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第3話 パルマの決断

「あの……契約が破棄されたということは、もう追加の費用を払わなくてもいいということでしょうか?」


 商人令嬢が恐る恐る立ち上がって尋ねた。そう、魔術契約書が破棄された今、彼女がヴルスト先生の遊興費を払う必要はもうないはず。

 なのに、ヴルスト先生は真っ青な顔で食い下がった。


「な、何を言っているんだ! 契約が破棄されたら【検討会】ができないじゃないか! つまり君の父の事業は永遠に認可されないということだ!」


 なるほど、そういう理屈で来たわけね。契約書がなくても、権限を盾に脅迫を続けるつもりなんだ。


「やめておけ、ヴルスト。騒ぎが大きくなりすぎだ。殿下も見ておられる」


 うぁ、アグーが先生を呼び捨てにした。


「不都合な証拠が沢山あるだろう? 全て私のところへ持ってくるといい。【私が全て握りつぶしてやる】」


 アグーの口から黒い霧が溢れ出した。

 嘘? アグーは嘘をついている。でも、それはヴルスト先生を安心させるための嘘。


「そうです! さすがは私の【尊敬する】公子様!」


 案の定、ヴルスト先生はアグーという後ろ盾を得て、急に強気になった。令嬢には醜悪な優越感を撒き散らし、下卑た視線を向ける。


「だが寛大な私は、別の方法を提案しよう。君が今夜、私の会合に参加してくれるなら、特別に検討会を開いてあげても良い」


 最低。結局、契約書があろうがなかろうが、やることは変わらないんだ。

 アグーが何も言わないのをいいことに、ヴルスト先生は私にまで絡んできた。


「そうだ侍女、お前も来い。貴族の僕に失礼を働いたんだ、謝罪が必要だろう?」


 私がアグーのことで頭がいっぱいになっている隙に、ヴルスト先生は王女ミラのいる車椅子に手をかけた。


「よろしければ殿下も——」


 その一言で、アグーの魔力が膨れ上がった。


「……公子様。その、何か怒っておられませんか?」

【怒ってなどいないが?】


 また黒い霧。絶対怒ってる!

 アグーは無言でヴルスト先生の背後に立つと、ゆっくりと片手をあげる。その表情はさっき小悪魔を握りつぶしたときと同じ。

 まさか、先生まで握りつぶすつもり!?


『クズ豚公子とクズ教師がパルマ様に触れようなどと身の程知らずな、握りつぶしてやりましょうか』


 ミラまで同じことを言い出した!


 *


「お、お止めください公子」


 流石にここで教師を殺させるわけにはいかない。それが私を守るための行動なら、なおさら私に止める責任がある。

 かなりの体格差だったけど、私は体全体でアグーを押し留めた。その瞬間、全身に濃密な魔力の抵抗を感じる。

 アグーの魔力蓄積体質が作るこの濃密な魔力の輪郭が、豚みたいに愛らしい形をしていることに、私は気づいてしまった。

 まるで膜に包まれたような、でも押し返す抵抗感が心地よい。


(ぷにぷにした魔力の輪郭の中に、鍛え上げられた騎士の体が隠れてる。外側は可愛い豚で、内側は完璧な騎士。どっちもアグーなんだ)


「おい、お前。何をしている!」


 突然の接触に、アグーは明らかに動揺していた。その表情には困惑と戸惑いが浮かんでいる。まるで火に触れたかのように身を引く彼の姿に、女性に慣れていないんだな、と分かってしまった。


「やっぱりお前も会合に来たいのか? いいだろう金なら今までの分がたっぷりあるからな」


 ヴルスト先生が私の手首を掴んだ、その時。

 今まで沈黙を保っていたミラが、車椅子からすっくと立ち上がった。盲目の王女が自らの足で立ったことで、中庭のざわめきは最高潮に達する。もうめちゃくちゃだ。


『パルマ様、その汚らわしいクズと豚から離れてください』

『アグーが怒ったのは、私を守ろうとしてくれたからよ』

『騙されています。醜い豚の姿通り、腐敗貴族の頂点なのです』


 ミラには醜い豚しか見えていない。でも、私には騎士の姿が見えている。


「豚公子が王女様を睨んでるぞ」

「あの豚め、王女様に何をする気だ」


 ——睨んでない! 心配そうに見てるだけじゃない!


『パルマ様、今すぐ豚公子から離れてください。危険です!』


 ミラの警告は必死だった。でも、私の心はもう決まっていた。


 *


「ヴルスト、その商会の認可を通してやれ」


 アグーが気まずそうにしているヴルスト先生に命じる。


「殿下が出てこられたのだ。遊びはここまでにしろ。殿下を煩わせるな、今日中に出せ」

「そ、それは……書類ですとか調査ですとかを準備しないと……」


 この期に及んでまだ嘘を? ……ん? ヴルスト先生の言葉に嘘の霧がない。


「まさか、認可の準備を何も進めていなかったのですか?」


 私が思わず尋ねると、彼は大声で嘘をついた。


【そ、そんな訳がないだろう。もう少し時間がかかるだけだ!】


 全部ウソだ。

 ヴルスト先生は本当に何もしていなかったんだ。商人令嬢の瞳から光が消え、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。


「王女様……侍女の方も、もう結構です。私のような平民のために、本当にありがとうございました」

「もう少しですよ。あとは認可が下りるのを待つだけでしょう?」

「これから手続きが始まるとなれば、とてもそれまでは……」


 その瞬間、私の中で全てが決まった。

 目の前で苦しんでいる人がいる。助けたい。ただそれだけで十分だ。

 私は王女に扮したミラの肩にそっと手を置き、侍女として、しかし主人としての命令を込めて言った。


「王女様。公子の言われるとおりです。お体に障りますわ」


 私は優しく、でも確実に彼女を車椅子に座らせた。

 ミラの耳元で、私は自分の決意を告げる。


「パルマ様、なにをなさるつもりですか——」

「分かってる、ミラ。でも私は私のやり方でいくわ」


 そして振り返り、アグーを真っ直ぐに見上げた。

 私の魔眼には、彼の美しく鍛え上げられた騎士の姿が見えている。そんな彼に、みっともないところは見せられない。


「公子様、これ以上の妨害はさせないと約束していただけますか?」

「あたりまえだ。これ以上、貴族の不正の証拠をくれてやるつもりはない。俺が【隠蔽する】」


 また黒い霧。でも、その嘘はヴルスト先生を騙すためのもの。案の定、彼は勝ち誇ったように笑った。


「さすがは公子様! これから始めて認可まで半年はかかるからな。これでセラーノ商会はおしまいだ」

「では、それまでの資金があれば良いのですね?」


 ヴルストは勝ち誇ったように言った。


「ここまでの騒ぎになったんだ。もうだれもセラーノ商会に金を貸そうなんて思わないよ。半年も持たないで潰れるんじゃないかな」


 私は中庭の観衆を見渡した。ここで引くわけにはいかない。


「それでは、王女様からの言葉をお伝えします」


 私は中庭の観衆を見渡し、侍女として、しかしその声に王女の威厳を込めて、高らかに宣言した。

 これは、私自身の決断だった。


「セラーノ商会への融資は、パルマ王女がご用意なさいます」


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