新しい家庭教師
新しい家庭教師は、すぐに手配がついた。
父は余程焦ったらしい。
授業を受ける場所として充てがわれたのは、普段は使われていない書庫。
ドアを開けたその人を見た時、私は心底驚いた。
絹糸の様な銀色の髪。眼鏡の奥で知的に光る菫色の瞳。
その端正な顔立ちと教え方の上手さから、この国で最も高い人気を誇ると噂される家庭教師、キース・キャンベル先生だったから。
何処ぞの令嬢の家庭教師をしていたのを、クロフォード家が大枚をはたいて引き抜き、ルクスの家庭教師にしたのは知っていた。
(まさか、10歳にもなって字も読めない令嬢の家庭教師を引き受けるなんて……)
一体、クロフォード家はキース先生にいくら支払ったのか、考えだだけで恐ろしくなる。
それにしても……。
10歳まで家庭教師をつけてもらえなかった令嬢が、家族からどれ程蔑ろにされているか察しても余りあるだろうに、キース先生の表情からは、私に対する侮蔑も、嫌悪も、憐れみすら感じられないのが不思議だ。
もう名前すら忘れてしまったけれど、前世の学問の家庭教師はそれは酷いものだった。
12歳で字も読めない令嬢に教えることが余程癪に障ったのか、事ある毎に体罰を加え、言葉で蔑んだ。
「クロフォード家の恥」「お前など生きている価値もないのに、勉強して何の意味がある」
そのせいで、前世の私はすっかり勉強が嫌いになってしまった。それどころか、教科書や本を開いただけで動悸がしてくる。
簡単な読み書きを覚えたところで授業は終わり、すっかり勉強嫌いになった私は、それ以降何かを学ぶことを一切しなかった。
私の知識は、簡単な字の読み書きで止まってしまったのだ。
もしあの時、もっと勉強していたら、私にたくさんの知識があれば、屋敷を追い出された後、マリーひとりを働かせ苦労させることはなかったのに……。
私の後悔は、いつもそこに辿り着く。
「ところで……」
キース先生の声で我に返る。
声までいいなんて反則だ。
「これまで家庭教師がついておらず、字の読み書きができないと伺っているのですが、間違いないでしょうか?」
前世の記憶があるから、簡単な字の読み書きならできる。それをどう説明したものか……。
「それがその……。独学で勉強したので、簡単な字の読み書きはできます」
苦し紛れに適当に答えてみる。すると……。
「ほぉ……!」
キース先生の眼鏡の奥の菫色の瞳が、キラリと光った。それから、意味ありげな微笑みを浮かべる。
「それでは、授業を始めましょう」
ちなみに、マナーの先生は前世と同じアンナ先生だった。
アンナ先生は、無表情で淡々としていたけれど、私を見下したり差別するようなことはなかったので、前世の私はマナーの授業が好きだった。
もっとアンナ先生から学びたかったけれど、父から基本のマナーだけ教えればいいと言われていたアンナ先生は、基本的なマナーを教え終わるとそれきり来なくなってしまった。
またアンナ先生から学べるのは正直嬉しい。だけど……。
(今世では、マナーの授業はほどほどでいいわ)
ルクスが死ねば、屋敷を追い出され平民同様の生活を送るのだ。マナーなんて何の役にも立たない。
(それより、大事なのは勉強よ)
キース先生の教え方は、丁寧で解りやすく、私はどんどん勉強が好きになっていった。
知らなかったことを知る度に、狭くてみすぼらしかった私の世界が、どんどん広がっていくような、自由になっていくような気さえする。
それからというもの、私は殆どの時間を勉強と本を読むことに費やした。
そんなある日のことだった。
唐突にマリーが言った。
「今日は、婚約者のドミニク様がいらっしゃる日です」
「…………………婚約者!?」