プロローグ
クロフォード伯爵家の大切な跡取り息子、ルクス・クロフォードが死んだ。
たった16年の生涯だった。
幼い頃から病弱だった子が、高熱に侵され、激しい痛みに抗うように、体中を掻きむしりながら死んでいった。
妻のマリアンヌは発狂し、三番目の娘アイリスを、その身一つで屋敷から追い出した。
同じ日、事件が起きた。
新しく契約をした取引先が倒産し、行方をくらましたのだ。
多額の前金を支払ったのに、品物がひとつも入ってこない。金も失い、品物を卸す予定だった商人たちの信用も失った。
新しい相手と取引を始める時は、慎重に、時間をかけて、信頼に足る相手かどうかを調べてきた。
しかし、カスティル公爵家に婚約破棄の賠償金を支払ったせいで財政が傾き、それを補おうと焦ったせいで、よく調べずに契約をしてしまったのだ。
すぐに対処しなければ大変なことになる。これ以上、領地で暮らす民を苦しめるわけにはいかない。
ルクスの葬儀に事業の後始末、それに加え、気が狂ったように暴れ、メイドの手に負えなくなったマリアンヌを宥めなくてはならない。
仕事は増える一方なのに、人手は足りない。アイリスを探すことに人手を割く余裕がない。
「アイリス付きのメイドが一緒に出て行ったのだから、大丈夫だろう」
目が回るほどの忙しさで半年が過ぎた。新たな取引先が見つからず、財政はひっ迫したままだ。
そんな中、暴れるマリアンヌの罵詈雑言に耐えかねたメイドが次々に辞めていき、ますます人手が足りなくなった。私以外に宥められる者はいないが、頭も体も疲れ切っていて、マリアンヌの元に足が運ばなくなっていた。
そうしてさらに半年が過ぎた頃、悲劇が起きた。
マリアンヌが死んだ。
ルクスの部屋で首を吊って死んでいるのを、二番目の娘ジュリアが見つけたのだ。
マリアンヌの死は、病死だと公表した。
葬儀の日、棺の中の母を虚ろな目で見つめながら、ジュリアが何か呟いている。
よほどショックを受けたのだろう。
聞き耳を立ててみる。
「なぜ? なぜなの? 私がせっかく解放してあげたのに。お母様を救ってあげたのに。どうしてわかってくれないの? 私が誰の為にルクスを殺したと? 全てはお母様のためだったのに……」
「……ルクスを……殺した…だと?」
ジュリアは、隣国の精神病院に入院することになった。表向きには隣国へ留学したことになっている。
悪いことが立て続けに起こる。
しかし、後継者問題が起きないことは幸いだった。伯爵家の領地を任せている長女セリーヌの夫、アランがいる。
アランが私の跡を継げは、その次の代はセリーヌの血を継いだ私の孫が当主になるのだ。何の問題もない。
(セリーヌとアラン君を、早めに呼び寄せよう)
そう思っていた矢先……。
セリーヌがいなくなった。手紙一通だけ残して。
『お父様、この家は終わりです。私は弁護士になるという夢を叶えるため、クロフォード家を出ていきます。大学に入り直すことになりますが、王立学園で成績一番だった私には、奨学金の宛がいくらでもありますのでどうかご心配なく。それから、アランとの離婚の申立書を提出しておきました。無事に受理されれば、私とアランの離婚が成立することをお忘れなきように』
「セリーヌ!」
セリーヌとアランが離婚すれば、アランに爵位を継がせることができなくなる。
おまけにセリーヌの身勝手での離婚となれば、サルバドール家に慰謝料を支払わなければならない。
(それだけは避けなければ!)
「セリーヌは必ず連れ戻す。決して離婚などさせない。だから、セリーヌの気が済むまで少し待ってはくれまいか」
とアランを説得すると、何としてもクロフォード家を手に入れたいアランは、一応の納得をしてくれた。
しかし、それから3ヶ月が経ったある日、警備隊から連絡があった。セリーヌが死んだと。
痺れを切らしたアランがセリーヌを捜し出し、説得するために付き纏い、口論の末、露店から奪ったナイフで刺し殺したのだという。
「なぜ? なぜなんだ? なぜこんなことばかり起きるのだ」
それだけでは終わらなかった。
それから暫くして、ジュリアが死んだと精神病院から連絡があった。
目を離すとすぐに命を絶とうとする為、手足をベッドに縛りつけ拘束していたのだか、職員が拘束を解いた瞬間を見計い窓から飛び降りたのだという。
「なぜだ!? なぜこんなことになるんだ!」
思えば、物事が上手くいかなくなったのはあの頃からだ。字が読めないことが発覚し、アイリスが王立学園を退学になった頃。
字も読めない令嬢と婚約していたせいで大恥をかいたと、カスティル公爵家に多額の賠償金を請求された上、肩代わりしていた500億ゴールドも返ってこない。
おまけに、娘に家庭教師もつけず、平気で放置していたと社交界で後ろ指を指され、商売相手の家門から避けられるようになった。
財政はひっ迫し、領地の税を上げざるを得ない。税が上がったせいで、領地民の多くが土地を捨て出ていった。残った行く宛のない者たちは、貧困に苦しみ、多くの者が疫病で死んでいく。
そして、ルクスが死に、マリアンヌが死に、セリーヌが死に、ジュリアが死んだ。
(……そうだ、アイリス。あまりに色々なことが重ってすっかり忘れていた。私にはアイリスがいるではないか。すぐにアイリスを連れ戻し、婿をとらせよう。アイリスは社交界で「おまけ令嬢」などと呼ばれているから、まともな婿は見つからないかもしれないが……。まあ、形だけでもいい。贅沢をすることしか頭にない傍系のやつらに乗っ取られるより、余程いいではないか)
執事長を呼び、すぐにアイリスを探すよう命じた。
しかしその数日後、執事長は言った。
「旦那様、アイリスお嬢様は、すでに亡くなっておられました」
「………は?」
「ちょうど1週間前の雪の日の朝、路地裏で、雪に埋もれた少女の遺体が見つかったそうです」
「路地裏? 伯爵家の娘がそんな所で死ぬわけがないだろう」
「いえ、間違いありません。その遺体はこちらを握りしめていたそうです」
「なんだそれは?」
「王立学園の制服のリボンです。貴族の子供は、自分の瞳か婚約者の瞳の色の宝石を、リボンやタイに縫い付けるのが習わしになっているそうです。こちらを見てください。ここにペリドットが縫い付けてあります」
「これがアイリスの物だと、なぜ言いきれる」
「メイドに確認したところ、アイリス様の物で間違いないと。アイリス様付きのメイドのマリーが、この位置にペリドットを縫い付けるのを確かに見たそうです。それから……。遺体を発見した者の話によれば、うっすら開けられた瞼の奥に見えた瞳は、このペリドットと同じだったと……」
「………………」
墓地にアイリスの遺体を引き取りに行くと、身元がわからない遺体は皆一緒くたに埋められるので、どれがアイリスの遺体かもうわからないと言われた。
その足で、近くの教会に入った。
いつの間にか、激しい雨が降り、雷が鳴っている。
「神よ! 私が愚かでした。愚かで傲慢でした。私の命などどうなろうと構いません。どうか、私の憐れな家族にやり直す機会を与えてください。全員が無理なら二人だけでもいいのです。苦しみしか知らずに死んでいった憐れな双子の兄と妹に、どうか……! どうかその機会を!」
前日に激しく降った雨のせいで、辺り一面ぬかるんだ気の滅入るような朝、一人の男の遺体が教会で発見された。
身なりが良く、その町の領主クロフォード伯爵の面影はあるが、年老いた老人に見えたその男の遺体は、身元不明のまま、近くにある共同墓地に他の遺体と一緒くたになって埋められた。
当主が行方知れずになったクロフォード伯爵家は、遠い傍系の者が跡を継いだが、没落の一途を辿り、やがてその名前は貴族名鑑から消えた。
これで完結になります。至らない点が多々あったと思いますが、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。誤字報告いつもありがとうございました。とても助かりました。いいね、評価、ブックマーク、とても嬉しく励みになっておりました。ありがとうございました。
次はこの作品より明るい感じのお話を投稿する予定です。その際はまたお付き合い頂けると嬉しいです。本当にありがとうございました。




