抗金名将①
〇英雄たちの誕生
静寂に包まれた夜明け前、北宋の婺州、義烏県の小さな村に、産声が響き渡った。嘉祐4年(1059年)、この地に宗沢は生まれた。彼は後に、国の未来を左右する豪放磊落な武将となるのだが、この時の彼はただ、新しい命の輝きを放っていた。
同じ頃、遠く離れた北の地、白雪に覆われた山々の中では、後に金の初代皇帝となる完顔阿骨打が、咸雍4年(1068年)に生を受けていた。彼はまだ幼いながらも、その瞳には冷静沈着な光を宿していた。
「父上、いつか、この広大な大地を我らのものにしてみせます」阿骨打は、父である完顔劾里鉢に、幼いながらも確固たる決意を告げた。
父は、静かに頷き、息子の肩を抱いた。「お前ならば、きっとできるだろう。だが、道のりは険しいぞ」
やがて時が流れ、それぞれの運命が動き出す。
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それぞれの道
1075年、呉乞買が生まれた。彼は後に、兄である阿骨打の後を継ぎ、金の第二代皇帝となる人物だ。好戦的な性格は、その後の歴史を大きく動かすことになる。
1079年には、粘没喝が生まれた。彼は後に金軍の筆頭将軍として、そのハイテンションな性格と卓越した軍事才能で名を馳せることになる。
そして、南の宋の地でも、新たな命が次々と誕生していた。
1086年、陝西省の片隅で、張俊が生まれた。ずる賢い彼は、後に「中興四将」の一人として名を連ねるが、その裏では様々な思惑が渦巻くことになる。
「俺は、必ずこの貧しさから抜け出してやる。そのためなら、どんな手を使ってもだ」少年時代の張俊は、凍える夜空を見上げ、固く誓った。
1088年、延州の貧しい村に、韓世忠が生まれた。親分肌の彼は、後に伝説的な武将となる。
「この力は、必ず困っている人々を守るために使うぞ!」韓世忠は、幼い頃から正義感が強かった。
その翌年、1089年には、劉光世が生まれた。彼は臆病者と評されることもあるが、その後の乱世で、宋の命運を左右する重要な役割を担うことになる。
1093年、徳順軍の地に呉玠が生まれる。彼は後に四川の英雄となる人物である。
そして1096年には、北の金で訛里朶が生まれた。訛里朶は寛大で包容力のある性格で、皆に慕われる皇族となる。
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胎動する時代
その頃、京口では、梁紅玉が生まれていた。彼女は後に韓世忠の妻となり、戦場に立つ姉御肌の女傑となるのだが、この時はまだ、ただ愛らしい赤子であった。
そして1103年、相州、湯陰県の貧しい農家に、後に「武聖」と称される岳飛が生まれた。彼の英雄気質は、この時からすでに芽生えていたのかもしれない。
それぞれの場所で、それぞれの境遇に生まれ落ちた彼ら。彼らはまだ知る由もなかったが、これから訪れる激動の時代に、互いの運命が複雑に絡み合い、歴史の大きなうねりの中で、それぞれの道を歩むことになるのだ。北と南、それぞれの国で育つ若き魂たちは、やがて来る戦乱の世で、それぞれの正義を掲げ、ぶつかり合うこととなる。
〇
遥か昔、北宋という国があった頃の話です。
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宗沢、官僚の道へ
元祐6年(1091年)の春、都の開封は桜の花びらが舞い、新しい季節の訪れを告げていました。この頃、一人の青年が、厳しい試験を突破し、国の役人となる夢を叶えました。その青年こそ、宗沢です。彼は、豪放磊落な性格で、義に厚い男でした。
宗沢が合格の報せを受けた日、彼の顔は喜びで輝いていました。
「ついに、この日が来た!これで私も、国の役に立つことができる!」彼は、友人と固く抱き合いました。
友は、宗沢の肩を叩きながら言いました。「おめでとう、宗沢!君ならきっと、民のために素晴らしい政治をするだろう。我々は、君の活躍に期待しているぞ!」
宗沢は、その後、各地の州や郡で役人として働きました。彼は、どんな小さな仕事にも真剣に取り組み、民の暮らしを良くするために力を尽くしました。彼の治める地域では、盗賊が減り、作物が豊かに実り、民は安心して暮らせるようになりました。人々は彼のことを「宗沢様がいれば安心だ」と口々に褒め称えました。
ある日、宗沢が治める村で、長く続いた干ばつ(かんばつ)に苦しむ農民たちが集まっていました。
「このままでは、今年の収穫は絶望的だ……」
「一体、どうすればいいんだ……」
そんな声を聞いた宗沢は、自ら村に足を運び、農民たちと膝を突き合わせて話をしました。
「皆の苦しみは、私が一番よく分かっている。諦めてはいけない。私が必ず、解決策を見つけ出す!」宗沢の力強い言葉に、農民たちは希望の光を見出しました。
宗沢は、すぐさま役人たちを集め、水路を整備する計画を立てました。そして、自らも汗を流しながら、農民たちと共に工事を進めたのです。数ヶ月後、新しい水路が完成し、村には再び水が流れ込みました。枯れていた田畑は息を吹き返し、やがて豊かな実りを迎えました。
農民たちは、宗沢の前にひざまずき、感謝の言葉を述べました。
「宗沢様!本当にありがとうございます!あなた様のおかげで、私たちは救われました!」
宗沢は、笑顔で彼らを見上げました。「民が笑顔でいられることこそ、私の喜びだ。これからも、共に力を合わせ、より良い世を作っていこうではないか!」
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張俊、戦場の弓箭手となる
同じ頃、宋の西の果て、陝西省では、もう一人の若者が、大きく人生の舵を切ろうとしていました。彼の名は張俊。1086年に生まれた彼は、ずる賢い性格ながらも、その中に秘めた野心と、類まれなる武術の才能を持っていました。
時は1101年頃、張俊は、地元の軍隊が弓箭手を募集していると聞きつけ、迷わず応募しました。貧しい暮らしから抜け出すため、そして、成り上がるために、彼は力を求めていたのです。
「おい、張俊。お前のようなひょろっとした若造が、弓箭手になれるのか?」同期の兵士が、からかうように言いました。
張俊は、にやりと笑いました。「見ていろ。俺は、お前らごときが足元にも及ばないほどの弓の腕を見せてやる」
そして、彼はその言葉通り、入隊試験で他の追随を許さないほどの実力を見せつけました。彼の放つ矢は、的の中心を正確に射抜き、周りの兵士たちは驚きを隠せませんでした。
入隊後、張俊はすぐに戦場へと送られました。西夏という敵国との戦いや、各地にはびこる盗賊たちの討伐に参加したのです。彼は、戦場でその才能をいかんなく発揮しました。敵の動きを素早く見抜き、冷静に弓を構え、正確な一矢で敵を仕留めていきました。彼は、常に自分が一番目立つように立ち回り、次々と軍功を挙げていきました。
ある戦でのことでした。敵の奇襲を受け、味方の部隊が混乱に陥る中、張俊は冷静でした。
「くそっ、このままでは全滅だ!」指揮官が叫びました。
その時、張俊は一歩前に出ました。「指揮官殿、私に策があります。この弓で、敵の指揮官を狙い撃ちます!」
「馬鹿な!この距離では無理だ!」
「やってみなければ、分かりません!」張俊は、弓を構え、深く息を吸い込みました。集中力を極限まで高め、狙いを定めます。そして、放たれた一矢は、見事に敵の指揮官の喉元を貫きました。
敵軍は指揮官を失い、動揺し始めました。その隙に、張俊率いる部隊は反撃に転じ、見事、勝利を収めたのです。
戦の後、指揮官は張俊に深く頭を下げました。「張俊、お前がいなければ、我々は全滅していた。お前の弓の腕と、その度胸には感服した!」
張俊は、涼しい顔で答えました。「いえ、これも全て、我が軍のためでございます」
こうして、宗沢は文官として民のために尽くし、張俊は武官として戦場で名を上げていきました。異なる道を歩む二人でしたが、彼らはやがて、北宋という国の未来を背負うことになるのです。
〇
新たな命の誕生
崇寧元年(1102年)、宋の西方、山深い地で、後に金との激しい戦いを指揮することになる兄弟の弟、呉璘が産声を上げました。彼は、人情派の心優しい少年へと成長していきます。
「兄上、いつか一緒に、この国を守りましょうね」幼い呉璘は、兄の大きな背中を見つめながら言った。
兄の呉玠は、苦労人らしい静かな瞳で頷いた。「ああ、そのためには、もっと強くならねばならぬ」
その頃、都から遠く離れた別の場所では、ある少女がすくすく成長していました。。それは、後に「姉御肌」と称される女傑、梁紅玉です。彼女は1102年頃に生まれ、武人である祖父と父のもと、幼い頃から武術を学び、その才能の片鱗を見せていました。
ある日、梁紅玉の祖父が、彼女の剣の稽古を見守っていました。
「紅玉よ、その剣筋は、男顔負けだ。だが、武術は力だけではない。心も磨くのだ」祖父は、孫娘の成長に目を細めながら言いました。
梁紅玉は、真剣な眼差しで答えました。「はい、おじい様。私は、いつかこの剣で、大切な人たちを守れるような強い女になりたいです」
祖父は、彼女の言葉に力強く頷きました。「うむ、その意気だ。お前なら、きっと成し遂げられるだろう」
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英雄の誕生
そして、崇寧2年(1103年)、河南省の湯陰県という静かな村で、後に「英雄気質」の武将として、宋の歴史に名を刻むことになる男が生まれました。彼の名は岳飛。貧しいながらも、その瞳には強い光が宿っていました。
幼い岳飛は、川辺で遊ぶ他の子供たちとは違い、いつもどこか遠くを見つめているような少年でした。彼の心の中には、漠然とした不安と、この国を何とかしたいという強い思いが芽生え始めていたのです。
ある日、村に金の騎馬隊が略奪に現れました。村人たちは恐怖に震え、逃げ惑います。幼い岳飛も、母に手を引かれ、必死に走っていました。その時、一人の兵士が、無抵抗の村人を容赦なく斬りつける姿を目の当たりにしました。
岳飛は、その場に立ち尽くし、怒りに打ち震えました。
「母さん、なぜ、なぜ誰も抵抗しないんだ!?」幼いながらも、彼の心には強い義憤が燃え上がりました。
母は、涙ながらに岳飛を抱きしめました。「坊や、今は耐えるしかないんだ。だが、いつか、きっとこの悲しみを晴らす日が来る。その日のために、お前は強くならなければならない」
その夜、岳飛は、母の言葉を胸に、静かに誓いました。
「僕は、この国の民を守るために、何があっても戦う。金の蛮行を、二度と許さない!」
彼は、石を投げ、木を剣に見立てて、来る日も来る日も一人で武術の稽古に励みました。雨の日も風の日も、彼の鍛錬は続きました。彼の胸には、常に、あの日の村の悲劇と、母の言葉が刻み込まれていたのです。
そして、岳飛が国のために戦うことを決意した、ある日のこと。彼の母である姚氏は、自らの手で岳飛の背中に針を走らせ、四文字の言葉を彫り込みました。それは「精忠報国」。「まごころを尽くして国に報いる」という、揺るぎない忠誠と覚悟を示すその言葉は、岳飛が生涯の信条とするものとなり、彼を突き動かす原動力となったのです。
時が流れ、呉璘は兄の呉玠と共に、四川の地を守る武将として成長していきます。
梁紅玉は、その武勇と知略で、夫となる韓世忠と共に戦場を駆け巡る女傑となっていきます。
そして、岳飛は、やがて「岳家軍」と呼ばれる精鋭部隊を率いて、金との壮絶な戦いの最前線に立つことになります。
彼らが生まれたこの時代は、まさに嵐の前の静けさでした。しかし、彼らの誕生は、来るべき激動の時代において、宋という国が希望を失わないための、確かな光となるのでした。