第7話:記憶を食らう者《ナンナ》
「ここが……“最後の記録の場所”?」
サクラが立ち止まり、胸元でペンダントを握る。
周囲は静まり返っていた。地上とは思えないほど整然とした、人工的な空間。
鉄とコンクリートでできたこの地下施設は、旧時代の記憶を保管する《中枢記録庫》。
だが今では、忘れ去られた過去の墓場――そして、何かが棲みつく場所。
クロが慎重に扉を押し開けた。
瞬間、風が吹き抜ける。
空気が、重い。まるで、何千人分の感情が沈殿しているようだった。
「ミナはここで、《ナンナ》と接触してたのか?」
サクラが小さく頷く。
「そう。でも、記録は途中で切れてる。“喰われた”のかもしれない。記憶ごと」
> ズズ……ズズズ……ッ。
音がした。生き物のものではない。
だが明らかに、“感覚”に訴えてくる気配。
天井の影から、何かが垂れ下がる。
細長く、ぐずぐずと崩れかけた“黒い触手”のような物体。
それは壁に張り付き、床に染み、記録媒体を這いずりながら膨張していく。
「これが、《ナンナ》……!」
サクラが息を呑む。
クロもまた、初めて見るその異形に、思わず足を引いた。
人の形はしていない。
ただ、記憶媒体に宿る“感情の残滓”を喰らい、増殖し、変化するウイルス的存在。
かつて人類を滅ぼしかけたゾンビウイルス《Z-β型》の、変異体。
それは感染ではなく、共鳴で記憶を奪う存在だった。
> 「……クロ……に……ナ……?」
声が、した。
誰かの声だった。ミナのものに似ていたが、音の端々が歪んでいた。
> 「返して……記録を……思い出せないの、こわいの……」
ナンナが“声帯の記憶”を模倣して、誰かの記憶を喋っている――そうクロは直感する。
「こいつ……喰った記憶を、喋ってるのか……?」
サクラが震えながら呟く。
「ううん、喋ってるんじゃない。“再生”してるの。喰った記録を元に、人間を作り出すように……」
その瞬間、ナンナの触手のひとつが膨れ、人型の何かが浮かび上がる。
それは――ミナの姿を模していた。
だが、目に光はない。血の通わぬ、亡霊のような存在。
「クロ……クロ……」
「やめろ……ミナじゃない、ミナは……!」
> ゴッ!
突如として襲いかかる模倣体。
クロはとっさに血を放ち、アーマー化することでガード。
だが、ナンナに喰われた記憶が脳裏に差し込む。
> ――クロ……私、もうすぐ消える。
――でも、私の“想い”はきっと誰かに届くって信じてるから。
クロの中で、記憶がざわめく。
ナンナはそれを見逃さない。さらに深く、脳に干渉してくる。
「くっ……! 記憶が……溶ける……!」
サクラが叫ぶ。
「ダメ! 意識を保って! “感情”を失ったら、あなたまで“模倣体”にされる!」
そのとき――血が、反応した。
クロの全身から噴き出した血液が、これまでにない速度で結晶化し、全身を覆う。
それはまるで、記憶を守る“殻”のようだった。
> 「俺の記憶は……俺のものだ!」
「誰にも、壊させない!!」
赤い鎧が、光を放つ。
ナンナの触手が焼ける。模倣体が崩れ落ちる。
サクラが目を見開いた。
「まさか……“記憶を守る進化”……!?」
クロは立ち上がった。
血は鎧のように彼を包み、ナンナの干渉を遮断している。
「行こう、サクラ。ミナが残した“最後の本当の記録”を、見つけるんだ」
> ――記録とは、感情の証。
――ナンナはそれを喰らい、形にし、偽物の記憶をばら撒く。
――だが、まだ終わらせない。感情がある限り、“本物の記憶”は生きている。
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次回予告(第8話案)
第8話「失われた日常」
ミナが遺した最後の記録。それは、“ゾンビウイルス”が蔓延する前の、ごく普通の家族の日常だった――
そしてクロは気づく。自分が“人類最後の進化体”ではないことに……。