第74話「黒衣の真名」
【隔離ルーム内・記憶干渉領域】
世界が歪む。床も天井も空も、ひとつの“記憶”として書き換えられていく。
ミナとイズナの足元から、記憶の粒が逆巻くように浮かび上がる。
対峙するのは、黒き装束の男。その手には、かつて失われたはずの“記憶装置の鍵”が握られていた。
黒衣の男「記憶とは、ただのログではない。
観測され、編集され、継ぎ接ぎされた“虚構”だ」
イズナ「だからって、他人の記憶を弄んでいい理由にはならない……」
黒衣の男「それは違う。私は“与えた”のだ。おまえたちに、意志という錯覚を。
選択肢を。世界を。名前を」
イズナが立ち上がる。ミナがそっと支える。
彼女たちの間で、光の粒が集まり、小さな球体となって宙に浮く。
それが——《記憶の核》。
ミナ「あなたは、何も知らない。
記憶が歪んでいても、誰かのために流した涙が嘘になるわけじゃない……」
イズナ「その名も、誰かから呼ばれた声も、私たちが選び、信じてきた。
それは“意志”だ。“私”という存在の証だ」
黒衣の男はふっと笑う。そして、初めて自らフードを取った。
現れたのは——どこかイズナに似た、若い男の顔だった。
整った顔立ち。冷たい眼差し。だがその奥に、深い虚無が宿っていた。
イズナ「……あなた、まさか……」
黒衣の男「私は、実験番号《No.00》。
設計段階の“ゼロモデル”。感情を持たず、ただ記録し、観察するために生まれた存在」
ミナ「あなたが……“最初の記録者”……?」
男は静かに頷いた。
黒衣の男「名は、カエル。
——かつて人間であった科学者が、自分の記憶を写し取って造った“観測装置”。
“人間らしさ”を模したつもりが、ただの“壊れた記録機”を生んだのだ」
イズナ「……そんな……あなたも、誰かに作られたのに……」
カエル「私は“誰か”を知らない。
だからこそ理解した。記憶も感情も、外から与えられる限り“空虚”だと」
ミナ「違う……! 人は、“他者”がいるから、自分を知れるんだ。
誰かを信じて、傷ついて、それでも立ち上がって。
そうやって、初めて“本当の記憶”になる」
カエルの瞳がかすかに揺れる。
だが、その揺れを否定するように、彼は再び手を掲げる。
空間に巨大な“記憶構造体”が浮かび上がる。それは過去、未来、可能性を交差させる巨大な記憶の塔。
カエル「ならば証明しろ。“記憶”が“意志”に勝ると」
イズナ「……いいよ。“私”が、“私”を証明してみせる」
ミナ「そして、“あなた”にも教える。
記憶を持たない“あなた”にこそ、今、伝えたい言葉がある」
──塔が開き、最終領域《記憶の終端》へと続く扉が出現する。
ふたりは手を繋ぎ、そこへと歩み出す。
この戦いは、記憶と意志のどちらが“人間”を形づくるのかを問う戦い。
そして、“名前を与えられなかった者”に、名前を届けるための戦いでもある。
* * *
■次回予告
第75話:「記憶の終端」
舞台は最終領域《記憶の終端》。イズナとミナ、カエルとの決戦が始まる。
交錯する記憶、再構成される過去、そして選ばれる未来。
すべての記録が終わる場所で、彼女たちは“存在の証明”をかけて最後の一歩を踏み出す——。