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第7話 アグーの失恋

「はいはい、若旦那がぱぱっと代金を計算しますからね」


 私が計算機をいじっていると、アグーが興味深そうに手元を覗き込んできた。


「若旦那、商会長代理なんですから、もっと偉そうにしてください」


 ミラが小声でそう言うと、私の手から計算機をひったくっていく。


「特別なお客様には特別な価格で提供しておりますので」


 その笑顔に、すごく嫌な予感がした。

 ミラが読み上げた数字は、計算結果のざっと三倍。


「そんなものか」


 えっ? アグーはあっさりと承諾してしまった。

 してやったりと、ミラが得意げな顔を向けてくる。


「ダメだよミラ!」

「いいじゃないですか、悪徳貴族はたんまり稼いでいるんですから」

 本人を前にして、なんてことを。


「なんだ、法外な値段だったのか?」


 あ……バレてしまった。


「はい、法外です」


 正直に答えるしかない。


「申し訳ございません公子。この子は優秀なのですが、ときおり悪戯をすることがありまして」


 私が必死にフォローすると、ミラは私の背後でべーっと舌を出した。

 まったく、見た目が子どもなのを良いことにやりたい放題なんだから。

 でも、アグーはなぜか微笑んでいる。


「よい、怒ってはいない。少し昔を思い出しただけだ」


 その表情に、どこか懐かしそうな色が浮かんでいた。


「そうだ、若旦那。アレも買い取ってもらいましょうよ」

「アレ?」

「静養所から持ってきた骨董品ですよ」


 ミラの言う「アレ」に、私も思い当たる。

 なるほど、ぼったくりよりは健全そうだ。


 *


「こちらが事務所です。どうぞ」


 私がアグーを案内すると、ミラが早速、奥から品物を取り出してきた。


「公子、こちらはいかがでしょう? 私たちが静養所から持ってきた骨董品や絵画なのですが」

『これは例の老商人が置いていったものですね。貴金属以外は鑑定が必要で換金に時間がかかると』

『ええ。ちょうどいいわ、アグーに鑑定してもらえれば一石二鳥よ』


「これは、かなりの逸品だな」


 アグーが品定めをする中で、一つの象牙の彫刻ブローチを手に取った。


「これは……」


 その瞬間、アグーの表情が変わる。

 優しかった目が、急に鋭くなった。


「ひとつ、聞きたいことがある」

「なんでしょう?」


 アグーがゆっくりと室内を歩き、ドアの前に立つ。

 まるで、私たちを部屋から逃がさないかのように。


「なぜ、パルマ王女の私物がここにある?」


 アグーの口から不意に出た私の名前にドキッとした。

 違う! それどころではない。


 まさかアグーがこれを……このブローチのことまで知ってるなんて。

 しかも、私は名前を呼ばれたことで明らかに動揺してしまった。これじゃあ、ますます怪しい。


「なぜ、それがパルマの持ち物だと思うのです?」


 私の問いに、アグーの視線がさらに鋭くなる。

 彼は象牙の彫刻ブローチを掲げた。そこには小さな刻印が刻まれている。


「このブローチは、俺が王女に贈ったものだ」


 アグーの声が、静かに響いた。

 でも、その静けさの奥に、抑えきれない怒りが滲んでいる。


「イノシシの紋章は、うちの家に伝わる古い紋章でね。豚と呼ばれる前は、猪武者と呼ばれていたんだ」


 アグーが自嘲的に笑う。でも、その笑みは凍りついたように冷たい。


「パルマ王女は目が見えなかった頃『豚のブローチ』と言って毎日触って楽しんでいた」


 その言葉を聞いた瞬間、私の体が勝手に動いた。


「これは——」


 私はアグーの手からブローチを奪うように取り上げた。

 触れた瞬間、全てが蘇る。


 ——ああ。


 指先に伝わる懐かしい感触。

 浮き彫りの曲線、牙の鋭さ、でも全体的に丸みを帯びた優しい形。

 これは、私の「豚さんのブローチ」だ。

 盲目だった頃、毎日これを触って慰められていた。指でブローチをなぞった私が「可愛い豚さんね」と言うと、アグーは少し困った顔で「それはイノシシなんだ」と教えてくれた。でも私には、優しい豚さんにしか思えなかった。

 記憶が一気に蘇る。目の前にいるアグーからの、大切な贈り物だったんだ。


「どうした? 図星か? 顔色が悪いぞ」


 アグーの責め立てる声で我に返る。


「いえ……何でもありません」


 声が震えそうになるのを必死で抑える。


「そんな大切な思い出を、王女が売るはずがない。まして、見ず知らずの商人に渡すなど」


 一歩、また一歩と近づいてくる。

 部屋の空気が重くなる。


「若旦那、正直に答えてもらおうか」


 どうしよう……アグーからのプレゼントだったなんて、どう説明すれば……。


「これは、パルマから【預かった】んだよ。急にお金が必要になったと言って」


 冷や汗をかきながら答える。


「……また王女殿下をパルマと呼んだな!? 貴様、王女殿下に失礼であるぞ!」


 しまった、自分のことだから思わず呼び捨てにしてしまった。

 え、また? 二回目……!?

 さすがに言い間違いでは誤魔化せない。


「ほ、本当なんです! その、僕達は【友達】で!」

「嘘をつくな!」


 アグーの声が、部屋に響く。

 答えに困っている私に、ミラが助け舟を出してくれた。


「理由を知りたいですか豚公子?」


 でも、ミラの助け舟はいつも運転が雑なのだ。


「若旦那とパルマ王女は、ただならぬご関係なのです」

「ミラ!?」

「お二人は、お互いを完全に理解しあっているのです」


 アグーの表情が見る見る変わっていく。


「実は、身も心も一心同体なのですよ」


 ちょっと、一心同体とか言ったらバレちゃうでしょ!

 驚愕、殺気、そしてなぜか納得したような顔になるアグー。

 彼は小さな声で、本当に小さな声で吐息を漏らすように呟いた。


「そうか……王女殿下に恋人がいたのか……【それは良かった】」


 *


『え? なんで一人で納得してるんですか、あいつ』

『さあ……?』


 彼は私を見つめて、深々とため息をついた。


「若旦那。俺が王女殿下の婚約者だというのは知っているな?」

 もちろん。自分のことだもの。私たちは学園を卒業すると同時に結婚することになってる。


「平民が高位貴族、ロッパーク家嫡男の婚約者に手をだしたというのか?」

 えぇと、つまり、私は私の恋人で、私の浮気相手ってことになるのかしら……?


「王位を継承される王女を平民が娶ろうというのか?」


 じっと睨まれる視線に、身を縮み上がらせるしかできない。

 アグーが次の言葉を言うまでたっぷり四十秒はあったかもしれない。


「ははは、【冗談だ、冗談。怒ってなどいない】」


 ……何も冗談に聞こえないんだけど。


「君が王女殿下の心を射止めたのなら、どうか気にしないでくれ。俺と王女殿下の婚約は、所詮【政略結婚】に過ぎない。君たちの間に割って入るつもりはない」


 は?

 背後で小さなミラがくすくすと笑い出した。


「ふふん、強がっても本当は未練たっぷりなんでしょう?」

【あんな女に未練などあるものか】


「好きだったくせに」

「幼い頃のことだ【今は違う】」


 そして、アグーに肩を強く掴まれた。

 契約の悪魔を握りつぶした光景が思い浮かぶ。


「ハモン=セラーノ。 遊びではないだろうな?」

「も、もちろんです!」


 グッと近づいてくるアグーに身を強張らせると、ミラがまた暴言を吐く。


「離れなさいよ、この豚公子。お前なんかブーブー鳴いてれば良いんです」


 流石に言い過ぎだと肝を冷やす。

 しかし、アグーは優しく微笑んでいた。


「そうだな。お嬢さんにこの顔は見苦しいだろう」

「怒らないのですか?」

「かまわん。昔、王女殿下にも似たようなことを言われたものだ。懐かしい」


 じっと黙り込むアグー。

 もう、なんで男の人って、何を考えているかわからない無言になるの? 言いたいことがあるなら、言えばいいのに!


 男としてどう返して良いのかわからない。

 どうしていいかわからず、とりあえず握手を求めた。


「で、この握手はなんなんだ?」

「えぇと、友情?」

 

 適当にごまかすと、強く握り返してきた。

 そのまま引き寄せられて肩を組まれる。

 うわっ!?

 若旦那は男性としては少し身長が低く、アグーは高いので覆いかぶされるようになった。


「そうか友情か! 若旦那は俺の友人なのか!」


 えらく上機嫌だ。


『パルマ様、さっきまでの怒りはどこへやらです。無理に自分を納得させたみたいですね』


「男のお前から見て、俺の姿はどうだ?」

「顔面凶器ですね」


 私じゃない、これを言ったのはミラ!


「若旦那もそう思うだろう?」

 魔眼を持たないはずの若旦那にはそう見えているはず……ここは合わせないと。


「……顔面凶器です」


 私の口から嘘の霧は出なかった。

 まあ、逆の意味で顔面凶器なのは間違いないし。


「それはそうだな、しかし男同士の美醜などどうでもいいだろう?」


 質問の前提がすべて間違ってる……私は女で、あなたの見た目はすこぶる麗しいっていうのに。

 

「えぇ、まぁ」


 男性に肩を抱き寄せられたのは初めてのことで、私は完全に固まってしまった。


「すまない、自分の中で色々と整理をつけることがあってな。いまちょっと、若旦那を利用させてもらっている」

「何のことです」

「笑い飛ばしてくれ友よ。俺は自分が王女殿下を幸せにする責任があると思っていた。だから死ねないとな」

「死ぬとか物騒な話ですね」

「だがそれは若旦那の役目らしい。王女殿下の恋人なら、あの絵の事も知っているだろう?」


 え? 恋人!?

 混乱する私にアグーが示したのは、私たちが持ち出した絵画だった。

 療養所が学園になる前の中庭を描いたものだ。

 

「王立学園の中庭です。もともとは王家の静養所で、王女殿下も小さい頃にここで過ごされたとか」

「そうだ。よくあの東屋で話をしたものだ」


 それは私にも忘れられない思い出。


「勘違いしないで欲しい、若旦那。君と王女殿下の邪魔をするつもりはない」

「ほんとでしょうね、豚公子? 本当は嫉妬してるんでしょ?」


 アグーは穏やかに、困ったように笑う。

 そして目を閉じてゆっくりと答える。


「安心してくれ【嫉妬などしてない】から。ただの【政略結婚】だ。君のような男性こそが、王女殿下を支えるのにふさわしい」


 また黒い霧。【嫉妬はしてない】という文字が痛々しく宙を漂う。

 なぜこんなに嘘をつくの? なぜ自分を貶めるような言葉ばかり……。


「王女殿下について話す前に、俺の懺悔を聞いて欲しい」


 長い話になる。

 アグーがそう言って、ミラにお茶のおかわりを頼んだ。

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