第5話 セラーの商会
困り果てて、私たちはオープンカフェで一息つくことにした。
「もう! どこも嘘つきばかりじゃない!」
テーブルを叩きそうになるのを、私はぐっとこらえた。
「パルマ様、お気持ちは分かりますが、少し収穫もありました」
私がただ怒っていただけの時間に、ミラはそんな事まで調べてくれていたらしい。
「いくつかの店で、貧乏な平民には裏路地の商会がお似合いだと言われました。この近くの路地裏に小さな店があるようです。庶民の間では正直な商売をしていると評判ですが、最近は経営が厳しいとか」
「次はそこに行きましょう!」
「パルマ様、今度は慎重に——」
「分かってるわよ!」
*
路地裏に、私たちは看板のない小さな店を見つけた。ドアには何の表示もなくて、カーテンが引かれたまま。でも、大通りの店にこりごりした私たちには、もうここしか頼れる場所はなかった。
思い切ってドアをあけると——
「いらっしゃい、いらっしゃい!」
白髪の老人が満面の笑みで迎えてくれた。褐色の肌に、温かい琥珀色の瞳。南部の人の特徴だ。
「おや、可愛いお嬢ちゃんたちだね。さあさあ、遠慮しないで入って」
その優しい笑顔に、さっきまでの嫌な気持ちが和らいでいく。この雰囲気には覚えがあった。幼い頃、母に連れられて訪れた大通りの宝石商で、優しく迎えてくれたあの老商人にそっくりだ。
「婆さん、お客さんだよ! お茶を出してくれるかい?」
「まあまあ、こんな可愛いお嬢ちゃんたち」
奥から現れた老婦人も、同じように日差しみたいな温かい笑顔を向けてくれる。
「あの、実は査定をお願いしたくて……」
「そんな話は後でいいから、まずは座って座って」
老人が椅子を勧める。
この雰囲気には覚えがある、幼い頃に出会った老商人に似ている。
幼い頃、母に連れられて訪れた大通りの宝石商で、優しく迎えてくれた白髪の老商人。琥珀色の瞳で小さな手に宝石を触らせてくれて、「王女様、この宝石のように美しく成長してくださいね」と言ってくれた、あの温かい人だ。
「はて、誰かに似ているような……」
老婦人が私をじっと見つめる。何か懐かしさのようなものが浮かんでいる。
「婆さん、お客さんを困らせちゃいけないよ」
老人が優しく奥さんをたしなめる。
お茶を飲みながら、私は宝飾品を見せることにした。
「あの、おじいさん。これらの品々の査定をお願いしたいのですが」
宝飾品を見た瞬間、老人の目が輝いた。
「おお、これは素晴らしい! 良い品じゃな」
彼は一つ一つを、まるで我が子のように慈しみながら、嬉しそうに確認していく。
「ティアラは二千ルピア、ネックレスは千五百ルピア……うん、いい子ばかりじゃよ。縁は宝なり、こんな素晴らしい品と出会えるなんて、お嬢さんありがとうね」
彼の言葉には、嘘の霧が一つも混じっていなかった。私とミラに、思わず笑顔がこぼれる。
「ああ、ワシの目に狂いはないよ。50年この道でやってきたんじゃから」
でも、思い出の品々を手に取ると、彼の表情が変わった。
「お嬢ちゃん、これらは売ってはいかん」
「え? でも、お金が必要なんです」
「思い出の品は、どんな宝石よりも価値があるんじゃ。特にこのブローチ……イノシシの紋章。贈った人の優しさが伝わってくる。こんなものを売ってはいかんよ」
老人は、思い出の品を丁寧に包み直して私に返してくれた。
「宝飾品は売っても構わん。でも、思い出は売ってはいけないよ」
「わかりました。では残りの貴金属は買っていただけますか?」
「それがな、お嬢ちゃん……」
老人は申し訳なさそうに頭を下げた。
「宝飾品を買い取る金が、今のワシにはないんじゃ」
「え?」
「実はね、つい最近まで大通りで『ロイヤル・ジュエリー』をやっていたんじゃが……」
「ロイヤル・ジュエリー!」
私とミラが同時に声を上げる。さっき行った、あの嘘つきの店だ。
「知ってるのかい?」
「さっき行きました。でも、ひどい値段をつけられて……」
その瞬間、老人の顔が真っ赤になった。
「あの野郎がまた人を騙してるのか!」
老人が拳を振り上げるのを、老婦人が慌てて止める。
「だってよ、婆さん! あいつは俺の店を奪っただけじゃなく、今も客を騙してるんじゃぞ!」
「落ち着いて、お茶でも飲んで」
老婦人がなだめながら、私たちに向き直る。
「ごめんなさいね。あの店の話になると、いつもこうなのよ」
「何があったんですか?」
老人の話は、信じられないものだった。親友の息子に泣きつかれて保証人になったら、それが魔術契約書で、店も財産も全て奪われたというのだ。
「契約書には隠蔽魔法がかかっておってな。最初から全部、店を乗っ取るための嘘だったんじゃよ!」
一番許せないのは、親友との思い出まで汚されたことじゃ、と老人の目に涙が浮かぶ。
『パルマ様、魔術契約書となると非常に厄介ですね。一度成立すれば覆すのはほぼ不可能です。契約者の魂に直接干渉するため、法を超えた強制力を持ちますから』
ミラの冷静な念話が頭に響く。これはただの契約書じゃない。人の心を、人生そのものを縛り付ける呪いの鎖なんだ。
*
「お嬢ちゃんは正義感が強いんじゃな。でも、もう【諦めた】よ」
その時、老人の口から薄い黒い霧が漏れた。今まで見てきた真っ黒な嘘とは違う、自分に言い聞かせるような、悲しい嘘。本当は諦めきれていないんだ。
「諦めちゃダメです!」
私は思わず叫んでいた。
「世の中には【勝てない相手もいる】んじゃよ」
また薄い黒い霧。でも、その奥に見えるのは、本当は戦いたい、正義を貫きたい、という強い光。この人は、本当は今でも諦めていない。
「あなた、最後にもう一度、商売してみない?」
老婦人が名案を思いついたように手を叩いた。
「このお嬢ちゃんたちの品物、交易都市まで持って行って売ってきたら?」
「そうか……最後の大仕事じゃな」
「ええ。セラーノ商会の名に恥じない、正直な商売を」
老人の目に、再び商人の炎が灯る。
その真実を見て、私は確信した。この人なら、信じられる。
「よし! お嬢ちゃんたち、一ヶ月待ってくれるかい? 必ず良い値で売ってくる」
「もちろんです!」
「ありがとう。ああ、それとな」
老人が申し訳なさそうに頭を下げる。
「ただし、すぐに売れるのは貴金属だけじゃ。絵画などの美術品は時間がかかる」
「つまり、今すぐ現金化できるのは……」
「ティアラやネックレスなどじゃな。他の美術品は、後日買い手を見つけてから連絡する」
結局、私たちの手元には売れない美術品と、思い出の私物が残ることになった。
それらはセラーノ商会の倉庫で預かってもらうことになった。
「そうと決まればすぐに出発だ。お嬢ちゃんたちが持ってきてくれたこの宝飾品、一日でも早く、一番良い値で売ってきたいからのう」
「あなた、もうすっかりやる気ね。本当に【困った人】だわ」
老商人の言葉に、私は嬉しくなった。
「よろしいのですか?」
「その代わり頼みがある。明日、取引先が荷物を取りに来ることになっとるんじゃ。だが、その方はちと訳ありでな、名前を名乗らんので連絡ができん。代わりに受取証書を持ってくるはずじゃ。倉庫にある木箱を渡してくやってくれ」
老商人が少し困ったように頭を掻く。老婦人も心配そうに頷いた。
「それでしたら、私たちが責任をもって、その受取証書をお持ちの方にお荷物をお渡しします!」
私の言葉に、老夫婦は驚いたように顔を見合わせる。
「たのめるかい、お嬢ちゃん?」
「はい。それくらいさせてください」
私の真剣な眼差しに、老商人は深く頷いた。
私とミラも力強く頷く。老商人が立ち上がりながら、優しく微笑んだ。
「こういう出会いがあるから商売は楽しい。セラーノ家にはこんな家訓があってね——『商いは人なり、人は縁なり、縁は宝なり』」
「素敵な言葉ですね」
ミラがふと、尋ねた。
「ところで、荷物を取りに来られるのはどんな方ですか?」
ミラが尋ねると、老人は楽しそうに笑った。
「はは、少し変わった御仁でのう、すぐに分かるじゃろ。ちと見た目について色々と言われておるようじゃが、ワシが見るに心根のまっすぐな、良いお方じゃよ。君たちにも良い出会いでありますように」
老夫婦を乗せた馬車を見送りながら、私は心に誓った。
いつか必ず、こんな優しい人たちが正直に商売をできる、嘘のない世の中にしてみせる、と。