デビュタント
「お嬢様、何てお美しいんでしょう!」
マリーが感涙の声を上げる。
純白の糸で刺繍が施された真っ白いドレス。
緩く結い上げた髪の上で光るダイヤが散りばめられたティアラ。お気に入りのペリドットのイヤリングとネックレス。
マリーとルーシーとリリカが頑張ってくれたお陰で、自分で言うのも何だけどいつもより何十倍も綺麗だ。
「あんなに小さかったお嬢様が、こんなに大きくなって……」
なんて言いながら、マリーが人差し指で目の端を拭う。そんなマリーを慰めるルーシーとリリカ。
(この三人、いつの間にか仲良しになってるのよね)
「ありがとう、マリー。ここまで来られたのはマリーのおかげよ」
その瞬間、マリーの栗色の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
マリー、これは本当の事だよ。
マリーがいたから、私は生きてこられた。
その時、ドアがノックされ、父とルクスが部屋に入って来る。
「この部屋は本当に遠いな。もっと食堂に近い部屋に移動しろと再三言っているのに……」
「この部屋が気に入ってるんです」
文句を言う父の隣で、ルクスがにやにや笑っている。
「何よ、にやにやして」
「馬子にも衣装だと思ってね」
「うるさい!」
そういうルクスは、前髪を上げて白い宮廷服に身を包み、まるで本物の王子様のようだ。
外で待たせている馬車までは、父がエスコートしてくれる。父の腕に腕を絡ませ、長い廊下を歩いた。
(そういえば、前世のデビュタントってどうしたんだっけ?)
前世の記憶を呼び起こす。
前世の15歳の私は、字が読めずに学園を退学になったせいで、社交界で「おまけ令嬢」という仇名を付けられていた。
そんな私を貴族達が集まる場に連れてくのは恥ずかしいと、デビュタントには連れて行ってもらえなかったのだ。
(まさか、お父様のエスコートでデビュタントへ向かう日が来るなんてね)
玄関に続く大広間の階段を降りる。
階段を降りている途中で、執事長が慌てた様子でやって来た。
「旦那様、至急面会したいという客人が来ております。シュツルナード子爵家の者だと名乗っているのですが……」
(シュツルナードって、手紙の差出人だわ)
「……通せ」
玄関の扉が開けられ、客人が入って来る。
逆光で顔が見えない。
だけど、私はこの人を知っている。
「アイリス!」
「ジェレミー!?」
そこに立っている人を、見間違えるはずがない。
この3年間、1日たりとも忘れる事ができなかった人。
ジェレミーの隣に立っている中年の男性が、私と父に会釈をした。
「シュナイダー家当主、ドイル・シュナイダーと申します。この度、王家から爵位を賜り、シュツルナード子爵と名を改める事になりました。アイリスお嬢様、どうか我が愚息に、お嬢様のエスコートをする機会を与えて下さいませんか?」
(爵位? エスコート?)
混乱する私を他所に、父がドイル・シュナイダーと名乗る男性に声をかけた。
「何だお前か」
「久しぶりだな」
いつの間にか私と父の後ろに立っているルクスが、父に尋ねる。
「お知り合いなのですか?」
「王立学園時代のクラスメイトだ。まあ、悪友というやつだな」
ジェレミーのお父さん、つまりシュナイダー家当主、いや、今はシュツルナード子爵と父が友人だなんて初耳だ。
「王があれ程爵位をやると言っても拒んでいたのに、いよいよ年貢の納め時だな」
「しがらみばかりの貴族など面倒なだけだったが……。仕方がない。息子の初恋のためさ」
(はつ…こい?)
シュツルナード子爵が、呆れた顔をしながら話を続ける。
「そもそも、お前が我が家からの婚約の打診を断るからこんなことになったんだ」
「すまんすまん。シュナイダー家の息子なら平民でもよかったんだがな。ちょうど、お前が爵位を受け取るよう説得しろと王に頼まれていてな。しかも、褒美がレアル運河の独占使用権だ。目も眩むさ。悪いが利用させてもらった」
「相変わらず、業突張りなやつだ」
「しかし、そっちの準備が整うまでは、アイリスを誰とも婚約させないという約束は守ったぞ」
ただでさえわけがわからなくて混乱している私を、父が更に混乱させた。
「まあ、そういうわけだ。アイリス、こいつの息子と婚約してやれ」
「はぁ!?」
思ったよりドスの利いた声が出てしまう。それを聞いた父が、珍しく声を上げて可笑しそうに笑った。
「はっはっは。よし、早速手続きをしよう。ちょうどいい酒が手に入ったんだ。シュナイダー……、いや、シュツル…何だったかな。紛らわしい名前だな。まあ、いい。書斎へ行くぞ」
「ああ。不味い酒だったら怒るからな」
私達を置いてけぼりにして、父とシュナイダー…、いや、シュツルナード子爵は階段を昇って行ってしまう。
「アイリス」
私の名前を呼ぶ懐かしい声に振り返ると、階段の下まで歩いてきたジェレミーが、手を差し出して私を見上げた。
髪をきちんとセットして、白い宮廷服に身を包んだジェレミー。
一段一段、踏みしめるようにゆっくりと階段を降りた私は、ジェレミーの隣に立ち、ジェレミーの手を取った。
「思ったより色々な手続きに時間が掛かってしまって……。でも、デビュタントに間に合って良かった。アイリス、会いたかった」
「私も! 私も会いたかった。だけどジェレミー、さっきの婚約って……」
私の手を取ったまま、片膝を突いて跪くジェレミー。
「アイリス・クロフォード伯爵令嬢、僕と婚約し、将来、僕の妻になって下さい」
「私で……いいの?」
「君がいいんだ。アイリス」
「私、アイリス・クロフォードは、貴方と婚約し、貴方の妻になります」
ジェレミーが、私の手の甲にキスをする。
「ジェレミー、アイリスを頼んだぞ!」
階段の上にいるルクスが叫んだ。
「ああ!」
私を見るジェレミーの瞳は、優しいライラック色だ。
見つめていると、ジェレミーが照れくさそうに笑う。
それから、手を取り合った私達は、並んで歩き出す。




