第56話:「記憶の檻」
彼は、確かに人間だった。
ケルベロスと呼ばれる“怪物”の中枢に宿っている意識──それは、かつてアヤメと共に研究室で笑い合っていた青年だった。
「……ナギ……」
アヤメはそっと囁く。
敵として向き合うことを、ずっと拒んでいた。
でも今、彼の中に“かつての彼”の残滓を感じた。
***
《クロ》は防御の限界を迎えていた。
全身のアーマーが血液による再生限界を超え、亀裂が走っている。
「……さすがに……マズいな……」
だがその時──
「下がって、クロ!」
ミナが前へと飛び出し、怒涛の連続攻撃を仕掛ける。
“予測”の先を読むような動きで、融合ゾンビ群を切り裂いていく。
「こっちだって、限界越えてんだよ!」
ナナの声が通信に割り込む。
「敵中枢に《記憶封鎖領域》がある。
アヤメ、君のアクセスコードなら侵入できるかも!」
「私が行く。あそこに、ナギの“本当の意思”がある──!」
***
敵中枢へと一人突入するアヤメ。
彼女の手には、かつてナギと作り上げたプロトタイプの《進化核》。
かつての記録、笑顔、失敗、そして──彼の“最期の言葉”。
> 「もし僕が間違った進化を選んだら、その時は……君が僕を止めてくれ。」
アヤメは手を差し伸べた。
「ナギ、戻ってきて──!」
一瞬、空間が静止したように感じた。
制御核が揺れる。ケルベロスの三つの頭が、いずれも苦悶するような声を上げる。
「……アヤメ……?」
かすかな声。かつての彼の声が、黒い霧の中から確かに聞こえた。
その時、アヤメの背後から黒い触手が襲いかかる──
「アヤメ!」
クロとミナが同時に飛び込んできた。
クロの崩れかけたアーマーが“最後の防壁”として機能し、ミナの残像斬撃が触手を切断する。
「まだ……終わらせない!」
アヤメの手の中の《進化核》が白く輝く。
「進化の先に、希望があると信じるなら──私は、彼を取り戻す!」
ケルベロスの中枢が光に包まれ始める。
──人間だった“ナギ”は、そこに還るのか。
【つづく】