ルクス・クロフォード 第四章
最初は気分が良かった。
金髪の王子と呼ばれ、女の子達に騒がれるのは満更でもなかった。
死ぬ前は学園に通うことすら出来なかったし、女の子といえば姉と妹としか話したことがなかったんだから。
だけど、すぐに飽きてしまった。
貴族令嬢の、語尾を伸ばした独特の話し方が癇に障る。おまけに、彼女達の香水臭さといったらない。鼻がもげそうだ。
アイリスは、早速友達を作っていた。
ケイト・ベアール。
平民だ。父親は医者らしい。
(ベアール……。医者?)
その眼差しをよく覚えていた。全てを包み込むように温かく、そして、僕を救わんとする強い意志が宿ったアッシュブラウンの瞳。
瞳の色は違うけれど、彼女の瞳は、あの日見たベアール先生の瞳と同じだった。
それから、彼女の事を目で追うようになった。
成績は良いが、それを鼻にかけたりはしない。冷静で、常に周りをよく見ている。困っている人には必ず手を差し伸べるが、それを恩に着せたりしない。
口数は少ないし、あまり笑わない。だけど、時々見せるはにかんだような笑顔が可愛らしい。ローズピンク色の瞳は不思議な光を放ち、いつだって温かく優しかった。
彼女の事は気になったけれど、どうにもならないことは分かっていた。未来のクロフォード伯爵家当主が、平民の娘とどうこうなるなんてありえない。
そんなある日、ケイトに誘われた。
「週末に、祖父母の家の茶会に来ない?」
「祖父母?」
祖父母の茶会というのは気になったけれど、誘われたのが僕だけだという事実に舞い上がる。
そして次の週末、花束とお土産を持って、ケイトの祖父母の家を訪ねた。
白い壁の可愛らしいカントリーハウス。
ケイトに案内された部屋に、品の良い老紳士と夫人が立っていた。
「はじめまして。よく来てくれたわね。私はケイトの祖母のサマンサ・ランプリング。こちらは夫のジャン・ルイ・ランプリングよ」
(……ランプリング!)
その名前を知らないはずがない。国で最も大きなダイヤモンド鉱山を所有するランプリング伯爵家。
ケイトの祖母の、ケイトと同じローズピンク色の瞳を見た時、全てを察した。
ケイトは、ランプリング伯爵家の血を引く女の子だったんだ。
茶会は本当に楽しかった。ランプリング前伯爵夫妻は、今は息子に家督を譲り、このカントリーハウスでゆったりとした時間を楽しんでいるそうだ。
「娘は平民になったけれど、娘の夫は誠実でとても良い人なの。それに、こんなに可愛い孫娘と出会わせてくれたんだから」
「お祖母様ったら! 恥ずかしいわ」
ケイトも、学園にいる時よりよく笑う。
この安らかな時間が、ずっと続けばと思う程だった。
茶会の後、ランプリング前伯爵夫人が言った。
「実はね、今日あなたに来てもらったのは、理由があるからなの。来てちょうだい」
夫人が、ドアの陰に立っているメイドに声をかける。
「……タチアナ?」
そこに立っていたのは、僕が唯一心を許したメイド、タチアナだった。
僕のために母に逆らい、屋敷を追われ、二度と会えなくなったタチアナ。
「タチアナは、働いていたお屋敷から逃げてきたのを父が保護して、お祖父様とお祖母様の元で働くことになったの。その頃は私も幼かったけど、クロフォード家の坊ちゃまのお世話係をしていたと、タチアナが一度だけ話したのを覚えていたのよ。それで、お祖父様とお祖母様に頼んでこの席を設けてもらったの」
ケイトの言葉は、途中から聞こえていなかった。
両方の目から、涙が滝のように溢れてくる。ついでに鼻水も。
(ケイトが見てるのに 金髪の王子なんて言われてるのに、めちゃくちゃかっこ悪いな、僕)
「ルクス坊ちゃま!」
僕を抱きしめたタチアナが、背中をそっと撫でる。それから、エプロンで鼻水を拭いてくれる。小さい頃、そうしてくれていたように。
(あーあ、情けない。だけど……、もういいや)
タチアナに抱きしめられながら、僕は声を上げて泣いた。
(懐かしい匂いがする。タチアナの匂いだ。ああ、この匂いって、陽だまりの匂いだったんだ)
その後、ランプリング前伯爵夫妻の好意で、タチアナと二人きりで話すことができた。
「タチアナ、元気そうで良かった」
「ルクス坊ちゃま。ランプリング夫妻はとても良い方で、使用人の事も大切にして下さいます。それに、縁あってこちらで働いている御者と結婚して、子供も二人いるんですよ」
「それはおめでとう! だけど、坊ちゃまはやめてほしいな……」
「ふふふ。はい、坊ちゃま。……坊ちゃま、いつか私の家族にも会って下さい。子供達にも、いつも話しているんです。今の屋敷に来る前に仕えていた坊ちゃまは、病に侵され苦しい思いをしながらも、人に八つ当たりなどせず、黙って耐えることのできる強い方だと」
「タチアナ、これ以上泣かせないで。目が開かなくなる」
「ふふふ。わかりました、坊ちゃま」
近々タチアナの家に遊びに行くことを約束して、玄関で別れた。門の前で、ケイトが僕を待ってくれていた。
「どうしたの? 変な顔して」
「いや、情けなくてさ。金髪の王子なんて言われてるのに、あんな姿、笑っちゃうだろ?」
「笑わないわ」
ケイトが、真剣な顔をして僕を見ている。
「笑わないわ、ルクス」
ケイトのローズピンク色の瞳は、全てを包み込むように優しく、そして温かい。
もう、自分の気持ちに嘘はつけない。
僕はケイトが好きなんだ。
だけど、いくらランプリング伯爵家の血筋だとしても、ケイトは平民の父親を持つ平民だ。あの父が簡単に許すとは思えない。
(ここは慎重にいかないと……)
僕は、ケイトに告白するタイミングを慎重に見極めようと決めた。




