破局後、教室にて
中庭で2人の背中が見えなくなった後。私は学園の廊下を爆走していた。途中で「廊下を走るな!」などといった声が聞こえてきた気がする。だが、おそらく気のせいだ。気のせいだということにしてスルーしてきたので、そうであってくれないと困る。もし本当なら、放課後にでも呼び出されてしまう。
そんなことを頭の片隅で考えながら、ただひたすらに目的地へ向かって走る。いつもならとっくに、疲労で足を止めている頃だ。しかし限界のリミッターが外れているのか、別の感覚に支配されているせいか、全く疲れを感じない。
私はその勢いのまま開いたままの扉から、自分と彼女の所属する教室に駆け込んで、そして叫んだ。
「ヴ、ヴェロニカー!」
沢山の机と椅子が並ぶ教室。お昼休みで天気も良い今日。昼食をこの場所で摂っているのは、私の友人であるヴェロニカ・ファーゴだけだった。
「あら、彼氏を誘うとか言って出ていった薄情者のメイアじゃない。どうかしたのかしら」
「聞いてよー!! ……オェ」
疲労と、さっきの心的ストレスの合わせ技なのか、凄まじい気持ち悪さに襲われる。
「……水飲む?」
「のむぅ……」
ヴェロニカが差し出してくれたコップを掴み、なんとか飲み干す。一気に飲み干したせいで咳き込むが、先程よりは楽になった。
「ありがとう」
「それで、何があったの?」
私はヴェロニカの隣の席に座り、中庭での出来事を最初から最後まで説明する。
彼氏を誘おうと探して中庭まで行ったら、彼が愛らしい女性と一緒にいたこと。目が合ったと思ったら名前を呼ばれ、別れてほしいと告げられたこと。私が彼を愛していないと言われたこと。
「ねぇ、面食いって知ってる?」
「いきなりどういう質問よ」
「面食い令嬢って言われたの。私のことだとは思うんだけど、面食いって言葉知らなくて」
ヴェロニカの顔に驚きは浮かばない。ずっと変わらない余裕を感じさせる笑みのまま「あぁ、それね」と呟く。
「知ってるの?」
「えぇ。整った顔が好きな人を指す言葉らしいわ。……確か、リベルトが言い出したのよ。メイアはイケメンばかりを選んで付き合ってるって男子生徒同士で話してて、その話を聞いていたリベルトが面食いって」
「リベルト、あいつ……」
リベルト・ドレイ。私とヴェロニカの幼なじみで、学年一の秀才。ヴェロニカと同じの昔馴染みだが、私はあの男が好きじゃなかった。あからさまにこちらを見下し敵視してきて、バカにする。
私にそんな態度をとる理由は分かっている。だからこそ好きになれない。あいつの苛立ちは私のせいじゃない。なのに憂さ晴らしとばかりに、私に当たるのだ。好きになれるわけが無い。
今回の面食いの件も、完全なる八つ当たりだ。だってそうだろう。
「イケメン嫌いな人っていないでしょ! 付き合うならブサイクよりイケメン! それの何が悪いの!」
「自分の考えを大声で披露するのは勝手だけれど、それを他者に押し付けるのはやめたら」
「ヴェロニカにそれを言われるのは納得できない! だってヴェロニカには、イケメンの彼氏いるじゃない」
「呼んだかい?」
私たち以外、誰もいなかったはずの教室。そこにいつの間にか3人目がいた。その人は、ヴェロニカの脇でニコニコと笑っている。私は驚きで声が出なかったが、ヴェロニカは至って普通の態度だった。
「カルロ、いつ来てたの?」
「ふふ、いつだと思う?」
「聞き方を変えるわ。確か先生に呼び出されていたはずだけど、話は終わらせてきたのかしら」
「ヴェロニカ以外に捧げる時間が、僕にあると思うかい?」
「また無視してきたのね。後でまた怒られるわよ」
「先生もそろそろ諦めてくれると思うよ」
どの先生だか分からないが、彼に振り回されて可哀想だ。心の中で手を合わせておいた。
先生からの呼び出しを無視する非常識マンが、私の親友であるヴェロニカの彼氏、カルロ・ボッシ。平凡な見た目のヴェロニカに心底惚れ込んでいるイケメンだ。
べニーニョ様程ではないが、ふくよかな肉体に、口の上の髭がすごく男らしい。少し身長が高すぎるが、それ以外は高水準で、学園内のイケメンランキングを作るのなら上位に入るだろう。
ただし、性格に難アリだ。普段はまともで頼りになる。だけど、ヴェロニカが絡むと頭がおかしくなる。
……頭がおかしくなる、は適当ではないか。
より正確に言えば、何よりもヴェロニカの為を思って行動して、その為なら手段を選ばなくなる。
例えば、今回のように呼び出しをスルーするだけならまだマシだ。
前にあったのは、ヴェロニカの陰口を言っていた女子たちが自主退学した事件。みんな実家でいざこざがあってやめたらしいが、何気なくヴェロニカに話をしたら、いざこざの火種を作ったのはカルロだと、世間話のように話してくれた。方法は知らないが、本人がそう言っていたらしい。
それ以降は知らない方がいい事もあると思い、ヴェロニカ周りで起こったことはあまり口にしないようにしている。
だからその後に起こった、ヴェロニカのことが好きだと言っていた男の投獄だったり、ヴェロニカを刃物で襲った犯人が路地裏で死体となって発見された事件の真実は分からない。知りたくもない。
ヴェロニカの親友の私には、普通に接してくれる。脅威にならないと思われているのか、背後を狙っているのかは定かではない。個人的には親しいと言える唯一の男子生徒なので、この距離感で居続けたい所存だ。
「それにしても災難だったね、メイアさん」
「中庭の件、知ってるの?」
「ずっと聞いてたからね」
ヴェロニカの最初の質問の答えは、本人の口から聞かなくてもわかった。
本当に、この男は何者なのか。それを知らずにいる道を選んだ私は、それに深く突っ込まず「べニーニョ様に私は彼を愛してないって言われたけど、そんな事ないよね」と尋ねてみた。
「僕はそのべニーニョ様について何も知らないから、なんとも言えないな」
「私も知らないわ。だって、メイアと一緒にいる所全然見てないもの」
そう言われればそうだ。べニーニョ様と過ごした時間はあまりにも少ない。確か、告白したのは1週間前。最初の2日ぐらいは一緒に昼食をとってくれたが、それ以降は断られ続けていた。登下校を一緒にしたい、という願いを叶えてもらったことは1度もない。
「…………私とべニーニョ様って、本当に付き合ってたのかな」
「付き合う、の定義にもよるんじゃないかしら」
「僕とヴェロニカのような関係を指すのなら、君たちは付き合っていたとは言い難いね」
私は机に突っ伏して泣いた。
恋は人を愚かにされる。恋は当たり前の事実に気づかないほど、私の脳内を錆びさせた。そしてその錆に気づかないように、都合よく脚色して見せた。緑の存在しない不毛の地を、花の咲く高原だというように錯覚させる。そのぐらいのビフォーアフターを、やってのける。
恋とはなんと恐ろしいものだろう。
「なんで、べニーニョ様は私じゃなくて、あっちの女性を選んだのかな」
「理由は簡単でしょう。多分、49連続で同じ理由。メイアよりも愛らしいから」
「うぐっ」
痛いところを突かれた。本当に衝撃を感じたように思うぐらいには正論すぎて痛かった。
私はべニーニョ様の隣にいた女性を思い出す。
べニーニョ様とお似合いのふくよかな肉体に、彼よりも低い身長。顔にはチャームポイントであるそばかすもあり、非の打ち所がなかった。
対して私は、彼女ほど体に肉がついてはいない。身長もべニーニョ様よりも高く、可愛らしいそばかすもない。
どこにでもいる普通の見た目。そりゃあ、可愛らしさでは負ける。過去に振られた理由も同様で、それが49回も続けば自分の見た目に自信などない。私は自分のことを普通だと思っていたが、普通より下かもしれない。
「……これからどうしよう」
私は地方の貴族のひとり娘だ。この国では女性は爵位を継承できない。つまり、婿を取らなければいけない。学園に通ってる間に、長男以外を捕まえる。そのために積極的に男性に関わり、告白をした。そして振られた。
ここまでの回数振られ続けているので、私の名前も学園中に広まっていることだろう。おそらく『面食い令嬢』の名前と共に。今後の婿探しの足枷になるに違いない。
やっぱりリベルトは今度殴ろう。
「イケメンに告白するのをやめればいいんじゃない。ついでに面食い令嬢の名前も返上できるわよ」
「面白い名前だよね、面食い令嬢。愚か者の割にはセンスがいい」
ヴェロニカの正論は、相変わらず私にクリティカルヒットする。あまりにもダメージが入りすぎて、カルロの言葉は聞こえなかったことにした。
「でもさ、せっかく結婚するならイケメンがいいでしょ」
「必須条件ではないじゃない」
「確かにそうだけど……」
「そこに拘って、婿を見つけられませんでした。爵位は返上します、ってなってもいいのかしら」
「ダメですね。私が悪かったです」
正論を叩きつけられ続けることの苦しさを知ったので、しぶしぶイケメンを諦めることにした。
「そうなると、一から探し直さなくちゃ」
イケメンばかりを探していたせいで、婿候補リストにはイケメンしか載っていない。改めて作り直す必要がある。
まだ2年半あるから大丈夫だと思うが、作り直すのは億劫だった。
「……カルロ様は、誰かちょうど良い方を知りませんか?」
藁にもすがる思いで、カルロに尋ねてみる。彼はヴェロニカさえ絡まなければ品行方正で、友人も多い。基本的に人間をヴェロニカか、それ以外かで振り分けているので、その他大勢には区別をつけない。なので交友関係は広い。聞いて損は無いはずだ。
「僕? うーん……あ、僕と同じクラスのブルーノ・ペルティとかいいんじゃない。絶対彼女いないだろうし、確か三男だよ」
彼の口から出てきた名前には、私ですら覚えがあった。
ブルーノ・ペルティ。学園内でも有名なブサイクだ。この世のものとは思えないほど醜悪な見た目であり、入学式の日にその姿を見た生徒が恐怖で失神したり、胃の中の物を戻したという噂だ。
どちらも真偽は不明だが、実際に入学式で倒れた女性はいたらしい。それをブルーノ・ペルティのせいなら面白いと考えた愉快犯によって広まっただけで、おそらくはガセだと思う。
失神するような見た目を持つ人間がいるとは、到底思えない。腕が6本とか、足が10本あればそうなる可能性もあるが、そうではないらしい。
ほぼ間違いなく噂の後半部分は嘘だろう。しかしブサイクなのは本当みたいで、ヴェロニカが信じられないものを見る目で、カルロを見ていた。
「勧めるにしても、もう少しマシな男にしなさい」
「えぇ、いいと思うけどな」
「どの辺がいいのよ」
「だって、ブルーノなら間違いなく告白を断らない。あいつは昔から容姿を否定されてきた。ブサイクの自分が、美人とは言えないが一般的な見た目をした女性の告白を断わる訳にはいかないっていう思考になると思う。そしてわざわざブサイクで、家を継げない三男にアプローチする女性も少ない。付き合えるし、50回目は避けられる。完璧じゃない?」
カルロの言うことは正しい。私の最低限の条件を叶えるのなら、ブルーノ・ペルティはうってつけだ。私が、その容姿を許容できるなら。
「一応聞きますが、そんなにブサイクなんですか」
「うん。とてもブサイクだよ。一般的な感覚で言えば。でもそれだけ、人格的には……まぁ、少し悪い所もあるけど、メイアさんが彼女になるっていうなら、そこは長所でもあるし……大丈夫だと思うよ」
果たしてこの男をどこまで信用していいのか。不安材料はあるものの、ダメそうなら別れればいい。とりあえず挑戦してみよう。
「分かりました。私、放課後にでも告白してきます!」
「頑張れー」
「……まぁ、メイアが決めたのならいいんじゃないかしら。精々頑張りなさい」
2人の応援と思わしき言葉。それを無意味なものにしない為にも、頑張ろう。
何をするにもエネルギーは必要だ。私はランチボックスを開いて、ぐちゃぐちゃになったサンドイッチを頬張った。英気を養い、ついでにべニーニョ様に振られた鬱憤を晴らすように、2人分のランチボックスを勢いよく食べていくのだった。