4人でのランチ
ランチをするのに人気のスポットは、上から食堂、中庭、 屋上だろう。みんな移動がしたいようで、教室でお昼にする人はそう多くない。もちろん天気の悪い日は中庭や屋上にいる人達が教室に流れ込むので、教室が大人気になる。
天気が良ければ、陽の当たる場所が人気なのだ。人間は大抵が陽に当たりたい生き物なのだと思う。
だからこそ、そこは殆どの人が選ばない不人気スポットだった。
カルロとヴェロニカが先導した先、学園の裏にある大きなベンチ。私たちは並んで座る。もちろん恋人同士。ブルーノと私、ヴェロニカとカルロの席順だ。
「まさか、皆さんもここをご存知だったのですね」
驚いた様子のブルーノ。どうやら彼もここのベンチのことを知っていたようだ。
「ブルーノも知ってたんだ」
「はい。ここは人が来ないので、ちょうど良くて……」
俯き静かに呟く。これは深く突っ込まない方が良さそうなやつ。
確かにブルーノはあまり人が多い所を選ベない。今日のランチに2人がここを選んだのも、ブルーノに配慮してのことだと思う。
絶世のブサイクとも呼べるブルーノ。彼を連れて人の多いところに行ったら阿鼻叫喚の嵐になってしまうだろう。怯える者、逃げる者、騒ぐ者。まさにカオスとも言える状況が簡単に想像つく。
獰猛な野生動物とほぼ同じ扱いだ。動物と違うのは、彼は人の言葉がわかる。だから傷つく。カルロはそんな彼の姿を見てきたのかもしれない。
「ヴェロニカはここ好きだよね。僕も好きだな」
違った。普通にヴェロニカのことしか考えていない。さすがカルロ。見直した私が愚かだった。
私はため息を飲み込んで、ここに来る途中で買ってきたランチボックスを開ける。今日はベーグルサンドのようだ。卵や野菜が挟まれている。
学園のランチボックスは毎回美味しいのでよく買っている。悪い所を上げるのなら、女性用なのでひとつしか入っていない所だ。これに関しては学園が悪いのではないので、悪い所とは呼べないかもしれないが。
私と一緒に買ったブルーノの方には、ベーグルサンドが4個も入っている。挟んである食材もそれぞれ違う。飽きがこないようにしっかり配慮されている。ハムやお肉も使われていて、とても美味しそうだ。
見ていたら食べたくなってしまう。私はブルーノのベーグルサンドから目を逸らし、自分の分にかぶりついた。
……充分すぎるくらい美味しい。これで満足だ。満足。羨ましくない。
「ブルーノ様。一つお聞きしたいのですが、よろしいかしら」
「……? はい、なんでしょうか」
「何故、メイアの告白をお受けになったの」
午後、空腹に悩まされないためにベーグルサンドを何度も咀嚼していた私は、思わず飲み込んでしまった。まだ少ししか噛んでいなかったのに。
いや、今はそのことを気にしている場合ではない。ヴェロニカを止めようとするが、いつの間にか背後に回り込んでいたカルロに口元を押さえつけられた。
「何故……?」
「メイアの悪評は、人と関わりの少ない貴方でも知っていたのでは。それなのに何故、了承したのでしょうか」
ヴェロニカらしい、問題を切り裂くような言葉だった。私はただ水の上にぷかぷか浮くみたいに、深く考えず、疑問を先送りしていた。今の問題をどうにか出来ればいい。後で浮上する問題のことは後回し。私には、彼女の持つ強さがない。
返答が怖かった。本当に噂を知らなかったのなら、今すぐに破局する可能性が高い。知っていたのなら、返答次第では私の方からこの関係に見切りをつけてしまう。
人間は身勝手だ。私は私の都合を解決するために彼を選んだ。それなのに私から拒否をするのは不誠実だ。それでも私の、面食い令嬢の噂を知っていて、私なら別れないと思った等と言われれば、彼といる自信を失ってしまう。
お願いだ。彼から出てくるのが、私にとって毒ではない言葉であってほしい。無力で、わがままな女にはそう願うことしか出来ない。
「その……知りたい、と彼女が言ってくれた……からです」
「…………知りたい? それだけでしょうか」
「はい、それだけです。……それだけの事が、俺にとっては大きな理由です。俺の目を真っ直ぐ見て、そう言ってくれた。俺は、それだけで良かったんです」
この人は、一体どれほど悲しい人生を送ってきたのだろう。それだけで良いと言えるなんて。私の想像よりも遥かに苦しく、寂しかったのだと分かった。
ブサイクなだけのに。それがこんなにも辛く重くのしかかってくるなんて。この世界は間違っていると思う。人が当たり前に思っていることを、改めて痛感した。
もちろん、私にこの世界を変える力などはなく。彼のために何でもできる訳じゃない。だけど、できることをしたい。そう強く願った。
「……いきなり失礼なことを聞いて、申し訳ありませんでした」
「いえ、こちらこそ。もっとうまく説明出来れば良かったのですが……あまり言葉が上手くなくて」
「いえ、充分伝わってきましたので」
それ以上は何も言わず、ヴェロニカも私とお揃いのベーグルサンドを食べ始めた。どうやら、話は本当にそれだけだったらしい。
きっと、私のことを心配してくれたんだろう。友達思いの良い友人だ。素直じゃないので、認めてはくれないだろうけど。
ヴェロニカだけでなく、ブルーノとカルロも昼食を食べ始める。私も食べかけのベーグルサンドを頬張った。
ひとつしかないベーグルサンド。なるべく多くの回数噛むようにしていたが、それでもあっという間に無くなってしまう。
ヴェロニカはまだ半分くらい残っている。ブルーノもまだ1つ目だ。カルロの膝の上のランチボックスもみっちり詰まっている。つまり、私だけ早く食べ終えてしまった。
やることもない。どうしようか悩んでいたら、自然と視線がブルーノのベーグルサンドへと向かう。ハムとチーズとレタス、色鮮やかでとても美味しそうだ。思わずごくりと、喉が鳴った。
「……食べますか?」
私の視線に気がついたのだろう。嬉しすぎる提案をしてくるブルーノ。しかし、彼女として……それ以前に淑女として、この提案は受けて良いものではない。
「大丈夫。ブルーノのものなんだから」
本当は食べたい。でも我慢しなければ。
ブルーノのベーグルサンドから、目の前の鬱蒼とした森へと視界をずらす。
ここの景観はあまり良いとは言えない。背後は校舎。前方は森だ。何故ここにベンチがあるのかは謎である。
森には花などは咲いていないようで、視界のほとんどが緑。少し茶色。目には優しいが、楽しくはない色合いだ。そのせいですぐに飽きてしまう。早くみんな食べ終えてくれないかな。
「あの、メイア……こっちを見てくれませんか」
何かあったのだろうか。ブルーノの方を向けば、口元に柔らかい何かが当たる。それはブルーノの唇――とかではない。
「これって……」
唇に当たっていたのは、私が見つめていたベーグルサンドだった。どういう意図だろうか。意味がわからず、ブルーノを見つめる。ブルーノは顔を赤くして私から視線を逸らした。
違う、照れるところじゃない。この行動の意味を教えてほしい。
「ブルーノ。メイアさんは察しが悪いんだ。言ってあげないと、ベーグルサンドと永遠にキスし続けるよ」
もっと他に言い方ないのか。助け舟なのか煽りなのか区別がつかない。
「え、あ……その、食べたそうだったので……俺の分で良ければ食べてください」
私のことを思って強硬手段を取ったらしい。
ブルーノの気持ちはとても嬉しい。嬉しいけど、本当に食べてもいいのだろうか。
「でも、ブルーノは本当にいいの?」
「俺、ですか?」
「うん。沢山食べる女性って……あんまり良くないでしょ」
今までの彼氏達も食べる姿が好きではなかったようで、普段通りの少ない量なのに「良くない」と言っていた。慎ましやかでお淑やかな女性が、男性は好きなのだ。私は食欲に従って、ブルーノを不快にさせたくはなかった。
「俺のため……?」
「正しく言えば、ブルーノを不快にさせたくない私のわがまま。だから私のためだよ」
彼が気にしないように笑って伝える。あくまでも自分のためで、貴方に責任を押し付ける気はない。
「……なら、やっぱり食べてください。俺は……貴女が食べたい量を食べてくれる方が、嬉しい……ので」
こちらが困らないように。そんな優しさに満ちたブルーノの声。彼の優しさに、本当に甘えてもいいのか。
「ここは甘えておく所よ」
悩む私の耳元で、ヴェロニカがアドバイスをくれる。彼氏持ち歴の長い彼女のアドバイスは、私の考えよりもよっぽど信頼できる。
だから私は「ありがとう」と言って、ベーグルサンドを齧った。シャキシャキの野菜とボリュームのあるハムを、チーズが優しく包み込んでいる。ブルーノの思いやりも相まって、今までで1番美味しく感じた。
「美味しいよ、ブルーノ……!?」
先程まで正常だったはずのブルーノの全身が、ブルブルと凄い勢いで痙攣している。
病気? それとも恐怖? やっぱり食べちゃ不味かった?
「ブルーノ! 何があったの」
「いいいいや……そそそその……」
言葉も上手く出せないようだ。病気の可能性が高い。私は慌てて立ち上がり、医務室へ向かおうとするが、ヴェロニカが焦る私の肩を叩く。
「落ち着きなさい」
「で、でも――」
「少しすればおさまるわよ」
確信を持っているようだったので、ヴェロニカを信じることにする。
結果として彼女の言うとおり、少しするとブルーノの体の震えは止まった。
心配でブルーノに原因を尋ねてみたが、何も答えてはくれなかった。人には教えられないようなことなのかもしれない。重大な家系の疾患とか。
これからの交際の目標は、信用を得る。大きい秘密を共有できる相手だと認識してもらいたい。なので、彼が気兼ねなくなんでも話せる相手になる。
そう心に決めて、ブルーノから貰ったベーグルサンドを食べるのだった。