
「錬声術で引き出さなくても、声には人のこころを動かす力があるの。だからミソラ、シドくんに会って、あなたの声であなたの想いをつたえてきなさい。そうすればシドくんもわかってくれるから」
「うん。わたしシドに会ってくる。会って、ちゃんと自分の想いをつたえてくる」
「そのいき、そのいき。だいじょうぶ、ミソラなら、ぜったいできる。だってあなたはスーパー女優とイケメンの子だもん」
「そこは声勇じゃない? ってか自分でスーパーとかいっちゃうんだ」
「いけない?」
「いけなくない。だって、ほんとのことだもん!」
大好きの気持ちをたっぷりこめて。
ミソラはお母さんの髪をくしゃくしゃに撫でまわした。
(つづく)
更新は毎日おこなう予定です。




