抗金名将②
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時は流れ、北宋の国境では、西夏という国からの侵攻が繰り返され、不穏な空気が漂っていました。そんな中、一人の若者が、その後の宋の運命を大きく左右する活躍を見せ始めます。
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無名の若武者、韓世忠の奮戦
崇寧4年(1105年)のこと。陝西省の貧しい家に生まれた韓世忠は、まだ無名の若者でした。しかし、彼はその親分肌の性格と、誰にも負けない強い意志を持っていました。
この年、西夏軍が宋の国境を破り、略奪を始めました。宋の兵士たちは必死に抵抗しますが、西夏軍の勢いは止まりません。住民たちは家を捨てて逃げ惑い、村々は炎に包まれました。
韓世忠が暮らす村も、西夏軍の襲撃を受けました。彼は、目の前で家が燃え、人々が苦しむ姿を見て、怒りに震えました。
「くそっ、このまま黙って見ていられるか!」
彼は、手にしていた粗末な槍を握りしめ、一人、西夏軍の前に立ちはだかりました。
「何者だ、貴様は!?」西夏の兵士が、不敵な笑みを浮かべて韓世忠に迫ります。
韓世忠は、一歩も引かず、睨みつけました。「俺は、この国の民を守る者だ!お前たちのような悪党に、好き勝手はさせん!」
彼は、たった一人で西夏軍の隊列に突撃しました。彼の動きは素早く、槍さばき(やりさばき)は鋭く、次々と敵を打ち倒していきます。その勇猛果敢な戦いぶりに、西夏兵たちは恐れをなし、後ずさり始めました。
「な、なんだあいつは!?」
「一人でこの数を相手にするとは、正気か!?」
韓世忠の姿を見た宋の兵士たちも、彼の勇気に奮い立ち、再び戦場へと飛び出していきました。劣勢だった戦況は、彼の活躍によって一変し、ついに西夏軍を退けることに成功したのです。
戦いが終わり、荒れ果てた村に静けさが戻ると、宋の将軍が韓世忠の前に歩み寄りました。
「お見事であった、若者よ。まさか、お前一人の力で、これほどの大功を立てるとは……」将軍は、感嘆の声を上げました。「お前の名は?そして、なぜこれほどまで勇敢に戦えたのだ?」
韓世忠は、血と泥にまみれた顔で、しかし真っ直ぐに将軍の目を見据えました。「俺は韓世忠。ただ、目の前で苦しむ人々を見て、黙っていられなかっただけです。この国を守るために、俺の力が必要ならば、いつでも駆けつけます!」
将軍は、その言葉に深く感動し、韓世忠を高く評価しました。この戦いでの大功は、彼の名を知らしめるきっかけとなりました。
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軍人としての出発
翌年、崇寧5年(1106年)。宋の朝廷は、国の守りを固めるため、各地で兵士の募集を始めました。韓世忠は、迷うことなくこの募集に応じました。彼は、自分がただの力持ちではないことを、戦場で証明したかったのです。そして何よりも、この国のために戦うという強い決意がありました。
入隊の日、韓世忠は、数多くの志願者たちの中にいました。
「おい、お前、本当に兵士になるのか?楽な仕事じゃないぞ」隣にいた男が、不安そうに尋ねました。
韓世忠は、力強く拳を握りしめました。「ああ、なるさ。俺には、この国を守るという使命がある。それに、ただの兵士で終わるつもりもない」
彼の言葉には、並々ならぬ覚悟と、大きな野心が込められていました。彼は、この日から軍人として、その人生を歩み始めました。
彼は、訓練にも真剣に取り組み、常に他の兵士たちの手本となりました。彼の才能と努力は、すぐに上官たちの目に留まり、彼はめきめきと頭角を現していきます。
「韓世忠、お前は本当に筋が良い。このまま精進すれば、きっと大将軍になれるだろう」上官が、彼の訓練の成果を褒め称えました。
韓世忠は、まっすぐな目で上官を見上げました。「大将軍、ですか……。はい、なってみせます。そして、この宋を、誰もが安心して暮らせる国にしてみせます!」
この時、彼はまだ知る由もありませんでした。これから始まる激しい戦乱の時代に、彼がどれほどの困難に直面し、どれほどの英雄的な活躍を見せることになるのかを。そして、後に「姉御肌」と呼ばれる一人の女性と出会い、共に戦場を駆け抜ける運命にあることも。彼の軍人としての道は、まさにこの日から始まったのです。
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はるか北の地、白雪が舞う広大な平原に、一つの民族が静かに力を蓄えていました。彼らの名は女真族。そして、その中に、類まれなる指導力と冷静沈着な心を持つ男、完顔阿骨打がいました。
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新たな時代の幕開け
天慶5年(1115年)1月1日(新暦1月28日)、凍てつくような寒さの中、女真族の集落は熱気に包まれていました。長年、彼らを支配してきた強大な遼という国に、完顔阿骨打はついに背き、新たな国を建てることを決意したのです。
集落の中央に設けられた高台に、威厳に満ちた完顔阿骨打が立ちました。彼の周りには、弟の呉乞買や、従甥の粘没喝、そして息子である斡離不や兀朮、そして幼い訛里朶といった、後に歴史に名を残す猛者たちが集まっています。彼らの瞳は、完顔阿骨打の言葉に真剣に耳を傾けていました。
「女真の民よ! 長きにわたり、我らは遼の圧政に苦しめられてきた! しかし、もう終わりにする!」完顔阿骨打の声は、凍てつく空気に響き渡りました。
粘没喝が興奮気味に叫びました。「そうだ! 阿骨打様こそ、我らの真の主!」
斡離不も力強く頷きます。「遼など、我らの敵ではない! 必ず打ち破って見せましょう!」
完顔阿骨打は、彼らの熱い視線を受け止め、ゆっくりと右手を挙げました。「今日、この日をもって、我々は遼に背き、新たな国を建てる! その名を『大金国』と定める!」
集まった民衆から、地鳴りのような歓声が上がりました。彼らは、長年の苦しみから解放される希望に満ちていました。
「年号は『収国』とする! そして、都は、この上京会寧府に置く!」完顔阿骨打は、冷静な声で続けました。「これは、新たな時代の始まりである。我らの金国は、必ずや強大な国家となるだろう!」
呉乞買が、兄の言葉に深く感銘を受けながら言いました。「兄上の御言葉に、我らは命を懸けて従います! 金国のために、この身を捧げましょう!」
この瞬間、北の地に、後に宋を苦しめることになる強大な国家、金朝が誕生したのです。
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遼の駆逐
収国2年(1116年)。金朝は建国からわずか一年で、その勢いを猛烈に増していました。完顔阿骨打は、宣言通り、遼の東北地域へと軍を進めました。
雪深い森の中、金軍の兵士たちが隊列を組んで進んでいました。完顔阿骨打は、先頭に立って馬を駆り、周囲の様子を冷静に観察しています。彼の隣には、血気盛ん(けっきさかん)な粘没喝がいました。
「阿骨打様、遼の奴らは、まるで歯が立ちませんな! このまま一気に、奴らの息の根を止めてやりましょうぞ!」粘没喝は、興奮して言いました。
完顔阿骨打は、静かに首を横に振りました。「粘没喝よ、油断は禁物だ。遼は、確かに弱体化しているが、その歴史は長い。我らは、確実に、そして慎重に、奴らの勢力を駆逐していく必要がある」
その言葉通り、金軍は遼の要衝を次々と攻略していきました。完顔阿骨打の采配は常に的確で、無駄な損害を出すことなく、遼の勢力を追い詰めていきました。
ある日、金軍が遼の大きな砦を攻めている時、遼軍の反撃が激しく、金軍の進軍が止まってしまいました。
「くそっ、手強いな!」斡離不が歯噛みします。
完顔阿骨打は、冷静に周囲を見渡し、すぐに弱点を見抜きました。「斡離不、敵の左翼が手薄になっている。呉乞買と訛里朶に、そちらから迂回して攻めさせろ!」
彼の指示は完璧でした。呉乞買と訛里朶の部隊が遼軍の側面を突き、混乱に乗じて金軍は一気に砦を陥落させました。
戦いの後、呉乞買が完顔阿骨打に深々と頭を下げました。「兄上の御見事な采配に、一同感服いたしました。遼は、もはや我らの敵ではありません!」
完顔阿骨打は、静かに頷きました。「うむ。しかし、これで終わりではない。遼を完全に駆逐し、そして、我らの国を盤石なものにするのだ」
この頃、遠く離れた宋の都では、まだ金朝の脅威を真剣に受け止めている者はいませんでした。彼らは、北の地で新たな強国が生まれ、その力が急速に拡大していることを、まだ知る由もなかったのです。しかし、完顔阿骨打の冷静沈着な指揮のもと、金朝は着実にその版図を広げ、来るべき宋との対決に備えていたのでした。
金朝の建国と、遼の東北地域からの駆逐。これは、後に北宋を滅ぼし、南宋を苦しめることになる、巨大な力の誕生を告げる序章に過ぎませんでした。
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厳しい寒さが続く北の地、金朝が建国されて間もない頃。初代皇帝である完顔阿骨打のもとには、彼の血を受け継ぐ者たちが集まり、その才能を輝かせ始めていました。彼らは、後に金国の歴史を大きく動かすことになる、若き将たちです。
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若き将たちの台頭
天輔元年(1117年)以降、金国は遼との戦いを続けていました。それは、単なる領土を広げる戦いではありませんでした。自分たちの民族が、誇りを持って生きるための、そして新たな時代を築くための戦いでした。この戦場で、完顔阿骨打の親族である若い将軍たちが、その才能を大きく開花させていきます。
ある日の戦場で、完顔阿骨打は遠くの丘を眺めていました。そこでは、粘没喝が率いる部隊が、遼軍と激しくぶつかり合っています。粘没喝は、天性のハイテンションな性格そのままに、敵陣に突っ込んでいくような戦い方をする男です。
「粘没喝め、また無茶をしておるな」完顔阿骨打は、冷静な声でつぶやきました。しかし、その目には、粘没喝への信頼が宿っていました。
粘没喝は、槍を振り回しながら、敵兵を次々となぎ倒していきます。
「ひゃっはー! 遼の軟弱者どもめ! この粘没喝様が、まとめて相手をしてやるぜ!」
彼の周りでは、金兵たちがその勢いに乗って、遼軍を圧倒していました。粘没喝は、単に突進するだけでなく、敵の動きを素早く見極め、常に最適な場所で戦っていました。
その時、粘没喝の横を、まるで風のように駆け抜ける一団がありました。それは、斡離不率いる騎馬隊です。斡離不は、強気でイケイケな性格の通り、大胆な作戦を好みました。
「粘没喝! 俺が正面から突破する! お前は右から回り込め!」斡離不が叫びます。
「おうよ、斡離不! お前も負けるんじゃねぇぞ!」粘没喝も負けじと声を張り上げます。
二人の連携は、まるで長年訓練してきたかのように見事でした。斡離不が遼軍の正面を突き崩し、そこに粘没喝が側面から襲いかかります。遼軍は、瞬く間に混乱し、総崩れ(そうくずれ)となりました。
戦いが終わり、完顔阿骨打のもとに、粘没喝と斡離不が戻ってきました。二人の顔には、まだ興奮の色が残っていました。
「父上! 遼軍を撃破いたしました!」斡離不が、得意げに報告します。
粘没喝も息を弾ませながら言いました。「阿骨打様! 俺たちの力、見せつけてやりましたぜ!」
完顔阿骨打は、二人の活躍をねぎらいながら、静かに言いました。
「うむ、見事であった。お前たちの軍事的な才能は、疑いようがない。だが、戦は力任せでは勝てぬ。常に冷静な判断を忘れるな」
その言葉に、斡離不は少し不満そうな顔をしましたが、粘没喝は素直に頷きました。
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寛大なる将、そして第二の皇帝候補
同じ頃、別の戦場では、完顔阿骨打の五男である訛里朶が、自らの部隊を率いていました。訛里朶は、寛大で包容力のある性格で、部下からの人望が厚い将でした。
「訛里朶様! 敵が退却していきます!」部下が報告します。
訛里朶は、焦ることなく、冷静に状況を見ていました。「深追いは無用だ。彼らも必死なのだ。無駄な血を流す必要はない」
彼は、敵を追い詰めるだけでなく、捕らえた敵兵にも寛大に接し、彼らを金軍に組み入れることすらありました。そのため、彼の部隊は、常に兵士たちの士気が高く、団結力がありました。
そして、完顔阿骨打の同母弟である呉乞買も、この頃からその軍事的な才能を発揮し始めていました。呉乞買は、兄の阿骨打が金朝を建国した後、遼との戦いで兄を支え、数々の功績を上げていました。彼は、好戦的な性格で、戦場では常に先頭に立って指揮を執ることを好みました。
ある夜、戦勝を祝う宴の席で、呉乞買は完顔阿骨打に語りかけました。
「兄上。遼の奴らは、もはや虫の息ですな。この勢いがあれば、いずれは、宋をも手に入れることができるでしょう!」呉乞買の目には、野心の炎が燃えていました。
完顔阿骨打は、静かに酒を飲みながら言いました。「呉乞買よ。焦るでない。遼を滅ぼすことこそ、今の我らの最大の目標だ。その先は、その時に考えれば良い」
「しかし、兄上は、いつか必ず天下を統一するおつもりでしょう?」呉乞買は、兄の真意を確かめるように問いかけました。
完顔阿骨打は、ふと遠い目をして、杯を置きました。「我らの民が、飢え(う)ることなく、安心して暮らせる世を築くこと。それが、この完顔阿骨打の願いだ。そのために、必要なことは全て行う」
彼の言葉には、単なる武力による支配だけでなく、民を思う深い心が込められていました。
粘没喝、斡離不、訛里朶、そして呉乞買。彼ら若き将たちは、それぞれ異なる性格と才能を持ちながらも、完顔阿骨打の指揮のもと、力を合わせ、金朝という新たな国家の礎を築き上げていきました。遼との戦いは、彼らにとって、来るべき大いなる戦乱の時代を生き抜くための、大切な経験となっていったのです。