合わないふたり
図書室に入る。目指すべき場所はすぐ近く、入口のすぐ側にある入荷したばかりの本が並ぶコーナー。そのコーナーの横にある貸し出しの管理をするカウンターでは、司書さんが黙々と書き物をしていた。
私は目当てのマンガを上から探していく。どんどん見ていくが、中盤付近になっても見当たらない。もしかしたら無いのではないか、という不安に襲われながら探す。
「……あ!」
目当てのマンガが見つかった。その嬉しさのあまり思わず声が出てしまう。私は咄嗟に口を抑えるが、あまり効果はなかっただろう。司書さんの方を確認すれば、こちらを見ることも無く書き物を続けていた。そこまで大きな声でなかったことに安心しつつ、下の方にあった漫画を手に取った。
他にも借りたい本がないか、ざっと図書室を見て回ったが特に見つからなかったので、マンガだけを持ってカウンターに向かった。
「これお願いします」
「はい」
テキパキと貸し出し処理をする司書さんを見ているのもどうだろう、と思ったので、カウンターの上を見る。1番最初に目に入ったのは、今日借りた本の返却日。忘れないようにしておこう。その横には司書さんおすすめの本が置いてある。推薦文も書いてあり、その文を読むととても興味が引かれた。マンガを返す時に借りようか。タイトルを覚えておこう。
「返却期限は1週間後です」
そう言って渡されたマンガを受けとり「はい、分かりました」と返事をして、図書室を出た。
読みたいマンガが借りられて、私は浮かれていた。そのせいで前方への注意が足りておらず、図書室を出てすぐに誰かとぶつかってしまう。
「うっ、ごめんなさい…………うげ」
「お前は……って、うげとは何だ。失礼だろう」
「見たくもない顔を見たんだから仕方ないでしょ」
「ふん。俺もお前の顔など見たくない。人にぶつかっておいて、そんな失礼なことを言う女の顔などな」
「アンタが私の顔を見たくないのには、それ以外の理由もあるでしょ。ヘタレリベルト」
私が煽れば、リベルトはさらに顔を顰めた。昔のような穏やかな表情はそこになく、その事が悲しかった。
リベルトは昔からこうではない。幼少の頃は笑顔が多く、私にも優しくしてくれていたのだが、成長するにつれてどんどん性格がキツくなった。
そういう成長を遂げたのは本人の環境もあるだろう。エメラルドグリーンの鋭い瞳にシャープなアゴ。瞳と同じ色の髪は、光を受けてキラキラと輝いている。そして服の上からでもわかる細身の体。ブルーノ程ではないが、彼もまたブサイクだった。
幼い頃から優れた頭脳を持っていて純粋だった彼。そんな彼を責めるのに、同じ年頃の子供達は容姿を選んだ。子供達だけならまだいい。彼の家と仲の良くない家の大人達も彼の容姿を貶めた。段々と彼は周りと壁を作るようになっていった。
そんなリベルトが心を許していたのが、自分の家族、そして私とヴェロニカだった。特に彼は、忌憚なく素直なことを口にするヴェロニカに惹かれていき、心を預けていった。
しかしヴェロニカはそうではない。彼女はリベルトとの時間よりも、私との時間を重視し、何かを話す時もリベルトよりも先に私に話をした。
あとは簡単だ。ヴェロニカに怒りを向けるのではなく、私に嫌悪を向けたのだ。ヴェロニカを独占し、束縛していると。最悪である。こちとらヴェロニカを独占している訳じゃないし、束縛なんてもってのほかだ。責任転嫁が酷すぎる。そんなんだからヴェロニカに選んでもらえず、横からトンビに掻っ攫われるのだ。当然の帰結である。
「はっ、なんの事だか分からないな」
「いくら学年1位、聡明なリベルト様にも分からないことがあるんですね。私とっても驚きました」
リベルトの顔がどんどん険しくなっていく。こちらに向ける怒気のせいか、近くを通った生徒が「ひえっ……」と声を上げて足早に去っていく。見慣れていない人なら怯えるが、生憎と私は幼なじみ。彼の不機嫌な顔は見慣れていたので、真正面から見返す。
「面食い令嬢が考える事などどうせ的外れだ。わかっている必要などない」
その言葉を聞いて思い出す。"面食い令嬢"という蔑称の名付け親はこの男だ。
「年頃の淑女に面食い令嬢なんて名づけをする男性が、好きな女性に振り向いてもらえるわけないということだったのですが……確かにプライドの高い貴方が理解できるわけなどないですね。申し訳ありません」
ニタニタとした笑みを張りつける。リベルトの嫌いな人を馬鹿にする表情。彼を煽るように意識して浮かべたが、やはり正解だった。リベルトはカッと顔を赤くし怒っている。
リベルトとまた仲良くしたい。そういう実現の難しい願いを私はまだ持っている。しかしそれとこれとは話が別。私の49回目の破局は彼の言った"面食い令嬢"のせいでもある。やり返さないと気が済まない。
「メイアっ!」
感情任せにこちらに伸ばされる手。何をされるのか分からない。だから何をされても良いように全身に力を込めて目を閉じた。
…………何も起きない。恐る恐る目を開くと、驚きで目を見開くリベルトの腕を誰かが掴んでいた。その手は私の後ろから伸びている。振り向けば、そこに居たのはブルーノだった。
「……ブルーノ」
名前を呼ぶのに少し躊躇した。だって、優しい彼らしくない、とても冷たい氷のような目でリベルトを睨んでいたから。その目は私に向けられていないのに、肌寒くなったような錯覚に襲われる。
怖い。先程のリベルトなどよりも、よっぽど怖い。リベルトの怒りは分かりやすかったし、慣れていた。でもブルーノは違う。気づかない間に喉元に噛み付いていそうで、私はそれに慣れていない。だから尚更、恐怖を感じたのだろう。
ブルーノは私を見た瞬間、いつも通りの優しい瞳に戻る。
「メイア! 大丈夫でしたか?」
「う、うん」
彼は私を庇ってくれた。リベルトを煽って、何をされてもおかしくなかった私を。だから怖いなんて思ってはいけない。そう考えて、恐怖を押し込めてブルーノを安心させるために笑みを浮かべる。
ブルーノはホッと息を吐いた。笑顔は上手く作れていたようだ。私を後ろからギュッと抱きしめてくる。そのせいでブルーノの表情は見えないけどリベルトが恐怖で歪んだ顔をしているので、さっきと同じような表情をしていると想像が着いた。
「ブルーノ・ペルティ……」
「確か……リベルトさんだったよね。メイアとどういう関係?」
「君こそ! メイアのことを抱きしめるなんて……!」
「俺? 俺はメイアの恋人です」
「こい……びと……?」
信じられないものを見るかのような目を、私に向けたリベルト。私は肯定を示すために首を大きく縦に振った。
「それで、リベルトさんは、メイアとどういう関係なんですか? 往来の場で手を上げようとするような関係はなんて名前なんでしょうか?」
声色は優しいが、言葉には刺がある。リベルトも隠されてもいない棘に気づいたのだろう。表情に怒りが戻り始めた。
「手を上げようとした事は悪かった。しかし先に――」
「例えメイアが何を言ったとしても、淑女に手を上げて良い理由にはなりません。そんなことが貴方に分からないとは思えません」
淡々と、背後からゆっくりと忍び寄り獲物を襲うかのように、彼は言葉を重ねた。リベルトは何かを言おうと口を開いて、何も言わないまま閉じてを繰り返す。そして最後に「そうだな。頭に血が上っていたようだ。済まなかった」とひと言呟いて私達の横を通り過ぎて行った。
喉まででかかった「ごめん」は最後まで私の口から出ていくことは無い。苦々しい味のするそれを飲み込んだ。
「あ、あり――」
「メイア」
お礼を言おうと思ったが、ブルーノに遮られた。
「リベルトさんとは、どういった関係ですか」
私の体に回された腕の力が強くなる。内臓が飛び出そうな程、強く抱きしめられているせいで彼の疑問に答えられない。
「あんなに話す男性が、カルロさん以外にいるとは思いませんでした。カルロさんはいいです。本当は良くないですが、メイアに好意は一切ないので。でもあの人は、違うかもしれない。あんなにも貴方に激しい感情を向けて、俺が恋人だと聞いたら驚いて。本当は貴女のことが好きなのかもしれません。教えてください、メイア。あいつは貴女とどういう繋がりがあるんですか?」
喋る度に締め上げる力が強まり、息すらままならなくなる。酸素が体に入っていかず、彼の言葉を理解することすら上手くいかない。私は命の危機を伝えるために何とか彼の腕を叩いた。
「…………あっ! すすすすすみません。苦しかったですよね!?」
ようやく気づいて、パッと手を離してくれる。私は体に酸素を取り入れるために、何度も息を吸って吐いてを繰り返す。
落ち着いてからブルーノを見れば、彼はアワアワと慌てていた。その姿を見てようやく安心する。いつも通りの彼だ。私のよく知るブルーノだ。その事が嬉しくて鼻の奥がツンとした。
「め、メイア……?」
私を伺うその姿が可愛らしい。さっきまでの恐ろしい姿が嘘のようだった。
「大丈夫。ブルーノが心配することは何もないよ」
私の体を締め上げた理由は多分、不安だ。手を上げるような男性と親しかったら、そりゃあ不安にも思う。ブルーノは優しいから。暴力に訴えるような男とあまり親しくしないでほしかったのだろう。普段はあそこまで激昂することは無い。私が煽ったせいでもあるから、弁明しなければ。
「リベルトは幼なじみなの。昔はすごい仲良かったんだ。もちろん普段はあんなことする人じゃなくて、さっきのは私が煽ったのもあるから、大丈夫だよ」
危険性はないことを伝えたかったのだが、何故かブルーノはムスッとする。誰から見ても顔に不機嫌です、と書いてある。どうしてだ。
「随分と庇うんですね。やっぱりあの男のことが好きなんですか?」
「……好き? うーん、また仲良くしたいとは思うよ」
私の返答に納得がいかなかったのか、グイッと顔を近づけてくる。ブルーノの身長が高いのと、顔の迫力のせいで圧迫感がすごい。
「メイアがそれぐらいの感情でも、リベルトの方は貴女のことが好きなんじゃないんですか」
「リベルトが私の事好きなわけないよ。だってリベルトが好きなのはヴェロニカだし」
「…………ヴェロニカさん、ですか?」
「うん。昔からヴェロニカに片思いしてるの。そのせいでヴェロニカと仲のいい私への当てつけが酷いの。……今回は私もやりすぎたけど」
いくら"面食い令嬢"の件があったからといってやりすぎてはいけない。彼と同様に私の頭にも血が上っていたようだ。
「そうなんですか、それなら……でも……」
何かを考え込むブルーノ。考え事の邪魔はしたくないので、黙って待つことにした。
「いえ、そんなことは今はいいですね」
どうやら考え事は後回しになったらしい。あまり待たずに済んだ。
ブルーノは何かを胸ポケットから取り出すと、私に差し出してくる。それは長方形の紙のようだった。文字が書いてある。
「…………これって、演劇のチケット?」
「はい! 一緒に見に行きませんか。今度の週末に」
思わぬお誘いに反応が遅れる。固まる私にブルーノは「……ダメ、ですか?」と言い、目を潤ませた。
「ダメなわけない! 私も一緒に出かけたかったの!」
喜んでチケットを受け取れば、彼は嬉しそうにした。受け取って貰えたことだけじゃない。同じ気持ちだったことも嬉しかったんだろう。私も同じだから分かる。
私たちは廊下で笑い合う。ブルーノは笑った顔の破壊力も凄かったらしく「ヒィ……!」と逃げ出す生徒が数名現れたが、恋人達の仲睦まじい光景だと諦めてほしい。