第6話 約束の客
老商人夫妻を見送った翌朝、私たちはセラーノ商会に来ていた。
今日の使命はただ一つ。受取証書を持つ客に、木箱を無事に引き渡すこと。
最初は新しい経験に浮かれていたのに、カウンターに肘をついていると、急に不安になってきた。
「本当に、私たちだけで大丈夫かしら……」
「大丈夫です、パルマ様。荷物を渡すだけですから、まずは荷物の確認を」
ミラの冷静な言葉に促され、私たちは倉庫へ向かった。
薄暗い倉庫の隅に、目的の木箱はあった。
「これね!」
私が木箱に近づくと、ミラが荷札を慎重に確認する。
「……パルマ様」
ミラの声が、急に緊張を帯びた。荷札には『プリンセス』と書かれていたからだ。
「プリンセス……? 私のこと? バレてるの?」
「パルマ様の称号を使う意図が読めません。最大限に警戒すべきです」
ミラの鋭い指摘に、私もゴクリと唾を呑んだ。
こうして私たちは、謎の客を待つことになった。
*
私たちは店の扉に「準備中」の札をかけ、内側から鍵をかけて客を待つことにした。
まるで鳥かごの小鳥のように、私はそわそわと店内を歩き回る。
「まだ来ないわね……」
私の不安が言葉になって出てしまう。
「落ち着いてください、パルマ様」
ミラが冷静にお茶を淹れてくれる。
その時、店の扉を叩く音がした。
私とミラは顔を見合わせる。
約束の客だろうか?
でも、約束の時間より早い。
ミラが慎重に扉へ近づき、小さな声で尋ねる。
「どなたでしょうか」
ミラが慎重に尋ねると、外から女性の声が聞こえた。
「あら、もう閉店しちゃったの? 香辛料はまだ残ってるかしら?」
困っている声色に、私は思わず口を挟んだ。
「ミラ、少しだけなら……」
ミラは一瞬ためらったが、静かに頷くと、扉の鍵を開けた。
「あら、お店開けてくれたのね。ありがとう」
彼女の笑顔に、私の不安が少し和らぐ。
慌てる私を尻目に、ミラが冷静に対応してくれたおかげで、無事に初売上! なんだか私、本物の商人みたいで嬉しくなってしまった。
「一ヶ月は営業予定ですので、またお越しくださいね」
私の開店宣言にミラが呆れている。
でも、この女性の笑顔を見ていると、本当に商売を続けたい気持ちになる。
それからもまばらにお客さんがやってきた。
ご近所さんや常連さんらしい。
「閉店するって聞いていたからさ、開いているのを見て思わず寄っちゃったよ」
客足が途切れたので、私たちは店の奥で一息つくことにした。
だらしないところをお客さんに見せたくないからね。
「はあ、商売って大変なのね……早く約束の方、来ないかしら」
「パルマ様。やるときめたからには、気を抜かないでください」
その時、店のドアベルがチリンと鳴った。
今度こそ、約束の客かもしれない。
カウンターの裏から覗き見る。
しかし、そこに立っていたのは予想外の人物だった。
その姿を見た瞬間、私の心臓が跳ね上がった。
アグーだった。
*
「パルマ様、豚公子です」
ミラが小声で囁き、警戒心を露わにする。
「隠れましょう」
ミラが私の手を引いて、カウンターの後ろに隠れる。
店内を見渡したアグーは誰も居ないことを確認すると、長い手を伸ばしてドアの上についているベルを指で鳴らした。
美男子は何をしても見惚れてしまう。
『豚のくせにかっこつけてますね』
「……誰かいないか?」
『パルマ様、どうしますか……居留守を使いますか?』
ミラが焦ったように念話で問いかける。
『ダメよ! 彼が約束の人かもしれないじゃない』
『ですが、危険です』
『じゃあ、ミラが相手してきてよ。男装して、店番のふりをすればいいわ』
ミラは渋々頷くと、光に包まれ、魅力的な南部の青年へと姿を変えた。
『さっきの店の老商人の、お孫さんをイメージしたのね?』
『はい。これなら怪しまれないでしょう。では、豚公子を追い返してきます』
『ミラ! せめて用件くらいは聞いてあげて』
*
「いらっしゃいませ」
店の表に出たミラの声は、別人のように冷たく響いた。
「見ない顔だな。いつもの店主ではないのか?」
「大旦那様なら留守だ。用があるなら出直してもらいたい」
「そうか。お前は?」
「あんたに教える名前なんてない」
ミラの露骨な敵意に、私はハラハラする。
「随分と無礼な店番だな」
「悪徳貴族に礼儀なんて必要ないだろう」
アグーは一瞬黙り込んだけど、すぐに嬉しそうに笑いをこらえながら言った。
「……まあ、そうだな」
ミラの冷たい態度に、私は思わず割って入りたくなる。
とっさに足元の掃除道具を蹴飛ばした。
ガシャン!
店内に大きな音が響き渡った。
「なんだ? 他にも誰かいるのか?」
「あ、従業員が……その……」
ガシャン!
もう一回蹴飛ばす。
ミラ、もどって来なさいよ!
「大丈夫か? 見に行った方がいいんじゃないか?」
アグーが心配そうに提案する。
ほら、こんなに優しいのに!
戻ってきたミラをひっつかんで急いで店の裏の倉庫に駆け込む。
「なにやってるんですパルマ様」
「ミラ! 私が直接会うわ! あなたじゃ冷たすぎるもの」
「は? 正気ですか? 相手は豚公子ですよ」
ミラが深いため息をつく。
その表情は、まるで親が子供の無茶な要求に困っているようだ。
「……パルマ様に変身魔法を使います。でも、私は一人にしか変身魔法を使えませんからね」
「それじゃあ、ミラは? 隠れてる?」
「心配なので私も出ますよ。元の姿に戻ります」
ミラが魔法を解くと、光に包まれて——そこには10歳くらいの小さな女の子が立っていた。
金髪をツインテールに結い、メイド服も子供サイズ。
大きな瞳は相変わらず知的な輝きを宿しているが、その小さな体つきとのギャップが愛らしい。
この姿を見るのは久しぶりだ。
「この姿、本当に私の幼い頃にそっくりよね」
「当然です、私はパルマ様があのときに作られた魔法の分身なのですから」
続けて光が私を包み込む。
体が変化していく感覚——背が伸び、肩幅が広がり、声も低くなっていく。
そして、肌の色も濃く変化していく。
「身長も体格も若い男性そのものです。ですが、これは注意してくださいね。パルマ様を変身させるのは難しいのです。急ごしらえですから急に解けるかもしれませんよ」
ミラは小さいのにいつもの様にお小言は厳しい。
「絶対に正体がバレないように。そして、豚公子には甘い顔をしないでください」
「分かってるわよ……たぶん」
深呼吸をし、小さなミラを連れてアグーの元に戻る。
「お待たせいたしました。従業員の子が、バケツをひっくり返しまして」
「ふん、豚に水をかけてやろうかと思ったのです」
幼い姿で毒舌を吐くミラを見て、アグーが一瞬動きを止めた。
「……その子は?」
「私は店員です。あんたみたいな悪徳貴族に名前なんか教えません」
小さなミラが腕を組んで、辛辣な言葉を吐く。
アグーの表情が驚きが混じったような複雑なものになる。
「それで、商人は名前くらいは教えてくれるのだろうな?」
「ハモンです。若旦那とお呼びください」
私はとっさに考えた名前を名乗る。
男性らしい挨拶……と考えて握手を求めた。
「店番でして、このように鍵も預かっています」
鍵を見せびらかすように振る。
「そうか。疑って悪かったな」
「いえいえ! セラーノ商会は『縁は宝なり』を家訓としていますから!」
アグーが少し首を傾げる。
「……さっきまでと雰囲気が違わないか?」
しまった! 私にはミラのような辛辣さがない! 焦った私は、満面の笑みで再び握手を求めた。
「ふっ……はははは! 面白い男だ。俺が誰かわかっているのだろう?」
その笑顔は、まるで昔のアグーを思い出させる。
「ロッパーク家次期当主、アグー様ですね」
「あだ名も言ってみろ」
私が口ごもっていると、小さなミラが前に出る。
「豚公子でしょ? みんな知ってますよ、醜い姿で威張り散らしてるって」
アグーが苦笑する。
その表情に、どこか懐かしそうな色が混じっている。
まるで昔の記憶が蘇ってきたかのようだ。
「随分と辛辣な子供だな。昔、似たような子を知っていたよ」
躾のなってない子どもがいたものだ。
「へぇ、その子も豚が嫌いだったんですか?」
「いや……その子は豚が好きだった」
アグーの声が、少しだけ優しくなる。
「さぁ、荷を見せてもらおうか、若旦那」
彼を倉庫に案内すると、アグーは『プリンセス』と書かれた木箱の前で止まった。
「これか。開けてくれ」
中には大量の食品が入っていた。
「よし。パルマ王女の名で貧民区の孤児院に届けてくれ」
——私の名前で? どうして?
「なぜです? ご自分の名で寄付をされれば、評判も上がるでしょうに」
「俺の事情だ」
アグーはそれ以上答えなかった。
「分かりました。必ずお届けします」
とりあえず握手を求める。
男ってそんな感じだったと思う。
「若旦那、豚に触ったら臭いが移りますよ」
小さなミラが私の袖を引っ張る。
「そんなに嫌うものでもないだろう」
アグーは苦笑すると、ミラをじっと見つめた。
「その子……幼い頃のパルマ王女に似ているな」
あはは、そりゃ見た目はね。
「辛辣なところがそっくりだ」
え!? 見た目だけじゃないの!?
「おやおや? 豚のくせに意外と見る目がありますね。褒美にお茶でも出してあげましょうか。豚には勿体ないですけど」
ミラは毒舌を吐きながらも、その足取りは、どこか嬉しそうだ。
そして、毒舌なミラを私に似ていると言ったアグーの言葉に、嘘はなかった。