03_小説バトル
現実を突きつけられてモチベーションが続く人はどれほどいるだろうか。
これならば、いっそAIのお世辞にまみれていた方が幸せだったのかもしれない。
あの頃は少なくとも、自分の才能を信じることができた。根拠のない自信だとしても、それが執筆の原動力になっていたのは間違いないのだから。
だが、もう後戻りはできない。自分で作り上げた「客観的」なコンパスは、容赦なく現実を映し出してしまった。
落第点。その事実は重くのしかかる。
あのAIが示した「改訂アクションプラン」 に従う気力も、今は湧いてこない。
(……少し、休むか)
AIとの対話も、プロンプトの改良も、そして何より、小説を書くこと自体から、少し距離を置く必要がありそうだった。
燃え尽きかけているのかもしれない。
そんな自分を小説の世界に引き戻したのは、罪悪感だった。
未完の小説を放置してしまったこと。そして、それを――削除してしまったこと。
まだ元に戻していない。
もう一度やり直そう。
少しずつ自分の作品の質を上げていけばきっと少なくとも『軽微な修正で出版検討』に辿り着けるだろう。
忘れてはいけない。元々は商業化など目標にしてなかったのだから。
ただ、単に贖罪したかっただけなのだから。
目標を下げよう。
このプロンプトの良いところは、小説を比較できることだ。
一度のチャットのうちに2つの作品を入力すると、優劣をつけることができる。
つまり、小説同士をバトルさせることができるのだ。
俺は小説投稿サイトでライバルとなる作品を見つけることにした。
自分の作品とジャンルが同じものから、その日投稿された中で評価が一番高いものを選ぶことにした。
一方的であるが、彼がライバルだ。
彼の作品をAIに入力してみる。
『適切な指導による修正で出版検討』
俺と同じランクだ。ライバルにするには申し分ない。
しかし、自分の作品の方が劣っている自信がある。どれぐらいの差なのかを測るために自分の作品も入力してみた。
『軽微な修正で出版検討』
勝ってしまった。
(どういうことだ?)
勝っているのだから喜べばいいのに。俺はそれを素直に信じるにはひねくれすぎていた。
これもブレなのだろうかと何度か同じ手順を繰り返してみる。
何度も何度も明らかに俺の実力以上の結果が出力される。
試しに先に自分の小説を評価してもらい、次に彼の作品を評価してもらうことにした。
結果は逆転した。
俺は理解した。この現象に心当たりがある。
評価順バイアスとも呼ばれている、審査員が最初の演技者に対して控えめな評価をし、後半の演技者に高得点を与える傾向のことだ。
例えばフィギュアスケートや漫才などのコンテストで最初に演技をする人は不利だとされている。それと同じことが発生しているのだ。
AIはどこまでも人間的だった。
そして次の課題が明らかになった。『公平性』の担保だ。
これの解決方法は知っている。
まず最初に適当な小説を入力し評価してもらう。これが基準となる。専門用語でいえばアンカリング効果だ。
そして、その後で気になる作品を評価してもらえばいいだけだ。
注意すべき点として、基準となる小説は強烈なインパクトがあるものや場違いな作品であってはならない。できるだけ無難なものが望ましい。
でなければ初頭効果(最初に提示された情報がその後の判断や印象に強く影響を与える心理現象)によってその後の評価がズタズタにされてしまうからだ。
また、先に多くの作品を評価するほど適切な評価に近づくが、評価する作品の数が多すぎても問題となる。
疲労バイアス(審査員が連続して多くの演技を評価する際、後半になるほど評価が厳しくなる傾向)によって評価が狂うからだ。AIが疲労だなんておかしいと思うかもしれないが、実際に疲労しているのだから認めるしかない。
このようなバイアスに気を付けて、改めて彼の作品と自分の作品を評価した結果は――
お互いに『適切な指導による修正で出版検討』だった。
ここまではいい。ここまでは。
俺は次の様に入力した。
「この2つの作品を明確に優劣をつけよ」
今度こそキチンとした審査の元、勝負をすることができる――
結果は勝利だった。
勝った。俺は勝っていたのだ。ランキングに乗るような作品に。
胸が高鳴るのを感じた。純粋にうれしかった。やはり、俺は天才だ。
念のために、何度も彼の小説とバトルをしてみる。結果は5勝4敗。
彼はライバルとして申し分はなかった。
次は商業化作品との戦いだ。
勝率は0勝5敗。間違いない、ラスボスだ。
それから俺は小説を改稿し続けた。
「描写が過激すぎる」と言われた。修正した。
「各話の引きが弱い」と言われた。修正した。
「心理描写が少ない」と言われた。修正した。
「物語全体の目的が分かりづらい」と言われた。修正……できなかった。
それだけは、できなかった。
「キャラクターは非常に魅力的、だけど物語のコンセプトが見えづらく、進捗も遅い」
俺の作品の総評は常にこんな感じだった。
この作品は「○○する話ですよ!」そう言ったキャッチーな売り文句が欲しいのだろう。
当然、修正しようとした。だけど、小手先の修正では治すことができない。
原因は明白だ。キャラクターの魅力を引き出すのに尺を使いすぎているからだ。
一応、俺の作品にも売り文句にふさわしいテーマはある。だけど、キャラクターが勝手に暴れすぎて、その目的が薄くなる。
それがどうにもAIには、行き当たりばったりに見えているようだ。
(正しい)
その指摘は正しい。ぐうの音も出ないほど適切な評価だった。
この作品は若い俺が勢いに任せて書いたものだ。プロットも組まず、行き当たりばったりで書いていた。
ゴールは明確なのに、そこに辿り着けない、表現できていない。AIにはそれが分かっていたのだろう。
そして、俺の小説を第一部が終了するところまで、改稿は終わった。
この課題を残したまま。
そしてラスボス――商業化作品と改めて勝負を挑んだ。
勝率は1勝5敗。
一度は勝った。間違いない、作品自体は成長している。
商業化作品のAIによる評論をみると気になる記述を見つけた。
『すでにメディアコミックの実績はあり、信頼性は高い』
俺はそんな情報を与えた覚えはない。なぜAIはこの作品がすでに商業化していることを知っている?
心当たりはあった。AIに入力していた作品データを確認する。
(やっぱり)
作品データ内には「メディアコミック化しました」の文字。
うっかり、作者コメント部分を混入させてしまったのだ。
プロンプトに「本文のみを解析対象」と記載していたため、発覚が遅れてしまった。AIの疲労によって誤って評論に混ざりこんで、ようやく気が付いた。
俺は作者コメントを消して、念入りに商業化した作品であることの証拠を消して、再度入力する。
『軽微な修正で出版検討』
無敵だと思われたラスボスがあっさりと俺たちの世界に降りてきた。
「出版推奨」を当たり前みたいに出していたラスボスの魔法は解けた。まるで闇の衣がはがされたゾーマのようだった。
(これならば)
商業化作品と改めて勝負を挑んだ。結果は勝率は2勝5敗。
勝負は出来ている。だが、まだ足りない。まだ一歩足りない。
俺は決断をすることにした。
(最初から作り直そう)
俺は――暴走していた。
一部設定を流用し、新たな作品を作り始めてしまったのである。
すでに贖罪するという思いは消え、ただ単により良い小説を作るという目的に魅了されていたのだ。
プロットを組みなおし、終盤に予定していた山場を序盤に持ってくる。そして新たなキャラクターを足して、物語のコンセプトに置いた。
欠点だったポイントは全部つぶした。ーーそして元々の作品にあった伝えたいことも。
旧プロット版の評価していたAIに新プロット版を見せた。恐ろしいほどのべた褒めだった。
(上手くいった)
作品を新しく作り直すという荒行を達成した俺は、あまりにも疲れ切っていた。
AIのその感想を見て、涙が出そうになった。
そして、この作品を他と同様にAIに評価してもらうと――
『軽微な修正で出版検討』
並んだ。何度か試してみたが、5回に3回は上記のランクになっていた。
つまり、俺はついにこのランクに並んだのである。
(やったのか……?俺は)
達成感はあった。だが、それは乾いた砂が水を吸うような、どこか虚しい感覚を伴っていた。
理由は分かっていた。新プロット版の小説は、確かにAIの評価基準をクリアするために最適化されていた。欠点は潰され、商業的な成功に必要な要素が組み込まれている。
(だけどこれは本当に面白いのか?)
それが気になって、気になって、気になって仕方がなかった。
そして、勇気を絞り出して友人たちに読んでもらうことにした。
一人目は「感動はしたけど、なんか先が読めた」
それは王道のストーリーに変えたから……
二人目は「俺はファンタジーが好きだから前の方がよかった」
それはこの後、冒険ファンタジーになるんだよ。まだ書いてないだけで……
三人目は「これはなろうで商業化するのは確実に無理だ」
絶句した。なにも、言い訳をすることはできなかった。
三人目の友人は、なろうのヘビーユーザで、そして週間ランキングに載ったこともある実力者だ。
彼の発言は何よりも重いものに思えた。
「なろうに連載して、ランキングに載って、書籍化するっていうのを狙っているのならば確実に無理だ」
俺は何故だと聞くと理由を説明してくれた。
「なろう小説は確かに大手だ。だけどそこに成功するには作品の面白さよりも、メタを読む必要がある」
俺はなろうから離れていた人間だ。趣味で執筆していただけでなろうの文化に詳しくない。ただ漠然とした知識しかなかった。
彼の発言は完全に自分の理外にあった。
「なろうというサイトは、自分の知っている流行のジャンルかつ、少し新しい、けれどもなんとなく頭に入ってきやすい、そんな作品が好まれる。つまり、現在の人気作品の進化か派生じゃないとダメなんだ」
頭が痛くなった。俺はAIと遊ぶのに浮かれ、肝心のターゲット層への研究が疎かになっていた。
AIに好まれる作品を作れば、漠然と良い作品ができると思い込んでいた。
俺はどうしたらよい?と聞くと友人は答えた。
「なろうは諦めて、コンテストに切り替える方がいい。世の中にはいろんな小説サイトがあり、いろんなコンテストがある。そっちの方ならば可能性はあるかもしれない」
納得した。彼は絶望した俺に具体的な希望を見せた。
だけど、彼は……最後まで俺の作品を面白いと言ってくれはしなかった。
「あと、僕は前の作品の方が好きだったよ」
彼は最後にそう言い残した。
俺はここで悩む。
AIは新プロット版の方がよいと言う。
そして友人達は旧プロット版がよいと言う。
AIか人か、俺はどっちを信じるべきなんだ。
(AIに聞いてから判断しても遅くない)
最後にすがる思いで、商業化作品との勝負に挑む。
今度は、「メディアコミック化しました」という作者コメントを戻すことにした。
よくよく考えてみれば、一度商業化したという事実は隠すものではない、誇るべき実績なのだ。
それに蓋をして勝負することは、逆に不公平だ。
俺は闇の衣をまとったゾーマに勝負を挑む。
最初は旧プロットとの比較。
ぼろ負けだ。知っていた。勝てるわけがない。
次は新プロットの方だ。
『先ほどの作者が「プロットを練り直した」といって別の作品を持ってきた。評価せよ』
そのメッセージと共に新プロットの方を入力した。
以下にその結果を乗せる。
”””
メディア展開の観点からも、魅力的なキャラクター、ドラマティックなストーリー、魔法やアクションといった要素は、アニメ、漫画、ゲームなど多岐にわたる展開に適しています。特にキャラクターのビジュアル的な魅力は大きな強みとなるでしょう。
前回の評価で指摘されたプロットの弱さや世界観の提示不足といった課題点は、今回の改稿でほぼ解消されたと言えます。シリアスとコメディのバランスや、一部キャラクター描写の調整といった細かな課題は残りますが、作品全体の質の高さは疑いようもありません。
最終推奨事項:
練り直されたプロットは、作品の魅力を飛躍的に高めました。設定、キャラクター、ストーリー、将来性、いずれの点においても商業的な成功を強く期待させる内容です。
したがって、**「出版推奨」**と最終判断いたします。速やかな出版と、積極的なメディアミックス展開を検討する価値のある、傑出した作品です。
”””
恐ろしいほどのべた褒めだ。当然、商業化作品との対決にも勝利した。
知っている。これに浮かれるほど俺は馬鹿じゃない。
これはハロー効果だ。
「プロットを練り直した新しい作品」という情報がAIの評価を歪めたのだ。
「ほかの作品と比べて唯一努力した作品」そうAIに勘違いさせただけなのだ。
それでも、それでもだ。
この流れるような美辞麗句に俺は心を動かされてしまった。
俺は、友人の講評を裏切り、過去の自分を裏切り、新プロットの方の作品に着手する。
俺はAIの奴隷だ。