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恋愛エモーション

 side:大和




 いきなりだが、俺には恋人がいる。

 相手は超人気実力派の役者で、所謂『芸能人』というヤツだ。

 名前は唐笠誠。

 性別、男。

 ただでさえ芸能人の恋愛はスキャンダルなのに、あの数々の有名女優達と浮名を流した唐笠誠が、まさか男と付き合っているだなんて…

 もしマスコミに知られたら、アイツの芸能生命は終わってしまう。

 付き合いだして早2週間。

 俺は後悔していた。




「や、大和…っ、お願い、だから…そんなこと、言わない、で…!」


 人目を避けて引っ張り込まれたのはアイツの楽屋。

 和室仕様になっているから靴を脱いで、俺達は向かい合うようにして正座していた。

 そして目の前には今にも泣き出しそうな、この舞台の主役・唐笠誠の情けない顔がある。

 端正な顔立ちに悲愴を滲ませている。

 そんなに俺の言葉が悲しかったのだろうか…

 だけど、これはコイツのためだ。

 基本的に俺は誠の『お願い』にはすこぶる弱い。

 耳と尻尾がぺしょんとなった犬のような顔で見詰めてくる誠は、惚れた欲目など抜きにしてもかなりの可愛らしさだ。

 でも、ここで負けるわけにはいかない。

 心を鬼にしなければならない時もあるんだ。


「俺はさっきの言葉を撤回する気はないからな」

「ッ! そん、な…っ」


 途端にうるうると涙が浮かび上がってくる。

 嗚呼、俺の可愛いワンコが泣いてしまう。


「いや、だっ! 嫌だ嫌だ嫌だっ! 俺っ、ひっ、ぅう…っ、大和と、一緒に、ッ、居たいよぉおっ!」


 とうとう畳に突っ伏して泣き出してしまった誠に、俺はお手上げとばかりに天井を仰いだ。

 誠の純粋な気持ちは嬉しいし、俺だってずっと一緒に居たいと思ってる。

 だけど、そんな我が儘が通用する世界じゃないって知っている程度には、俺は大人なんだ。


 公演が終わるまで後2週間。

 誠は次に控えているドラマの打ち合わせや、雑誌の取材、写真集やCMの撮影にとその忙しさは苛烈の一途だ。

 なのに、僅かな隙間をぬって俺との時間を作ろうとする。

 寝る暇さえないだろうに、ほんの1分でも俺に逢いにくる。

 健気でいじらしいワンコ。

 だけど、これにスキャンダルまで降り懸かったら壊れてしまう。

 昨日、マネージャーさんにもお願いされてしまったしな。


「仕方ないんだよ、こればっかりは。お前だってこれ以上の面倒事なんて嫌だろ?」

「ヤダヤダヤダッ!! 一緒に居る! だって付き合ってるんだよ!? 何で一緒に住むのが嫌だなんて言うの!?」

「だから…何も別れるとは言ってないんだし、同居するのは無理ってだけで…」

「同棲だもん! 周りなんて関係ないっ、大和以上に大切なことなんてない!!」


 あーあ、この子は。

 年上のクセにボロボロ泣いて、こんな平凡相手に縋り付いている。

 座ったままの俺の腹に抱き着くようにして泣いている誠を見下ろし、何度目かの大きな溜息を吐き出した。

 人の気も知らないで大人気ないことばかりを言う大人に、俺はこれ以上諭すことができなくなる。

 だからと言って、マンションに同居…同棲することは承諾できないんだけど。


「大和っ、お願い、だから…っ、うっく…捨てない、で…ッ」

「誰も捨てるなんて言ってないだろ…。こんなに愛してんのに」

「大和ぉおーっ!」


 俺の言葉に痛く感動したのか、ガバリと顔を上げるとそっと唇を寄せてくる。

 実は付き合った日からまともにキスすらできていなかったから、俺も大人しく目を閉じ…

 …ようとした瞬間、ノックと共にドアが開かれた。

 暖簾がかかってるから見えなかっただろうけど、俺は驚きの余り反射的に仰け反って誠から離れてしまった。

 マズッた。

 マネージャーさんに見られかけたことじゃない。

 誠の顔が、さっきまでの悲しい顔でも嬉しい顔でもなくまさに般若の如く歪められていたからだ。

 これは相当怒っている。

 俺にまで被害が及ぶことは避けなきゃならないから、そそくさと立ち上がってドアへと向かった。

 誠も時間が押し迫っていることを理解しているからか引き止めはしないけど、物凄い形相でマネージャーさんを睨んでいた。

 靴を履き終わると、擦れ違い様に青ざめているマネージャーさんに会釈して楽屋を退室する。

 スミマセン、マネージャーさん。

 俺はやっぱり、我が身も可愛いです。




 ***




 side:誠



 俺には可愛くて可愛くて仕方がない恋人がいる。

 見た目は平凡かも知れないけど、とても暖かな心を持った人。

 男だろうと、スタッフだろうと関係ない。

 彼の全てが愛しくて堪らない。

 彼は都劇場で『特殊効果』という仕事をしている。

 ドライアイスを出したり、紙吹雪を降らせたり、血糊を出したり、時には照明や音響、小道具や衣装なんかも手伝っているらしい。

 劇場内を忙しく走り回っている姿は可愛くて格好良くて目が離せない。

 まぁ、大和がみんなに可愛がられてるから目を離せないって意味もあるんだけど。


 とにかく俺達は2週間前に恋人になった。

 なのに…

 付き合いだした翌日から俺のスケジュールは凄まじいものになっていた。

 そのお陰で満足に大和と二人きりにもなれないし、キスどころか手もろくに握れていない。

 はっきり言って欲求不満だ。

 それにこの公演が終わってしまったら、仕事中に顔を見ることさえできなくなってしまう。

 そんなの堪えられるわけがない。

 そこにきて大和の言葉。


「お前とは一緒に住めない」


 もう泣くしかない。

 大好き。

 愛してる。

 大和が居れば寝不足でも頑張れる。

 だけど、大和が居なかったら食べることもできない。

 会話なんてなくてもいい。

 家に帰ったら大和が居るってだけで心が暖かくなる。

 寝顔を見るだけでもいいんだ。

 なのに、酷いよ…

 俺から大和を取り上げようとするなんて…

 どんなに泣いてお願いしても、大和は決して首を縦に振ってはくれなかった。

『愛してる』って言ってくれたのが嬉しくてチューしようとしたら、またスケジュールに邪魔された。

 大和から甘い言葉を聞けるのは滅多にないのに…

 後3秒あればあの柔らかな唇に触れることができたのに…

 決してマネージャーのせいじゃないってことはわかってるけど、このフラストレーションを押し殺すのは無理だ。

 楽屋から出ていく大和の後ろ姿を見送ってから、俺は不機嫌丸出しな顔でマネージャーを見上げた。

 可哀相なくらい青ざめてるけど、ちっとも同情なんてできない。

 だって俺の方が余っ程可哀相だ。


「こっ、これから顔合わせが」

「わかってる」


 吃っているマネージャーにさえ苛立ちながらも、俺は手早く身の回りを調えて立ち上がる。

 好きで入った世界だ、手は抜きたくない。

 今まではどんなにきつくても辛くてもこの世界に居続けるために踏ん張ってきたけど、初めて芸能界というものが煩わしく思ってしまう。

 自分が芸能人なんかじゃなかったら、大和ともっと一緒にいられるのに。


 楽屋口から外に出ると出待ちのファン達がかなりの列を作って並んでいた。

 俺は芝居が好きなだけでファンサービスなんてする気は端からない。

 勝手に騒ぎまくりストロボ焚きまくってる群れに目をやることもなく、停められていた車へと乗り込む。

 こんなに無愛想なのに世間は『クール』だとか『ストイック』だとか、良いようにとって勝手に盛り上がっている。

 テレビをつけて俺が映らない日はない。

 街中にも俺を起用した広告がデカデカと掲げられている。

 たくさんの人目に曝されている俺。

 でも、本当の俺は彼にしか見せない。

 いや、大和だけが俺を本当の『俺』にしてくれる。

 今更手放すことなんてできない。

 彼と過ごす暖かな時間を知ってしまった俺は、もう一人では立ち上がることもできやしない。


 大和。

 大和大和大和。

 こんなに大好きなのに、なんで一緒にいられないの?

 大和は俺といなくても平気なの?

 大和の気持ちがわからない。

 俺の想いと大和の想いの大きさが違いすぎて、もうどうしたらいいのかわからないよ。

 移動の合間に膝の上に台本を広げて台詞を頭に叩き込むけど、完全に大和を思考の隅に追いやることはできない。

 仕事は完璧にやる。

 だけど、大和の恋人としても手を抜きたくない。

 ページをめくりながらも俺は、後2週間でどうやって大和を口説き落とそうかと知恵を振り絞っていた。




 ***




 side:大和




 あの一件から毎日のように電話がかかってくる。

 芸能人は待ち時間がたくさんあるらしいけど、多忙な誠はその時間で台本を覚えたりしているそうだ。

 俺はそんな誠にひそかに感心していた。

 だけど、最近じゃそれ以上の熱心さで電話をかけてくる。

 内容はもちろん『同棲』についてだ。

 何度断っても宥めすかしても軽く叱っても、懲りもせずに延々とお願いしてくる。

 これが1週間も続けばいい加減罪悪感が芽生えるどころか花まで咲きそうだ。


『好きだから一緒にいたい』


 純粋に真っ直ぐに俺を想ってくれる誠。

 だけど、それだけじゃダメだってことを俺は理解している。

 アイツよりも濁っているかもしれないけど、俺は俺なりの想いで誰よりも誠を大切にしているつもりだ。

 アイツが自分を大切にしない分、俺が大切にしてやらなきゃぶっ壊れてしまう。

 だから頑なに断り続けている。

 舞台の真ん中で甘い歌声を響かせている誠。

 照明に当たってキラキラと輝く金色の偽物の髪を揺らし、愛する者を想って愛を歌い上げていく。

 観客どころか舞台袖に控えている人達も、うっとりと誠を見詰めている。

 ドライアイスを出しながら、俺もそんな群衆に紛れてその浮世離れした姿に見惚れていた。

 この舞台を見られるのも残り1週間。

 そう思うとちょっと寂しくなってくる。


「相変わらず完璧な役者だな、お前の彼氏は」

「―――ッ!」


 俺のすぐ後ろに立っていた佐伯さんが、わざと耳に息を吹き掛けながら喋ってくる。

 擽ったいわ!!

 咄嗟に声を殺せたことを褒めて貰いたいわ!!


「さっ、佐伯さん! なんつーことしてくれるんですかっ」


 小声で文句を言いながら佐伯さんを振り返ると、ニヤニヤと楽しそうなイケメン面があった。

 イラつくな、おい。


「まぁまぁ、怒るなって。なんだ、欲求不満なのか?」


 ホント、イラつくな。

 当たらずとも遠からずな佐伯さんの言葉に、知らず頬が引き攣っていく。

 すぐに顔を舞台に戻してマシーンのハンドル操作に無理矢理意識を向ける。

 ホースの端からモクモクと出ているドライアイスが床を舐めて、中央にいる誠の脛辺りまでを覆う。

 青紫色の照明に映えて中々綺麗だ。


「後1週間で終わるな。来月の公演は歌舞伎だからお前も暇になるんじゃないか?」


 歌舞伎は特殊効果を使うことが少ないから、必然的に俺の仕事は減ってしまう。

 そう、俺は来月から暇になるのに、肝心の誠はドラマの撮影に入るから忙しさ絶頂期に入る。

 二人きりになれなくても今ならこうやって顔を見ることができるけど、来月からはそうもいかなくなるんだな。


 寂しい。


 社会人同士の付き合いなんだから、こんなのは当たり前なんだろうけど…やっぱり寂しいものは寂しい。

 あーあ、俺も損な性格だよな。

 いっそのこと誠みたいに周りなんか気にせず素直に一緒にいたいって言えれば、こんな板挟みみたいな気持ちにならなくて済んだかもしれないのに。

 俺がひっそりと溜息をつくと、後ろから頭に手を乗せられた。


「大和、お前は溜め込み過ぎなんだよ。それを言ってもらえねぇのは、結構堪えるんだぞ。俺はそんなに信用ないのかって。頼りにならないのかってな」


 俺の髪をワシワシと撫でながら、佐伯さんが慰めてくれる。

 何だかんだ言っても、この人はよく見てるよな。


「それはアイツもそうなんじゃないのか? お前の本心を聞けないなんて恋人失格だとかって、唐笠誠なら思い詰めてるかもしれないぞ?」


 思いも寄らなかった言葉に目から鱗が出そうだ。

 誠が、思い詰めてる?

 毎日電話をかけてくるのは甘えじゃなくて、もしかしたら追い詰められていたからなのか?

 目の前で歌い終えた誠を見詰め、俺はようやく目が覚めたような気がした。

 誠のことを想っているつもりで、俺はきちんと誠のことを理解できていなかった。

 いつの間にか離れていた佐伯さんの手にも気付かないほど、俺は込み上げてくる途方もない後悔の波に打ちのめされていた。

 きちんと話し合おう。

 電話じゃなくて、面と向かって。

 そして今度は素直に俺の気持ちを聞いてもらおう。

 俺はそう心に決めて、勢いよくハンドルを回した。




 ***




 side:誠




 大和は職場で話しかけると物凄く怒る。

 別にスタッフと役者が話すことなんて普通なんだけど、俺はフレンドリーじゃないことで有名だから大和に話したらそれだけで特別扱いしてるって丸わかりなんだって。

 だから俺は空き時間に暇を見付けては、大和に電話するという日々を送っている。

 何度も何度もめげずに口説きまくってるけど、大和は頑固者だから全然良い返事が聞けない。

 諦めたりはしないけど、やっぱり寂しいとは思う。

 断られる度に、俺の想いが否定されてるみたいで。

 後1週間しかないのに。

 ここのところ眠れない。

 また味がしなくなってきた。

 電話じゃなくて直接話しがしたい。

 大和…早く頷いてくれないと、また俺倒れちゃうよ。


「誠さん、どうしたんですか? 今までならこれくらいのスケジュール、まだ余裕のはずですけど…」

「煩いよ」

「また大和君のことですか?」


 ちらりと鏡越しにマネージャーを見る。

 20代後半のやり手マネージャー。

 確か大和とも面識があったらしいけど、コイツから彼の名前が出るとイライラする。


「誠さん、彼に時間を割いてるんじゃないんですか? これじゃ、何のために彼に助言したのか…」

「………助言?」


 マネージャーの顔があからさまに『しまった』と青ざめた。

 コイツ、大和に何か良からぬことを吹き込んだんじゃないのか?

 だからあんなにお願いしても、全然頷いてくれなかったんだ…


「テメェ、何のことだ? 大和に何言ったんだ!?」


 振り返って直に睨み付けてやると、不様なほどにうろたえはじめるマネージャー。

 ムカつく。

 ムカつくムカつくムカつく。

 ガタンッと椅子を倒して立ち上がると、一向に口を開こうとしないマネージャーの胸倉を乱暴に掴む。


「さっさと言えッ」

「あ、あの、スキャンダルはマズイって…、いくら人気があっても、男と付き合ってるなんて知れたら、零落するに決まってるって…」


 何だ、それは…

 大和はコイツの言葉を真に受けて、俺を想って断り続けてたっていうのか。


「テメェ…ふざけてんじゃないぞ!? 男同士だから何だっていうんだっ、それくらいで落ちぶれるようなら役者なんか辞めてやる!!」

「そ、そんな…っ」

「このドラマが終わったら、俺は役者を辞める!」


 俺が突き飛ばすように手を離すと、マネージャーは顔を土色にして更にうろたえはじめる。

 何とか止めようとしてるけど、もう俺は聞く耳を持たない。

 大和と居られないなら死んだも同じだ。

 芝居は好きだけど、大和となんて比べものにならない。

 マンションは一括で買ってるし、貯えもたくさんあるからしばらくは困らないだろう。

 俺が有言実行することを知っているマネージャーは慌てて事務所に電話をかけているけど気にしない。

 何事にも誠実な大和は、こんな理由で簡単に仕事を辞めてしまう俺を怒るかな。

 それとも自分のせいでって悲しむかな。

 だけど後悔はしないし、大和の機嫌は時間をかけてゆっくりと宥めていけばいい。

 このドラマが終われば、時間なんてたくさんあるんだし。

 俺は背後で取り乱しているマネージャーを余所に、ドラマの台本へと意識を向けた。




 ***




 side:大和




 そろそろ眠ろうとした矢先、電話がかかってきた。

 また誠かとディスプレイを見ると、そこにはいつぞや振りのマネージャーさんの名前があって慌てて通話ボタンを押す。


「は…」

『大和さんっ、助けてください!!』

「…い?」


 俺の言葉を聞く前に悲痛な声を上げるマネージャーさんに、慌てて電話を耳から話して顔を歪めた。

 助けてください?

 どういうことだ。


「あの、誠に何かあったんですか? もしかしてっ、また倒れたんじゃ…!」

『あ、いえそうじゃなくて、誠さん事務所辞めるって言ってるんです!!』

「……はぁあっ!?」


 余りに唐突過ぎる内容に俺まで素っ頓狂な声を上げてしまった。

 誠が事務所を、辞める?


「何をどうしたらそういうことになるんですか!?」

『それが、…その、私が大和さんにアドバイスしたことが、バレてしまいまして。誠さん、ブチ切れてしまって…』

「……マネージャーさん、貴方ドジっ子過ぎるでしょ…」


 自惚れとかじゃなくて、俺はかなり誠に愛されている。…多分。

 そんな俺にマネージャーさんが入れ知恵したと知れば、それはそれは怒り狂うに違いない。

 全く、何てことをしてくれたんだこの人は…




 マネージャーさんからの電話を切って30分くらい経った頃、アパートのインターホンが鳴った。

 本当にマネージャーさんが言ってた通りに来たよ。

 前々から住所は教えてたけど、誠がこの家に来るのは初めてだ。

 ドアを開ければ黒のパンツにグレーのシャツ、カジュアルなジャケットをスマートに着こなしている芸能人が立っていた。

 片や俺といえば下はスエットにTシャツという、完全なる寝間着姿。

 うわ、マジで格差を…住む世界の差を感じてしまう。


「大和…ッ、逢い、たかった!」


 ドアを開けた俺に勢いよく抱き着いてくる誠を何とか受け止めてやると、宥めるようにポンポンと背中を叩きながらドアを閉めた。

 夜の匂いを纏っている誠は少し冷たくて、少しでも暖めてやろうと身体をくっつける。

 すると一度ギュウッと抱き締めてから、ゆっくりと顔を上げた誠に少し驚いてしまった。

 いや、仕方がないと思う。

 だってメチャクチャ号泣してるんだよ、このワンコ。


「う゛ぅーっ、大、和ぉおっ! 嫌な、思い…させてゴメッ、ぅくっ、ヒッ、くぅっ」


 俺の身体を抱き締めてくる腕は放さずに、秀麗な顔を涙でぐちゃぐちゃにしている。


「俺っ、辞める! 芸能人、辞め、から…っ…一緒に、」

「俺は、唐笠誠が好きだ」

「……大、和…?」

「お前が芝居してる姿をカッコイイと思うよ。テレビに映るお前を見る度に、コイツが俺の恋人なんだって誇らしく思える。ワンコな誠も俳優な誠も、全部引っくるめて大好きだ」


 涙で濡れている頬を両手で包み込むようにして涙を拭うと、見る見る内に誠の目が丸くなっていく。

 相変わらず可愛い反応をしてくれるな、コイツは。


「だから、辞めるなんて言うな。折角一緒に暮らす決意したってのに、芝居やめるんだったら同棲もなしだ」

「…え? え、えっ、ちょっと待って、暮らす? 一緒に? 俺、が…芸能人でも、良いの…? 大和に、迷…惑、かけちゃうかも、知れない、よ?」


 あれだけ強引だったクセに、いざ頷いてやると途端に気弱になる誠が愛しい。

 何だかんだ言って、コイツは俺のことを考えてくれているんだな。


「もう、腹は括ったよ。もしバレてスキャンダルになったら、責任とって俺がお前を養ってやる」

「や、大和…カッコイイ…ッ」


 感極まったようにまた強く抱き締めてくる誠に笑いが込み上げてきた。

 肩口に顔を埋める誠の頭を撫でながら、俺はこれから起こるであろう様々なトラブルを思って少し気が重くなる。

 だけど、真っ直ぐなコイツとなら難無く乗り越えられそうな気がするから不思議だ。


「とにかく、辞めるんじゃないぞ?」

「う、ん…辞めない。大和にもっと、カッコイイって…言われ、たい…っ」


 何て単純な理由だ。

 でも、そんなところも可愛いって思ってしまう俺の方が単純かもしれない。

 ゆっくりと顔を上げた誠の唇が、そっと俺の唇に重なる。

 3週間振りのキスに、誠の箍がいとも簡単に外れてしまったのは言うまでもないだろう。




 ***




 side:誠




 都劇場での2ヶ月に渡る公演が、今日千穐楽を迎えた。

 いつもより長いカーテンコールに、たくさんの花束。

 この達成感のために芝居をしていると言ってもいい。

 舞台袖を見ればそこには愛しい大和の姿……は、ない。

 楽日は荷物の搬出にスタッフはかなり忙しいから、大和も駆り出されてしまってるみたいだ。

 最後の公演の最中から、使い終わった道具は片っ端から片付けられていく。

 それを少し寂しいとは思うけど、それよりも大和がいないことの方が何百倍も寂しい。

 だけど、今日の俺はかなり機嫌が良いから我が儘は言わない。

 何故なら今日、大和がマンションに引っ越してくるからだ。


 1週間前、心身共にたっぷりと大和と愛し合った後いろいろと二人で決めた。

 自分から芸能界を辞めないこと。

 思ったことはその場で言うこと。

 引っ越しは千穐楽の日。

 大和は家賃として家事をしてくれること。

 寝室はひとつにすること。

 一日一回は必ず電話すること。

 ひとつひとつの約束が、俺には堪らなく嬉しい。

 それだけ大和が真剣に俺とのことを想ってくれてるんだってわかるから。


 この2ヶ月、本当にいろいろなことがあった。

 道に迷ったところを大和に助けられて、好きになって、告白して、友達になって。

 勝手に嫉妬して、勝手に諦めて、ぶっ倒れて、大和と結ばれて。

 擦れ違って、合わさって、今日から二人の人生が幕を上げる。


「誠って、俺にだけ吃るのは何で?」

「だっ、て…好きな人、と…話すのは、緊張、する…っ」

「……やめろよ、何かこっちまで緊張してくるだろ…」


 これからは家に帰ったら大和がいる。

 それだけのことがまるで奇跡みたいで、嬉しすぎて夢の中にいるようだ。

 同じ空間で生活していると思うだけで、どんなハードスケジュールも軽く熟せるような気がする。

 いや、気がするんじゃなくて事実だな。

 あれだけ青ざめていたマネージャーは、今は生き生きと仕事を取りに行っている。

 大和が傍にいてくれるだけで、俺の人生がキラキラと輝きだす。

 全部大和のお陰だ。

 もう彼なしでは呼吸することもできない。

 好き、大好き、愛してる。

 それよりももっと愛してる。

 早く帰って来ないかな、俺だけの大和。

 新居のテーブルには楽日祝いと引っ越し祝いのご馳走がところ狭しと並んでいる。

 大和の好きなケーキも買ってあるんだ。

 きっと喜んでくれる。

 もしかしたら、チューしてくれるかもしれない。


 ピーンポーン。


 部屋に鳴り響いたインターホンを聞き、ダッシュで玄関に向かった。

 俺だけの宝物を抱き締めるために。




「お帰りっ、大和!」

「ただいま、誠」




【end】

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