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抗金名将⑨

四川の守護者、呉氏兄弟の奮戦


紹興しょうこう元年(1131年)、南宋なんそうの西の境、陝西せんせいの地は、再びきんの侵攻の危機に晒されていた。金軍は、肥沃な(ひよくがな)四川しせん盆地を目指し、容赦ない進軍を開始したのだ。四川は、宋の食料庫ともいえる重要な土地であり、ここが金に奪われれば、南宋の存続は危うくなる。


この重大な局面で、四川の防衛を託されたのは、呉玠ごかいという一人の将軍だった。彼は苦労人くろうにんとして知られ、幾多の苦難を乗り越えてきた男だ。彼の傍らには、人情派にんじょうはの弟、呉璘ごりんがいた。彼らは「呉氏兄弟」と呼ばれ、その結束力と軍事的な才能は、宋軍の中でも一目置かれる存在だった。


ある日の夕暮れ、呉玠ごかいの陣営に、息を切らした伝令でんれいが飛び込んできた。 「呉将軍ごしょうぐん! 金軍が大挙して(たいきょして)迫っております! その数、およそ五万!」


呉玠ごかいは、冷静に地図を広げた。指が、仙人関せんにんかん和尚原わしょうげんという二つの要衝ようしょうをなぞる。 「やはり来たか。金軍は、あの二つの関を突破するつもりだろう。そこを抑えれば、四川への道は開かれるからな。」


呉璘ごりんが兄の顔を見た。「兄上、兵力差は歴然です。正面からぶつかるのは得策ではありません。」


呉玠は頷いた。「その通りだ、呉璘ごりん。奴らの強みは、その圧倒的な騎馬隊にある。しかし、この仙人関せんにんかん和尚原わしょうげんは、狭く険しい山道だ。騎馬隊の強みは、ここでは発揮できまい。」


呉璘は、兄の言葉に深く納得した。「つまり、地の利を生かし、敵の動きを封じる、と。」


「そうだ。我々は、この関を死守する。一歩たりとも、奴らを四川には入れさせぬ!」呉玠の目は、固い決意に満ちていた。


________________________________


金軍が仙人関せんにんかんとに到達すると、彼らは目の前の光景に息を呑んだ。険しい山道が続き、両側は切り立った崖。まさに、天然の要塞ようさいだった。宋軍は、関の至る所に陣を張り、岩や木材でバリケードを築いていた。


金軍の先鋒せんぽうを率いる将軍が、焦れたように叫んだ。「何をしている! こんな関、すぐに突破してしまえ!」


しかし、宋軍の防御は固かった。金軍が攻め上がろうとするたびに、上から岩や丸太が落とされ、矢の雨が降り注ぐ。金軍は、その兵力を生かすことができず、攻めあぐねた。


数日が過ぎた。金軍の補給は滞り始め、兵士たちの間には疲労と不満が募っていた。そんな中、呉玠ごかいは、静かに呉璘ごりんに命じた。


呉璘ごりん。今夜、和尚原わしょうげんの敵陣を奇襲きしゅうする。お前が先頭に立ってくれ。」


呉璘ごりんは、兄の言葉に一瞬驚いた。「兄上、それはあまりにも危険です。私が…」


「お前しかいない。お前の人情が、兵士たちの心を動かし、奮い立たせる。この奇襲が成功すれば、金軍の士気は一気に崩れるだろう。」


呉璘ごりんは、兄の信頼に応えるべく、深く頭を下げた。「御意ぎょい!必ずや、金軍を打ち破って見せます!」


その夜、呉璘ごりんは精鋭部隊を率いて、和尚原の金軍陣地へ忍び寄った。闇夜に紛れ、音もなく進む兵士たち。そして、夜明け前、呉璘ごりんの号令と共に、奇襲が開始された。


「今だ! かかれぇい!」


突然の攻撃に、金軍は大混乱に陥った。寝込みを襲われた兵士たちは、武器を取る間もなく次々と倒されていく。呉璘ごりんは、自らも剣を振るい、敵兵を斬り伏せていった。彼の姿は、兵士たちの心をさらに奮い立たせた。


「皆の者! ひるむな! 宋のために、この地を守り抜くのだ!」


金軍の混乱は、やがて仙人関にも伝わった。呉玠ごかいは、その機を逃さず、総攻撃を命じた。両側から挟み撃ちにされた金軍は、なすすべもなく、退却を余儀なくされた。


________________________________


金軍の将軍は、仙人関と和尚原わしょうげんの攻防戦で、多大な犠牲を払ったことに憤慨していた。 「あの呉氏兄弟め! たかが二つの関に、これほど手間取るとは!」


しかし、彼らにできることは何もなかった。呉氏兄弟の卓越した防御戦術と、兵士たちの士気は、金軍の想像をはるかに超えていたのだ。


戦いが終わった後、呉玠は、疲労困憊ひろうこんぱいの兵士たちを見回した。彼らの顔は、泥と血にまみれていたが、その瞳には、勝利の輝きが宿っていた。


「皆、よくぞ戦ってくれた。この仙人関と和尚原は、我々の故郷を守る最後の砦だ。お前たちの勇気と、この地の利が、宋を守り抜いたのだ!」


呉璘ごりんが兄の隣に立ち、静かに言った。「兄上、私たちは、この地の守護者。この地がある限り、金には一歩も踏み込ませません。」


呉玠ごかいは、弟の言葉に深く頷いた。呉氏兄弟の活躍により、金軍の四川侵攻は完全に阻止された。この戦いは、南宋西部の安定に大きく貢献し、呉氏兄弟の名は、その軍事的な才能と献身的な働きによって、後世に語り継がれることになった。



南宋を支える柱、中興四将の台頭


紹興年間(1131年~)、南宋なんそうは、いまだ北からの脅威にさらされ続けていた。きんの圧倒的な軍事力は、宋の民の心に深い影を落とし、国中は不安に包まれていた。しかし、そんな中でも、宋には希望の光があった。それは、国を守るために立ち上がった、四人の傑出した(けっしゅつした)将軍たち、後に「中興四将ちゅうこうししょう」と称される男たちの存在だった。彼らはそれぞれ、自らの軍を率い、金軍と対峙していた。


その中でも、特に大きな勢力を持っていたのが、「臆病者おくびょうもの」と評されることもある劉光世りゅうこうせいと、「ずる賢い」と噂される張俊ちょうしゅんだった。


________________________________


劉光世りゅうこうせいの陣営は、広大な平野に展開されていた。彼の軍は「劉家軍りゅうかぐん」と呼ばれ、その数は宋軍の中でも最大規模を誇っていた。


ある日、劉光世りゅうこうせいは、幕僚ばくりょうたちを集めていた。彼の顔には、いつものようにどこか不安げな表情が浮かんでいる。 「また金軍が南下したと聞く。一体、いつまでこの戦いは続くのだ…」


幕僚の一人が進み出た。「将軍、ご心配には及びません。我ら劉家軍は、これまでも数々の金軍を退けてまいりました。それに、各地の反乱も次々と鎮圧し、民の信頼も厚い。」


劉光世は、しかし、どこか浮かない顔だった。「うむ、それは確かだ。だが、私は戦が好きではない。できれば、平和に暮らしたいものだ…」


その言葉に、幕僚たちは顔を見合わせた。劉光世りゅうこうせいの臆病な性格は、兵士たちの間でも知られていた。しかし、彼の軍は確かに強く、その統率力は揺るぎないものがあった。彼は、戦場で必要とあらば、その臆病さを乗り越え、驚くべき武功を立てることもあったのだ。それは、彼が何よりも自身の軍と民を守ることに、強い責任を感じていたからかもしれない。


その時、一人の若い兵士が劉光世りゅうこうせいに願い出た。「将軍!どうか、我々に金軍との決戦を命じてください!このままでは、民の心が疲弊ひへいしてしまいます!」


劉光世りゅうこうせいは、その兵士の熱い眼差しを見つめた。彼の心の中で、臆病な自分と、将軍としての責任がせめぎ合う。 「わかった。お前たちの気持ちは痛いほどわかる。だが、無闇に兵を動かすのは愚策だ。我々は、最善の時を待つ。そして、必ずやこの江南の地を守り抜く。」


彼の言葉には、不安の中にも、静かな決意が宿っていた。


________________________________


一方、張俊ちょうしゅんの陣営では、豪奢な(ごうしゃな)宴が開かれていた。張俊は、岳飛がくひ韓世忠かんせいちゅうと並ぶ有力な軍閥ぐんばつ領袖りょうしゅうであり、「張家軍ちょうかぐん」と呼ばれる彼の軍もまた、強大な勢力を誇っていた。


張俊は、酒を片手に、上機嫌で側近たちに話しかけていた。「南宋の柱石ちゅうせきは、我ら『中興四将』で間違いないだろう。中でも、江南の平定にどれだけ骨を折ってきたか…」


側近の一人が、張俊ちょうしゅんを賛美する。「将軍のご活躍なくして、今の南宋はありえません。金軍との戦いでも、常に先陣を切ってこられました。」


張俊ちょうしゅんは、満足そうに笑った。彼のずる賢い性格は、彼が戦場で勝利を収めるためなら、どんな手段もいとわわないことを意味していた。それは、時に非情な決断を伴うこともあったが、結果として彼の軍は常に勝利を収め、その勢力を拡大させていった。


「しかし、岳飛がくひ殿の『岳家軍がくかぐん』は、最近めざましい活躍を見せておりますな。」別の側近が口を開いた。


張俊ちょうしゅんの表情が一瞬曇った。「岳飛か…。あやつは、あまりにも真っ直ぐすぎる。この乱世を生き抜くには、清廉潔白せいれんけっぱくだけでは足りぬ。」


彼の言葉には、岳飛への複雑な感情が滲み出ていた。彼は岳飛の武勇を認めつつも、その清すぎる生き方が、この乱れた世では足かせになると考えていたのだ。


「だが、いずれにしても、我らが力を合わせれば、金軍など恐るるに足らぬ。」張俊は、再び笑顔を浮かべ、酒杯を傾けた。


劉光世りゅうこうせい張俊ちょうしゅん。性格も考え方も異なる二人の将軍は、それぞれのやり方で南宋を守り、その名を「中興四将」として歴史に刻んでいった。彼らの存在が、金に苦しめられる南宋にとって、どれほど大きな支えとなっていたかは、計り知れない。


しかし、彼らの異なる考え方は、今後の南宋の行く末に、どのような影響を与えていくのでしょうか?そして、他の「中興四将」である岳飛や韓世忠は、この二人の将軍とどのように関わっていくのでしょうか?



金軍の猛攻と呉玠の決断


紹興しょうこう3年(1133年)の春、南宋なんそうの西の守り、四川しせんの地は、きんの猛攻にさらされていました。金軍は、重要な拠点である金州きんしゅうを陥落させ、その勢いは止まることなく、漢中かんちゅうへと迫っていました。漢中が金軍の手に落ちれば、四川への道が開かれ、南宋は決定的な打撃を受けることになります。


この絶望的な状況の中、南宋の武将である呉玠ごかいは、冷静に戦況を見極めていました。彼は苦労人くろうにんとして知られ、困難な状況でも決して諦めない、強い心の持ち主でした。金州陥落の報が届いたとき、彼の顔には苦渋くじゅうの表情が浮かびましたが、すぐにその表情は、固い決意へと変わりました。


「金州が……落ちたか。」


呉玠ごかいは、幕僚ばくりょうたちに静かに告げました。その声は、重い響きを持っていました。


幕僚の一人が、青ざめた顔で尋ねました。「将軍、このままでは漢中も危うい。いかがなされますか?」


呉玠ごかいは、広げられた地図を指差しました。そこには、金軍が迫る道筋と、いくつかのかんが記されています。 「鐃風関どうふうかんだ。ここを死守する。金軍をこれ以上、南には行かせぬ。」


鐃風関どうふうかんは、漢中を守るための最後の砦とも言える要衝ようしょうでした。しかし、金州が陥落した今、呉玠ごかいの軍は孤立無援こりつむえんに近い状態です。


「将軍、兵力は圧倒的に不足しております。それに、金軍の士気は高まっています。この状況で、鐃風関どうふうかんを守り切れるでしょうか?」別の幕僚が、不安そうに問いかけました。


呉玠ごかいは、力強く言い放ちました。「守り切るしかない!我々がここで金軍を食い止められなければ、宋の未来はないのだ!」


その言葉に、兵士たちの心には、かすかな希望の光が灯りました。だが、不安は拭えません。そんな時、思いがけない知らせが届きました。援軍が来るというのです。その援軍を率いるのは、劉子羽りゅうしうという将軍でした。


劉子羽りゅうしうは、はるか遠くから、この窮地きゅうちに駆けつけてくれたのです。その報せは、呉玠ごかいの心に温かい光を灯しました。


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鐃風関の攻防と劉子羽の支援


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劉子羽りゅうしうの援軍が到着した時、呉玠ごかいは、彼を心から歓迎しました。


「劉将軍!この窮地きゅうちに駆けつけてくださり、感謝いたします!」


劉子羽りゅうしうは、呉玠の顔を見て、力強く頷きました。「呉将軍、ご無事でしたか。私は、貴殿きでんの戦術と勇気を信じていました。この宋の危機に、手をこまねいているわけにはいきません!」


その言葉に、呉玠ごかいの目には光が宿りました。 「劉将軍、共に金軍を食い止めましょう!鐃風関は、我らの命を賭して守る!」


呉玠は、劉子羽りゅうしうと共に、鐃風関どうふうかんの防衛計画を練り上げました。彼は、金軍の猛攻を予測し、関の地形を最大限に生かす防御戦術を立てました。兵士たちは、食料や水も不足する中で、ひたすら関の守りを固めました。


数日後、金軍が鐃風関どうふうかんに押し寄せました。その数、まさに圧倒的。まるで黒い津波のように、関に押し寄せる金軍の姿は、見る者を震え上がらせるほどでした。


金軍の将軍が、宋軍に向かって叫びました。「降伏こうふくせよ!抵抗しても無駄なこと!お前たちに、この鐃風関どうふうかんを守り切る力はない!」


しかし、呉玠ごかいは、その言葉に微動だにしませんでした。彼は、劉子羽りゅうしうと顔を見合わせ、静かに言いました。「劉将軍、いよいよですな。」


劉子羽りゅうしうは、剣を抜き放ち、力強く答えました。「ああ、呉将軍。この関は、我らの故郷を守る盾。決して破らせぬ!」


宋軍は、呉玠ごかいの巧みな指示と、劉子羽りゅうしうの援軍によって、金軍の猛攻に耐え続けました。矢や岩が雨のように降り注ぎ、兵士たちは次々と倒れていきます。しかし、彼らは決して諦めませんでした。呉玠と劉子羽りゅうしうは、自らも前線に立ち、兵士たちを鼓舞し続けました。


「引くな!この一歩が、宋の未来を決めるのだ!」呉玠ごかいの声が、戦場に響き渡ります。


金軍は、鐃風関どうふうかんの堅固な守りに、次第に疲弊ひへいしていきました。補給線は伸び切り、兵士たちの士気も低下していきます。このままでは、金軍も大きな損害を出すばかりだと悟った金軍は、ついに攻撃を緩めました。


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膠着状態の戦線と今後の展望


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金軍が攻撃を緩めた後も、戦線は膠着こうちゃく状態が続きました。鐃風関どうふうかんには、静けさが戻りましたが、そこには激しい戦いの爪痕が深く残されていました。


呉玠ごかいは、満身創痍まんしんそういの兵士たちを見回しました。彼らの顔は、疲労と安堵あんどが入り混じった表情をしていました。


「皆、よくぞ耐え抜いてくれた!我らの粘り勝ちだ!」呉玠ごかいの声が響き渡ると、兵士たちは、かすかな歓声を上げました。


劉子羽りゅうしうが、呉玠ごかいの肩を叩きました。「呉将軍、貴殿きでんの指揮、見事でした。まさに神業かみわざです。」


呉玠ごかいは、かすかに微笑みました。「劉将軍の援軍なくして、この膠着状態はありえませんでした。感謝いたします。」


この戦いは、呉玠ごかいの卓越した防御戦術と、劉子羽りゅうしうの支援によって、金軍の四川侵攻を一時的に阻止しました。南宋は、この危機を乗り越え、呉玠ごかいの名は、その軍事的な才能を再び天下に知らしめました。


しかし、戦線は膠着したままで、いつ金軍が再び猛攻を仕掛けてくるかわかりません。南宋の防衛は、今後どのように進んでいくのでしょうか?そして、呉玠は、この苦しい戦いをどのように乗り越えていくのでしょうか?

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