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第8話 誘拐事件

「若旦那、これから話すのは俺の懺悔だ」


 穏やかな午後の陽光とは裏腹に、部屋の空気は張りつめていた。アグーの声には深い後悔が滲んでいる。

 

「俺がパルマ王女の婚約者だってことに、特別な意味なんてない。王女に【恋愛感情を抱いたことは一度もない】し、幸せにできるとも思ってないんだ。ただ、俺たちの婚約は【政略的なもの】に過ぎない。そのことを分かってくれ」


 アグーの口から薄い黒い霧が漏れ出し、【政略的なもの】という文字が宙に浮かんだ。

 まるで告白されているみたいな言葉に、頬が熱を帯びてくる。真面目な顔で「恋愛感情はない」と言いながら、どうしてこんなに私のことを気にかけてくれるのだろう。

 嘘だと分かっているのに、嬉しさがこみ上げてきて、思わず頬が緩みそうになる。でも、ここで浮かれてはいけない。私は若旦那の仮面を崩さないよう、必死に平静を装って頷いた。


「国王が亡くなったのは、パルマ王女が幼い頃だった」

 

 あれは突然の訃報だった。幼い私には実感がなく、ただ遠い出来事のように感じていた。ロッパーク大公が宰相となり、王国は不安定ながらも秩序を保った。


「あの頃の王女は、まだ何も知らない子供だった。もちろん俺もだったがな」


 私も、アグーに「ぶひーって鳴いて」と酷いことを言った記憶がよみがえる。両親を失い、心にぽっかりと穴が空いた。国中の愛情も、その穴を埋めきれなかった。毎日、庭園で過ごした。薔薇の香り、木漏れ日、鳥の声——それだけが私の慰めだった。


「俺は生まれつき、魔力を溜め込む体質だった」


 アグーは、生まれつき魔力を溜め込む体質に苦しんでいた。その苦悩を知ることもなく、周囲から「愛らしい」ともてはやされていた私は、どこかで彼に対して優越感を抱いていた。今振り返れば、幼い私はなんと無邪気で、そして残酷だったのだろう。


 *


 あの頃の記憶が、ふいに脳裏に鮮明に浮かび上がる。


「アグーの魔法って、本当にすごいよね! 昔の人はいっぱい魔法を使えたんだって、でも今はもう誰も使えないんでしょ? だからアグーは特別なんだよ!」


 自慢げに語る私の隣で、アグーは困ったように眉をひそめていた。その表情を見るのが、なぜか嬉しかった。今思えば、なんと無邪気で、そして残酷な子供だったのだろう。


「魔法をみせて」


 アグーは優しく温かい風を見せてくれた。

 

「こんな魔法、使いたくないよ!」


 涙目で薔薇色の頬をしたアグーの姿が、たまらなく愛おしかった。


「えー、子豚さんみたいで可愛いのに」


 ふにふに。アグーの頬は柔らかく、誰も触れないその頬に私だけが触れている。私だけのアグー。


「パルマは魔法使えないよね、お姫様なのに使えないのは恥ずかしいよ」

「魔法がなかったらどうなるの?」

「それは……そうだ、御城から追い出されちゃうんだよ」


 実のところ、魔法を使える貴族なんてもう殆ど残ってはいないし、魔法を使えなくてもそれは普通のことなのに。


 でも、私は怖いよと泣き真似をする。


「ごめんね、泣かないで。もし、そうなっても僕が守ってあげるよ」


 私はアグーの言葉を無意識に当然と思っていた。

 この約束を、この優しいアグーがどれほど真剣に言っているかなんて知りもしない。

 愛されているという過信と、何をしても護ってくれるという確信があった。


 そして――私の誕生日。当たり前だった日常が、突然終わりを告げた。


「アグー、目隠しがちょっときついわね……」


 私がのんきに呟いたら、アグーの息がすぐ隣で荒くなった気がした。

 目隠しをされて後ろ手に縛られているけれど、森の中の空気は意外と気持ちいい。遠くから男たちの笑い声と、何かを食べている音が聞こえてくる。


 そういえば、さっきまでお城の中庭で飾りつけを眺めていたのに、アグーに「かくれんぼしよう」と誘われて、垣根の中に隠れていたら、突然誰かに抱き上げられてしまったのだ。


「パルマ、大丈夫? どこか痛くない?」


 アグーの声は明らかに焦っていて、心配そうに震えている。でも私は、なんだかちょっとした冒険みたいで、むしろわくわくしていた。


「うーん、ちょっとお腹がすいたかも。ねえ、アグー、帰ったらケーキ食べられるかな?」


「……パルマ、今はそんなこと言ってる場合じゃ……」


「だって、お誕生日だもの。悪い日にはならないわ」


 私は本気でそう思っていた。誘拐なんて、どこか遠い物語の中の出来事みたいで、怖いよりも不思議と楽観的な気持ちが勝っていた。


「アグーも目隠しされてるの? なんだか馬車に乗せられたみたいだけど、ここはどこかしら……」

「……森の中のようだ。近くで男たちの声がする」

「すぐに助けが来るわよ。ピクニックみたいなものね」

「パルマ……」


 アグーが呆れたようにため息をついたのが、すぐ隣で分かった。それでも私は、根拠もなく「きっと大丈夫」と信じていたのだ。


「そうだわ、アグーの魔法で逃げましょう」


 私は怖がるどころか、少し楽しそうに言った。


「ごめん、パルマ……僕、魔法使えないんだ」

「え? でも前に見せてくれた風は?」

「太って見えるのが嫌で……たくさん魔法を使ってから遊びに来たんだ」


 アグーの声は申し訳なさそうに震えていた。

 私の身勝手な「子豚さんみたい」という言葉が、彼に魔力を溜め込むことを躊躇させていたのだ。


 私は自分を責めた。私がアグーを笑ったせいで、だから魔法が使えなくて逃げられないんだって思た。


 そのとき、私の体の中で何かがうぞうぞした。背筋に温かい電流がビリビリって走って、まるで小さな太陽が体の中に入っちゃったみたいな不思議な感じが広がっていく。


「アグー、私……なんか変な感じがする」


 そう言った瞬間、その温かさがいきなり全身にバーッと広がった。私の誕生日——その日、ついに私にも魔力が宿ったんだ。ただ、この温かい力でアグーを助けられるかもっていう、なんとなくの希望だけが私の中にあった。


「大丈夫よ、アグー。私が魔力をあげる」


 私は優越感に酔いしれながら言った。ついに魔力を手に入れた喜びとアグーを助けられるという確信で、背中越しに手を伸ばして温かい力を送り込もうとする。金色の光の粒子が、私からアグーへと流れていった。


「ほら、私の魔力よ。これで魔法が使えるでしょ?」


 私は得意げに言ったが、それはほんの僅かな魔力だったに違いない。


「もうすぐだよね、アグー? わたしたち、きっと助かるよね?」


 背中合わせに縛られた私はまだ楽観的で、背中でアグーがごそごそと動いているのが分かる。

 アグーは女の子座りをしている私の足の縄を、なんとか切ろうとしている。


「必ず君を助ける……」


 アグーの声が変わった。苦しそうで、でも妙に力強い。

 そのときアグーは不慣れな魔力を刃として手を縛っている縄を切ろうとしていた。


「さぁ、アグー。私の魔力で早く縄を切って逃げましょう」


 私の手に温かくて、ぬるっとしたものが流れ着いた。


「アグー? 私の手になんだか温かくて、ぬるっとしたものが……」


 鉄の匂いと得体の知れない感触。

 そして私の足を縛っていた縄が解かれた。


「つぎは、アグーの縄ね」


 彼が私の目隠しを外した瞬間、アグーが血を流しているのが見えた。

 手に触れた温かさは、アグーの血だったんだ。

 私は、こんなにも危険な状況にいたんだと、やっと気がついた。

 呆然としている私に、アグーが力なく言った。


「逃げて、君だけでも」


 *


「だが、俺は王女を逃がすことすらできなかった」

 

 現実で私に語るアグーの声には自嘲が滲む。

 

「魔力を使い果たし、それでも王女を守れなかった」


 ——違う、アグー。

 

 私は唇を噛む。

 アグーを傷つけたのは、むしろ私だったのだと。


 *


 私は恐怖した。

 幼い頃からの大切な人が自分のために命を危険にさらしていることに。

 アグーの血の匂いが、私の全身を凍りつかせる。

 

 ——嫌だ、嫌だ、嫌だ!

 

 アグーが死んじゃう。

 私のせいで、私を助けようとして。

 縛られた手足が震える。

 何もできない自分への怒りと恐怖で、心が張り裂けそうだった。


「助けて!誰か、この人を助けて!」


 絶叫した瞬間、私の体に異変が起きた。

 体の芯の温かさが、まるで爆発するように全身に広がる。


 金色の光が私を包み、痺れる感覚が走る。魔力が渦巻き、光の中から少女が現れた──

 

「おねがい! この縛られた手の代わりをして!」


 叫ぶと、目の前に縛られていない私そっくりの少女が現れ、アグーの傷口を押さえた。


「……あなたはだれ?」


 目の前に、金髪で青い瞳の私──ミラが現れた。

 純粋で無垢な、初めての私がミラを生み出したのがこのときだ。


「わ、わたし……あ、あなた……」


 その子は小さく、カタコトで答えた。

 私の魔力から生まれた分身。私の一部でありながら、私とは全く違う存在。


「ち、血が……とまらない……」


 彼女は必死に傷口を押さえようとするが、血は止まらない。

 じわじわと赤い染みが広がっていく。

 ただ、傷口を覆うことしかできない。


「お願い。助けを呼んで来て」


 私は必死に頼んだ。

 誰でもいい。誰かアグーを助けてくれる人を。


「で、でも……しらないばしょ……」

「大丈夫。きっと誰かがいるから。お願い」


 ミラは頷き、走り去った。

 私はアグーを見つめて待った。


 やってきたのは誘拐犯たちだった。

 今は誰でもいい、助けてほしいと思った。


「何をしている!」


 リーダー格の男が怒鳴る。


「宰相様の命令を忘れたか! 公子様に傷一つつけるなと!」


 誘拐犯たちは血を流すアグーを見て、慌てて駆け寄った。


「公子様、大丈夫ですか?」

「すぐに手当ていたします」


 アグーを丁重に扱う誘拐犯たちを見て、私は誰が私をさらったのか分かった。


「これ以上は時間をかけられない。姫への贈り物を済ませよう」


 男は箱から黒い魔法の布を取り出し、私に触れさせた。チクリと痛み、私は震えた。

 男は黒い布を私の目に巻いた。私は再び何も見えなくなった。


「公子の怪我はまずいぞ、予定を早めるんだ」

「ああ、姫への『贈り物』は済んだ。あとは捜索隊が芝居がかった『発見』をするのを待つだけだ」


 そんな会話が聞こえてきた。


 アグーの怪我により、誘拐犯たちは予定を早めることにしたようだった。

 治療薬でアグーの出血は止まったが、急激な魔力消耗で彼は気を失っていた。


 森の中には私達二人だけが置いていかれた。


「アグーの手が冷たいわ。大丈夫?」


 きっとすぐに助けが来るし、この程度の冒険なんてすぐに終わる。

 アグーも少し疲れているだけで、すぐに元気になる。


「大丈夫よ、魔力もすぐに回復するわ」


 アグーに触れて魔力を送り込むと、彼の体が少しずつ温かさを取り戻していく。私も魔力を使いすぎて、意識がぼんやりしてきた。

 やがてアグーの呼吸が落ち着き、体の震えも止まった。その直後、遠くから馬のいななきと、鎧の擦れる音が聞こえてきた。


「パルマ王女と公子様を発見! ご無事ですか!」


 助けが来たんだ! 安堵したのも束の間、聞こえてきたのは聞き覚えのある誘拐犯の声だった。


「よう、待ってたぜ。約束の鐘は持ってんだろうな」

「ああ、ご苦労だった。宰相閣下からの褒美だ」


 チャリン、と硬貨の入った袋が手渡される音。

 やっぱり、全部仕組まれたことだったんだ。

 愕然とする私の耳に、騎士の冷たい声が突き刺さる。


「だが、お前たちは知りすぎた」


 次の瞬間、空気を切り裂く金属音と、男たちの断末魔が森に響き渡った。

 生々しい肉の音、血の匂い。私はあまりの恐怖に声も出せず、ただ震えることしかできなかった。


 やがて、アグーがゆっくり目を開け、私を見つめた。


「パルマ、よかった怪我はない?」


 アグーの声には安堵が滲んでいた。


「目隠しを外してあげるね。もう安全だから」


 誘拐犯はアグーの縄を解いていたようだ。

 治療をするのに邪魔だったのかもしれない。


 アグーは私の頭の後ろに手を回し、禍々しい布を解いていく。

 今度はしっかりとした手つきで、丁寧に布を解いてくれた。


「ありがとう、アグー。目隠しがもう我慢できないくらいきつくて……早く目隠し取りたかったの」


 布が緩む感触に、私の心は希望で満たされた。


 ついに目隠しが外れた。

 私は瞬きを繰り返し、涙で潤んだ瞳を何度も擦った。

 ぱちぱち、ぱちぱち。


 光が戻る。視界が開ける。そんな期待で胸が躍る。

 しかし、待っていたのは変わらぬ暗闇だった。


「アグー? どこにいるの? 何も見えないよ……」


 私の声が小さく震える。

 手を伸ばして辺りを探ると、アグーの温かい手のひらが私の手を包んでくれた。


「パルマ、ぼくはここにいるよ。君の目の前に」

「見えない……お日様も、アグーの顔も、何も見えないよ……」


 私の声は次第に細くなり、やがて嗚咽に変わった。

 両手で顔を覆い、体を小刻みに震わせる。

 アグーは慌てて私の肩を抱き、必死に慰めの言葉を探す。


 私は禍々しい魔道具により視力を奪われていたのだ。


 *


 現実のアグーが口を開く。私の心がざわめく。

 過去の記憶から現在へと戻ってきた。


「王女は失明した」


 アグーの声が途切れる。


「全て俺のせいだ。俺が守れなかったから。だから若旦那」


 アグーは、決意と諦めが宿っているのを見て、息が詰まりそうになる。


「俺は王女を幸せにする資格がない。できない。君に託したい。俺のような醜い豚では、王女殿下を幸せにできない。それに――」


 アグーは一瞬言葉を詰まらせた。


「この腐敗した世界を変えるために、俺は全てを掛けて荒治療をするつもりだ。だからこそ、君のような男に王女殿下の未来を託したいんだ。」


「全て……公子、無茶はしませんよね?」


【大げさだな、ちょっとした荒療治さ。心配しなくていい】


言葉が黒い霧と共に宙に浮かんだ。

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