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恋愛エフェクト

 ぽかぽかと暖かな小春日和の朝。

 いつものように徒歩で通勤していたら、明らかに不振な素振りで辺りを伺っている男がいた。

 ここは大通りから外れてちょっと複雑な路地だから、多分道にでも迷ったんだろう。

 たまにいるんだよな、こういうマヌケな奴。

 俺は携帯電話と道路を懸命に照らし合わせている男が可哀相になって、鞄を背負い直すとその背中に声をかけた。


「あの、道にでも迷ったんですか?」


 突然の声に驚いたのか、肩をビクつかせて振り返る男はどこか草食動物を彷彿とさせる。

 ただ、身長はデカイからウサギやリスじゃなくて…キリンかな。


「安心してください。俺、別に怪しいモンじゃないッスよ」


 不安そうな男を宥めるように笑顔を作る。

 というか、俺よりもこの男の方が百万倍怪しいだろ。

 サングラスをかけキャップを目深に被った男は、俺じゃなかったら誰も声をかけないだろう風体だ。


「…っ、み、都…劇、場…」


 デカイ図体とは打って変わって怖ず怖ずとした声。


「あぁ、都劇場か。それならついて来いよ。俺、あそこで働いてっから」


 バイト先の名前を言う男にようやく合点がいき、顎でもついて来るように促す。

 そう、俺が勤める都劇場では、今日から超有名大作ミュージカルの公演が始まるんだ。

 2ヶ月に及ぶこの公演のチケットはすでに完売済みで、そんな凄い舞台に携われてる俺まで何だか鼻が高い気持ちになる。

 おそらくこの男も、初日を観劇しに来た一人なんだろう。

 何故か急に親近感が沸いてきた俺は、狭い路地を歩きながら後ろをついてくる男に話しかける。


「アンタさ、今日ある『シギラリア』観に来たんだろ? 実は俺もすっげぇ楽しみにしてたんだ」


 男は今だオドオドとしていたが、俺は構わずに上機嫌で話す。


「特殊効果って知ってるか? 俺の仕事は舞台を盛り上げるために、ドライアイス出したり紙吹雪降らせたりするんだけど、今回のシギラリアもここだけの話かなり凝ってるんだぜ」


 まぁバイトなんだけど、それでもこの仕事は楽しくて今じゃチームリーダーを勤めるまでになった。

 劇場のスタッフがミーハーじゃ駄目なんだろうけど、やっぱり舞台が大スキでついつい熱く語ってしまうのはご愛嬌だ。

 後ろを歩く男も、俺の熱弁に圧されたのかさっきから一言も発しない。

 いや、こいつは元から無口なんだよ、きっと。


「そういや、シギラリアの主演はあの有名な唐笠誠らしいじゃん。アイツ見た目が良いからいっつもスキャンダルとかで騒がれてっけど、芝居はマジで上手いから期待してろよ」


 そういえば昨日の場当たりもメチャクチャ格好良かった。

 直しのせいで時間がかなり押していたのに、大物風吹かせて嫌な顔する事もなく真摯に芝居に打ち込んでいる姿に、俺はちょっと感動してしまった。

 2年前に1万人の中から選ばれた若き天才・唐笠誠。

 25歳になった今でも舞台にドラマに引っ張り凧の、超人気実力派俳優様。

 その甘いマスクと掠れた低い声で浮いた噂は数知れず、マスコミにも一切媚びを売らないクールガイ。

 舞台裏でも誰とも話さず冷たい感じのヤツだと思ってたけど、スタッフだってダラけているのに手を抜く事なく全力で芝居していた唐笠誠に、俺は少なからず好感を覚えた。


「あ、ここが都劇場だから」


 大通りに出て、目の前にそびえるビル型の大劇場を指差し男を振り返る。

 開演の2時間前だからまだ客は少ないみたいだ。


「ちなみに、裏は役者の楽屋口になってっから近付くんじゃねぇぞ。じゃあな!」


 小さく頷いた男に満足気な笑い返すと、片手を上げて俺はスタッフ用の入口へと走った。

 いいことをしたから、今日は一日気持ち良く過ごせそうだ。


 そう…

 俺はこの時、とんでもない間違いを仕出かしていたことに、まだ気付けていなかった。




 ***




「す、スキ、です。つ、つつ、付き…合って、ください!」


 ミュージカル『シギラリア』の公演が始まって早1週間。

 その間にも微調整や変更が相次ぎ忙しく働いていたが、ようやく落ち着きはじめスタッフにも余裕が出てきた頃。

 終演後、上司であり舞台事務所の課長でもある佐伯さんはまだ慌ただしく動いているけど、俺は掃除と明日の準備『プリセット』が終われば後は帰るだけ…の、筈なんだけど。

 俺は何故か、主演である唐笠誠の楽屋に呼び出され正座していた。

 目の前に座る、風呂上がりなのか湿った髪を掻き上げバスローブを纏っている唐笠誠の壮絶な色気に、俺は慌てて俯いた。

 何か不手際でもあったかと顔を青ざめさせていたけど、不意に耳に聞こえてきたのはあの日、道に迷った男の吃り声で…


「…………え?」


 言い寄ってくる女優にも見向きもしなくて、冷たくて天才肌の俳優・唐笠誠が何故吃ってるんだ?

 いや、それより好きだの、付き合ってだの聞こえたような…

 恐る恐る顔を上げれば、メチャクチャ必死な目をした耳まで真っ赤になっている美形がいて。


「あの日、助けてくれて…だか、ら、小出大和…君と、付き合いたいん、です…」


 更に顔を紅潮させ、目まで潤ませはじめた唐笠誠に俺は声を失う。

 冷徹、天才、俳優、遊び人、泣かせた女は数知れず…

 ―――嘘だ。

 目の前で可哀相なくらい真っ赤っ赤になっている、大きなワンコがあの唐笠誠なわけがない!

 どれだけ現実逃避を試みても変わらない現状にジリジリと後退するが、勢い良く両手を握り顔を覗き込まれてしまった。


「…ね、ダメ…ですか…?」


 うぅっ、可愛いッ!

 何なんだ、この凶悪なまでの可愛さは!

 そんな潤んだ目で見つめられたら、何でもお願いを聞いてしまいそうだ。

 俺はゴクリと唾を飲み込むと、意を決したように相手の手を握り返す。


「お友達から、よろしくお願いします!」


 思いの外大きな声が出て恥ずかしくなるけど、それ以上にキラキラと嬉しそうに笑う唐笠誠の顔が余りにも可愛くて、俺はドキリと胸が高鳴った気がした。

 何はともあれ、こうしてただのスタッフである俺と、超絶美形俳優様はお友達になった…らしい。




 ***




 ここ最近の俺の日課は、終演後コッソリ一人で料亭の個室に向かうというものだ。

 都劇場からはちょっと離れているけど、落ち着いてて料理が美味い人気の高級料亭。

 もちろん、アルバイターな俺には無縁だが、アイツにとっては居酒屋と同じような感覚なんだろうな。

 羨ましいぞコノヤロー。

 ちなみに『アイツ』とは、当たり前だが唐笠誠のことだ。


 あれから更に一週間が経ち、俺達は健全な友人ライフを送っている。

 さすがに仕事中親しくするわけにはいかないから会話こそしないものの、時折俺に向かって嬉しそうに小さく手を振るアイツはそりゃもうメチャクチャ可愛い。

 相変わらずアイツの周りには媚びを売る若くて綺麗な女優が取り巻いてるけど、アイツは端から相手にする気はないらしく言葉も交わさない。

 その様子はまさに冷たい俳優・唐笠誠そのもので、俺にしか懐かない大型犬のような姿に犬派な俺は頬が緩むのを止められない。


 今日の公演も、ドライアイスマシンをセッティングしている俺を見付けたのか、舞台袖にやって来たアイツが擦れ違い様にキラキラの笑顔を向けてきた。

 黒いマントを翻し、金色の人工髪を揺らしながらの不意打ち極上スマイルに、俺は顔から火が出そうだった。

 幸いお付きの人や共演者の人達には気付かれずに済んだみたいだけど、一部始終を見ていた上司の佐伯さんには散々揶揄われてしまった。

 今日こそはきっちりと説教してやらねば。

 可愛いからといって甘やかしていては駄目だ、俺とアイツの為にならない。

 お通しの小鉢を突きながらひそかに決意していると、どうやら俺の連れがやって来たらしい。

 初めて会った日と同じくサングラスにキャップ姿の男に片手を上げて挨拶すれば、耳まで顔を赤くしていそいそと俺の向かいに腰を下ろす。

 外したサングラスとキャップを傍らに置けば、やはり赤くなっている綺麗な顔と柔らかそうな茶色い髪の毛が現れた。

 鬘や衣装を着け化粧を施している俳優・唐笠誠もカッコイイけど、俺は今の方が断然可愛いと思う。

 こうやって一緒にご飯を食べるのは今日で7回目になるのに、今だに慣れず赤面するコイツの姿はきっと俺だけが知ってるんだろう。

 微かな優越を感じて、また頬の筋肉が緩んでしまった。

 っと、いかんいかん。

 危うく本来の目的を忘れるところだった。


「なぁ、誠。お前さ、仕事中に俺に笑いかけるなって最初に言ったよな?」


 俺が半眼で見詰めると、誠は慌てたように体を強張らせあからさまに項垂れる。

 きっとあのキラキラ笑顔は無自覚だったんだろうな…

 だけど、俺達が二人で会ってることを周りに、特に佐伯さんに知られるわけにはいかないのだ。

 通常、スタッフと役者は二人きりで食事してはいけない。

 これは間違いがあってはいけないからなのだが、こうやって誠と会っていることがバレたら俺の首が確実に飛ぶ。

 ここは心を鬼にしなければ!


「誠…最初に俺と約束したこと、覚えてるよな?」

「…し、仕事中は他人のフリ。周りには絶対に知られないようにする」

「よろしい」


 言い淀みながらも正確に答えられた誠の頭を褒めるように撫でてやれば、さっきまでの落ち込みが嘘のように嬉しそうな笑顔へと変わる。


「あの、今日はごめんなさい…。仕事中の大和が格好良くて、つい…」


 可愛いっ、可愛すぎるぞ!

 黒いチノパンにシャツ姿のありふれた普通顔な俺を、あの唐笠誠が格好良いって!

 普通なら嫌味に聞こえるところだが、純情一途なコイツから出た言葉なら無条件で全部信じられる。

 男として嬉しい言葉に悶絶していると、料理のコースが続々と運ばれてきた。

 あーあ、店員のお姉さんったら見惚れちゃってるよ。

 そして、その見惚れられてる色男は俺に見惚れちゃってる。

 何なんだ、この図は…

 お姉さんは頬を赤く染めながら、名残惜しそうに部屋を出ていった。

 唐笠誠ならどんな美女でもより取り見取りだろうに、その涼しげな目には俺しか映らない。

 はじめは極普通な俺の何処がいいんだと疑問に思っていたけど、多分コイツは美形を見慣れ過ぎてて美的センスが崩壊しているんだ。

 それでもって、助けられたことで俺に恋してるって勘違いしてしまったに違いない。

 可哀相なワンコ…

 どちらにせよ、後一ヶ月半で終わる公演と同時に幕が下りる関係だ。


「さ、温かいうちに食べようぜ」


 ニコニコと嬉しそうに箸を進める誠を眺める。

 コイツが自分の勘違いにずっと気付かなければいい。

 俺は心の何処かで、そんなことを考えていた。





 ***





 荘厳華麗なセット、細部にまでこだわっている小道具。

 美しい衣装に、実力派の役者陣。

 有名な作曲家が手掛けた胸を打つ音楽、眩しいほどの照明。

 その中央に立つのはもちろん唐笠誠、その人だ。

 愛する恋人の死を嘆き、哀しみの慟哭を丁寧に歌い上げる低い声は何度聞いても震えが走る。

 その威風堂々たる横顔を、舞台袖でドライアイスを出しながら俺はひっそりと見詰めていた。

 二人の時と別人の誠は、観客の視線だけでは飽き足らず袖で控えている役者、スタッフの視線まで独り占めだ。

 憂いを含んだ眼差しは儚げで、つい魅入ってしまった俺は危うくマシンのハンドルを離してしまいそうになって焦る。

 危ない、危ない…


「随分とご執心だな、大和」


 不意に背後から聞こえてきた声に、ビクッと肩を跳ね上がった。

 恐る恐る振り返れば、ニヤニヤと笑みを浮かべる我らがボス、佐伯様のお姿があり嫌な汗が背中を伝い落ちた。


「や、やだなぁ、佐伯さんったら。俺はただの芝居好きですってば」

「お前の芝居好きは知ってるが、唐笠誠を見る目はそれとは違うだろ?」


 鋭い人は嫌いだ。

 この上司は仕事が出来る上に顔もいい、男としてはコンプレックスを刺激されまくるムカつくヤツだ。

 もうすぐ四十路になるっていうのに若々しくて、気さくで、ユーモアのある佐伯さんはひそかに俺の憧れだったりする。

 軽い感じの人だけど仕事には厳しくて、いつもなら身を引き締められる思いなんだけど…


「あ、バレました? 実は前々から彼のファンだったんですよ」


 この聡い人に気付かれるわけにはいかない。

 まだあの暖かい時間を奪われたくない。

 出来るだけ自然体を装いながら舞台に視線を移し、仕事に集中しているフリをする。

 このシーンが終わる頃にドライアイスが消えていなきゃいけないから、そろそろだとハンドルを回しはじめる。


「へぇ、初耳だな。大和はあんな、冷めてて遊びまくってる男がタイプなんだ?」


 珍しく役者の悪口を言う佐伯さんに反論したいのをグッと堪え、冗談っぽく拗ねたように唇を尖らせて見せる。


「男なら佐伯さんがタイプですよ。俺の気持ち、知ってる癖に」


 上げ終わったハンドルを固定しながら、いつものように軽口で返す。


「お、嬉しいこと言ってくれちゃって。何なら付き合うか?」


 誠がこちら側の袖にハケ、曲が消えるのと同時に幕が下り第一幕が終わる。

 第二幕が始まるまで幕間休憩に入るんだけど、俺達は次の準備をしなくちゃならない。


「いいっスね。何処の焼肉屋に連れてってくれるんですか?」


 佐伯さんの冗談に更に冗談で答えながら、シッシと手を振って追い払おうと試みる。


「ほら、佐伯さんも次のプリセットがあるっしょ」


 わざと嫌そうな顔をしながら言えば、佐伯さんは笑いながら俺の頭をクシャクシャと撫でてきた。


「ちゃっかりしてんな、俺のハニーは。なら、連れてって欲しい店をリストアップしとけよ」


 爽やかに笑いながらオペレーションルームに去って行く太っ腹な上司の背中を見送り、俺はつき慣れない嘘をついた疲労に大きな溜息を吐き出した。

 多分バレてはいない筈だけど、これは用心しなきゃな。

 マシンの先に付いている蛇腹ホースを畳み本体の上に乗せ、濡れた床を軽くタオルで拭きながら俺はこれからのことを考えて痛む頭を抑えた。

 やる気のない足取りで重たいマシンを引っ張り定位置に置くと、電源のケーブルを繋ぎヒートアップの準備をする。

 いつものように蛇腹内に溜まった水をバケツに出していると、役者が着替えをする拵え場からバスローブ姿の誠が出て来た。

 鬘を取って乱れた髪を掻き上げる姿は、告白された日を彷彿とさせられ途端に動悸が激しくなる。

 顔の熱さを紛らわせるようにマシンを整えると、軍手を取って棚に放る。

 その瞬間、擦れ違い様に誠に腕を取られた。


「う、わっ!」


 反動で転びそうになるのを何とか堪えたけど、そのまま引き擦るように歩かされ、俺は喚くことも出来ずに誠に従うしかない。

 あぁ、大道具の渡辺さん…そんな哀れむような目で見るのなら止めてください。


 黙ったまま歩き続ける誠に楽屋の中まで連れて来られ、靴を脱ぐのももどかしく畳みのスペースに上がり込んだ。

 すると、それまで固かった表情を崩し振り返った誠は、俺の肩を掴み今にも泣き出しそうな目で縋ってくる。


「大和っ、あの人と付き合うの?」


 何を言うかと思えば、あのやり取りを聞いていたのか。

 突拍子のない行動の理由を知り脱力した俺は、安堵の息を吐き出しながら肩を掴んだままの腕に手を重ねた。


「落ち着け、誠。あれは大人の冗談だ。ただ焼肉屋に付き合うっていう意味で、恋愛感情なんざ微塵も存在しない。分かったか?」


 早くも潤みだした誠の目を見詰め、一言一言はっきりと言ってやった。

 するとようやく理解したらしい誠は途端に力が抜けたのか畳にへたり込み、俺もつられるようにしてその向かいに腰を下ろす形になった。


「…よ、良かった…。俺、凄くイヤで、ムカムカして…大和、盗られたかと…でも、良かった…っ」


 誠の独占欲はきっとお気に入りに対するものなんだろうけど、その気持ちが何だか擽ったくて俺は肩に乗った手を剥がし握り込んでやる。

 うっすらと頬を染める誠はやっぱり可愛くて、安心させるようにニッと口の端を持ち上げて見せる。


「お前が心配する必要はねぇよ。大体…」

「失礼します、唐笠さんはいらっしゃいますか?」


 噂をすれば何とやら、この声は佐伯さんだ。

 俺は慌てて誠の手を離すと、焦りながらも小声でいつも通りに振る舞うようにと注意する。

 渋々と言ったように頷く誠を確認し、少し距離を置いて畳の上で正座になる。


「……どーぞ」


 不機嫌そうな誠の声に佐伯さんが靴を脱いで上がってきた。

 きっと佐伯さんの目からは、俺が大物俳優に叱られているように見えることだろう。

 素早く俺の横に正座すると、普段とは打って変わった真摯な雰囲気で佐伯さんが頭を下げた。


「何か不手際がありましたでしょうか。この小出は私の直属の部下です。これの不手際は私の責任です。処罰は是非、私一人に」


 佐伯さん男前だっ!

 頭を下げたまま良く通る声で俺を庇ってくれる佐伯さんに、震えるほどの感動を覚えじんわりと目頭が熱くなった。

 勘違いだけど佐伯さんの男前っぷりに胸を打たれていたが、この現状を打破する案が俺にはなく困ったように誠を見詰める。

 誠は何やら複雑そうな表情を浮かべていたけど俺の必死な訴えが通じたのか、ひとつ息を吐きながら流暢な口調で佐伯さんに声をかけた。


「頭を上げてください。俺は別に彼を叱っているわけではありません。」


 ゆったりとした言葉に促され、ようやく頭を上げた佐伯さんは怪訝そうな顔で誠を見上げていたけど、俺は別の意味で唖然と誠を見詰めていた。

 ま、誠が吃らずに喋っている!


「年若いのにいつも一生懸命な彼と、ただ話してみたかっただけですよ。スタッフの仕事にも興味ありましたし」


 スラスラと話す誠に安心したのか、佐伯さんは肩から力を抜くといつもの調子を取り戻し気さくな笑みを浮かべた。


「確かに、小出は20歳にしては良くやってくれています。通常は特殊効果を請け負っていますが、人手が無ければ小道具や衣装、舞台進行に楽屋係といろいろ働いてくれて、我々としても助かっていますよ」


 都劇場で働いて早2年、佐伯さんに初めて褒められてしまい、俺は顔が熱くなるのを止められない。

 要は使い勝手の良い雑用係だってことなんだろうけど、今までの頑張りが認められていたことに俺はまたもや感動してしまった。

 そんな俺の様子が気に喰わないのか、誠は更に淡々と言葉を重ねる。


「……そろそろ次の用意があるので、もう結構ですよ」

「あぁ、済みません。おい大和、お暇するぞ」


 素っ気ない誠の言葉に、佐伯さんが俺の腕を引っ張って立たせる。


「はい。あの、今日はありがとうございました」


 また不機嫌そうに眉をしかめている誠に小さく頭を下げると、佐伯さんと共に楽屋を後にした。

 そのまま引き擦られるように今度は舞台事務室に連れ込まれ、応接用のソファに突き飛ばされる。

 何か俺、こんなんばっかだな。


「…っ!」


 柔らかな椅子に強引に座らされ、文句を言おうと佐伯さんを見上げて俺は息を飲んだ。

 さっきまでの和やかな雰囲気は跡形もなく消え去り、立ったままの佐伯さんからは有無を言わせない威圧感が滲み出している。


「俺が渡辺のオッサンからお前が唐笠誠に連れていかれたって聞いた時、どんな気持ちだったか分かってんのか」

「はい、スミマセンでした…」


 大道具の渡辺さん…心配してくれてたんだ。

 佐伯さんといい渡辺さんといい俺は意外にも愛されてるんだと気付き、謝罪を口にしながらも俺は頬が緩んでしまう。


「お前、全っ然反省してないだろ」

「へへっ」


 呆れたように言う佐伯さんだけど、今の俺は全く恐くない。

 照れたように笑みを返せば、グシャグシャと頭を撫でられた。

 佐伯さんは事あるごとにこうして頭を撫でるけど、俺としては兄貴に可愛がられてるみたいでちょっと擽ったい。

 少し怒ってる風を装ってる佐伯さんに余り物の弁当を貰い、俺はホクホクと自分の控室へと戻った。

 もうすぐ二幕が始まるから食べられないけど、昼公演と夜公演の間に食べよう。

 俺は弁当を大事に控室の冷蔵庫に入れると、休む間もなく舞台に戻った。




 ***




 公演が始まって一ヶ月。

 今日は二ヶ月に渡る公演の丁度真ん中に当たる日で、俺達は『中日』と呼んでいる。

 この日は終演後にB2のリハーサル室でささやかなパーティーが催される。

 役者やスタッフ、お偉いさん方が入り交じった立食パーティーで、俺はスタッフの中で文字通り引っ張り凧だった。

 今年に入って酒が飲めるようになった俺のコップは空になることはなく、会う人会う人に注がれ開始30分で完璧に出来上がってしまった。

 特に気心の知れた大道具のおっちゃん達は押しが強く、しかもかなりの人数がいるから中々シンドイ。

 時折佐伯さんが心配そうな視線を送ってくるけど、向こうは向こうでお偉いさんの相手に忙しいみたいだ。


 ようやく解放された俺は、烏龍茶を片手に部屋の隅に置いてあるパイプ椅子に座り込む。

 田舎が九州だからって、酒が強いと決め付けないで欲しい。

 体が熱い。

 心臓が尋常じゃないくらいバクバクいってる。

 酔いのせいで揺れる視界に、人一倍目立つ人だかりが映った。

 私服姿も華やかな女優集団だ。

 その真ん中に立っている頭一個分飛び出た男は、俺の可愛いワンコ。

 俺の前でだけ笑い、赤面し、泣く、可愛い誠…だったんだけど。

 佐伯さんとの一件以来、実は一言も話をしていない。

 それどころか目すら合わせない誠に、最初の内は拗ねているだけだろうと放っておいた。

 それに、あのまま夜の密会を続けていれば、いずれ佐伯さんの耳に入るかもしれないからいい機会だとも思っていた。


 だけど、あれから十日経った今では寂しくて仕方がない。

 こんなにジッと見詰めているのに、チラッともこっちを見ようとしない誠に段々とイライラしてくる。

 ちゃんと誤解は解いた筈なのに、何で俺がこんな仕打ちを受けなきゃいけないんだ。

 不意に今回のヒロイン役である若手の女優が、誠の腕に抱き着いて耳元に何事かを囁いた。

 それを目の当たりにした瞬間、今まで感じたことのないドロドロとした気持ちが沸き出てくる。

 俺は慌てて冷たい烏龍茶のグラスを煽った。

 ―――醜い感情だ。

 俺はあんなに純粋な誠に、汚れた感情を抱いてしまったんだ…

 アルコールの力もあり、俺の目は簡単に涙で滲んでしまう。

 華やかな会場を視界に入れたくなくて、俯く俺の隣から軋んだ音が鳴った。


「烏龍茶のお代わり、持ってきてやったぞ」


 空になった俺のグラスを、烏龍茶で満たされたグラスと交換してくれる。

 優しい気遣いに、今まで堪えていた涙が一気に溢れた。


「うぅーっ、佐伯さん…!」


 いきなり泣き出した俺に驚くこともなく、佐伯さんは俺の手を引いて会場から連れ出してくれた。

 酔いのせいでフラつく俺に合わせてゆっくりと歩くその背中を見ながら、声を押し殺して涙が零れる目を服の袖で懸命に抑えた。

 辿り着いたのはリハーサル室と同じ階にある俺の控室だった。

 泣き過ぎてしゃっくりまで出始めた俺を椅子に座らせると、グラスの代わりにハンカチを持たせてくれる。


「よしよし」


 隣に座った佐伯さんに頭を撫でられ、安心したのか更に涙が止まらなくなって慌ててハンカチを押し当てた。

 ヒッ、ヒッ、と子供のように変な呼吸を繰り返していたけど、一定のリズムで背中を撫でてくれる佐伯さんのおかげで少し落ち着いてきた。

 それでも甘えるように撫でられるままにジッとしていたら、不意に佐伯さんの手が俺の顎を掬い上げる。


「―――っ!」


 唇に触れる少し冷たい感触。

 涙で滲んだ視界いっぱいに佐伯さんの顔があって、ようやく自分がキスされていることに気付いた。

 それでも酒のせいで頭が回らない俺は、離れていく薄い唇を唖然と見詰めることしかできない。

 そんな俺のバカ面を、佐伯さんは酷く真剣な眼差しで見下ろしてくる。


「泣くんじゃない、バカが。お前にそんな顔されたら、どうしていいのか分からなくなる…」


 少し困ったように眉を寄せる佐伯さんは格好良くて頼りになって優しいのに、汚い俺はどうしても考えてしまう。

 何でこの場にいるのがアイツじゃないのか…

 何で俺にキスしたのがアイツじゃないのか…

 キスのおかげで涙は止まったけど、俺の中のドロドロは増えていく一方だ。


「なぁ、俺にしとけよ」


 低く囁く佐伯さんの声。

 俺だって佐伯さんを選びたい。

 大人だし、余裕があるし、きっとこんな風に俺を泣かせたりはしない。

 だけど、違うって気付いてしまった。

 俺が求めているのは、顔を真っ赤にして余裕なく見詰めてくるアイツだけなんだ。

 小さな声でゴメンナサイと呟くと、優しく背中に腕を回して慰めるように抱き締めてくれる。


 ゴメンナサイ、佐伯さん。

 ゴメン、誠…

 お前は純粋に懐いてきてくれたのに、俺はいつの間にか好きになってしまって、こんなドロドロな気持ちまで生まれてしまった。

 もし誠が傍にいることを許してくれても、俺はお前といることに堪えられそうもないよ。

 俺は佐伯さんに抱かれたまま、この公演が早く終わるようにと、ただそれだけを祈った。




 ***




 頭が痛い。

 二日酔いのせいもあるけど、それよりも大きな原因があるのは明白だ。

 幸か不幸か、酒は昨日の記憶までは消してくれなかった。

 誠の態度。

 佐伯さんの告白。

 俺の中の気持ち。

 何も考えずに仕事に集中しなければと考えている段階で、すでに集中できていない証拠だ。


「はぁ…」


 最近溜息の回数が多くなった。

 前から多い方だったけど、ここのところ桁違いに俺の息と共に幸せが逃げていく。

 ドライアイスマシンの電源を入れ、内部の点検やドライアイスの在庫を確認する。

 それから二酸化炭素の使用済ボンベを廊下に運び、いつも通り舞台事務室に顔を出す。

 机に向かいパソコンのキーボードを打っていた佐伯さんが振り返って、ニッと笑いながら何かを放ってきた。

 慌てて受け止めると、それは二日酔い用のドリンクで。

 佐伯さんの気遣いに短くお礼の言葉を口にすると、当たり前のように頭を撫でられた。

 何もかもがこれまで通りで、少し気持ちが楽になる。

 俺は一気にドリンクを飲み干すと、佐伯さんにビンを押し付けて走って逃げた。

 後ろから自分で捨てろと怒鳴り声が飛ぶが、気にせずに自分の持ち場に戻る。

 佐伯さんの為にも早くふっ切らないと。


 大道具や小道具、音響、照明のみんなにも朝の挨拶をして回って、俺は再び持ち場に戻った。

 温度計を確認して軍手をはめた所で、ぼちぼち役者さん達が舞台袖に集まってくる。

 その中には当たり前だけど誠の姿があった。

 今日も重そうな衣装を着こなしている誠を見ると、やっぱりジクジクと胸が疼く。

 だけど…

 あれ?

 誠の様子がおかしい。

 いつもなら舞台袖でストレッチするのに、今日は壁に寄り掛かったまま動かない。

 心なしか顔色も悪い気がする。

 明日は休演日だから、今日は昼・夜2回公演がある。

 それまで、何事もなければいいんだけど…


 俺は誠の様子が気掛かりな余り、昼の公演では珍しくドライアイスのタイミングを間違えてしまった。

 もちろん佐伯さんに叱られたけど、その後余り物の弁当をくれた。

 どうやらまた、佐伯さんに心配させてしまったみたいだ…

 夜の公演もとうとうカーテンコールまで無事に終わり、俺の杞憂だったのかと胸を撫で下ろす。

 やっぱり誠には健やかでいてほしい。

 すっかり安心した俺はマシンの片付けに取り掛かった。

 すると突如、舞台袖から悲鳴が上がる。

 一同が騒然とする中、そこには床に倒れた誠の姿があった。


「……誠…っ」


 途端に走る体の震えに立っていられず、俺は剥き出しのマシンに寄り掛かってしまった。


「―――ッ!!」


 熱せられた蓋が剥き出しの腕を焼く。

 反射的に身体を離すけど、すでにそこは赤く熱を持ち始めていた。


「馬鹿野郎!!」


 近くにいた佐伯さんに給湯室まで連れていかれ、水道水で冷やすけどやはり痛みは引かない。


「佐伯さんっ、俺よりも誠を!」

「もう救急車を呼んである。クソッ、結構酷いな…お前もそれに乗って病院に行け」

「だけど…っ」

「命令だ!」


 水浸しになった腕にタオルでアイスノンを巻きながら、佐伯さんがいつにないほど怒っている。

 その気迫に圧され、俺は渋々後のことを任せてスタッフ出口へと向かった。

 そこにはすでに救急車が停まっていて、指示されるままに乗り込んだ。

 そのすぐ後に担架に乗せられて運び込まれた誠の憔悴しきった顔に、一瞬息が止まりそうになる。

 付き添いのマネージャーさんと救急隊員の人が乗り込むと、大きなサイレンを鳴らしながら車が動き出す。

 衣装と鬘は取ってきたらしいその身体は、以前一緒にご飯を食べた時よりも幾分か頼りなく見えた。




 ***




 白くて四角い病室。

 個室特有の静寂にキツイ消毒の匂い。

 俺の火傷は処置が早かったおかげで痕は残らないらしい。

 幸い誠もただの過労と栄養失調らしく、点滴さえ打てば明日にでも帰れるそうだ。

 誠の容態を知ったマネージャーさんは、スケジュール調整があるとかで帰っていき、部屋にはまだ目を覚まさない誠と俺の二人きりだ。

 本当なら俺も帰らなきゃいけないんだろうけど、目が覚めた時知った顔があった方がいいだろうとマネージャーさんに無理矢理任せられてしまった。


 だけど、本心では喜ぶ俺がいる。

 少しの間だけでも、例え目が覚めるまでの間だけでも、こうして誠の傍にいられるのが堪らなく嬉しい。

 顔にかかった前髪を指先で払うと、長い睫毛が細かく震えた。

 あ、起きてしまう…

 ゆっくりと開かれていく目に安堵と諦めを感じ、伸ばしていた手を引っ込めて大人しくベッド脇の椅子に腰掛けた。

 はじめ彷徨っていた目はやがて焦点を結び、そのぼんやりとした視線を俺に向ける。


「…、大和…」


 俺の名前を呼び、以前のように心底嬉しそうな笑みを浮かべる誠に、胸が裂けるかと思うほど高鳴った。


「誠、大丈夫か?何処か痛いところはないか?」


 色の失せた手を握り声をかければ、途端に笑みを消し誠の目が見る見るうちに大きく開かれていく。

 あぁ、まどろみから目覚めてしまったのか。

 その瞳から拒絶が見える前に、俺は握っていた手を離した。


「その、先生に目が覚めたって伝えてくる…」


 二人でいることが恐ろしくなって、ナースコールを押せばいいのに俺はわざわざ自分で呼びに行こうと立ち上がる。

 走り出そうとする俺の身体を、強い力が繋ぎ留める。


「…ッ!」


 袖に隠れた腕の火傷を力いっぱい掴まれたらしい。

 途端に走る引き攣れた痛みにビクッと体が跳ねた。

 鋭く息を飲む俺を怪訝に思ったのか、勢い良く起き上がり袖をめくろうとする誠を慌てて止める。


「ちょっ、待て!お前まだ点滴が…」


 寝かせようとする手を更に止められ、ベッドに引き擦り込まれてしまった。

 覆い被さるようにシーツに押し付けられれば、誠の身体が心配で俺はそれ以上抵抗が出来なくなる。

 大人しくなった俺の袖をめくると、包帯を巻かれた腕が見えて誠は険しく眉をしかめた。


「……これ、どうしたの?」


 呟かれた声は聞いたことがないほど冷たくて、俺は哀しさと悔しさに唇を噛み締める。

 それに気付いた誠は更に顔を歪ませると、何を思ったのか突然包帯を解きだした。


「誠…っ、止めろ!」


 俺の微かな抵抗など全く効かず、露になったまだ少し赤くなっている肌を見下ろし誠の目が鋭くなる。


「これ、火傷…」

「……さっきドジって、マシンで腕焼いた」


 前…仕事をする姿がカッコイイって言ってもらえたのに、こんな格好悪い怪我なんて見られたくなかったな。

 情けなさに涙が滲みそうになって顔を背けると、不意に頬に雫を感じた。

 俺はまだ泣いていない…ということは。

 驚いて真上にある顔を覗き込めば、誠がポロポロと涙を零していた。


「ゴメ、ナサイ…大和、ゴメン…ッ」


 唖然とする俺を余所に、誠は泣きながら火傷に唇を寄せている。

 ヒリつく痛みに顔を歪ませるけど、それ以上に不可解な事態に思考が追い付かず、ただただ誠の顔を見詰めることしかできない。


「…待て、誠。俺…何が何だか…」


 顔や腕に零れる誠の涙に、次第に速くなってくる鼓動のせいで冷静に考えられない。

 昨日の俺のように肩を震わせて泣き続ける誠の髪を撫でてやると、更に喉を引き攣らせて泣きじゃくり出してしまった。

 そんな子供のような姿に、ようやく俺だけのワンコを見ることができたような気がして、不謹慎にも堪らない愛しさを感じてしまう。


「だっ、て、大和…佐伯さんが、スキ、なんでしょ…?」

「…………は?」

「大和、佐伯、さんには、ひっ、…甘えてた、し…、俺、邪魔…うっ、く…ひーっ」


 もう、ダメだ…

 勝手に勘違いして、勝手に俺を避けて、勝手にぶっ倒れて、勝手に泣き喚いている天才俳優・唐笠誠。

 どんなに振り回されても、傷付けられてもやっぱり俺はコイツが…


「スキだよ」

「……!」

「誠が好きだ」


 柔らかな髪を撫でながら昨日自覚して、必死に忘れようと思った気持ちを口にする。

 目玉が零れそうなほど目を見開く誠が可笑しくて、小さく笑いながらその唇に素早くキスを送った。


「…俺のスキは、こういう意味だ。誠の気持ちとは違うかも知れないけ…っ」


 続きは言えなかった。

 誠の唇が俺の言葉を飲み込むように重ねられている。

 ワンコな誠からは想像出来ないほど荒々しく唇を貪られ、噛み付くように繰り返されるキスの嵐。

 離れては角度を変えて合わせられる唇に、喘ぐように口を開ければすぐさま舌が滑り込んできた。


「ん…っ、…ふ…ッ…」


 息もつかせない深い口付けに耐え切れず、誠の胸を押すけどその腕ごと胸の中に抱き締められる。

 押し返そうとした舌を逆に掠め取られ強く吸い上げられてしまえば、背筋にゾクリと甘い痺れが走りこめかみに生理的な涙が伝い落ちた。


「……やっと、大和にチューできた。ずっとしたかった…俺、大和のことが大スキだから…っ」


 ようやく解放されたかと思えば、目尻を赤らめ嬉しそうに微笑む誠を目の当たりにしてしまい…

 俺は堪らずに少し痩せてしまった身体を力いっぱい抱き返した。

 一瞬驚いたように固まった誠だけど、すぐに零れんばかりの笑顔を浮かべて俺の胸に擦り寄ってくる。


「…大和、スキ。凄くスキ…話せなくて苦しかった。ご飯も味がしなくなって、食べられなかった…」

「お前、だから倒れたのかッ?」


 自己管理は役者の基本だろうに、俺がいないだけで食事すら満足に出来なくなるワンコが可愛くて可愛くて。

 俺は込み上げる衝動のままに、誠の顔中にキスしまくった。

 すると、それまで嬉しそうに笑っていた顔が困惑の表情に変わったのに気付き、俺はキス止めて首を傾げる。


「どうした?」

「ん…と、その、大和のチューが、嬉しくて…気持ち良くて……困る」


 情けなく項垂れる姿に疑問ばかりが溢れてくるが、不意に太腿に当たった熱を感じ一瞬の内に全てを悟ってしまった。

 二人の間に降りた沈黙が気まずくて互いに赤くなった顔を反らすけど、不意にモゾリと服の隙間から手を忍ばせてくる誠に慌てて肩を掴んで止めさせる。


「ダッ、ダメだぞ!? そりゃ、俺だってシたくないわけじゃないけど…でも、お前は今日倒れたんだ。点滴だって刺さったままだし、医者も明日までは安静にって…」


 にこりと笑う可愛い誠に理解してもらえたのかとホッとしたのも束の間、次の瞬間腕に刺さった点滴の針を無造作に抜き去る相手に呆然としてしまう。

 腕を抑え簡単に止血を済ませると、再びにっこりと笑い至極嬉しそうに誠は俺の唇に軽く口付けた。


「それって、俺さえ元気なら大和は構わないってことだよね」

「えっと…そう、なるのか?」

「俺なら元気も元気。大和に触れば触るほど元気になるよ」


 それ、意味違くない?

 さっきまで泣いていたとは思えないほど、厭らしい笑みを浮かべる誠に頬が引き攣っていく。

 運ばれてきた時に着せられたローブの前を開けさせ、誠がギラついた眼差しで見下ろしてくる。

 凄まじい色気を放つ姿に居た堪れず、俺は顔を背けてしまった。

 無防備に曝された首筋に唇を押し当てられ、カァッと身体に熱が篭りはじめる。

 濡れた舌で筋をなぞられ、傍らではシャツをめくり胸を直に撫でられてしまい、俺は恥ずかしさの余り唇を噛んだ。


「ダメだよ、大和。傷になるから噛まないで…」


 少し歯が食い込んでいる唇を舌で舐め上げられ、その間にも性急にズボンを脱がしていく誠について行けず俺は最早されるがままだ。

 とうとう下着ごとズボンも引き下ろされてしまい、緩く反応を示してしまっている股間が恥ずかしくまた涙が込み上げてきた。


「ゴメンね、だけど…止まらない。早く大和に入りたい…」


 切ないほど掠れた言葉に抵抗さえ忘れ、早く受け入れてあげたい衝動が込み上がる。

 コイツ…こんな男の身体に、興奮してるんだ…

 指を舐め濡らす誠に、俺は覚悟を決めた。

 それからはもう、ガキかよってくらいお互いにたどたどしくて、俺はただただ痛かったような気がする。

 だけど、必死になっている誠を純粋に愛しく感じた。

 薄れいく意識の中、体内に熱い飛沫を感じそのまま俺の視界は途切れてしまった。




 ***




 目が覚めて最初に見たのは、泣き腫らした綺麗な瞳。

 どうやら意識を失った俺の身体を清めながら延々泣いていたのだろう、可哀相なくらい赤くなってしまっている瞼をそっと撫でる。

 すると、またその目から涙が溢れてしまった。


「ゴメン、ナサイ…怖かった、大和、殺しちゃったかと思って…俺…」


 俺をギュウギュウと抱き締めながら謝ってくる誠が可笑しくて、俺はその髪をグシャグシャに掻き回してやる。


「死なねぇよ。俺が死んだら、ご飯が食べられなくなるんだろ?」


 クックッと笑う俺が不思議なのだろうか暫く首を傾げていたが、すぐに笑顔になって俺の首に額を擦り付けてきた。

 その擽ったさに身体をよじるけど、逃がさないとばかりに抱き締める腕に力を込められ苦笑が漏れる。

 このワンコは俺がいないと食事が出来ないと言った。

 だけど、俺はコイツがいなきゃ生きていけない。

 たった一ヶ月で俺を骨抜きにした誠は、明日になればみんなの『唐笠誠』になってしまう。

 自分がこれほどまで嫉妬深いとは思わなかった。

 明日が無理ならせめて今だけは独り占めしたい。


「気持ち良かったか?」


 聞いた途端、顔を真っ赤に染め上げた誠に、何故かこっちまで恥ずかしくなってしまう。

 二人して赤面していると、ノックすらせずにいきなりドアが開かれた。

 余りのことに対応出来ず、ただベッドの中で抱き合ったままの身体を硬直させる。


「おいおい、朝からお熱いね」


 茶化すような口調のそれは、聞き慣れた佐伯さんの物で知らずに安堵の息が零れる。


「あぁ、佐伯さんか。何ですか? わざわざお見舞いに……んぅ!」

「ありゃりゃ…」


 何てことだ!

 佐伯さんがいるっていうのに、この躾のなっていないワンコはあまつさえキスしてきやがった。

 しかも舌を絡め合う深いヤツ。

 室内に響く恥ずかしい水音に頭が真っ白になり、抵抗するのも忘れて誠の服を握り締めた。


「ンッ、んく…ふぅ、ぁ…誠…」

「……もう大和は俺の物なんで」


 散々好き勝手に唇を貪ったかと思えば、上半身を起こして睨み付ける誠に佐伯さんは苦い笑みを浮かべている。


「わかってますよ。俺はもうフラれた身ですから。それより唐笠さん、また騒ぎ立てられてますよ」


 佐伯さんが首を竦めながら、病室のテレビをつけてワイドショーにチャンネルを合わせる。

 騒ぎって、今回のことがもうマスコミに知られたのか?


『昨夜予定されていた俳優、唐笠誠さんの撮影が急遽延期になったらしいんですけど、どうやらその晩女優のMAKIさんと一緒に過ごしたらしいですよ!』


 ………は?


『唐笠誠さんとMAKIさんと言えば、今都劇場で一緒に共演されていますよね。そこで二人の愛が燃え上がったみたいで…』

「あの、これ…」

「ちっ、違うよ! 俺、大和以外誰も好きじゃないっ、エッチも、昨日が初めて、だし…ッ」


 ちょっとぉーーッ!

 佐伯さんの前で何言っちゃってんの!?

 てか、え!?

 昨日が初めてって…25歳にして童貞―――ッ!?

 何ちゅー暴露してるんだお前!!!!


「みんな勝手に騒いで、俺、女と二人だけで会ったりしない…ねぇ、信じて? 俺、大和だけがスキ。愛してる…」


 コイツ、ワンコのクセしてワイドショー騒がせていたのにはこんな裏があったのか…

 というか、昨日の早漏振りからして童貞なのは頷ける。

 いつの間にか気を聞かせてくれたらしく佐伯さんの姿はない。

 不安そうに俺を見下ろしてくる誠に手を伸ばし、そっと頭を撫でてやった。


「馬鹿だな。俺がお前を疑うわけがないだろ? ってか、昨日は倒れてから今までずっと一緒に居ただろうが」

「う、ん…そっか、良かった」


 安心したようにへにゃりと笑う可愛い顔に、俺の顔も駄々崩れだ。


「ね、大和…チューしていい?」

「そういうことは聞かなくていい。ってか、あれだけ好き勝手したクセに今更だろ?」


 可愛い可愛い俺だけのワンコ。

 みんなの前では超人気俳優だけど、俺だけがコイツの本性を知っている。

 甘ったれで、おどおどしてて。

 かと思えば強引で頑固者。

 その全てが愛しくて堪らない。


「んっ、……誠、公演終わっても、会いに来いよ?」

「……ヤダ。今日から大和は、俺と一緒に、暮らすんだ」

「………は?」

「実は、大和と友達からってなった日に、劇場の近くにマンション、買った」

「はぁあっ!?」


 どんなに可愛いワンコでも、時には厳しく躾ることも必要だ。

 取り合えず今は、コイツの頭を殴っておこう。


「無駄遣いはいけません!!!!」




【end】

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