『奈落』より②
「家族を傷つけるお前は、嫌いだ!!」
テレフォンパンチと言うのだっけ。どこでそんな言葉を知ったのか分からないけれど、とにかく彼女のパンチがそういう大振りで隙だらけのものに見えた。
それでも拳は竜の頭部へ直撃する。よろけた反動を逃がしながらも私たちの方へ向き直ろうとした竜は、再び頭部を弾かれる。竜の方も二度も同じ攻撃は喰らうまいと、拳を受ける直前に首をしならせサイカさんに頭突きを当てる。
「うぎゃっ」
床へ叩きつけられた彼女は蛙のようなポーズでへばりついた。すかさず龍の前脚がその背中を圧し潰そうとする。気付けば私は龍の足とサイカさんの間に滑り込もうとしていた。
あと一歩、届かない・・・!
無我夢中で手を伸ばす。
■権能―【アトラ】
起動準備を開始します…
▼宇宙論ー魂との同調を開始します.
同調成功.
▼疑似創世核ー励起
仮設証明を完了.
▼動作確認ースキップします.
▼機体負荷計算ースキップします.
内側から響く声が喧しい。
うるさい!早くしろ!
………各種確認をスキップします.
掌を真横に払って中空に一線を描いていた。
「〈空〉!オープン!!」
指先で描いた軌道に沿って紫色の光が溢れ出して目が眩む。
光が収まると同時に空間が揺らいだ。竜の前脚が揺らいだ空間の上に乗ったまま、それ以上サイカさんへ近づくことができない。
「これが私の・・・能力・・・!」
私たち『コスモズ』は特別な権能を有すると博士は語っていた。
力と取扱説明は私たちの機体に刻まれている。5機の『コスモズ』に5種の能力。私たち5人それぞれの魂と同調することで起動する。
私の権能は【アトラ】。
指定した範囲を”空間ごと闢く”能力。上と下を別けて闢いて、隔てる。ただそれだけ。
自分の横っ面へ殴りかかった相手にとどめを刺し損ねた竜は、苛立っているように荒い息を吐いた。その吐息を予兆として、真紅の炎のような息吹が襲い掛かって来た。私の創り出した小さな範囲の”隔たり”だけでは防ぎきれない濁流だ。炎が身体の端を僅かに撫でる。
次の瞬間、全身に激痛が走った。
「い゛だ・・・あ゛・・・!!」
全身を駆け巡る痛みで声が出ない。爪先から指の先まで、痛みで外側と内側のフレームがギリギリと軋む感覚がする。頭の中に無数の警告が鳴り響いていた。
サイカさんの悲鳴が響いた。
「ぎゃあああ―――!!!!!」
「サイ・・・さん!ごめん!私が・・・!」
サイカさんも”隔たり”の外にはみ出しているんだ。私が範囲選択を急いて〈空〉を闢いたから、庇い切れていない!軋む手足を伸ばして、範囲の中へサイカさんを収めようと引っ張る。
伸ばした手足の先に炎が触れる度に全身に耐えがたい苦痛が襲う。けれど、このくらい!!
炎から免れて痛みから解放されたサイカさんと目が合う。ぽたぽたと彼女の頬に雫が零れていた。
「ナツミちゃん、泣いてるの?」
本当だ。私、痛くて泣いていたみたい。
「大丈夫?」
「大丈夫大丈夫!・・・おかしいよね。アンドロイドなのに、痛くて、泣いちゃうなんて」
彼女の猫のような瞳が静かに私を見据えていた。
鋭い瞳孔が揺らめいて何かを見極めようとしていた。私を、というよりこの場にある何もかもを。
「どうでもいいよ、そんなこと」
真っ直ぐに私を見つめたまま彼女は言う。
「私は、私の好きなものが好きだし。嫌いなものは嫌いだ」
炎の濁流が途切れた瞬間、身体が真横へ吹き飛ばされた。サイカさんが私を蹴飛ばしたんだ。
サイカさんが脚を畳み四つ這いになりながら姿勢を起こす。右拳を半身に構え、左手を脚の間につく。
「この天井邪魔!!消して!!」
「でもそれじゃ――!」
この距離で再び炎が来たら間に合わない。廊下の床を転がりながら祈るように叫んだ。
「サイカ!!」
その声を遮るように彼女の声が響いた。
「守ってくれてありがとう!!
勇気があって優しいナっちゃんのこと、私、好きだ!!」
その拳に何かが集まってゆく。ごぽごぽと水音を立てて、青く光る液体が湧き上がって球状に纏った渦になる。
「”シンプル”だ。何もわからなくて不安なときは、”シンプル”がいい」
一瞥。サイカさんが横に転がる私を見遣って、そして笑った。
「家族を、信じて!」
たった一言。
その一言で私はいつのまにか権能の効力を解除していた。竜は三番目の顎を開く。零れだす炎の色は黒。不吉に輝きサイカさんに襲い掛かる。彼女は自らその炎に飛び込んだ。
再度右拳の大振り。彼女は力いっぱいに吠えて渦巻く水ごと拳を突きだした。
「ぶっ放すぞ!!権能・・・【オーザ】!!」
青く光る液体が迸る。同時に渦の中から中から丸い何かが無数に飛び出す。
ぽこぽこぽこんっ♪
丸い身体に大きな口。口の中には大雑把な三角の歯が並んでいて、ぎょろりと大きな目が少し怖くて少し愛嬌がある。両側面とお尻のあたりに2対のヒレがあって、それが前脚と後脚みたいだ。
そんな奇怪で愛くるしい、魚とも獣とも知れないモノが次から次へと産まれて溢れ出す。
「即興創造!〈ガブ1号〉だー!」
〈ガブ1号〉と名付けられたその珍生物たちはいっせいに口をパクつかせた。
みるみるうちに炎を食べてしまっている!?
炎が食べられて、跳躍する彼女の道が拓かれる。
拳が届く!
その眼前には炎を吐いていた口が開かれていた。構わず拳は振るわれる。
「一発でぶっ飛ばしてサイカごと吐き出せてやるよ!」
「――――それはお勧めしないなサイカ」
博士の声と銃声が重なる。
音と風と共に弾丸が空を駆け、サイカさんの背中を掠めた。
突然彼女は頭から回転して後方へ投げ出される。まるで背中から彼女を引っ張る見えない糸があって、その糸で振り子のようにぐるんと振り回されたように。
「わ、わわわわ、わぁ~~~!!」
壁に激突したサイカちゃんは漫画やアニメみたいに数度壁と床とをバウンドして私の後方へ飛んで行ってしまった。見渡しても弾丸の射手は見えない。
「ありがとう、リョウヤ。良い腕前だ」
サイカちゃんとすれ違うように、石和アスカが歩み出る。靴音を奏でながら悠然と、初めて会った時と同じように。
「博士・・・」
「やあ。よく頑張ったねナツミ。私も想定外だったとはいえ、随分と無茶をさせてしまった」
私に歩み寄ってそっと頭を撫でてくれた。
それからすっくと立ちあがり毅然と竜を睨みつける。翠緑の髪が仄かに青く光る。その輝きを竜は静かに見つめていた。
「さて。随分と手荒な訪問をしてくれたようだけれど、一体どんな用向きかな?原罪の竜よ」
竜は博士の言葉に応えるように低く唸る。
「だいたいね、まだお前の出番には時期尚早と言わざるを得ないだろう?」
「まったく――」と嘆息を吐きながら足元に転がった丸い生きものの亡骸を拾って見つめる。
そうだ。亡骸だ。
さっきサイカさんが生み出した〈ガブ1号〉とやらが、見るからに生気を失って冷たく転がっている。
私はそんな死屍累々の惨状に今更気付いたんだ。
長く薄い息を吐く博士は少しだけ怒りに震えているようだった。
「お前の力は傲慢で度し難いよ」
『蛯イ諷「縺ッ縺?▲縺溘>縺ゥ縺。繧峨□――――!!』
竜が吠える。空気を震わせるその咆哮が、今度は何か意味を持った声に思えたのは何故だろう。博士と龍の両者の怒りがぶつかって爆ぜる様が見えるような気がした。
博士は白衣のポケットに手を突っ込んだまま、竜を睨みつけたまま声を上げた。
「今すぐ敵を追放しろ!『奈落』!!」
その声に応えるように廊下が光りだす。崩落していた壁面やそこら中に散らばった瓦礫の一つ一つが、あたかも一つの生きものの群れのように蠢きだし竜をめがけて跳んで行く。瓦礫はその最中、中空で形状を有機的に変化させてゆく。
槍のように。
槌のように。
それらを握った無数の手のように。
あるいは素手で掴みかかる手のように。
”手”に群がられ竜はは呻き声を挙げる。槌は室内に踏み込んだ竜を外へ外へと追い遣り、槍は身体中を刺し自由を奪う。無数の槍や手に自由を奪われた竜は小人に捕らえられるガリヴァーのようだった。
大量の青い血が吹き出す。施設の壁や廊下は刻一刻と姿容を変える。
いつの間にか形成された巨大な円筒形の物体が龍へと突き付けられていた。それは幾つもの巨大な歯車とリング状の部品で形成されていて、それらがバラバラに回転している。ゴウンゴウンと重厚な音と耳鳴りのような甲高い音が重なって響く。それは回転の加速と共に拍子を速めてゆく。
砲台だ。
気付いた視界を光が多い尽くした。爆音。衝撃波。そして濁流のような光の放出。
光線の先、射程の端は遥か彼方で視認できない。
光が止む頃、そこに竜は影も形も無かった。