ジェレミーの初恋(前編)
自分が国一番の商団を持つ大金持ち、シュナイダー家の一人息子だと自覚したのは6歳の時だ。
どうりで、仲間の中だけ俺だけが、家庭教師に見張られながら勉強しなくてはならなかったのかと腑に落ちた。
仲間はみんないいやつで、俺が大金持ちの息子だからと態度を変えたりしない。ただ、それまで毎日会っていたやつが急に姿を現さなくなったり、何処からか来たやつが新しい仲間になったりした。
仲間の中で字が読めるのは俺だけだった。家庭教師なんて金のかかる道楽は、その日食べるのがやっとで生きている人間には何の足しにもならない。一番仲のいいトムは、俺より賢くて仲間に頼りにされていたけれど、字が読めないせいでまともな仕事に有りつけず、今は養鶏場の下働きをしている。
10歳になる頃には、ほとんどの仲間が働き出した。商店通りにある親の店を手伝ったり、兄弟の面倒を見ながら家の仕事をしたり、みんな忙しそうにしていて中々遊べなくなった。
「俺も早く働きたい。早く商団の仕事を継いで、仲間をみんな商団で雇うんだ」
そう意気込んでいたのに、12歳になった俺は王立学園に入学させられた。王立学園なんて貴族の巣窟だ。冗談じゃない。親父に文句を言うと、
「学んだことは将来商団を経営するのに役に立つ。きちんと勉強して来い」
と激励された。それから、
「お前を学園に通わせる理由はもう一つある。人脈を作ることだ。商団の主な顧客は貴族だ。将来、どの家門がシュナイダー家にとって利になるか、きちんと見極めて人脈を作っておくんだ」
そう言って手渡されたのは、分厚い貴族名鑑だった。
学園の生徒の大半は貴族の子供だ。俺は、将来手を結ぶのに信用に足る家門はどこか、反対に関わらない方がいい家門はどこかを見極めるため、やつらを観察することにした。
貴族は嫌いだ。
自分達がこの世の中心にいるような気でいて、平民を見下し威張っている。貴族の家で下働きをしていた仲間は、よくそこの家の子供に虐められて泣いていた。
だからこそ、商団をもっと大きくするためにこいつらを利用してやるんだ。
クラスで目立っているのは、女子に金髪の王子と騒がれているルクス・クロフォード。現クロフォード伯爵は、その確かな商才と経営手腕で莫大な富を築いたやり手だ。その才能を受け継いでいれば、いい取引相手になるだろう。ただ、子供の頃はかなり体が弱かったらしい。もっと観察が必要だ。
双子の妹アイリス・クロフォードは、大人しく目立たない少女だ。こちらは気にしなくてもいいだろう。
女で目立っているのはエミリー・ローレンス。ローレンス侯爵家の一人娘だ。派手好きで、見栄っ張りで、家門の力を笠に着て威張っている嫌な女。兄のシャルル・ローレンスも同じような性格らしい。
(ローレンス家はないな)
そんなことを考えていると、そのエミリー・ローレンスが、伯爵令嬢のイザベル・ドパルデューと子爵令嬢のレイチェル・ディートリッヒを従えて、ルクス・クロフォードの妹アイリス・クロフォードに話しかけているのが目に入る。
(これで、あの子もあいつらの仲間入りか)
けれど、そんな予想は見事に外れて、「私はいいわ」とだけ言ったアイリス・クロフォードは、足早に立ち去って行く。残されたエミリー達は、呆然と立ち尽くしていた。
自分より身分が高いエミリー・ローレンスを袖にして、何処へ行くつもりなのかと目で追うと、俺の少し前の席に座っている栗色の髪の女生徒の所へ来た。
貴族名簿には載っていない。平民だ。
そして、アイリス・クロフォードはその子の隣に座った。
(………? 変なやつ)
それが、アイリスが気になったきっかけだ。
放課後、渡り廊下を歩いていると、立ち尽くすアイリス・クロフォードと、その先にエミリー達に囲まれているさっきの栗色の髪の女生徒を見つけた。
(まあ、そうなるよな)
上位貴族を無下にして平民に話しかけたのだ。おまけに相手は意地悪でプライドの高いエミリー・ローレンス。こうなることは予測できただろう。
アイリス・クロフォードは、目に溜めた涙を零すまいと目を見開きながら、小柄な体を小刻みに震わせていた。
(面倒くさいことになったな)
だけど、囲まれているのは平民だ。放っては置けない。
「通行の邪魔なんだけど」
俺の顔を見た途端、エミリー達は顔を見合わせて逃げて行った。
クラスの大半が、俺のことをシュナイダー家の跡取り息子だと知っている。この目立つ瞳のせいだろう。
シュナイダー家とお近づきになりたいが、自分から平民に声を掛けるのはプライドが許さない。そんな感じで、いつも遠巻きに見られているのはわかっていた。
エミリー達が去った後、栗色の髪の女生徒が、アイリス・クロフォードの前まで歩いて行くとこう言った。
「あなたがあの子達と仲良くしない理由がわかったわ。だってあの子達……、香水の匂いで鼻がもげそう!」
堪えきれずにアイリスが笑うと、溜めていた涙が、透き通った黄緑色の瞳からぽろぽろと零れ落ちた。
きっと、俺がアイリスを好きになったのはその時だ。




