第29話:「侵食者の森」
――黒い森に踏み入れた者は、皆、声を失って帰ってくる。
北方の高地に広がる鬱蒼たる森林地帯。
そこは、旧世界の研究施設群とともに封鎖された、禁忌の地だった。
感染者でも融合体でもない、“第三の存在”がうごめくという。
「……本当に、ここに“感情を吸う菌”がいるのか?」
クロが苦い顔をする。
「冗談に聞こえるけどな」
だが、彼らを迎えたのは、言葉を話さない人々だった。
彼らは皆、生きていた。
だが、感情の表情を完全に失っていた。
まるで――抜け殻だ。
「“菌糸体”よ」
そう口を開いたのは、新たな登場人物。
リーシャ・ヴェイル。
この地の研究施設で生まれ、唯一“菌糸体”と対話できる融合体の女性だった。
彼女の身体の一部は樹皮のように変質していた。
だが、柔らかな微笑を浮かべ、こう言った。
「この森には、私たちの“心の残り滓”が根を張っているのよ」
リーシャの案内で、クロとミナは森の奥へ進む。
そこには、血液を感知して反応する赤黒い胞子の森が広がっていた。
「歩くたびに、思い出が浮かぶ……」
ミナが呟く。
彼女の足元から、黒い花のような胞子が生え、触れた瞬間――
“昔の景色”がフラッシュバックした。
「これは……私の記憶……? それとも……?」
リーシャが言う。
「違う。これは、菌があなたの“感情をなぞった幻”を見せてるの。
でも、感じた時点で、それはもう“あなたの中にあるもの”よ」
やがて、森の中心にたどり着く。
そこにいたのは――人間の形をした“菌の巨人”。
無数の表情を持つ仮面が、身体から芽のように生えていた。
《感情とは、進化に不要》
《記憶とは、腐敗の始まり》
《あなたたちはなぜ、痛みに抗う?》
言葉を持たぬそれは、感情を侵食する“思考の森”だった。
感情を武器に進化したミナにとって、それは天敵とも言える存在。
「私は……私の痛みを、なかったことにされたくない!」
ミナが叫ぶ。
彼女の血が滲み、アーマーが硬化し――
**“思考を遮断する結晶羽”**となって舞う。
クロも応戦。
二人の連携により、菌糸体の核を突き崩す。
森は、静かに“感情の声”を解放し、光の粒となって消えた。
戦いのあと、リーシャは森の跡地に静かに立ち尽くす。
「ありがとう。……でも、私の一部もあの森と消えたの。
これから私は、“誰か”として生きていけるのかしら」
ミナが彼女の手を握る。
「なら、私たちと一緒に来て。新しい“心”を見つける旅に」
リーシャが、初めて人間らしい涙を流した。
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次回予告(第30話案)
第30話「咎を背負う者」
西の山岳地帯にある“旧アマラン研究塔”に向かう一行。そこにはかつてウイルスを作り出した科学者の生き残りが潜むという。進化か、償いか――。かつての咎人が、語り始める“終わらせるための方法”とは?